出会い
着流しに「和泉兼定」だけを帯び、新撰組副長の土方はひとり京の町をあるいていた。
各組による巡察、そして山崎や島田をはじめとする監察方が、長州系をはじめとする不逞浪士の探索をつづけている。
先の「禁門の変」で大火に見舞われた京の町は、いまだ随所にその痕跡を残していた。
人々は強い。だれしもが前向きに生活を送っていた。
総長山南の発案で、新撰組の隊士たちも焼けだされた町の人に協力すべく、それぞれ援助活動を行っている。
実のところ、いいだしたのは土方だ。その意を受けた山南が、隊士たちを指揮しているのだった。
この事実をしっているのは、幹部のなかでもごくわずかである。
「なんやてこの女?」
通りのすみで、幾人かの極道まがいの連中が女を取り囲んでいた。その女性の着物の袂に、みるからにきたならしい子どもが縋りついている。
煤と埃で汚れたその子どもは、先の大火で焼けだされ、親を亡くし、路頭に迷っている浮浪児に違いない。
「みていました。この子は、あなたが落とした財布を拾い、渡そうとしただけです」
その女は、がらの悪い連中に取り囲まれていても、臆することなくいい返した。怯える子どもをかばうように、自身のうしろへと導く。
その姿は毅然としている。なにより、たいそう美しかった。
年の頃は、三十路に入ったばかりであろうか?
控えめな柄の着物に帯を締めている。髪は島田髷だ。おそらく、どこかの武家の奥方なのだろう。
いい女だ、と土方は心底思った。
道ゆく人が遠巻きに様子を見守るなか、土方は懐手でその騒ぎのなかに入っていった。男どもの一人がそれに気がつき、吠え立てる。
「なんや?関係ないやつはひっこんどれ。怪我すんで」
「女、子どもに脅しをかけるような卑怯者に、なにができる、えっ?」
土方の役者のようなきれいな相貌に、冷たいまでの笑みが浮かんだ。
「話しはそこの番所できこうか?」
得物を抜くまでもない。しょせんは素人だ。
「おいっ、やめとけっ!こいつ、壬生浪や」
堂々としたその態度に、漢どもの一人がやっと気がついたらしい。いいがかりをつけた当人は、女の掌から自身の財布をひったくるようにして取り戻した。それから、ほかの漢どもとそそくさと去っていった。
この京の町で、壬生浪に喧嘩を売るような馬鹿はいるはずもない。
「お怪我はありませんか?」
漢どもの後姿をみ送ってから、土方はあらためて女を観察した。
その女は、これまで出会った女のなかでも一番だ。姿形が、というわけではない。これまでの経験で、そう判断した。
土方は、自身の直感に素直に従うことにした。
土方は、こういうことについては自身の判断に絶対的な信頼を置いている。
さきほどまでその女に縋り付いていた子どももまた、姿をくらましていた。
壬生浪は、年端もいかぬ子どもにまで嫌われているらしい。
土方は、内心苦笑した。
「ありがとうございます」
女は、土方にふわりと微笑みながら頭を下げた。その言の葉に、京や大坂のなまりはなく、それはあきらかに東のものだった。
「お蔭様で、あの子がひどいめにあわずにすみました。おそらく、この間の火災の被災者でしょう。かわいそうに・・・」
女は、逃げ去った子どものことが気がかりなのだろう。憂いを含んだ双眸を、子どもが消えた方角へと向けた。
おそらく、財布は子どもが掏ったかなにかなのだ。だが、女はそれに気づかぬふりをした。
「土方歳三と申します。さきほどの連中が仕返しにくるやもしれません。さしつかえなければ、送らせてもらえないでしょうか」
あらためて名のると、控えめにそう申しでた。われながら性急だと思いつつ・・・。
それでも、土方はすこしの間でもこの女と過ごしたかった。そして、しりたかった。
たとえ人妻であったとしても・・・。
「疋田信江と申します。土方様、お忙しい御身に、お送り頂くなど滅相もございません」
「いえ、今日は非番です。お気遣いは無用です。参りましょう」
騒ぎがおさまると、野次馬たちも散ってしまった。
かなり強引だと自覚しつつ、土方は自身の気持ちをおさえることができない。
返事をまたず、さっさとあるきはじめた。
疋田信江がどこにゆこうとしていたのかもわからぬまま。
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
女は、漢の強引さに当惑しているだろう。しかも、その漢はただ者ではない。いまやこの京で、いい意味でも悪い意味でも有名な漢なのだ。それでも、女はそれをおくびにもださず、うしろからついてきた。
どうやら、方角はあっているらしい。
道々、土方は一方的にしゃべりつづけた。隊務に関すること以外、とりとめなく。それを、女はときに頷き、ときに質問をはさんではききつづけた。
信江はたいそうきき上手だ。
家にかえる途中だったようで、その家はさほど遠くはなかった。
商家の立ち並ぶ通りからはずれると、裕福な町人や武家の屋敷がちらほらみうけられる。その一画に、女の家はあった。
けっして大きくはない。みると、小さな道場が敷地内に建っている。
さほど大きくない家屋に、小さな庭があるだけだ。庭には、大きな桜の木が二本、寄り添うように立ち並んでいる。
信江の夫は、どこかの藩の武士か、あるいは武士だったのだろう。
「土方様、なにもお構いできませんが、どうぞ粗茶でも召し上がっていって下さいませ」
小さいながらも頑丈な造りの門を入ったところで、信江が誘ってくれた。しかし、屋敷に上がりこむのは、信江の夫の手前具合が悪かろうと判断し、土方は丁重に断った。
家と名がわかったのだ。詳細は、あとで調べればいい。
「滅多と訪れる方もいらっしゃらぬ、小さなあばら家でございます。助けていただいたお礼にもなりませぬが、どうか粗茶だけでも・・・」
ここまで誘われて、断るのもおかしいだろう。
「では」、と土方は誘いにのることにした。
無論、門に入るまえには怪しい人影がないか、抜け目なく確認した。
土方の顔見しりということで、信江に危険が迫ることを怖れてのことだ。
これまでのかれであったら、女の誘いはすなわち情事に直結した。だが、此度は様子がちがった。
疋田信江は、誠に不思議な女だ。
土方は、自身で驚いた。餓鬼の時分から、女とみれば即座に抱いた。というよりかは、女との付き合いは、性交あるのみとばかりに思い込んでいた。しかし、この女にかぎっては、むしろそういうことをすることが不謹慎、否、不敬にすら思えた。
それよりも、他愛のないことを話したり、こうしてむかいあい茶をすするだけで、さらにいうならすぐ傍でときを共有するだけでも充分ことたりた。
疋田信江は、未亡人だった。夫は、さる藩で剣術を指南していたらしいが、信江と夫婦になってしばらくして京にうつり住み、そこで小さな町道場を営んだ。
一男をもうけたが、数年前、夫は息子を伴い江戸へ所用ででかけ、そこで事故にあった。
不幸にも、その事故が二人の生命を奪った、ということがわかった。
土方は、その話をかのじょからきかされたとき、なにゆえか体躯の内がざわめいた。
それがなにか、なにゆえかまではわからぬ。
本能が、警鐘をならしたのだ。
その日、暗くなるまでに信江のもとを辞した。
初対面にもかかわらず、互いのことがずいぶんわかった。
土方は、疋田信江が自身のことに興味をもってくれていればいいのに、とまるで初心な子どものように期待しつつ屯所へと戻っていった。
かれは、心の臓の高鳴りをはっきりと感じた。




