終章
今年も桜が満開である。
春風が吹くたび、雪のように淡い桃色の花びらが舞い散る。
武士にとって、桜は縁起のいいものではない。こうして、花びらが散ってしまうから。
勝太は、それでも桜が大好きである。
毎年咲き誇る、多摩川の岸辺の桜の大樹がお気に入りである。それを、愛でるだけではない。
舞い散る無数の桜の花びらを相手に、剣の稽古をする。
この花びらは相手の剣先、この花びらは相手の咽喉元、といった具合に。
あまたの桜の花びらを相手に見立て、かわし、さらには愛用の太い木刀で斬ってゆく。
こうして、日々努力を積み重ねている。
ひとえに、武士にならんが為に・・・。
「歳、おまえは筋がいい。近藤先生もおっしゃってたぞ。おまえも近藤道場に入門し、本格的に天然理心流を学んだらどうだ?」
「冗談いうなよ」、と歳三は鼻で笑う。
「堅苦しいのは嫌いだし、群れるのはもっと嫌いだ」とも。
歳三は、あたらしくできた年少の友人の頭を撫でた。
そのちいさな友人は、末っ子の歳三にとって、まさしく弟のような存在である。
そして、その友人もまた歳三を慕い、くっついてかたときも離れようせぬ。
勝太はそれをみ、「まるで親鳥と雛だな」、と笑う。
「おいおい、おまえだけの問題じゃないぞ。龍のこともある。その子は・・・」
歳三にせがまれ、龍は桜の花びらを相手に勝太とおなじことをはじめた。
大胆で力量感のある勝太とは違い、龍の動きは繊細で軽やか。まるで、多摩川の流れのように流麗である。
それは、龍の体躯にしみこんでいる柳生の活人剣の基礎と、暗殺者としての技術であるが、二人の年長の友がそれをしるはずもない。
勝太もまたその動きを瞳で追いながら、師である近藤周斎の言を思いだす。
「あの子から、血の臭いがする。しかも、かなりの手練れだ・・・」
さらに、つづける。
「ちいさいのに、かわいそうな子だ・・・」
勝太は、師の言の意味が理解できない。
血の臭い?手練れ?
一人、様々に想像し憶測する。
この当時から武士を目指す勝太にとって、剣の修行だけでなく、読み書きや世の情勢を学ぶ必要がある。
修行のかたわら、書物をもつ者から借りてきてはよみふけった。とくに物語が好きで、それらは知識と刺激とを与えてくれる。
あるとき、親友の歳三が童を連れてきた。七、八歳くらいであろうか。歳三のように美しく、体躯はおなじくらいの童とくらべてもちいさい。
歳三から盗賊を懲らしめたという話をきかされても、にわかに信じ難い。
だが、自身もそれを目の当たりにしたのである。そして、素直に自身の非を認め、さらには自身の慢心をも認めた。
師は、告げる。
「いずこかの武家の子にちがいあるまい。なにか事情があるのであろう。そっとしておきなさい・・・」
さすがは、近藤周斎である。女たらしではあるが、剣の腕と他者をみる目に曇りはない。
勝太は、それに従った。あたらしくできたちいさな友人は、歳三のことを慕っている。このあたりで鼻つまみ者の「バラ餓鬼」と、すすんでかかわろうというかわり者は自身くらいだ。しかも、めずらしいことに歳三のほうも、このちいさな友人を気に入っている。
そう、まるで弟のごとく・・・。
「よかったな、歳。いい舎弟ができて」
からかってやると、むっとした表情でいい返されたものだ。
「舎弟じゃねぇよ。なんだ、ああ、弟みてぇなもんだ・・・」、と。最後のほうは、長い髪をかきむしり、気恥ずかし気であったが。
兎に角、歳の弟は強い。
強さを求め、それを追求したい勝太にとって、師のいう「かわいそう」の意味がさっぱり理解できぬのであるが。
そこは深く考えず、勝太はあらためて誓う。
このちいさな剣士のように、強くやさしくけっして驕らず、そんな武士になることを・・・。
「龍がなにって?」
歳三が、訝し気な表情で訊いてくる。
「ああ、その子も筋がいいって先生が・・・。ともに学んだらどうであろう?」
「ははっ!かっちゃん、おれのこと以上に、そいつは馬鹿げてる。こいつは・・・」
歳三の視線のさきで、龍が無数の花びらを華麗なまでにかわしている。
それはまるで、舞のようである。桜の花びらとともに、華麗に舞っている。
しれず、その舞に嘆息してしまう。
龍は、おれ自身の村を襲った盗賊も蹴散らしてくれた。そのときは、華奢な体躯や幼さからは想像もできぬほどの膂力を示した。
静と動、二つを兼ね備えた遣い手。
歳三は、龍の動きをともにみつめる勝太に、みなまでいう必要はないと察する、歳三も桜の花びらを手刀で斬りながら、話題をかえる。
「かっちゃん、こいつに話たんだ。おれたちの夢のことを・・・」
勝太は苦笑する。
太い木刀を小脇に抱え、歳三の額を人差し指で突く。
それは、勝太の親友にたいする親愛の表現の一つである。
「なんだと歳?龍はきっと笑ったであろう?童でさえ、おれの夢は馬鹿げてるって思うはずだ」
歳三もまた苦笑する。
大人たちはそう思ったとしても、勝太の周囲に集う者のなかで、勝太の夢をそんな風に思うやつはいない。勝太の子分たちだってそうだし、ましてや自身たちは・・・。
