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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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34/117

最後の花見

 慶応三年( 1867年)、年始から参謀伊東は活発に動いた。


 二番組の組長永倉と、三番組の組長斎藤の二人を傘下に取り込もうと、元旦から島原で酒席を設けた。


 それは、かなりの長時間、否、幾日もつづいた。

 屯所からの再三の帰隊隊命令をも無視し、三人は現在いまの情勢や新撰組のあり方・・・についておおいに語り、おおいに呑み喰いした。


 その宴の後、三人をまっていたのは譴責と処罰だ。三人とも謹慎処分をくらった。


 伊東は、その処分の後に九州遊説に出発したのである。


 永倉は、伊東を好ましく思っていない。その思想がというわけではなく、肌が合わぬのだ。

 単純な剣士であるかれは、水面下で謀略を張り巡らせるような姑息な手段を嫌う。


 永倉は、現在いまの新撰組のやり方を、かならずしも正しいと思ってはいない。古くからのつきあいである近藤の態度を弾劾したほどである。伊東にたいする評価もやさしくはない。

 永倉は、ただ酒がたらふく呑めるから、という理由だけで、伊東の接待を受けたのである。ほかに意趣はない。


 一方、斎藤はいうまでもない。伊東の動向を探る、いわば間者となるべく伊東に接近したのだ。これがまたとない機会であったことはいうまでもない。


 九州遊説から戻ってきた伊東は、離脱したい旨を局長や副長に打診しはじめた。


 逝去された孝明天皇の御陵を護ること、違う視点から新撰組の目的を達成する手助けをすること、というじつに曖昧ないい分を並べ立てて・・・。


 伊東はついに、自身の野望を達成すべく本腰を入れたのだ。


 すでに土方は、隊士のうちでだれが伊東につくかを、自身の二本の懐刀や山崎らの調べで見当をつけていた。



 試衛館で剣術にあけくれていた時分ころから、毎年「花見」だけはかかしたことはない。

 金子がなく、その日の飯にもありつけぬような有様のときでも、全員で協力して喰い物や酒を集めた。 そして、桜の木の下で呑み喰いし、どんちゃん騒ぎをやった。


「だめだ」

「土方さん、そりゃねぇだろ?これは、いわばかかせねぇ義理だ」

「だめだ」

 土方は、すがりついてくる長身の原田を、鬱陶しそうにひきはなしながらいった。


 西本願寺の境内にある桜は、ちらほら咲きはじめている。

 そんなある日、土方の部屋に原田、永倉、藤堂の三人がめずらしく真剣な面持ちで訪れた。


「土方さん、なぁこりゃあおれたちの大切な儀式のようなもんだろう、えっ?」

 原田のようにすがりつくまではしないものの、永倉も執拗にねばる。


「副長、お願いです・・・」

 藤堂が叫ぶ。


 四人は、副長の部屋で立ったままやりとりをしていた。


 三人は、土方を取り囲んだうえで談判した。


「なんだ?なにがあったんだ?」

 所用から戻ってきたのだろう。近藤が副長室のまえを通りかかった。廊下からひょいと顔をのぞかせる。

 部屋のなかから、西本願寺の境内の一部をみ渡すことができる。


「ドーンッ!」

 春のうららかな心地よい空気を、空砲が切り裂いた。

 

