御用改め直前
狭い三条の番所は、五つ(午後八時)頃には新撰組の隊士たちで埋め尽くされていた。
「コンチキチン、コンチキチン」、と祇園囃子が風にのって運ばれてくる。
本番は目前だが、この京の歴史ある行事の一つである祇園祭に向けての練習は、連日昼夜を問わずにおこなわれている。
やはり、出動できる隊士の数は予想通りのものだった。
運び込まれた武器装具を、全員が無言のまま装着してゆく。どの相貌も不安と緊張とに占められていた。おのずと口数が減る。暑さと緊張とで、番所の片隅に据えられた水瓶から柄杓で幾度も水を呑む者、おなじ場所をそわそわといったりきたりしている者、と日頃から白刃のうちに身を置いている新撰組の隊士たちであっても、今宵の「御用改め」なるものに畏怖を抱いているようだ。
「なんだ総司、風邪か?そういや顔色が悪いようだが?」
永倉は、軽く咳をしている沖田に近づきつつ尋ねた。
永倉も沖田も頭部に鉢金を巻き、体躯には防具を、手脚には手甲脚絆を装備し、すでに準備は万端だ。
「ええ、夏風邪かな?でも大丈夫ですよ。ちょっと咳がでるだけですから。だいいち、おれがでないとだれが近藤さんを護るんです?」
沖田が手拭いで口許を拭きながら冗談めかして応じると、床几に座し番所内の様子をみていた近藤がそれをきき咎めたらしい。
「なにを、総司?おまえに助けてもらわにゃならんほど、おれの腕はなまっちゃいないぞ」
「わかってるさ近藤さん、そんなことくらい。だが、あんたはおれたちの大将だ。その大将になんかあっちゃ困んだろ?」
土方が口をはさんだ。
近藤と土方も、沖田や永倉とおなじいでたちだ。
近藤は、わざとらしく口唇の間から溜め息をはきだした。
「歳、此度の御用改めは、われわれ新撰組にとって大きな転機となるやしれぬ。それを、大将みずからが出張らんでどうする?おれはただのお飾りの大将ではないぞ?」
「それもわかってるさ、近藤さん」
それは、二人の間で幾度も交わしている会話だ。
沖田や井上といった試衛館の仲間にとっては、そんな近藤の信念や気さくさが好ましい。それゆえにしこの漢にならついてゆこう、命を賭けようと思わせるのだ。
監察方の島田が、町人風のいでたちで番所に入ってきた。
巨躯をかがめながら土方に耳打ちする。かれは、ぎりぎりまで蕎麦屋に扮してこの界隈を探っていたのだ。
相方の山崎もである。かれは乞食に身をやつし、長州藩邸のちかくで物乞いをしている。
「そうか・・・。ご苦労だった。山崎は屯所に戻ったか?」
「はい。副長、会合場所を探りあてることができず、申し訳ありません」
「いや、気にするな。容易にそれとわかるほど、やつらもおおっぴらに会合をせぬだろう・・・。おまえもすぐに準備してくれ。まもなく出発する」
やはり、会合場所の特定はできなかった。
予定通り、おおきな宿屋や料亭をあたるしかない。
最終目標を「四国屋」と「池田屋」に定めて・・・。
「皆、聞いてくれ。二手にわかれておおきな宿屋と料亭をあらためる」
土方の一声で、番所内に緊張が走った。全員が緊張の面持ちで土方に注目する。
「沖田、永倉、藤堂、奥沢、安藤、新田、それと近藤周平、以上は近藤隊。「池田屋」方面を探る。残りはおれと「四国屋」方面だ」
土方の人選に不満を抱いた者があったとしても、口にだしてはなにもいわぬ。
全員が土方のことを心底怖れているのだ。
安藤早太郎は、細身の若者で本来は弓術を得意としている。剣は北辰一刀流を遣う。二尺五寸という大振りの名刀「南海太郎朝臣朝尊」を容易に遣いこなす。この刀で、芹澤派の最後の一人野口健司の介錯をおこなった。
