長崎にて
新撰組参謀伊東甲子太郎の九州遊説は、控えめにいってもまずかった。
久留米藩、肥後藩、博多藩、どの藩を訪れてもけんもほろろの扱いで、藩の重臣や攘夷派の志士らと語り合うことなど、とてもできなかった。
江戸の伊東道場での「伊東大蔵」を名乗り、新撰組の名などおくびにもださなかったのにだ。
いずれの藩も、伊東大蔵などどこの馬の骨ともしれぬ浪士に、胸襟をひらくどころか眉一つみせたくない、というのが本音だ。
新撰組参謀としてのりこんだほうが、よほど知名度や注目度はあったはずだ。
たとえそれが荒っぽい歓迎になろうとも。
同行者は、新撰組からは陸奥国磐城平藩出身の新井忠雄が同行した。
新井は、諸士調役兼監察および撃剣師範を務める猛者で、それ以上に酒好きだ。剣は北辰一刀流や居合等幾つかの流派を学んでおり、どれもよく遣いこなせる器用な剣術家である。小柄でよく動き、その剣の質は重厚感がある。
無論、美男子の域にある相貌は、いかにも美しいもの好きの伊東のタイプであろう。
そして、伊東の小姓である少年。伊東にとって本来の目的の成果に関してはがっかりだが、その分しっかりと少年を可愛がることで、みずからを慰めた。
大目付として、幕臣の永井が随行した。長崎の海軍奉行を務め、九州に在住していたことがあるからだ。
永井もまた小柄な体躯だ。好々爺とした表情には、いつも人好きのする笑みが浮かんでいる。
外国や長州を相手に、ときに大胆に、ときに繊細にと駆け引きをしてのける辣腕交渉人である。が、この外見からはとてもそれはうかがいしれぬ。
この一行が一通り遊説した後、長崎にたどりついた。
かの地にて、しばらく逗留することとなる。
「こりゃあー、驚きちゅう」
坂本龍馬は下関から戻ってきたばかりで、長崎にある亀山社中の本拠地に意外な人物が訪ねてきたことに、たいそう驚いた。
だが、すぐさま歓迎した。
同行者には内緒で、単身坂本に会いにきたのは、いまは新撰組参謀伊東の小姓を務める少年だ。
亀山に設けたこの商社は、いまや薩摩藩、長州藩、長崎の商人をはじめとした有力者たちの援助をうけつつ活動している。
だが、それはけっして順風満帆ではない。
昨年(1866年)の春、練習船が薩摩藩への航海の途中に転覆し、池内蔵太など亀山社中のおおくの乗組員が死亡した。その事故で船や乗組員をうしない、活動を停止せざるをえなくなった。
稼ぎがなくなり、全員がひとしく苦労をあじわった。
土佐の沢村惣之丞、長岡謙吉、新宮馬之助、石田英吉、坂本の身内の高松太郎や坂本清次郎、越後の白峰駿馬や越前の山本龍二、そして、後の外務大臣で「カミソリ大臣」と異名をとることとなる紀伊の陸奥陽之助等、一癖も二癖もある連中が、切磋琢磨、ときには飢えに耐え忍び、辛酸をあじわいつつ坂本龍馬のもとですごしている。
この時分、京で寺田屋事件を経、坂本の妻となったお龍もまた、この地にて生活していた。
「坂本さんに、かような美しい隠し子がいたとはね。どこの女子との子かね?」
口の悪い陸奥などは、そういって坂本をからかった。
坂本は、少年を「千葉道場」での弟弟子の親類と紹介した。山南や藤堂がそれにあたるし、伊東もまた伊東道場にうつるまでそこで学んだこともある。まったくの嘘ではない。
まさか新撰組の副長土方の甥とはいえぬ。
かの「池田屋」事件では、望月亀弥太ら土佐や亀山社中にとっても縁のあった志士たちが、新撰組によって殺された。
坂本自身、新撰組にたいして恨みがない、というのは嘘だろう。