 会津藩から派遣された砲術家が、一番組と三番組に調練をおこなっているのだ。


 このところ新撰組では、洋式の軍備をとりいれるべく、会津藩から砲術や軍略の専門家を派遣してもらい、調練をおこなっていた。


 大砲や鉄砲の音が、西本願寺にさらなる不興を与えていることはいうまでもない。


「近藤さん、こいつらが・・・」

 土方は、これから他出するつもりなのだろう。着流しという格好だ。


 女のところに通っていることを、いまでは試衛館時代からの仲間たちにばれていた。

 土方は、近藤にすらなにも話してはいない。自身の二刀にだけ、告げていた。


 土方は、うんざりしたように三人をみまわした。

「は・・・」

「近藤さん、ほらっあれをみてくれよ。そろそろあれの時期ころだろ、えっ?」

 土方が口唇を開きかけると、原田が懇願する相手をかえていっきにまくしたてた。

 昔から、近藤が否とはいわぬことを、熟知しているからだ。


 原田の勢いにおされ、近藤はえらの張った大きな相貌を思わずのけぞらせた。そして、いわれるままに庭をふりかえる。

 そこには、数本の桜の木が並んでいる。いずれも、小さなつぼみがかろうじて開きかけている。


「ああ、そうか・・・」

 近藤は、満面の笑みを浮かべた。

「もうそんな時期か・・・。なんやかんやとあって、時候を感じることすらなかったが・・・。そうだ、おれの別宅の庭にも、桜の木が数本ある。きっと花が咲きかけているだろう。どうだ、今年はそこで花見というのは。それだったら不都合はなかろう、えっ、歳?」

「近藤さん、あんた・・・」

 土方は、さまざまな意味で絶句した。

 その周囲で、昔からの仲間である三人が肩を叩き合っている。


「さすが近藤さん」「やったー、これで呑めるぞ」「局長、ありがとうございます」と喜んでいる。


 土方に、もはや反対するこなどできるわけもない。


 宴会大将の原田がすぐに手配し、その数日後には恒例の「花見」がおこなわれた。


 近藤の別宅は、京のさる大店の主人が妾を住まわせていた住居である。

 四部屋程度のさしておおきくもない家屋だ。だが、何軒かの候補のなかで、近藤がここにきめた最大の理由は、庭に数本の桜の木があったからである。

 春になると、花見と称する宴会をかならずひらいているのを、近藤もまた愉しみにしていた。

 

 それ以上に、近藤にとって桜とは、きってもきりはなせぬ仲間たちとの絆の一つのような気がしていたからでもある。


 現在いま、この別宅には大坂新町で芸妓をしていたおこうがいる。

 

 近藤が大坂に出張した際、やはり新町の芸妓深雪みゆき太夫に惚れ込んだ。その太夫を落籍させ、ここに住まわせた。

 深雪太夫は、実の妹でおなじ新町で芸妓をしていた御考おこう太夫を、近藤にせがんで落籍させてもらい、呼び寄せ一緒に住むようになった。


 たらしの近藤らしく、一つ屋根の下、ともに住まううちにその情熱こころはお考へと移ってしまった。

 そしていまはお考だけが、ここに住んでいる。

 

 この夜はまだ肌寒かったが、空には満月がひっそりと浮かび、この宴会に興を添えている。


 桜は五分咲きだ。近藤の庭のそれらは、この夜の主人として、立派に役目を果たしそうだ。


 お考は、まだおさなさの残る相貌ながら、心根はじつにやさしい女だ。家事もよくこなすので、近藤は齢のずいぶんはなれたこの妾を、これまでの幾人かの妾よりも一番かわいがった。

 この夜も、嵐のような客人たちの為に、とっておきの酒肴を準備してくれていた。人数にんずがおおい為、井上が料亭から簡単な料理を手配もした。


 試衛館時代とは比較できぬほど、豪勢な宴会となった。


「みな、よくきてくれた。今宵は無粋な話しはぬきにして、思う存分呑み喰いしてくれ」

 庭に敷物を敷かれ、酒肴が並んだ。

 お考は遠慮し、屋内に下がっていた。


 全員に杯がゆき渡り、それぞれの杯に酒が注がれると、近藤は立ち上がり音頭をとった。

 全員がおなじように杯を月に向けて捧げる。全員、想いはおなじだ。頭上にひっそり浮かぶ月を、この場にいるはずだった山南にみたて、盃を捧げる。


 近藤、土方、井上、永倉、原田、藤堂、斎藤、沖田、少年。

 全員がそれぞれが心中で山南に語りかけ、その死を悼み敬意を表した。


 今年の花見は、二つの理由から近藤宅でおこなわれた。一つめは、内々で愉しみたいということ、二つめは、こちらの方が一つめより重要なのだが、伊東一派を警戒してのことだ。

