太陽(ひ)は雲に隠れる
神楽は数年ぶりだったが、少年は見事に舞ってみせた。
前回は異国で舞った。日の本の文化をしりたい、との要望に応えたのだ。
この日の為に御方から下賜された名笛「桜花」は、聴く者すべてを魅了した上に、落涙させた。
それはじつに物悲しく、せつない節であった。
御方だけではなく、嗣子祐宮の姿もあった。年齢のわりには小さくて細い。この嗣子にまで、策謀の魔手が伸びているのかと思えるほど、その姿は病的である。
ありがたいことに、例の南朝の末裔大室寅之助の事故死は、祐宮へ危害をくわえるよりかは、懐柔策へと方向転換させたようだ。
この夜が今上天皇の尊顔を拝する最後となることを、だれもが予感していた。
少年の暗躍だけでは、もはやどうにもできぬ。その暗躍で打撃を受けた側は、今上天皇の覚えがめでたい会津中将を疑っているはずだ。
政治的な圧力がかけられるのも、時間の問題であろう。
徳川家と幕府のごたごたがつづくうちにあっては、これ以上の関与は難しい。
そろそろ掌をひく潮時だ。
そして、それを望まれたのが今上天皇だった。この日を最後に・・・。
「辰巳、心から礼をいわせてほしい」
この日、御方はかなり無理をなさっていた。それでも、床から起き上がられ姿勢を正し、少年の舞と笛をご覧になられた。
寝所には、祐宮と会津中将、そして少年のみ。
だが、人払いをしているはずのこの御方の寝所の周囲に、多数の気配が感じられた。
探りを入れているのだ。
少年は、それらの気配をことごとく断ち切ってやりたい、という衝動にかられた。さらには、その気配の元凶も。
「祐宮のことも助けてくれたのだろう、辰巳?」
御方は気づいていらっしゃった。少年は、ただ深々と頭を下げるしかない。
「会津中将、辰巳。わたしたちは誠に感謝している。今後、祐宮とどのような関係になろうとも、これまでのこと、祐宮も充分にわかっておる。身勝手かもしれぬが、これからのこと、どうか許してやってほしい」
この日、御方は会津中将と少年の掌をとられ、そうおっしゃられた。
その予見ともいえる御言葉が現実となるのに、さほど時間は要さなかった。
御方には未来がみえていたのかとうかがえるほど、その御言葉は適切であった。
そして、その帝の御言葉を心に刻んだのは、祐宮、否、後の明治天皇も同様だ。
敵対することになった後も、心の奥底では真実を、そして、会津中将や少年を父帝同様よく理解されていた。
義弟の後を追うように、孝明天皇が崩御した。慶応二年(1866年)十二月二十五日。
少年の舞と笛を鑑賞されてから、わずか二ヶ月後のことであった。




