薩摩隼人
黒田清隆は、薩摩藩士で示現流の遣い手だ。
一撃必殺の初太刀を繰りだすために、土に埋められた木の棒や大木をひたすら木刀で打ち据える。ただひたすら・・・。
したがって、ほかのおおくの流派のように道場で打ち合うような稽古はほとんどしない。
新撰組局長近藤勇ですら「薩摩の初太刀はかわせ」と、常日頃から隊士たちにいいきかせていたという。
あまたの道場の高名な遣い手たちをも怖れさせる示現流の打ち込み稽古は、黒田の体躯を筋肉質にし、精神を鋼のごとく鍛えた。
後年、明治政府で外交に携わり、同藩出身の大久保利通が暗殺されると、薩摩閥の重鎮となる。
ただし、かれはお国柄であるかどうかはべつとしても、たいそうな酒好きで年齢を重ねてからは酒乱がひどくなったという。
その為、明治期には事件や醜聞が取沙汰されるようになり、おおくの同国の官吏たちが離れてしまった。
未来はどうであれ、かれは自身が信じるものの為につねに全身全霊を傾けた。
それが人にたいしてであれ、自身への想いであれ・・・。
筋肉質でいかつい相貌をもつこの薩摩藩士は、わかい時分には女子よりも年少の男子を好んで相手にした。
薩摩は、古来より文化の一つとして衆道がある。女と男の恋は、子孫を残す為の約束事にすぎぬが、男と男のそれは、精神の結びつきといえる。
黒田は、買うことも好んだ。
黒田は、ある目的の為に京に上っていた。そして、暇をみつけては宮川町にある馴染みの陰間茶屋「葵屋」に通った。
そうして、贔屓にしている陰間の雅清と、至福の一時をすごすのだ。
この夜は、此度の目的の為に薩摩からついてきている同僚を伴っていた。
その同僚は、用心棒を兼ねており、茶屋で買うことはせず、呑んでまっている、とかたくなだった。
雅清は、お得意さんのわがままには目をつむり、その同僚にはちがう部屋で自身のお付きの辰巳に、酌の相手をさせることにした。
という経緯で、密偵として陰間茶屋に潜り込んでいる少年は、重大な関わりをもつこととなる漢たちと、あいまみえることとなった。
その武士が同類であることはすぐにわかった。独特の臭い、醸しだす陰惨な気、警戒心あらわな所作、どれをとっても人を殺めることにたけている者しかもたぬものだ。しかも、かなりの手練れとうかがえた。
着痩せする性質なのか、一見すれば小柄で痩身、相貌も小ぶりだ。よくみると、愛嬌のある顔つきをしている。
総髪で、紺色の薩摩絣の着物に同色の袴姿。隣室で雅清とときをすごしている黒田もまた、薩摩絣の着物姿だ。
琉球から伝わってきたこの絣は、けっして安価なものではない。
この二人が薩摩藩にあって重きをなす証拠であろう。
祇園や島原とおなじく、ここでも腰のものは預けるしきたりなのだが、預けた得物が「和泉兼定」だったことを、少年はみすごさなかった。
中村半次郎、のちの桐野利秋。
「幕末四大人斬り」の筆頭にあげられる剣士だ。
隣室から、酒に酔ったらしい黒田の声がきこえてくる。
上機嫌な薩摩言葉が、襖一枚を隔てたこちら側へと流れこんできた。
「まこっとおもしとか漢で、西郷さぁもすっかい気に入ったごとだ」
「そんなにおもろいお人て、うちも会うてみたいわ」
「忙しか漢で、おいらもなかなか会えん。そいどん、すぐに用事もおわうから、会ゆっかもしれん」
「ほんまですか?たのしみやわ」
「黒田さぁ、よかかげんにしやったもんせ」
辰巳の酌でちびりちびりと呑んでいた中村は、たまりかねたように隣室に怒鳴った。
「だいがきかれるかわかりもはんよ」
「すまん、すまん、中村さぁ!」
そののちは、よろしくやりはじめたのだろう、雅清のくぐもった嬌声がときおりきこえてきた。
「どこでだいがきいちょいか、わかりもはん」
中村は、ちびりちびりと呑みながら呟いた。そして、酌をしている少年へあらためて視線を向けた。
「おはん、なんちゅう名じゃ?」
その双眸はするどく、まさしく凄腕の刺客のものだ。
「人斬り半次郎」の二つ名は伊達ではなく、薩摩の重鎮西郷がもっとも信頼する用心棒だけのことはある。
西郷隆盛は、大久保利通とともに薩摩を代表する武士だ。
西郷は、かの安政の大獄の煽りで幕府の目を誤魔化す為、数年間奄美大島へと島流しにあっていた。
だが、世の情勢が西郷を表舞台へと呼び戻すこととなる。
南の島からもどってからの西郷の活躍はいうまでもなく、西南戦争で自決するまで、この日の本にその名をおおいにしらしめるのだ。
中村は、その西郷に自刃のときまで付き従う。
「辰巳、いいます。お武家はん」
少年は、口許に媚びた笑みを浮かべた。
さきほどから中村に酌をしているので、すでにこの薩摩の人斬りは勘付いているはずだ。
少年の厚い掌のことを・・・。
