女と懐刀
「土方様、雨が降ってまいりました」
縁側から呼びかけられ、土方は腰を上げて縁側にでた。
女がいうように、とうとう雨が降りはじめた。そのせいか、春も目のまえだというのに、気温が急激に落ちている。すでに陽は暮れていた。
土方が手伝って手入れした小さな庭は、居間に灯った明かりの届かぬ範囲は暗くてみえなかった。
あの日以降、土方は疋田信江の家をときおり訪れている。
日中、京菓子を手土産に「近くまできたから」や「珍しい菓子が手に入った」など、わかりやすいいいわけを玄関先で述べるのがつねであった。そして、信江の入れる茶をすすり、持参した菓子を食べながら、たいていは土方が一方的に新撰組の、さらにいうなら試衛館の仲間たちのことを、面白おかしく話した。
ただそれだけだった。
それでも訪れる回数は増え、滞在する時間は徐々に延びていた。
総長山南が切腹をしてからとくに・・・。
この日は、夕餉までよばれた。
信江は、うまい茶をいれるばかりか料理もうまかった。豪華な食材をつかっているわけではない。どこにでもある食材でも、手がこんでいてなにより心がこもっている。しかも、江戸に住んでいたこともあるらしく、江戸風の濃い味付けだ。
なにもかもが土方にとってはありがたく、そして、癒された。
このことは、自身の二本の懐刀にだけ告げた。
斎藤も少年もいっさい詮索してこない。土方が二人を気に入っている理由のひとつだ。こういうことには鼻の利く沖田もすでに勘付いているだろうが、長い付き合いの弟分も、いまはまだなにもいってこない。ほかには、女の気配という点で、原田も気が付いているやもしれぬが、ありがたいことに原田、そして永倉の二人は、それぞれ惚れた女ができたらしく、他人に構っている暇はなさそうだった。
「誠にうまかった。ありがとう。久しぶりに東の味付けを堪能できました」
幾度もほめていた。そのたびに、信江は笑いながら「たいしたものでなくてかえって申し訳なかったです」と応じた。
後片付けを手伝うといってきかぬ土方に、「では、お言葉に甘えて」と二人で後片付けを終えたばかりの頃に、雨が降りはじめたのだ。
亡き夫が遺した太刀が床の間の刀掛けにあるだけの、質素で小さな居間。そこで差し向かえになって茶をすすりはじめると、土方は告げた。
「二、三日後、東に戻ることになりました。向こうではまだ、藤堂が隊士を募っていますので、ここらでおれも出張って人選し、ひとまずは終えようということになりました」
「まぁ!では、試衛館や日野のご実家の方へも?」
信江は、新撰組の職務内容以外土方のことならなんでもしっていた。それほどまでに、土方が話してきかせていた。
「ええ。天然理心流の先代も具合がよくないらしいですし、浪士組の時分から援助してくれている義兄たちのところにも挨拶方々寄るつもりです。そういうわけで、しばらく留守にしますので、今宵あいつにくるようにいいつけてます。よかったですかね?」
信江は、夫とともに一人息子も亡くしている。生きていたら、土方の懐刀の一振りとおなじぐらいの年らしい。その為か、信江はときおり自身から少年の話をせがんでいた。そして、ぜひ会いたいとも。そのささやかな望みを、土方はかなえてやりたかったのだ。
「ええ、もちろんですとも」
信江は、両の掌を口にあて、素直に喜んだ。女にしては分厚い掌は、長年の家事と、京の冬の寒さとであかぎれができていた。
その姿を、土方は双眸を細めてみつめた。
このとき、まさか自身の懐刀の過去にふれていることなど、なにゆえしりえようか・・・。
主からその苗字をきいたとき、少年は面にこそださなかったものの、自身が運命という名の呪縛に囚われていることを痛感せずにはいられなかった。
疋田という苗字など、そうそうあるものではない。そして、その後家の話を、とくに亡くなったという旦那の話をきき、確信するにいたった。
したがって、その夜の主の命令に従うことは、少年にとっては辛いことだった。できれば関わりたくない。
疋田は、静かな暮らしを選択しながら、父子ともどもなにゆえ京から江戸へ下ろうとしたのか?そして、死なねばならなかったのか?さまざまな疑問がわく。
少年は、疋田父子が旅の道中、もしくは江戸で事故で死んだ、などという世迷言を信じてはいない。
いまの少年は、対処すべきことが山のようにあった。そのどれもが新撰組とはかけ離れた、陰謀と策略の連鎖である。否、ひろくながい目でみれば、関わりがあるやもしれぬが。
考えることやらねばならぬことがおおすぎる。この夜も、黒谷から直接主のもとへと向かわねばならなかった。
まもなく、主は江戸へ下る。ありがたいことに、黒谷が少年を借り受けたい、と密かにかけあってくれたので、少年は京に残ることができた。
気がのらぬ上に雨まで降ってきた。さらには、疋田家から一町と離れていない、あきらかに空き家のようにうかがえるあばら家に、不審な浪士がたむろしているのをみつけてしまった。
そのきっかけは、疋田家へ向かう土方をどこかでみかけたのだろう。二、三人が夜の冷たい雨のなか、土方の名を囁きながらうろうろしているのにでくわしたことだ。