望月は、坂本にとって弟分のような存在だった。それでも、自身や勝、岡田の命を救ってくれた小さな恩人にたいし、坂本は屈託なく歓待した。
少年は、まず望月の死に際のすべてを坂本に語った。
少年にとっては、それが筋道だからだ。心にもない詫びなどは一言もない。ただ淡々とみたことを話した。
「長州藩邸の門前でご自身の首を掻き斬られ・・・」
そこで少年はつぎを発することを躊躇するかのように言の葉をきった。
「立派な・・・。最期を遂げられました」
死ぬことに、死なねばならなかったことに、追い詰められて殺されたもおなじことに、立派もなにもない。
坂本は、真剣な表情で少年の話しをきいていた。
亀山に設けられたこの本拠地は、控えめにいっても小さくてぼろい一軒家だ。ここに隊員十数名が寝泊りしている。部屋は四つしかなく、雑魚寝するしかない。しかも、男所帯の為じつにきたなく、また荒れ放題。
この本拠地のいいところは、高台に建っている為に見晴らしがよく、夜には町の夜景を一望できるということくらいだろうか。
坂本と少年は、雑草と枯れ木しかない荒れ果てた庭で長崎の町と海とをみながら話しをした。
海風が冷たい。この日も快晴である。
坂本は、坂本家の家紋である「組み合わせ角に桔梗紋」の入った着物と袴、そして軍靴という格好だ。着物は、着古しててかてかになっている。
少年は、この九州遊説の旅の為に伊東が用意した、紺色の着物に同色の袴姿である。
坂本は、頷きながら内心で意外に思った。
少年にしてみれば、望月らは敵である。それらと戦い、討つことは職務にすぎぬ。それでもこの少年は、死者とその死者にまつわる者にたいして道理を弁えている。しかも、死んだ望月が坂本とことさら親しくしていたことを、少年はしっかり調べ上げている。
この少年は、やはりただの暗殺者などではない。すでに少年であることが異色だが、それを差し引いても、この少年に感じるものはほかとは違う。
「そうなが・・・。長崎にゃなにをしにきたがかぇ?まさか、土方君がそれをつたえる為におんしを遣した訳じゃーないがぜよね?」
「現在は、先生と同門で新撰組の参謀の伊東先生の小姓を務めております。このたび、先生の九州遊説のお供でこちらに参っております。いまはしばし別行動をさせていただいています」
少年は、美しいまでの相貌を眼下にひろがる長崎の町並みへと向けた。
空には、一羽の鳥が優雅に舞っている。坂本は、それを双眸を細めみつめた。
鳶だろうか?
すると、少年がいった。
「鷹です、坂本先生。朱雀、といいます」
「おんしは、わしが考えちゅうことがわかるかえ?」
上空から、つぎは下方に双眸を向ける。
少年は、長身の坂本の間合に入らぬよう一間ほど先に立っている。
少年は、驚きの声を上げた坂本に笑みで応じた。
島原ではじめて会ったときとは違い、少年は力や気を抑える必要はない。坂本は、胸襟を開いている。
いま、少年が坂本の心中をよむことは造作ない。
「伊東?ああ、伊東大蔵?たしか伊東道場に婿養子に入ったときいちゅう・・・」
坂本は、癖になってしまっているのだろう。眉間に皺を寄せ、双眸をすがめながら思案した。
千葉道場でもたいして面識があったわけではないが、伊東大蔵の噂はきいている。
それは、美しい容姿のわりにはそこそこ遣いはするが、それ以上に美しい男子を好み、道場のそういう類の年少者を、いろいろな意味で鍛錬してやっている、というものだ。
それだけでなく、たしか伊東は倒幕派であるともきいたような記憶がある。
新撰組に加入したということは、そちらは記憶違いだったのか?
