伊東甲子太郎
隊士募集のため東下した藤堂の後を追って、局長の近藤勇も東下した。
先の会津候への建白書の一件で謹慎処分になっていた永倉が一時的にそれを解かれ、一緒に東下した。
近藤の目的は、隊士を集めることともうひとつは将軍に再上洛を促すことであった。
藤堂は江戸で隊士集めに従事し、近藤がくるまでに同門の伊東大蔵という人物に渡りをつけていた。
伊東は、常陸志筑藩出身。北辰一刀流免許皆伝、神道無念流もよく遣う剣士だ。
江戸の伊東道場で剣を学び、道場主に見込まれて婿養子に入った。そして、伊東はそれ以上に学もあった。
十代の時分に水戸に遊学し、そこで水戸学を学んだ。勤王思想に傾倒しており、道場を継いでからはそこで水戸学を教授した。
その伊東が弟弟子の仲介で近藤と会見した。
もともと文学派に弱い近藤は、ここでも伊東の思想に大いに感銘してしまった。
その席で助力を懇願した。
伊東は、もったいぶってその場では返答しなかった。だが、数日後には助力することを約束している。
かくして、伊東大蔵改め伊東甲子太郎は、実弟の鈴木三木三郎、盟友であり道場で師範代を任せている篠原泰之進、加納鷲雄、服部武雄をはじめとし、中西昇や内海次郎等十数名を伴い、入隊することとなった。
伊東は文武の才に恵まれているばかりか、その容姿端麗さは控えめに表現してもかなりのものだ。
土方が荒々しい美丈夫であるのにたいし、伊東のそれは穏やかで優雅なものである。そして、女性でも男性でも美しいものに目がなく、それらをこよなく愛したという。
そもそも水戸学は、新撰組の思想とは微妙に異なる。
攘夷という点では同じでも、新撰組の佐幕にたいし水戸派は勤皇、すなわち倒幕に片寄っている。
根底が違う。そこに加入したのだ。
受け入れる側にしてみれば、最初から胡散臭く感じるのも当然であろう。
新撰組内部において、あらたな脅威になりえる要素だ。
芹澤鴨の二の舞となるのか・・・。
副長の土方は、これが近藤の決定だからこそしたがう素振りをみせているものの、心中穏やかではない。
そして、その土方の二本の懐刀は、遣い手の心中をよく解している。とくに年少者のほうは、さらにその心奥まで熟知している。
十一月、伊東一派は上洛した。まだ隊士募集をつづけている近藤、永倉、藤堂よりさきんじての上洛だ。
またしても嵐がやってきそうな気配だ。内にも外にも。
「沖田組長、どうやら江戸からお着きのようですよ」
一番組の隊士の一人がいった。
その日、昼間の巡察は一番組と二番組が当番だった。江戸にいっている永倉の代行で、一番組の組長である沖田が二番組をみている。
どうやら、江戸から例の『切れ者』が到着したらしい。
屯所へ戻ると、沖田は隊士たちに解散を命じ、自身は裏に回った。
この日、江戸から伊東一派が上洛してくるということで、土方が密偵たちを呼び戻していた。
無論、そのなかには少年も入っている。
沖田は、壬生狼の綱を解いてやった。いつもどおり、白狼は沖田の足許でおとなしくお座りし、かれをみ上げていた。
その大きな頭を撫でてやると、白き狼は気持ちよさそうに鼻を鳴らした。
池田屋以降、沖田は自身の体調がよくないことを自覚していた。予見はしていた。この体調の悪い原因とそれに付随する将来、さらには周囲への影響について。
だが、正直それを認めたくなかった。できれば自身の予想ははずれていてほしい。
それは間違いで、ただの夏風邪で気がついたら良くなっていた、ということになってくれればいい。
ゆえに、医師に診せたくなかった。
それどころか、親代わりの近藤や兄貴分の土方、そして、番所で心配してくれていた永倉、つねに沖田のことを気遣ってくれている井上や山南、原田、斎藤といった試衛館の仲間には夏風邪で通していた。
気付いているのはこの壬生狼、否、壬生狼の真の姿である坊だけだ。
幾度か坊と話す機会はあった。だが、沖田はその勇気がなかった。何故か、坊はなにも0いってこない。おそらく、沖田の心中をよみ、その意に添ってくれているのであろう。
沖田にとっては、それがありがたかった。
「総司、ご苦労さん。どうだった?」
裏庭に井上、原田、斎藤がやってきた。
「異常なしですよ、源さん」
「体調は?まだ暑い、あまり無茶はするな」
「嫌だな、源さん。近藤さんがいなくても、おれを子ども扱いする人はおおぜいいる」
「あたりまえだ。おまえは、近藤さんの跡継ぎなんだ。だれがなんといおうとな。その為には、この京で生き残り、無事日野に戻らにゃならんだろう?」