奥沢栄助は、背が低くて横幅があり、相貌は強面で全体的に鈍そうな感を与える。だが、実は神道無念流の遣い手でこれをよく遣った。同門のよしみで芹澤に可愛がられていた一人で、有栖川宮出仕申しでの際に、そのなかに入っていた。だが、それはあくまでも芹澤に強要されたことであり、土方はそれをみてみぬふりをしてかれを掌中に残していた。
新田革左衛門は商家の倅であったが、幼少のころより剣術や柔術の町道場に通ってそれらを学んだ。もともと才能があったのだろう、めきめきと腕をあげ、ともにかなり遣えるようになった。長身細身で、この漢もなかなか清々しい相貌と性格をもっている。
近藤周平は、もともとを谷周平という。七番隊を任されている谷三十郎の末弟。つい先日、局長近藤勇の養子になったばかりだ。
剣も槍も兄たちほどではなく、それどころかまともに修練すらせぬ。ませた少年で、遊びたい盛りなのか日頃から道場にいるより島原にいるほうがながく、酒色と女色に溺れつつあるようだ。兄三十郎とは別の意味で評判はすこぶる悪い。
近藤との養子縁組が、周平を違う方向へと向かわせてしまったのだろう。それをいっさい悪びれないところも、おおくの者の失笑をかっている。
此度の人選は、局長の養子として手柄を立てさせるためのものであることは明白だ。だが、そのことを一番理解しておらぬのが当人だ。いまも「暑い暑い」と不平不満を兄たちにいいながら、水をがぶのみしている。次兄の万太郎が、無理矢理装備を整えさせた。が、それさえも脱ぎ捨ててしまいそうな勢いだ。心身ともにまだまだ子どもなのだ。
土方は、そんな周平に一瞥くれながら、側に「近藤四天王」の三名を呼んだ。
三名ともさすがに落ち着いたものである。この三人になら、大将近藤の生命を託せる、と土方はあらためて実感した。
「頼むぞ」
それだけでよかった。沖田、永倉、藤堂は、余裕のある笑みをそれぞれの相貌に浮かべて応じた。
「斎藤は、おれのほうにくるよういいつけているが、壬生狼はそっちにゆく。壬生狼なら、やつらがどこにいるのかわかるはずだ」
土方は囁いた。壬生狼の正体をしっているのは、新撰組のなかでもかぎられた者だけだ。
そして、その正体じたいほかの隊士たちにとっては謎の存在だ。
もっとも、試衛館時代からの仲間でも、少年自身のことをたいしてしっているわけではないのだが・・・。
「気をつけろ」
土方は、三人の肩を順番に叩いた。
「土方さんも気をつけて」
「ああ、大将のことは任せてくれ」
「「豊玉宗匠」こそへましないでくださいよ」
藤堂、永倉、沖田が答えた。
「ああ?総司、なんでおめぇはいっつもそいつをだすんだ?」
「なんでって「豊玉宗匠」の句の信奉者だからにきまってるからじゃないですか?」
沖田は、くすくす笑いながら答えた。
土方の相貌が朱に染まっているのは、怒りよりも照れからであろう。
つられて永倉も藤堂も大笑した。
番所内の全員が注目していた。
副長助勤たちの笑声は、隊士たちの緊張をわずかでもといたようだ。
「なに?勝った後の呑み会のことか?それとも、島原ですごさせてくれるって話か?」
原田がおどけたようにいいながら、永倉と藤堂の間に割って入り、それぞれの肩に腕を回した。
「ばかいってんじゃねぇよ原田、それはおめぇの願望だろうが。そうしてもらいたかったら、しっかり働いてくれよ、えっ?」
「へいへい土方さん、酒と女の為だったら漢原田、死に物狂いで働きますよ。この腹の一文字傷にかけてな」
京女を騒がせる原田の端麗な相貌に、不敵な笑みが浮かぶ。
この原田もまた、土方にとっては信頼に足る戦友なのだ。
「新撰組、御用改めに向かうっ!」
宵の五つ半(午後八時半)をまわったころ、ついに局長の号令が下った。
いまだ会津藩の動きはなく、わずか三十四、五名での出陣だった。