少年は、本来の姿ではなく白き狼の姿で、その連中を追いまわした。その一帯から追い払うだけのつもりだったが、浪士たちはその空き家に駆け込んだのだ。白狼は、その空き家に七、八名の姿を認めた。ざっと探りをいれてみたが、土佐、肥後、十津川、そして長州もいるようだ。
すっかり雨に濡れぼそり、子どもの姿へと戻った少年は、足早に主のもとへと急いだ。
いくつもの不安を、その小さな体躯に抱え込みながら・・・。
土方は、少年があらわれないので苛々していた。
無論、かようなことは信江にたいしてはおくびにもださず、いまは食後の三杯めの茶をすすりながら原田の恋話を披露していた。
「まぁ!ですが、後々、新撰組の、あなたの小姓だということがわかるのではありませんか?」
信江は、いつもするように、あかぎれのある右掌を口元にあて、おかしそうに笑いながらいった。
「馬鹿なやつですよ、あいつは。あんな小細工などせんでも、あいつの容姿は女好きのするもんだ。まっ、新撰組はこの京じゃ、暴れ者の象徴みたいなものです。原田も、あんときゃ、容姿よりも、優しさを見せたかったに違いない」
原田は、珍しく女に惚れこんでしまった。しかも、それは商家の娘だった。まさという名の、気は強いがその反面、人当たりのいい優しい娘だ。新撰組は、とにかくこの京では評判が悪い。とくに、長州が追い払われて以降は、まるでその元凶が新撰組にあったかのように思われている。まさという女も、その概念は他者と大差ないだろう。そこで、原田は苦肉の策をひねり出した。すなわち、「思いやり」と「男気」、だ。そこで、彼はとくに仲のいい永倉と、さらには少年に頼み込み、芝居をうってもらったのだ。
巡察中の永倉が、露店の商品を盗んだ少年をとっ捕まえ、こっぴどく懲らしめているところへ、非番の原田が現れ、朋輩を説得し、盗まれた側もうまく対処をし、盗んだ少年も気遣ってやる、という筋書きだった。密偵としての仕事の多い少年は、ほとんど屯所にいることはない。しかも、襤褸をまといさえすれば、演技力抜群の少年だ。後々、会うことがあってもばれないだろう、と踏んだのだ。
無論、これを頼まれた側は即座に断った。悪役はごめんだ、というのだ。当然だろう。少年もまた、のる気ではなかったが、永倉は酒につられ、少年は仕方なし、といった態で、それぞれ了承し、それは決行された。
まさは、茶道を習っていた。その道中を狙い、計画は実行に移された。永倉も少年も、渋々の態で引き受けたわりには、迫真の演技だった。
見物人で、通りはいっぱいになり、その中に標的はいた。永倉が大声で少年を罵倒しながら、盗んだ干し芋を握る掌をねじり上げ、少年が悪態をつく。きくに堪えないその悪態に、永倉はさらに激怒する。その子どもは、あきらかに先の大火で、住むところも親兄弟もなくし、川原や町を、食べ物を求めて彷徨っている子どもだ。
そんなかわいそうな子どもを、無慈悲な「壬生浪」がつまみあげ、小さな頭を力いっぱい殴り飛ばす。少年の口唇から、悲鳴と泣き声が発せられた。
そこへ真打登場。原田は、標的が自身をよくみることのできる位置に立ち、永倉に対して頭ごなしにやりすぎを非難し、少年をかばいながら被害にあった店主には盗まれた以上の額の銭を払い、少年をやさしく保護してやった。
永倉は、すごすごと二番組を率いて巡察に戻ったが、手下の隊士たちはよくできた者ばかりで、驚くことも詮索することもなく、平素とおなじように振舞った。
一方、少年の頭には、永倉の拳固がこぶとなってしばらく残った。
現在、原田はまさをものにしていい仲である。本来ならば結ばれるには難しい武士と町人の間柄なのだが、幸運にもまさの生家は苗字帯刀を許された家だった。
原田は幸せだった。仲間のお陰だろう。
「おっと、やっと現れたようです」
その感覚が土方に少年の来訪を報せた。
玄関ではなく、縁側にあらわれたのがじつに少年らしい。土方がどこにいるかを察知してのことなのだろう。
障子を開けると、雨のなか自身の懐刀が立っていた。雨は降りはじめの時分よりそのあしを強めている。
主の姿をみると、少年は濡れた地に片膝ついた。
「おい、やめろ。ずぶ濡れじゃないか?傘は?」
土方は、縁側にでると少年を立たせた。その背後から、信江もでてきた。かのじょもまた、ずぶ濡れの少年をみて驚きの声をあげた。
「早くなかへ。拭くものと着替えをもってまいります」
そういい捨てると、居間の奥にある部屋へと駆け去った。
「風邪をひく・・・」
「副長、いまのうちにご報告が」
主の言葉を遮り、少年はてみじかについいましがたあったことを簡潔に報告した。
それは、土方にとってもひっかかるものだった。
「さぁ、お上がり下さい」
信江が戻ってくると、少年はかのじょに一礼した。
「いえ、濡れますので・・・」
「はやく体を拭いて下さい。息子のもので、すこしおおきいかもしれませんが、着替えて下さいな。そちらのお召し物は、洗ってお返ししますので」
信江の言に従わせる為に、土方は自身の懐刀に「命令だ、早くしろ」とまでいわねばならなかった。そこでやっと少年は信江に付き従い、寝所として使っているであろう違う部屋に消えた。
居間にはさきに信江が戻ってきた。
自分でできるから、とかのじょが手伝おうとするのを拒んだらしい。それをきいた土方は、内心おかしかった。
先程の態度といい、ずいぶんとしおらしいではないか?
