表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/117

狐狸

 家老であり高弟でもある牧野主馬まきのしゅめは、当時も藩主の重要な片腕の一本であった。それは、代がかわったいまでもおなじである。


 もう一本の腕は、坂巻衛門之丞さかまきうえもんのじょうという。


 よわい五十を越えたばかりの二人は、ほぼおなじ道をあゆんできた。


 二人とも、もともとは武士のでではない。


 牧野家のなん代かまえは、紀伊や瀬戸内の一部の海を支配していた熊野海賊の幹部であった。坂巻家のそれは、戦国時代からおなじ紀伊地方をはじめとし、その勇名を馳せた雑賀衆の射撃手だ。


 幼少の時分ころより、二人は剣術好きだった。それが高じて門下に入った。ほぼおなじ時期に入門したので、二人はよき好敵手ライバルとなり、腕を磨きあった。


 それがいつの時分ころからか、剣術よりも政治的な野心や保身に翻弄されるようになっていた。

 情けないことに、純粋な剣の道というものはいまや存在せぬ。それは、この二人にかぎってではない。ずっと昔、宗祖がみずからの息子の一人を江戸にやった時点で、剣の道から政の道へとそれたのだ。


「やはり生きていたのだ・・・」

 初老の域にある二人は、若い当主の御前でつら付き合わせていた。互いの女房子どもより、よほど一緒にいる時間ときがながい所為か、二人は実の兄弟のようにその容姿、雰囲気、身に纏う気までがよく似ている。


 胡麻塩頭に同色の口髭、中肉中背。どれをとってもそこらにいそうななんの変哲もない、ただの老人のようだ。しかし、そうはいっても二人はこの流派の高弟だ。師から印可を授けられているだけあり、剣の腕前は半端ではない。

 そのはずだ・・・。


「疋田め・・・。禁を破り命に従わず、あのばけもの生命いのちを助けたばかりか、直訴しようとまで・・・」

 二人の顔色は、年齢的なものをさしひいても死人しびとのように悪い。


「われらは、おぬしらのいうそのばけものに殺されるのか?」

 当主の問いに、家老二人はなにも答えなかった。否、答えることができぬのだ。


 直系が絶えた為、高家武田家から迎えられた若き当主だ。このふってわいたような災難に、細面の柔和な相貌が翳っている。


 自身にはまったくあずかりしらぬ騒動・・・。

 それがいままさに、この身を襲おうとしている。


 否、第十三代として指南役の地位を継いだ時点で、俊益としますの人生は平穏からはかけはなれた波乱に満ちるものとけっしたのであろう。


(ああ、生き残れるだろうか・・・)

