世情
西郷隆盛は、後々の世にまでその名をしらしめることとなる幕末の英雄の一人だ。
薩摩の代表的な武士として、その名声は藩主よりも高いだろう。
大柄でごつい相貌。性格も大雑把で、その度量ははてしなくひろい。
西郷の名声は、けっして一人だけでは世に響かなかったはずだ。
その性質が有能な人材を集め、感銘を与えたからだ。いわゆる、カリスマ的存在。周囲の意見や忠告に耳朶を傾け、しかも、それらをよくきき、利用した。
その器量に惚れたのは、なにも同郷の薩摩隼人だけではない。幕臣の勝、土佐の坂本や中岡慎太郎、長州の桂や高杉、といった当世の著名人たちをはじめ、おおくの者たちが西郷にたいして様々な形で敬意を払った。
敵味方、にかかわらず。
西郷は、片腕兼用心棒の中村とともに、京や大坂で坂本と幾度も密談を重ねた。
長州との同盟、坂本の率いるカンパニーへの援助、諸外国や幕府について。様々なことが二人の間で語られた。もっとも、ほとんどが坂本による坂本自身が描いた絵図の解説だったのだが・・・。
他者の言をよくきく西郷は、坂本の巧みな弁舌、否、思い描く壮大すぎるほどの構想に、さらには、坂本という漢に、すっかり惚れ込んだ。
坂本は、よくいえば地道に根回しをし、悪くいえば洗脳し、自身の絵図を完成させる為に薩摩、長州、幕府を相手どり、ながきにわたり奔走した。
西郷は、その一端にのっかった。それは、西南戦争のきっかけと結びつくまで、よき薩摩武士として、日の本を心から想う臣として、はしりつづけるのである。
余談だが、西郷は長い離島での謹慎生活の折に風土病である象皮症に罹り、陰嚢が人の頭大にまでなったといわれている。
西南戦争は、それをおして出陣した。
いっぽう長州では、幕府や諸外国との度重なる戦闘に、桂や高杉がそれぞれの役に応じた活動をつづけている。
高杉は奇兵隊を率い、戦闘をうけもった。桂は、戦闘以外で動きまわった。
坂本は、両者に怨敵たる薩摩と同盟を結ぶよう、幾度も働きかけた。
その流れに乗り遅れまいと、坂本の地元土佐藩は、例の土佐勤王党処断後に、後藤象二郎や乾退助らが中心となり、土佐藩でも郷士にすぎず、しかも脱藩した坂本にどうにか助力を頼もうと躍起になっていた。
それまでは坂本を捕らえて強制送還し、好きなように料理しようと躍起になっていたにもかかわらずだ。
かように真逆の対応を迫られるほど、この時期の情勢は激しく揺れていた。
しかも、まったく予見することかなわないでいる。