坂本は瞬時に理解した。この少年は、土方の間者として伊東の側にいるのだ、と。
土方が自身の懐刀を厄介な性癖をもつ伊東にちかづけるとは、よほど新撰組にとって、否、土方自身にとって、伊東が怪しげなのに違いあるまい。
それにしても、伊東はよく加入したものだ。
「叔父は、おれを許してはくれません。しかし、われわれの害になるものを、野放しにするのは得策ではありませぬので」
少年は、寂しげに呟いてから小さな肩をすくめた。
坂本は、またしても心中を見透かされたと思った。
「ところで坂本先生、このたび、こちらに参ったのはささやかではありますが、先ほどの件でお詫びをしたく、情報をもって参りました。先生のご希望があれば、おれはできるだけそれに添いたいと思っています」
「ほう、何じゃ?」
興味がわいた。
この小さな暗殺者は、島原でも見事に禿を演じていた。密偵としても優秀なのであろう。それが仕入れた情報とはいったい・・・。
「土佐の上士後藤象二郎、そして岩崎弥太郎が、先生と接触をこころみようと、この長崎に参っております」
後藤象二郎は、土佐藩にあって富国強兵論を強く唱えた吉田東洋の義理の甥である。無論、その教えをひきついでいる。
その義理の叔父が武市半平太率いる土佐勤王党に暗殺されたこと、くわえて下士でありそもそもの思想の相違などから坂本を憎み、執拗に狙っていた。その後藤が、いまでは世の情勢にならい、その時流にのる為、仕方なしに坂本を通じて薩摩や長州、そのほかの勢力と知己を得ようとかんがえついた。
その為に、この長崎にやってきているというのだ。
ちなみに、同行者の岩崎弥太郎は、抜け目ない商才と、力ある者にうまく取り入る才能のある地下浪人で、この後三菱財閥の創始者となる。
土佐藩は、身分制度が複雑に細分化されている。差別はかなり厳しく、根強い。坂本が国事に奔走することとなったその根本には、そういった身分制度にたいする反発があってのことである。
少年がみ上げていた。
いまだ間合を犯さぬのは、みずからが警戒してのことではなく、坂本にたいする気遣いなのだろう。
いま、坂本の胸中では後藤ら上士のわすれようのないさまざまな想いがわだかまっている。
権力は、下士にとっては悪そのものなのだ。
「いまひとつ。長崎に滞在しているグラバー氏と取引きをする機会を、おれのほうで整えることができますが。いかがでしょうか、先生?」
グラバーとは、トーマス・ブレーク・グラバー。スコットランド人である。
長崎で「グラバー商会」を設立し、主に武器・弾薬を薩摩や長州にうっている武器商人だ。坂本も面識はあったが、商売相手として亀山社中は相手にされていない。
グラバーは、異国で商売をつづけているだけあり、なかなかのかわり者らしい。
そのグラバーがこの少年と、いったいどういうつながりがあるというのだ?
「先生、あなたしだいです。友の仇を討つもよし・・・」
そろそろ夕闇が迫りつつある。頭上を舞っていた鷹は、いつの間にか二人の近くの枯れ木の枝を止まり木にしたいた。かろうじて根をはっているようなそれは、ほとんどの枝が中途で折れてしまっている。
鷹は、そこから二人をみ下ろしていた。
少年は、囁きながら左の掌で自身の頸を斬るしぐさをしてみせた。
「かれらに恐怖を味あわせてやってから話しをきくもよし・・・」
美しい相貌に、凄味のある笑みが浮かんだ。
そう、この少年ならどんなことでもしてのけるだろう。
刹那ではあったが、坂本の心中に自身の想いを遂げたいという望みがよぎった。だが、すぐにそれはをたった。
まずは亀山社中を、仲間たちの生活をどうにかすることが先決だ。そのうえで、後藤らの対処をすればいい。
後藤ら上士に殺された幼馴染の武市や岡田の仇を討つことは、坂本自身だけではなく遺族やほかの関係者の念願だ。
だが、それは大事のまえの小事にすぎぬ。
「承知しました、先生。今宵、町でグラバー氏と呑みましょう」
気がつくと、少年が近間に入っていて右の掌を差しだしていた。
「・・・」
坂本は、その掌が握手の為であることに、しばらくしてから気がついた。
やはり、この少年には相手の心中をよむ特殊な力が備わっている。
「あなたはとてもいい方だ、先生。叔父、いえ、わが主同様に・・・」
なにゆえ少年が、自身に接近してくるのだろう、と握手をしながら考えていると、少年がそう答えた。
夕陽に照らされた少年の相貌は、やけにおさないものに感じられた。
グラバーの邸宅は、現在では長崎の観光名所であり、国指定重要文化財にもなっている日本最古の木造洋風建築である。
文久三年(1863年)に、長崎の南側の見晴らしのいい高台に建てられた。すべてあわせると、約七百平方メートルの建築面積だ。