「きれいか顔なあ。じゃっどん、剣術をしとおな?」
やはりきたな。
少年は、感覚を研ぎ澄ませた。
坂本龍馬とは違い、中村のほうは剣の腕は立っても、それ以外の感覚はさほど鋭くない。
「家が道場やったんです、大坂で。そやからうちは、物心ついたときからずっと木刀を握っとったんです」
「やめてしもたのか?」
杯を止め、中村は真剣な面持ちで少年の相貌を覗き込んでいた。
この有名な人斬りは、存外、真面目で情にもろいのだろう。
「父が病で死んでしもたさかい。小さな道場で、門弟もそないにおらんかったし・・・」
ここからは想像にあまりある。
少年が創りだす話に、中村の細面の相貌がくしゃくしゃに歪んだ。
「まっこと悲しか話なあ・・・」
泣きださんばかりの勢いだ。
「おおきに、お武家はん。そないいうてくれんのお武家はんくらいやわ」
じょじょに馴れ馴れしくしてゆく。
少年のいつもつかう策だ。
「せやけど、うちは剣術はどんだけ練習してもうまくならへんかったからもうええねん・・・」
自身のまめだらけの両の掌をみつめながら、寂しそうに呟いた。
中村の心中は、少年の創作にスッカリ心をうたれていることがよめた。
少年にはいま一つ、さきほど、黒田が雅清に話していたことの裏をとる必要がある。
それが誠なら、とんでもないことになる。
「流派は?」
「一刀流です・・・」
一刀流は小野や伊藤をはじめとし、様々な分派がある。それ以上のことは曖昧にしておくことにした。
少年は、みただけで相手の技術を自身のものにできる特殊な能力がある。すなわち、はじめて対戦する流派やそのほか、いかなる国のいかなる格闘技や武器であったとしても、ほんのわずか手合わせしたりみるだけで会得できるのだ。さらには、その会得したものを達人の域まで遣いこなすことができる。
一刀流においても、いかなる一刀流でも皆伝以上に遣いこなせる。
「残念なあ話なかですか」
中村は杯を膳の上に置くと、無骨なまでの右の掌を少年のそれへとのばした。中村の掌もまた、これまでの鍛錬で分厚くまめがたくさんできている。
この日の本一の実力を誇る人斬りもまた、才能だけではなくたゆまない努力と信念とでその名を手にしたのだ。
「またやいたいのなら、おいがなんとかしもんで」
少年の右の掌をとり、さすりながらいった。
その双眸は少年のまめだらけの掌をみつめており、その心中は純粋に剣の道を絶たれた少年への同情であふれていた。
「お武家はん、ほんまにおおきに。うれしいわ。そんなんいうてくれる人なんてこれまでおらんかった。あっそういえば、このまえ大きなお武家はんもやさしいしてくれてんけど、お武家はんのほうがずっとやさしいわ」
自身の右の掌をさする中村の右の掌に左の掌を重ね、しなをつくりながら中村のがっしりとした体躯によりかかった。
中村は、さしてその気ではなくともいやがることもなく、少年をうけとめた。
「わかいもした。無理強いはできもはん。そいどん、気がかわったらいつでんいうてくいやんせ」
そして、少年の頭をあいているほうの掌で撫でた。
「大きなお武家はんちゅうのはだれのこっか?」
中村は、自身にもたれかかった少年から酌をうけながら尋ねた。
この陰間見習いの、否、優秀な密偵の術中にすっかりはまってしまっている。
「名はしりまへんけど。ちょっとした座敷で一緒やったんです。土佐のお武家はんとか。そや、拳銃いうもんみせてくれはりました」
「坂本さあでごわすな。おもしろか人でごわんそ」
「お武家はんは、その坂本様に会うたことあるんでっか?」
「そうなぁ・・・」
言の葉を濁したが、その心中は幾度か西郷のお供で会っていることをはっきりと示していた。
坂本龍馬と西郷隆盛が幾度も密談をしている?この時期になんの為に?
中村の心中から、長州の桂や高杉の存在までもよみとれた。
せっかく開所した勝海舟率いる海軍操練所は、「禁門の変」以降、そこで学んでいる生徒のおおくが長州贔屓や反暴思想が濃い、ということもあり閉鎖に追い込まれるのも時間の問題だろう。
勝海舟自身は、軍艦奉行を罷免された。
坂本、薩摩の西郷、長州の桂や高杉、この関係がなにを意味しているのか?
坂本は、薩摩、長州を相手どり、いったいなにをしようとしているのか?
いえることは、たとえいかなることでも坂本はやり遂げるだろう。
いかに奇想天外で実現不可能と思われる謀りごとであっても・・・。
だがそれは、自身や自身の主には迎合できぬ謀りごと、ということだけはたしかだ。
たとえば、薩摩と長州を結びつけ、幕府を屠るというようなことを・・・。
中村に艶かしい笑みをみせつつも、少年の心中は穏やかではなかった。
この中村や坂本と、とおからずやりあうこととなるであろうから・・・。