「無愛想で申し訳ない。男所帯のなかですごしているせいか、女性に慣れぬようで・・・」
頭をかきながら土方が詫びると、信江はたいして気にしている様子もなく、いつものように笑った。
「驚きました。土方様にそっくりではございませんか。なんていうか雰囲気が。誠に甥子様なのですか?」
隠し子か、と遠まわしに訊かれたのか?
だが、土方も悪い気はしなかった。自身、あの位の齢の子どもがいてもおかしくない。なにより、いまでは少年のことを身内以上に感じられることがあったからだ。
「様子をみて参ります」
そう断ると、信江は居間をでていった。
この気は、たしかに感じたことのある気だ。たった二度しか会っていない。一度めは、わずかだが立ち合った。それで十分だ。そして二度めは・・・。
体躯中の傷跡が痛む。とくにうなじの傷跡は、いまや燃えるような痛みにまでなっている。そして、胸の、否、心は、さらに・・・。
くそっ、なにかあったはずなのに、どうしても思いだせぬ。なにか大事なことを、思いださねばならぬことがどうしても・・・。
少年は、自身の頭を抱えた。さらに、覚えていることが脳裏をよぎる。あのとき起こったことのすべてが、いまだに少年に恐怖を与える。
少年は、上半身裸になったままでそれを拭うことも忘れ、あらゆる痛みに耐えていた。
はっとわれに返ったとき、襖が開いていた。そこに土方の想い人が、おそらくはあの漢の妻が立っていた。まったく気配を感じさせずにだ。
女もまた、諸肌脱ぎになった少年の上半身の無数にある傷跡や火傷を目のあたりにし、息を呑んでいる。
女と少年の視線が絡み合った。刹那、少年は違和感を覚えた。女の相貌に驚愕の色が浮かんだが、なにゆえかその心中はよめなかった。
(この女・・・)
自身の体躯の無数の傷が、かようなまでに衝撃を与えたのか?それとも・・・。
迂闊だった。少年は、すぐに女の息子の着物を羽織って自身の体躯を隠した。これは、こういう世界とは無縁の者には刺激的すぎるであろう。それに、あらぬ誤解を与えてしまうやもしれぬ。
たとえば、主が少年を虐待している、というような・・・。
だが、信江という女はなにもいわず、ただやさしく少年の着替えを手伝ってくれた。
かわった女だ、と少年は思った。しかし、わざと心中を防御しているような気配もあった。
自身、動揺していてよみ違えてしまったのか?
少年は、内心で苦笑した。考えすぎだろう、と。
信江に連れられ、主の待つ居間に入るとその気はさらに強くなった。入った瞬間、床の間にその気を発する元凶があったから、それは当然のことだ。
「おい、大丈夫か、坊?」
主の心配げな問い。
無意識のうちに後ずさりしていたようだ。
「千子・・・」呟いてしまう。
「えっ、なんだと?」
驚いた主がすぐ側にいた。おそらく、自身はひどい顔色をしているに違いないと少年は思った。
「申し訳ありません。もう大丈夫です」
平静さを保つ為、少年はかなりの気力を振り絞らねばならなかった。
その後、あらためて自己紹介をしあい茶菓子をよばれたが少年は一刻もはやくこの場を辞したかった。
「逃げるな。現実と向き合え。真実をしるのだ」
床の間にある刀がずっと叫びつづけている。
そう、あの刀「千子」に訊けばすべてがわかるだろう。信江の夫 疋田忠景の死の真実が・・・。
そして、自身にまつわる忌まわしい過去の一端が・・・。