 間もなくおこるであろう伊東の動きにあわせ、少年や藤堂、斎藤が近藤派とことさら親密にしているところを、伊東一派にみせつける必要などどこにもない。


 ここでなら、だれの双眸や耳朶を気にすることはない。

 

 沖田は、ちかごろでは寝込んでいることがおおくなっている。

 胸の病が、容赦なくかれの体躯をおかすのだ。


 近藤と土方、そして井上には打ち明けていた。隠しきれぬほどに進行していた。

 永倉たちには直接話しはしていないものの、仲間特有の感覚で勘づいているようだ。


 この夜、調子がよくて参加することができた。これ以上病状が進行すれば、屯所にいるのも難しくなる。おそらくは、この別宅にうつることになるだろう。

 ここでなら、ほかの隊士に伝染ることはないし、しずかに養生できる。

 なにより、手厚く看病してくれる女性ひとがいる。


 近藤と土方は、の病に衝撃をうけた。当然である。この時代、それは死病である。それでも、二人とも無駄に騒がず、気を遣わず、できるだけ気丈にふるまった。それこそが、沖田にとっていい対処になると考えたからだ。だが、二人とも悲しみと不安でいっぱいだ。それを本人に悟らせることのないよう、かなりの努力を必要とした。


 土方は、それをしってからというもの、ときおり心中で山南に語りかけてしまう。

 いまも、だ。沖田の様子をみていたら、無意識のうちに心中で呟いていた。


(山南さん、あんたはおれの所為で死んだ。呼ぶならおれを呼んでくれ。総司はまだ、あんたのところにゆくにははやすぎる・・・)

 そして、吐息をもらしてしまう。


 土方が自身の左横をみると、少年がひっそりと座していた。この狭い敷物では、いつもは遠慮がちな少年でも寄り添うように座さねばならぬ。場の空気をよくよむこの少年は、いまはそこで胡坐をかいていた。右の掌には大人たちとおなじように杯をもっている。


 少年は、土方の視線気がつくと、心配げ表情かおになった。

「いや、大丈夫だ坊・・・」

 土方は苦笑した。


 まったく、こいつときたら、いつもおれに気を遣ってばかりいやがる・・・。


 坊は、山南の死を、死すことを選択した誠の理由わけをしっている。自身が尋ねれば、あるいは述命じれば、それをしることができる・・・。

 仮説はいくらでも浮かびはする。だが、どれが正解なのか不正解なのか、自身には導きだすことが難しい。

 苦しくもある。いいようのない苦しみだ。

 らくになろうと思えば、自身の懐刀にたった一言命じればすむ。たった一言・・・。それだけで、この苦しみから解放される。

 だが、それは自身の負けを意味する。あらゆる意味での負けを。それだけは許せぬ。この苦しみは、当然のことだ。自身は、それだけのことをした。あたりまえの代価だ。

 苦しめばいい、一生かかってでも・・・。


 そういえば、山南さんは死ぬ直前に謎の言の葉をも遺した。


『土方君、坊に気をつけろ』

 いったい、どういう意味なのか?