木造平屋建、屋根は多角形の寄棟造、桟瓦葺きのじつに優雅な佇まいを呈している。
英国スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーは、立派な口髭を蓄えた大柄な漢だ。
その商売のやり方はべつとして、陽気で女性にはやさしい典型的な紳士である。
少年は、グラバー邸までの道中、病で成長が止まっていること、土方は叔父ではなく主であること、十数年間この国を離れ、世界をまわってきたことなどを坂本に語った。
坂本は喜んだ。それこそ、少年に抱きつかんばかりに。このまますべてを忘れ、少年自身の話しや世界の国々のことをきいてみたいと思った。
ほどなく、二人はグラバーの建ったばかりの洋風の屋敷に到着した。
きれいに整えられた洋風の庭をゆっくりとあゆむ。
屋敷の玄関先に、ランプが二つかけられている。
それらは、この国の提燈よりよほどあかるく、庭や坂本たち、そして、玄関先に佇む幾人かの清国人を煌々と照らしだしていた。
おそらく、清国人たちはグラバーが滞在していた清国から連れてきた使用人だろう。全員が辮髪で、清国の衣装を纏っている。ランプの灯りの下、だれもが筋肉隆々の体躯であることが、長袍の上からでもよくわかった。
坂本の姿をみつけると、そのなかの一人が笑いながら清国語でなにか叫んだ。同時に、ほかの清国人たちが大笑いした。
言の葉がわからずとも、坂本にはそれが自身を揶揄したものだということがわかった。
かれらから、敵意を感じる。
無意識のうちに、右の掌が懐中の拳銃の握り手に触れた。
これを贈ってくれた高杉はどうしているだろうかと、ふと考えた。
この拳銃は、高杉が清国で購入した二挺のうちの1挺だ。そして、その贈り主は、肺病を患っている。
すべてにカタをつけたら、長州に様子をみにゆかねば・・・。
「先生、ここはおれが・・・」
坂本より一歩左うしろの位置で少年が囁いた。
清国人たちが坂本にちかづいてきた。
庭先には、木や草が冬でも青青と茂っている。おそらく、異国からもってきたのだろう。暖かくなれば、この庭は色とりどりの花花でさらに綺麗になるだろう。
水音が坂本の耳朶をくすぐる。みると、庭の中央部分に円形の小さな池があり、積まれた石垣の一部分から水が垂れ流されている。
鯉でもいるのだろうか?
坂本は、眼前の清国人より、どんな立派な鯉がいるのかをたしかめたい衝動に駆られた。
あいにく、そこに鯉などおらず、それが噴水というものであることを、坂本は生涯しることはない。
不意に、先頭の清国人が腰を落とし、徒手を繰りだしてきた。
北辰一刀流免許皆伝の坂本の剣士としての技量は、かなりのものだ。実践において、坂本はその死の間際まで刀を鞘から完全に抜き放つことはなかった。すなわち、刀で斬り合い、相手を斬り殺すことはなかった。だが、道場剣術をこえるものを、坂本はもっていた。ゆえに、いたずらに剣をふるわなかったのである。
拳銃の腕前は兎も角として、そちらも威嚇程度にしかつかわなかった。
そんな坂本ですら、清国人の不意打ちには面喰らった。かわしようがないと覚悟した。
その瞬間、鈍い音ともに清国人が仲間のほうへ吹っ飛んだ。
「たまげたやかっ!」
坂本は、思わず叫んだ。
懐の拳銃はそこに残したままで、無意識のうちになんとか攻撃を防ごうとでもしたのか、右の掌が心の臓を護っていた。
み下ろすと、自身のすぐ左のまえで少年がさきほどの清国人とおなじ構えをしていた。
深く息を吸い込み、吐きだしている。
『この方は、グラバー氏に招かれている。かような仕打ちは、無礼にもほどがある。これがグラバー氏の挨拶か?それとも、あなた方清国人の作法か?』
全員が、清国語でそう尋ねた少年を驚愕の表情でみ下ろした。
『腕一本ですんだことを、ありがたく思うことです』
少年は構えをとくと、全員がみ護るなか、ちかくに積まれた煉瓦にちかづいた。
中国武術の基本である馬歩をとり、そこから衝捶 を繰りだす。
そこに高く積まれていた煉瓦は、ものの見事に崩れた。積まれていたものが、ただ単純に崩れたというわけではない。煉瓦そのものが木っ端微塵になったのだ。
清国人だけではなく、坂本もただ呆然とそれを眺めている。
『八極拳、八卦掌などおおくの流派を学んでいます。ちょうどいい勉強になる。この国には、それらを遣う武術家がおりませんので、あなた方に相手になってもらいましょうか?』
少年は、煉瓦だったものに背を向け、ニッコリと笑って清国人たちに提案した。
得体のしれぬ破壊力をみせつけられ、だれが組み手を所望するものか?