 自身だけではない。世の情勢が、この藩のゆく末を翻弄している。身の振り方次第でどうなるかわかららぬ。じつに不安定な世のなかだ。


 指南役という地位もまた、状況をむずかしくしているのはいうまでもない。


「どうにかするのだ。おぬしらに一任する」

 なげるしかないではないか?当時のことについて、としわかいかれにはまったくわからぬのだから・・・。


 俊益は、そう命じると庭にでた。教えるべき相手は京にいる。それよりも、自身がまだまだ修行をしなければならぬ。



 これまでやりとりのほとんどが密書であった。

 この度、薩摩藩士大久保一蔵は、はじめて公卿岩倉具視と会うことができた。

 無論、それは公のものではなく、あくまでも密会だ。


 大久保の相貌は、翳りを帯びている。長身痩躯の外見は、いかにも策士然としている。それだけでなく、その性格や思考は、根暗で卑怯だと思われがちだ。

 西郷には中村や黒田をはじめとした、とりまきが大勢いる。だが、この大久保にちかづく者はほとんどいない。

 それは、薩摩藩における大久保の役割がそうさせているわけではない。ひとえに性格上の問題だ。



 現在いま、大久保と西郷は京に上っていた。


 京のうだるような暑さがすぎたある初秋の夜、大久保は岩倉の隠棲している住まいに小者一人だけを連れてやってきた。


 正直なところ、大久保も岩倉もたがいのことを好きにはなれなかった。あまりにも性質たちがにすぎている為、かえって反感を抱いてしまうのだ。


 酒好きの岩倉の為に、大久保は地元の芋焼酎を手土産に持参した。それは、岩倉をおおいに悦ばせた。そして、とりあえずは自慢の洋間に薩摩の策士を招きいれた。


 その夜は、月も星も雲に隠れてしまっていた。洋間のランプの灯りが庭の大樹をかろうじて浮かび上がらせている。


「土佐の家老の後藤が、大政奉還を幕府の要人どもに説いているそうだな?」

 岩倉は、ギヤマンのコップに大久保が持参した焼酎を手酌で注ぎ、さっそく呑みはじめた。客であるはずの大久保にはすすめもしない。

 大久保は、そんな岩倉のことを不躾で無遠慮だと思った。だが、狐に似た相貌には、権力に媚びる者特有の笑みをはりつかせていた。


 これまでの密書のやりとりから、岩倉は幕府を討つ為の討幕の密勅を作成していた。あとは、天皇に践祚したばかりの幼帝の御璽ぎょじをえるだけだ。


 そこに、大政奉還の計画がもちあがってきた。


 それは、坂本が長崎で後藤と会見し、その際に提案したものだ。感銘をうけた後藤は、自藩の藩主山内容堂を説き伏せ、ついで幕閣の要人に説いてまわった。

 坂本の師である勝やその良き理解者である大久保一翁おおくぼいちおうが、それ以前から提唱していたものでもある。


 もうすこしで王手を詰むことのできるこの時期、岩倉や大久保にとって、それは暴挙以外のなにものでもない。


 薩摩、長州が錦の旗の下、幕府を討つという計画が頓挫してしまう。そうなれば、振りあげた拳を下ろす機会がなくなってしまう。


「坂本か?そろそろ邪魔になってきた・・・。そうであろう、大久保?」

 もう幾度も密書をかわしあっている仲だ。たがいにいい印象はもたなかったとしても、おなじ目標をもつ、いわば精神こころの友として、二人はまるで長年の知己である感覚に陥っていた。


「坂本のことは、わが藩の西郷が気に入っております」

 大久保がむっつりと答えた。


 椅子の座り心地はまったくよくない。それをいうならば、この部屋の居心地もよくない。


 大久保は、上目遣いに室内を観察した。円卓テーブル写真フォトガラ、ギヤマンと、様々な異国のものがにうつすことができる。


「どうにかしろ」

 このみじかい密会の間に、手土産はなくなりつつある。酒瓶をひっくりかえしながら高飛車にいう岩倉のその言を、大久保はさらなる芋焼酎を所望しているのかと思った。


「邪魔者は、ただ単純に消せばいい。そうであろう?」

 あまりにも尊大だ。これが公卿というものか?公卿とは、もっと淑やかで高貴で穏やかな人種だと思い込んでいた。


「そういえば、こちらの思惑がことごとくうまくゆかぬのはなぜだ?」

 岩倉は、立ち上がると棚に並んでいるギヤマンの瓶をひっ掴んでもってきた。奇妙な形の栓を抜くとそれを傾ける。瓶の口からコップへと、赤い液体が流れ落ちてゆく。それが異国の酒であることは、大久保でも容易に想像できた。


「どうやら、凄腕の暗殺者がいるようです」

「どいつの差し金か?」

 岩倉は、赤い液体を呑みほし尋ねた。


 これだけ呑んでも岩倉は酔ってはいない。


「さしずめ、幕府だろうが・・・」

 岩倉は、そこではたと考えた。帝の件でも幾度も阻止された。それは、帝の御妹を娶った徳川家茂の死後もつづいている。そして、南朝の末裔の事故死もひっかかる。

 黒幕が幕府であるとすれば、いったい幕府のどいつの差し金なのか・・・?


「調べております・・・」

 大久保が一礼とともにこたえた。


 かれ自身の幼馴染である西郷が、密かに調べさせていることがある。

 おそらく、それが岩倉のしりたいこととおなじであろう。

 

 不愉快な密会をおわった。


 大久保は、藩邸までの夜道、小者のさしだす提灯の灯りをみながら、自身が都人の走狗になりさがったことを、つくづく実感した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