「ほら、今宵は無礼講だ。おまえも呑め」

 土方は、心中をよむことのできる少年の気をそらそうと、空の杯に酒を注いだ。


「それそれ、斎藤、負けんなよ」

 原田だ。周囲ではおおいに盛り上がっている。

 土方がそちらに双眸を向けると、少年もそれにならった。


「まだまだだな、平助」

「いいや、まだまだだよ、一君」

 斎藤と藤堂が、それぞれの杯をどんどん上げてゆく。


 土方は、酒に強くないことがときとして恨めしくなる。なにもかも忘れ、泥酔できたらどれだけいいだろうか、と思うことも。


「おいっ、坊っ!なにをそんなにいい子にしてやがる?さあ、今宵はおまえも白狼ではなく大虎になれ」

 土方と少年のまえに、真っ赤な相貌の永倉が立ちはだかった。胸元には、一抱えある陶器製の酒瓶をおしいただいている。


 今宵の酒は、近藤が灘の生一本を用意してくれたのである。


新八兄しんぱちにい

 少年は、試衛館時代の呼び名で永倉をよんだ。その秀麗な相貌には不敵な笑みが浮かんでいる。


「大虎?おれが酒にざるなことは承知されていますよね?今宵も呑み負かされたいのですか?いいでしょう、お相手いたします」

 少年は、宣戦布告と同時に杯をさしだした。


 少年にとって、酒は水とおなじだ。酒や毒など、耐性をもつ為に長年修練している。そのせいで味覚は失われている。酒については、どれだけ呑んでも酔わぬ体躯になっている。


 仲間たちは、それを承知してはいるが少年に勝負を挑む。そして、打ち負かされ、ぐでんぐでんにされるのだ。


「よしっ!わっぱよ、そうこなくてはな」

 永倉も上気した相貌で笑う。

「近藤さん、もっと大きな杯はないのか?これじゃぁまどろっこしくていけない」

「ああ、ああ、わかったよ」

 近藤も苦笑せざるをえない。そそくさとおおきな杯を取りにいった。

 

 この花見が、かれらにとって最後の花見となることを全員が感じている。

 とくに、新撰組ここから離反する伊東についてゆく藤堂は、だれよりも感じているはずだ。


 藤堂は、仲間を裏切るもおなじことなのだ。


「もうやめとけ、新八」

「しんぱっつぁん、無理するなよ」

 原田と藤堂は、永倉がすでに許容量をこえているのをしっている。止めに入る。とはいえ、その二人もまた、へべれけの状態だ。

 その三人を横目に、少年はすました表情かおでどんどん杯をあけてゆく。


「くそっ、坊っ!腕相撲だ、腕相撲。つぎは力勝負だ」

「なにいってやがる新八、力もおめぇのほうが分が悪い。悪いことはいわん、やめとけ。恥じの上塗りだ」

「いいや、源さん。こんなときの為に、おれは鍛えてるんだ。さぁっ、坊っ!」

「おもしれぇ。新八がまた負け戦を挑んでやがる。おいっ、平助、台をもってこい。新八、坊に勝てたら、明晩、酒を奢ってやるぜ」

「おっ?その言の葉、忘れんなよ、左之っ!」

 永倉も原田も、所帯をもって子どもができてからというもの、夫や父としての自覚がそれなりにできたのであろう。以前は三日とあけずにかよいつめていた島原に、接待など以外ではちかよりもしなくなっていた。

 もっとも、酒が好きなところはかわらぬ。以前とおなじように酒をすぎては、それぞれ女房にお灸を据えられている。


 藤堂が宅内からもってきた文机の上に、永倉と少年はそれぞれの利き腕をだし互いの掌を握った。


 永倉は、その剣技とおなじく怪力のもち主だ。新撰組のなかでは、島田のつぎに膂力にすぐれているだろう。


「どっちに賭ける?」

「おれ、坊」

「あ、おれも」

「全員が坊じゃぁ、賭けにならんぜ」

 胴元の原田が嘆くなか、永倉は気合をたかめていたのを中断し、「ひでぇやつらだ・・・」とこちらもまた嘆いた。

 周囲で笑声が上がる。


「総司、大丈夫か?」

 土方は、自身と近藤との間に座して笑顔で永倉たちの様子をみている沖田にそっと声をかけた。

 この花見の宴にかろうじて参加はしたものの、やはり本調子ではないようだ。いまも杯の酒はほとんど減っておらず、いろとりどりの京料理もいっさい箸をつけていない。


 隊務をこなすこともできず、もはや木刀を振ることすらままならぬ沖田の心中を思うと、自身の身を斬られるよりもつらい。

 それは、近藤もおなじことであろう。


「総司、寒くないか?うわがけをもってきてやろう」

 近藤は、呟くようにいうと立ち上がろうとした。

「いやだな近藤さん、土方さん。甘やかしすぎですよ」

 沖田は、いつもとおなじように冗談をいった。だが、月明かりの下、顔色の悪さははっきりとみてとれる。


 近藤も土方は、日野にかえらせようと幾度も説得をこころみた。


 現在いまの沖田に必要なものは、この京の不穏きわまりない空気と、殺気だった野郎おとこどもの同情や気遣いなどではない。生まれ育った故郷くにの静穏な空気と、親類や知人たちの心からの思いやりと癒し、なのだ。


 沖田は強情だ。だれに似たのだろうか?


