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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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将軍の死

 徳川第十四代将軍徳川家茂は、慶応二年七月二十日(1866年)大坂城で死んだ。二十二歳という若さで。


 虫歯からくる脚気衝心というのが表向きの死因ではあるが、おおくの者がそんな戯言を信じてはいなかった。


 死ぬ数ヶ月前は、大坂城でつねに松本法眼が側に侍り、を光らせていた。小さな暗殺者もまた、家茂にちかづこうとする不貞の輩を地味な手段で屠りつづけたのはいうまでもない。


 松本法眼のお陰で、苦しみのうちに死ななかったことが唯一の救いか・・・。


 家茂は、その最期まで御台所のことを想い案じていた。政略結婚とはいえ、唯一の女性を心から愛したに違いない。


 家茂の遺言では後継者、つまり次期将軍に田安亀之助たやすかめのすけ慶頼のぶよりの子で後の将軍家第十六代当主徳川家達とくがわいえたつを指名していた。これもまた表向き、である。


 そして、第十五代将軍の座に徳川慶喜が就いた。幕府最後の将軍であることはいうまでもなく、それについては当人だけでなく、権謀術数の内側に属するだれもが最初はなから予見していた。


 家茂の死で、長州への征討もじつに曖昧なものへと変化してゆくのは当然のことだ。十五代将軍が確定するまでにときを要したこと、薩長同盟の噂が真実味を帯びてきたこと、などもその変化に拍車をかけた。


 停戦を経、慶喜が将軍に就いてから、四賢候しけんこうによる四候会議によって長州が朝敵を免れることとなり、終息を迎える。


 四賢候とは、薩摩藩第十一代藩主島津斉彬しまづなりあきら、福井藩第十四代藩主松平春嶽まつだいらしゅんがく、土佐藩第十五代藩主山内容堂やまうちようどう、宇和島藩第八代藩主伊達宗城だてむねなりの四名である。 


「良い人間やつほど早死にするってぇのはまんざら嘘じゃねぇんだな、えっ?」

 江戸の赤坂本氷川坂下の屋敷に、めずらしく来客があった。

 まだ謹慎が解かれたわけではないので、来客も人目を忍んでやってきていた。もっとも、来客もまた謹慎中の身だ。


 書物でいっぱいの書斎である。その家の主と来客は、主の妻女が用意した酒肴をはさみ、死者を悼んでいた。


慶喜(ぶたいいちこう)は、おれを煙たがってやがるからな。当分こっからでれそうにない。えっ、山岡よ?」

 猪口を傾けながら、この家の主たる勝はにんまりと笑った。どさっと、書斎のうちで大きな音がした。積み重ねられた書物が崩れ落ちたのだ。


 勝のこの赤坂本氷川坂下の家は、さほと大きいものではない。だが、勝のできた妻女民子たみこと二人の側室のお蔭で、しっかりと手入れがゆき届いている。


 漁色家の勝は、本宅に本妻と側女二人を、江戸と長崎の別宅にも側女をそれぞれ置いている。


「勝先生の出番もそうとおくはありますまい。じきにお召しがあるでしょう」

「おめぇのほうもな、山岡?あぁ自由な坂本が羨ましいぜ、ちくしょうめ」

 山岡は、筋肉質で立派な体躯をしている。かなりの重量級で、小柄な勝と並ぶと大人と子どもの差ほど違いがある。


 この乱世の幕末期において、山岡のその剣の腕は相当のものだ。一刀流流派の開祖であるのだから、そこいらの旗本とは性根が違いすぎる。だが、武術だけではなかった。知略にも長けている。書と禅も嗜んでいる。


 勝とこの山岡、そして高橋泥舟たかはしでいしゅうの三名で、「幕末の三舟さんしゅう」と呼ばれていた。


「しかし、坂本君はわれわれにとってはじつにやっかいなことばかりしているようですが?」

 積まれた書物のうちで、山岡は大柄な体躯を縮めるようにして胡坐をかいていた。酒よりも甘いものが好きなかれは、いまもほとんど酒には掌をつけず、肴のほうばかり口に運んでいた。


 じつは、この山岡は大のあんこ好きである。明治に入り、木村屋きむらやのあんぱんを大いに気に入った。その看板を揮毫したほどだ。


「はんっ!あいつの頭んなかは、この小せえ国だけをみ据えてるわけじゃねぇ。あいつなら、おれたちがあっと驚くような、この国にとって誠に必要なことをやってのけるさ」

 勝は、坂本龍馬の話になるといつも上機嫌になる。弟子として、それほどまでにかわいい存在なのだ。


 山岡は、その勝の生き生きとした表情を観察しながら、会いたいだろうなと心底思った。


「しかし、京では見廻組らがつけ狙っているとききます」

 見廻組は、京における幕府直轄の前線部隊。幕府にとって、いまや脅威となりえる坂本を捕縛しようと虎視眈々と狙っているのは当然のことだ。


「あんな旗本の馬鹿どもに、あいつがそう簡単に捕まるもんか」

 自身も同じ旗本でありながら、勝は武力一辺倒の見廻組にたいし、あからさまな嫌悪感を示した。


「新撰組もじき動くでしょう」

 不意に山岡が声を潜めた。

「私は、近藤をはじめ新撰組の幹部とは顔見知りですが、だれもが相当な手練です」

「あの餓鬼のことはなにかわかったのか?」

 勝もつられて声を潜めた。


 あの京での一夜を思いだしていた。新撰組副長の土方と、その懐刀の少年。敵にまわせばあれほど厄介な連中はいないだろう。無論、新撰組自体がおなじ側にいるのだから、あからさまに敵対の姿勢はとることはない。しかし、いくら目的はおなじでも、すすむ道が違えば勝らの障害になりえる。


「いまのところはまだ。しかし、糸口はみつかりました。じきなにか掴めるかと。先生・・・」

 山岡は、膳の上で分厚い胸板の半身をのりだし、大きな相貌を勝にちかづけた。

「どうも触れてはならぬことに触れようとしている気がしてなりませぬ。薩摩、長州、それに朝廷までもが密かに調べさせています」

「はんっ!なにを怖気づいてやがる、山岡?たかが餓鬼、だ。面白ぇ。なにがでてくるか、ひきつづき調べてくれ」

「承知致しました。先生がそうおっしゃられるのでしたら」

 山岡は、姿勢を正すと軽く一礼した。


「で、どっちが強ぇ、山岡?」

 勝は、小ぶりな相貌にいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「どさっ!」

 またどこかで、積み重ねられた書物が崩れ落ちる音がした。


 山岡は、この剣豪にしてはしおらしく大きな肩をすくめた。

「是非もない、ほどでしょう」

 それは、戦国時代において覇王織田信長おだのぶながが好んでつかった言だ。


「上様、どうかあの世でこれからおこる乱世を、笑いながらみてやってくだせぇ・・・」

 勝は、山岡が辞去すると、書斎の窓からみえる星々に向けて献杯しつつ、家茂の冥福を祈った。



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