「なにごとですか?」
そのとき、玄関の扉が開いた。そして、たどたどしい日の本の言の葉とともに、大きい体躯の異国人がでてきた。
立派な口髭の英国人は、まず自身の使用人たちをみた。それから、使用人でない者たちをみた。
ランプの灯りでよくわからぬが、日の本や清国の人間とは違う色の瞳に、この珍奇な光景が映っているに違いない。
『ミスター・グラバー?わたしはタツミ。こちらは、わたしの友人で、この国で重要な役割を担っているミスター・サカモトです。話しは、駐日英国大使からいっているかと・・・』
少年は、坂本、そして清国人たちの間をなにくわぬ表情であゆみながら尋ねた。
言の葉を英語にかえて。
この時期の駐日英国大使は、ハリー・パークスである。
長州や薩摩、幕府との間をうまくたちまわった辣腕家だ。
若き英国の武器商人は、しばし双眸を瞬いていたが、すぐにわれに返った。
『きいていますよ。お待ちしていました、「竜騎士」』
立派な口髭を踊らせつつ、グラバーは優雅に一礼した。
それから、使用人たちをみる。
一人は腕を掴んで呻いており、その周囲にはほかの使用人たちが集まっている。
『ミスター・グラバー、あなたの使用人たちがミスター・サカモトにたいして無礼なふるまいをいたしました。この国では、無礼討ちなるものが認められているのはご存知かと。まぁ生命までとるのも縁起が悪いので、腕を一本いただきました・・・』
少年は、悠然といってのけた。
少年は、異国での駆け引きに慣れている。
いまからおこなう交渉の成功の如何は、強気にでることであることを熟知しているのである。
グラバーは、坂本をみた。この国の人間にしては大柄な体躯だ。人懐こそうな相貌。どこか自身と似た自由で気ままな、それでいてなにかを成そうという強い気概も感じられる。
そして坂本も成功しつつある異国の武器商人にたいし、おなじことを感じた。
『まったく、おまえたちは・・・。この少年は、おまえたちの国でも伝説を残した英雄だぞ。そんな英雄を相手にし、腕一本ですんだことを心からありがたく思うといい。もういい、はやく医者に連れてゆけ』
清国語で怒鳴ると、使用人たちはそそくさと主人のまえから下がった。
この少年は、英国、仏国、阿多曼などが連合で戦ったクリミア戦争において、敵軍の主要人物の暗殺で大活躍し、ヴィクトリア女王よりガーター勲章とナイトの爵位を授けられた「伝説の小さな英雄」ということ、おなじように、清国では太平天国の乱の鎮圧で伝説を残したということを、坂本は後にしった。
兎に角、坂本自身が交渉相手の使用人たちのからかいのまとになったことが、ある意味ではかえって好都合となった。
少年は、そこをつつきまくり、異国の武器商人相手に一歩もひかぬ交渉術を展開した。そして、亀山社中にとってはじつに有利な条件で商売がおこなえるよう取り計らってくれた。
立派な船、運ぶ荷、売り捌く物資、これらが揃うことで、仲間たちも飢えを凌ぐことができる。
あとは船でひきつづき操船術を学びながら、商売や荷運びをすればいい。
言の葉や商いにおいての交渉下手が、坂本の意気を喪失させることはない。かえって、それらを盗もう、学ぼうというまえ向きな気概へと転じさせる。そこがじつにかれらしいといえばかれらしい。
少年は、坂本にたいして誠の主である土方とはべつの意味で、誇らしい気持ちを抱いた。
本来は味方でないことが、少年はじつに悲しかった。
やはり、こいつは気に入らないと、二人は膳をはさみ差し向かいで渋面をつくりつつ心底思った。
互いに感じるその評価は、必然的におなじものだ。
土佐藩の上士は郷士にたいし、「無礼者!身分をわきまえよ」と叫びたい。一方、元郷士は、元上士にたいし、「地獄に落ちろ!」と喚き散らしたい。