池田屋で異変があったのは、なにも沖田の体調だけではない。
近藤の養子となった周平のあまりの不甲斐なさに、養父の近藤は変心した。
いまは隊務で私事にかまけている暇はないが、一段落ついたら養子縁組を解消することになるだろう。
そもそも、井上は周平の養子縁組について納得していなかった。井上は、やさしくて人がいいが、頑固な一面がある。
近藤の後継者は総司だ、と頑なな姿勢を崩さず、近藤や土方をうんざりさせている。
もっとも、井上のよみは間違ってはいなかったのだが。
「壬生狼、おおよしよし」
そんな微妙な井上と沖田のやりとりの横で、原田は白狼に抱きついていた。
犬好き、子ども好きの原田は、たとえ白狼の姿であろうと童の姿であろうと、いさい構わず抱きついては頬ずりしている。
「毛皮はさぞかし暑いだろう、えっ?戻ったらどうだ」
「抱きついたら余計に暑くなるのでは、原田先生?それに、まもなくこちらにおみえだ、ご一行様が」
その原田の様子をみ、苦笑しながら斎藤がいいおえたと同時に裏庭が騒がしくなった。幾人かの漢たちがやってきた。
土方が伊東らに屯所をみせているのだ。
「沖田君、戻っていたのか?」
土方は、沖田らに意味ありげな視線を送った。
沖田らは、その土方の後ろに新撰組にあたらしく加わった同志たちを認めた。
「伊東さん、これが一番組を預かっている組長沖田総司です。沖田君、同志として加入いただいた伊東甲子太郎先生だ。実弟の鈴木先生、伊東道場の師範代の篠原先生、加納先生、総勢十数名で江戸からいらして下さった。心強いかぎりだ」
土方の一言一言は、険がありすぎるほどにあった。
無論、それを感じているのは試衛館の仲間だけだ。それと、土方の補佐役として一緒についてきている監察方の山崎もまた、同様に感じとっている。
そのとき、沖田の足許で壬生狼が立ち上がった。原田が驚いて「どうした、壬生狼?」、と囁く。
白き巨狼は、江戸からやってきたあたらしい仲間たちに向かい、ずいと四肢をすすめた。
すると、それまで伊東の秀麗な相貌に浮かんでいた笑みが凍りつき、それがたちまち崩れた。
「よるな、畜生めっ!」
伊東は、その場にいる全員が呆気にとられるほどの金切り声を発した。そして、後退りしはじめた。
獣は逃げるものを追う習性がある。壬生狼がそれにあてはまるかはべつとしても、白き狼は跳躍してあっというまに伊東までの間を詰めてしまった。なんと、前脚を伊東の肩にのせ、抱きつくような格好になった。
「ぎゃー」
悲鳴がおこった。それは、確実に屯所中に響き渡っただろう。
「けがらわしい畜生っ!離れろっ!だれか、だれか、はやくこいつをなんとかしなさいっ!」
女子のごとく、金切り声をはっしつづけている。
「兄上っ!」
「伊東先生っ」
伊東一派は、あわてて伊東から白狼を引き離そうと試みた。だが、その毛むくじゃらの巨躯はびくともせぬ。
「この畜生っ!」
伊東は、いまにも自身の得物を抜き放ちそうな勢いだ。
その様子を、土方をはじめとした近藤派がみつめていた。内心で面白がって。だが、上洛早々面倒なことになるのは、双方にとって得策ではない。
「壬生狼っ、ひかえよ。伊東先生は、新撰組にとって、なくてはならぬお方だ。無礼なことはしてはならぬ」
土方の一喝で、白狼は即座に伊東から離れ、土方の足許に座った。
狼の双眸は、伊東をみ据えている。
「失礼致しました、伊東先生。壬生狼は、先生を気に入ったらしい。こいつは、われわれ新撰組の守護神なのです。どうかお許しを」
「不愉快です」
伊東は、この上洛の為にあつらえたであろう高価そうな着物の、乱れた襟元をなおしながら吐き捨てた。
門弟の内海は、やはりあつらえたばかりのような袴についた汚れを、掌でぱんぱんと払っている。
「伊東先生をお部屋へ。先生、今宵はささやかながら酒宴を予定しております。それまでどうかお部屋でごゆるりとなさって下さい」
一緒に連れていた平隊士に案内を命じ、伊東一派が裏庭から去ると、だれかがこらえきれずにふきだした。
土方も山崎も沖田や原田、井上、斎藤までもが、腹がよじれるほど笑った。だれもが、かように笑ったのは久しぶりだろう。
土方は確信した。
自身が一番信頼する少年は、伊東甲子太郎がただの同志ではないと判断したのだ。すくなくとも、味方とは思ってはいない。
また愚を繰り返すのか・・・。
そう思うと、土方の笑みは冷たいものへとかわった。