「龍、きてくれ」
歳三は、勝太に応じるかわりに年少者を手招きする。
桜とともに舞っていた童は、即座によってくる。
「おまえ、かっちゃんの夢のこと、どう思う?」
歳三の肩よりわずかに背が低く、勝太の胸元くらいの背丈しかない。そう訊ねられ、訊ねた者をみ上げるその美しいまでの相貌には、純粋で真摯な満面の笑みがある。
「夢?いいえ、勝太にいちゃん。あなたなら夢などという漠然としたものでなく、目標とされても通用するかと。なぜなら、あなたにはその資質があります。なにより、歳にいちゃんがいるのですから」
そう断言されると、それを疑うどころかその気になってしまう。
それは、抱いている者のみならず、それを支持している者も同様である。
「というわけだ、かっちゃん。おれはかっちゃんもこいつも信じてる。ゆえにかっちゃん、おれはいまここであらためてあんたの夢をかなえる為、あんたに助力することを誓うぞ」
「わたしは、その歳にいちゃんの望みを達成すべく助力いたします。それまで修行して、おおきな漢になります」
歳三がふきだす。
おおきな、の意味は、体躯と器や技量、すべてのことである。
歳三と勝太は、このちいさな童が自身の体躯に劣等感を抱いていることをわかっている。
「ありがとう、龍。無論、歳、おまえにも感謝している」
勝太は掌をのばし、一番ちいさな弟分の頭をごしごしと撫でる。
その掌は、すでに分厚くおおきい。
「では二人とも、いまここでおれと義兄弟の契りを、ともにあゆむ契約を交わしてやくれまいか?よんだ書物のなかで、そういう話があったんだ」
この時分から、勝太のお気に入りは「三国志演義」であった。
そして、童は、それが「三国志演義」で、劉備が張飛の屋敷裏にある桃園で関羽と張飛を左右に侍らせ義兄弟の契りを交わした「桃園の誓い」のことで、あくまでも創作上の話であることを、ひそかに思い起こす。
だが、黙っていた。
「三国志演義」を信じきっている勝太の想いを、壊す必要はない。
「どのようにして交わすんだ、かっちゃん?」
歳三が訊く。
その瞳は、きらきらと光っている。さすがに男児。こういうことが嫌いなはずはない。
「物語では酒だった。武士なら、金打だよな?だが、ここには酒も刀もない。おれはこれしかないし・・・」
小脇に抱えた愛用の太い木刀を、ひらひらと翳してみせる。
「おれは、これだな」
歳三は、懐から護身用の小刀を取りだしてみせる。
「おまえは?」
うながされると、最年少者も懐から愛用のくないをとりだす。
かなりつかいこまれたそれは、西の空に沈みゆく真っ赤な夕陽に映え、きらきらと光っている。
「不格好だが、かえっておれたちらしいではないか?」
勝太は、この時分から前向きでおおらかだ。
「歳、おまえが仕切ってくれ。おまえには、文才もあるであろう?言の葉をよくしってる」
歳三が、ひそかに句を嗜んでいることを勝太はしっているのである。
「はあ?かっちゃん・・・」
めずらしく照れ笑いを浮かべたが、すぐに表情をあらためる。
「おれたち流の誓いってわけだな?」
歳三は、小刀を鞘から抜いた。
それに、木刀とくないが重ねられる。
夕陽によって赤く染まり、無数の桜の花びらが舞い散っている。
三人の少年は、それぞれの得物を重ね合わせた。
「歳三と龍は、勝太を長兄とし、生涯、これを助け、ともに死すことをここに誓う。この誓約はいついかなるとき、どんなことになろうとも行使される。かっちゃん、誓うか?」
「ああ、誓うとも。勝太は歳と龍を義弟とし、二人を護ることをいまここで誓う」
「龍、おまえは?」
「誓います。龍は勝太と歳三を義兄といただき、生涯仕え、この生命あるかぎり全身全霊をもって義兄たちの命に従います」
「かっちゃん、あんたをぜってぇ武士にしてやるぜ。おれたちが、なにがなんでも武士にしてやる。それを、いまここで固く誓う」
歳三の言は、熱く真剣だ。
なにより、その想いや決意は誠のものである。
「金打」
それぞれの得物が打ち合わされる。
本来、刀の刃や鍔、鏡や鉦など、金属同士を打ち合わせておこなう誓いの儀式。
三人流の金打。
しばし沈黙と緊張に支配され、その直後、三人は同時に息を吐きだした。
なにゆえか、三人とも息を止めたまま、呼吸することを忘れていたのだ。
それから、同時に笑いだす。
生まれてはじめておこなった契り。嬉しさと気恥ずかしさ、結ばれた絆の重みと大切さ。これらは、三人にとってかけがえのないものとなる。
それが実現するとは。
誠の旗の下真実となろうとは、勝太と歳三は自覚していたであろうか?
ましてや、そのあとにやってくる別れや死のことなど・・・。
三人の少年は、真っ赤な夕陽が西の空に沈むまで、たがいの肩や頭を叩き合った。
心から、そして、心ゆくまで笑いあった。
ある年の春、武州日野であったささやかな出来事。
三つの笑い声が、散りゆく桜の花びらとともに舞う・・・。
(了)