感情よりも打算と警戒心が、それらをかろうじて抑えている。
坂本は、土佐藩の上士後藤象二郎、岩崎弥太郎から接待をうけるかたちで、料亭にやってきたことをはやくも後悔していた。
後藤は、体躯もでかいが態度はさらにでかい。無論、土佐藩を脱藩する、否、幼少の時分よりかれをしっている坂本は、かようなことは百も承知している。
後藤は、坂本がしっている時分より、体躯も態度もさらに磨きがかかっていた。
坂本は、その高飛車すぎる態度に、一度や二度会ったくらいでは、これまで長年にわたって培われてきたあらゆることを、土佐の為とはいえ妥協できぬと判断した。
無論、それは相手もおなじだろう。
しかも、この料亭の暖簾を一人でくぐった坂本にたいし、後藤は隣室に人を配していた。せっかくの九州の焼酎が、まずくなってしまったのを残念に思いつつ、坂本は複数の殺気に長躯を晒さねばならなかった。
その殺気が不意に感じられなくなった。
隣室の気配を、後藤自身も不審に思ったのだろう。杯を傾けつつ、視線は隣室とを隔てる派手な色合いの絵画が施された襖へと、幾度も向けられる。
この料亭は、長崎でも一、二を争う人気の店だ。したがって異国人にもうけがいい。ゆえに、不自然なほど派手な「和」が、」いたるところで強調されていた。
卓袱料理が饗されていた。この長崎名物をみ、坂本は自身の国の皿鉢料理を思いだした。
姉の乙女はどうしているだろうか?
坂本は母をはやくに亡くし、姉の乙女に育てられた。それだけではない。文武に長けた乙女は、武術、文学も坂本に教えた。
乙女もまた大柄だ。
坂本が姉のことを思っている間、似合いもしない口髭を蓄えた岩崎が、後藤にかわってべらべらと不愉快でくだらぬことを論じていた。内容は無論のこと、甲高い声がじつに不快きわまりない。
不意に部屋の灯火が消え、室内が暗くなった。かぎりなく日本庭園っぽく設えられた庭に面したこの部屋は、冬の夜ということもあって障子は閉ざされていたが、こうして灯りが消えてしまうとささやかではあるが月明かりが室内を満たす。
それも互いの表情をよむほどに、ではないが。
「ひっ!」
岩崎が小さくて甲高い悲鳴を上げた。同時に、後藤もまた低くてみじかい唸り声を上げる。
「坂本先生、無粋な邪魔もんにゃ、しばらくの間寝てもらいゆう」
薄暗いなか、この室内にいなかった第三者の囁き声が響いた。坂本には、それが小さな協力者であることがわかっていた。少年は、後藤と岩崎の頸筋に、冷たく冴えわたった白刃をおしあてているであろう。
「先生、命令しとおせ。このクズどもを殺りたいがやきす」
少年は、愉しそうにせがんでみせる。無論、少年はわざとやっている。少年の土佐言葉は、まるで土佐で生まれ育ったかのごとく自然だ。
後藤も岩崎も、土佐者と勘違いするだろう。たとえば土佐勤王党の残党などのような。あるいは、坂本の「カンパニー」の一員かと。たとえそれがなにものであろうと、心底肝を冷やしていることだけは間違いない。
岩崎などは、小便を漏らしそうになっているやもしれぬ。
「えいがだ、やめやー」
坂本が止めた。余裕のある声音で制止する。
「斬るのはいつでもこたう」
「ちっ!」
少年は、舌打ちした。
「残念やか、先生」
薄暗闇のなか、おおげさに嘆いた。
「けんど先生に害を与えるつもりなら、いつでもおれがおんしらをあの世に送っちゃる。えいかね?よお覚えちょき」
燭台に灯りが戻ったときには、すでに刺客の姿は消えていた。
坂本は、ほんのわずかではあるが溜飲を下げた。
この会見の後、坂本は少年と大笑いした。
坂本が存命の間、後藤や岩崎の態度はすっかりあらたまった。
ともに、土佐の為に奔走することとなる。
ある冬の、長崎でのささやかな出来事である。




