余韻
桂小五郎は、対馬藩邸で藩士の大島友之允と話し込んでいた。
対馬藩は、つねに財政難に悩まされており、とくに幕末期においては更なる疲弊に苦しんでいた。
藩を維持させる為、大島は朝鮮進出の建白書を提出するなど、東奔西走の日々をすごしていた。
桂は、その大島の征韓論に感銘を受けた。ゆえに、ときおりこうして訪ねては語り合った。
後、明治政府において桂が木戸孝允と名をかえ、高い地位を得るにあたり、大島の論が政局を左右することとなる。
「お取り込み中申し訳ございません」
廊下側の障子に、人影が映った。
京の対馬藩邸は、こじんまりしている。
詰めている藩士もそうおおくはない。
「どうした?」
大島が促した。
柔和な相貌で、文官然とした雰囲気を醸しだしている。だが、自身の論を主張するのに手段を選ばず、過激な行動も厭わない。じつに一本気な性質である。
障子がわずかにひらいた。藩士が控えている。藩士は大島と客人に一礼すると、囁くように用件を述べた。
「池田屋で新撰組の御用改めがあり、かなり大規模な戦闘があった由にございます」
「なっ、なんだと?」
乞食の格好のまま訪れていた桂は、愕然とした表情で立ち上がった。
「壬生浪どもめ・・・」
歯軋りし、いまにも飛びださんばかりの勢いだ。
「お待ち下さい、桂殿。もうまにあいませぬ。あなたがいま駆けつけてたところで、壬生浪どもの思う壺でございます。それだけでなく、長州藩そのものが危うくなりますぞ・・・」
大島の忠告は正論だ。
そう、わかってはいるのだ。だが、おおくの同志たちの安否を思うと、いてもたってもいられぬ。
そして、同時に自身の藩邸に詰める藩士たちが、軽挙妄動をせぬことを祈らずにはおれぬ。
桂の心中で、矛盾した想いが交錯する・・・。
「心中、お察し致します」
大島が静かに述べた。
このとき、大島が桂の命を救ったのだといっても過言ではない。
この夜、土佐藩脱藩であり坂本龍馬の知己であった望月亀弥太は、池田屋から手傷を負いながらも長州藩邸までたどりついた。そこで援助を請うたが受け入れられず、無念のまま長州藩邸のまえで自刃した。
松陰の三秀と名高い吉田稔麿もまた、同志宮部鼎蔵から託された信念を貫く為、自藩へと戻り援軍を請うた。だが、長州藩邸の表門は、閉ざされたままけっして開けられることはなかった。
京詰めの長州藩士のなかには、「救うべし」と藩邸から飛びだしてゆこうとする者が少なくなかったという。だが、その一方で悔恨と激怒を制御した上で機転をきかすことのできる者がたしかにおり、最終的には軽挙妄動控えるべし、と最善の策をとるにいたった。
松陰の三秀といわれた吉田は、会津・桑名両藩の追っ手のまえで自刃して果てた。
無念であったろう・・・。
新撰組は、池田屋での戦闘で九名を討ち取り、四名を捕縛した。
さらに翌日の昼頃までには、新撰組の白き巨獣と監察方、会津・桑名両藩及び彦根藩は、逃げ散った過激浪士たちと市中で激しい掃討戦を繰りひろげ、二十余名を捕縛するにいたる。
もっとも、追っ手の側も無傷ではない。
新撰組では奥沢が戦闘中に死亡し、負傷した安藤と新田もまた、その傷がもとで後日死亡する。
副長助勤の藤堂は頭部に重症を負った。永倉は、右の掌の親指がほとんど切断しかかるほどの傷を負った。
会津藩は五名、桑名藩は二名、彦根藩は四名の即死者をだした。
これらの被害の状況は、追い詰められた側が生き残る為、あるいは志を遂げる為、いかに死に物狂いで剣をふるったかがうかがえる。
こうして、夏の蒸し暑くながい一夜はおわった。
池田屋事件。
この戦闘は、新撰組の名を日の本にしらしめた。そして、その名を歴史に刻んだ。
この一夜は、新撰組にとって新たな転換期となった。