 近藤の側から絶対にはなれない、という。


 近藤も土方も説得をあきらめざるをえぬ。ならば、当人の好きにさせる以外にない。


 一番組の手下てかたちは、そんな沖田に「沖田組長が戻ってくるまで、自身らだけでがんばる」、とといったようだ。

 それは、沖田自身だけでなく近藤や土方にとってもありがたい気持ちだ。


 その一番組の手下てかたちを、永倉と斎藤が自身の手下てかと一緒に面倒をみているが、このさき、それもむずかしくなるだろう。


 土方の頭のなかでは、一番組の組長代理はすでにきまっている。まだその時期ではないが。そして、その当人を説得するのもまた、骨が折れることが容易に想像できる。


 歓声が上がった。

 少年が余裕で勝った。永倉は、酔いも手伝ってかくだをまきちらしている。そして、酒をおごらずにすんだ原田は、少年の小さな体躯を両の掌で抱えると、頭上に高々ともち上げた。

 昨年、赤子が生まれた原田は、家で赤子を「たかいたかい」をしてはあやしているのだろう。


 ちなみに、その名をしげるという。まだ先の将軍徳川家茂が存命していた際に生まれたので、その一字をとってそう名付けた。


左之兄さのにい、おれはそこまで子どもじゃないですよ」

 原田の頭上で少年が直訴すると、全員が大笑いした。


 永倉、原田、藤堂は高鼾で夢のなか。

 近藤がうわがけをもってきて、それぞれにかけてやった。


「坊、横笛をもっているか?以前、島原で吹いていただろう?あのがわすれられなくてな。聴かせてくれないか?」

 近藤がふと思いついていった。


 そう、あのときには山南もいた。


「承知致しました、局長。お耳汚しですが・・・」

 少年はこころよく応じた。そして、懐から笛を取りだしながら立ち上がった。優雅に一礼する。


「山南先生に・・・」

 そう呟いてから奏ではじめた。


 その曲は、あのときとおなじものだ。その悲しいしらべは、それまで酔い潰れ眠っていた呑んべえたちの双眸をもさまさせた。


 孝明天皇から拝領された「桜花」は、会津候にあずけている。桜の木でできたその名笛そのものだけでは、その出自はわからぬ。だが、それをおさめる袋には菊の御紋が刺繍されている。


 この笛は、少年が陰間茶屋に潜入していた際に世話になった雅清から貰ったものだ。


 物悲しい旋律を聴きながら、土方は自身の懐刀の小さな背をみつめていた。もう幾度もみ慣れた小さな背。桜の花びらがその背の周りで舞っている。一瞬、脳裏になにか表現のしようもないものが浮かび、すぐに消えた。軽い頭痛がする。なにかを思いだしそうな、思いださねばならぬような、奇妙な感覚にとらわれた。


 なんだったのか?否、これはなんなのか?


 土方は、軽く相貌を振りながら近藤をみた。近藤もまた、をみはっている。杯をはこぶ掌も、中途で止まっていた。

 愕然とした表情を浮かべ、少年の背をみつめている。


「かっちゃん?」

 土方は、幼馴染が気がつくまで幾度もその名を呼ばねばならなかった。


「歳?おまえは?・・・」

「なんだ、かっちゃん?」

「いや、なんでもない・・・」


「どうしたんです、二人とも?妙な顔をして。大丈夫ですか?顔色、悪いですよ?」

 沖田がきいてきた。


 もうすこしでなにかを思いだせるやもしれなかった。否、無理だったのだろうか?そもそも、なにか思いださねばならぬことがあったのかすらわからぬ。


 土方は、めずらしく困惑した。


「いや、なんでもない」

 土方が口唇を開くよりもはやく、近藤が応じた。


「なんでもないんだ・・・」

 近藤は、さらに口中で呟いた。それから、少年の背に視線を戻した。

 

 少年の笛の音は、山南にもきっととどいているだろう・・・。

 山南は、この桜の花もみてくれているだろう・・・。



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