綴る想い
土方は、おおきな桜の樹のすぐちかで脚を止めた。
そのうしろに狼神がつづき、さらにうしろから忠助と末吉が騎馬を連れて駆けてくる。
土方は、桜の幹にもたれたまま微動だにせぬ自身の甥にそっとちかづく。
死んでいるのかと思えるほど、甥の表情は穏やかである。
左の掌にくないが握られたままで、右の太腿のすぐ傍にもう一本のくないが落ちている。
軍服の前釦がはずれているので、なかに着ている白いシャツがみえている。
血で染まっている。
自身の血に染まっていながら、敵兵の返り血は一滴すら浴びてはおらぬのであろう。
強烈な血臭と死臭が、潮風にまじっている。否、潮風がかすかにそれらにまじっている。
一本木関門の方向は、みぬよう努める。
そこに地獄絵図が描かれていることは、想像に難くない。
心やさしき甥が、あまたの敵兵の生命を奪った結果である。
土方自身が生き残る為だけにおこなわれた、一方的な殺戮・・・。
このことは、一生忘れられぬ・・・。
そっと掌をのばし、傷のある頬に触れる。
平素からあたたかみはまったくないが、それでもいまは生きていると確認できるだけのわずかなぬくもりがある。
無意識のうちに、吐息する。
両の掌で甥の肩を掴むと、そのままそっとひきよせる。ちいさな体躯を抱きしめる。右の掌に、なまあたたかい感触がある。
つい先刻、自身をかばって撃たれた銃傷であることをしる。
すべて計算ずくでおこなわれた。
戦いの喧騒のなかである。だれがどこからみようと、狙撃によって落馬したようにみえたであろう。
こいつの仕掛けに、不手際はけっしてない。
それでも、居合わせた全員を屠らねばならない。それもまた、こいつの経験と緻密な予測に基づいてのこと。
みえる方の瞼がかすかに動き、ゆっくりとひらけられる。
「土方・・・さん?副長?」
意識が朦朧としている。
それでも、こいつは力をふりしぼって笑みを浮かべる。
それは素晴らしいまでに、少年らしい笑みだ。
甥が安心して逝けるよう、強気で振舞う覚悟をしていた。だが、その笑みを目の当たりにした刹那、なけなしの覚悟は脆くも崩れ去る。
「副長、昔のことを思い出していました・・・。「大文字屋」での斬り合い。覚えてらっしゃいますか・・・?」
喘ぎつつ、唐突にでてくる昔のこと。
「ああ、忘れるものか。あれは、おれたちにとっちゃ最高の斬り合いだった・・・」
双眸から涙が零れ落ちてゆく。我慢しようにもできず、感情を抑えることもできぬ。
無理に笑みを浮かべようとするが、口許がただひきつるだけだ。声音も震えてしまう。
「坊・・・」
「副長・・・」
こいつにとって、この呼称が一番馴染んでいたであろう。
だが、それはこいつにとってだけではない。蝦夷まできてくれたほかの隊士たちも、ついそう呼んでいたし、古参隊士ですら呼び間違えて舌をだしていたも。
なにより自身、副長という責務を、そして、「鬼の副長」というふたつ名を気に入っている。
「わたしは、悪い子です。副長を欺きつづけた。土方さん・・・」
うわ言のように呟いていたかと思うと、縋りついてくる。
狼神を呼び、ちいさな体躯と四つ脚の獣の頭部を、あらためてやさしく抱く。
「いいや、おめぇはおれの為にやってくれた。それだけじゃねぇ。かっちゃん、山南さん、源さん、新八、左之、斎藤、総司に平助、そして島田や山崎といった新撰組の仲間たち、そして、帝や将軍、会津候や桑名少将、蝦夷で頑張ってる榎本さんや大鳥さんや箱館政府の戦友たち・・・。それ以外にも坂本や薩摩の連中の為にも骨を折ってやったろう・・・?。みながそれをわかってる。感謝してる。そして、おめぇがとてもいい餓鬼だってことを、おれも含めてみなが思ってる」
想っていてもいえぬ。気づいていても気づかぬふり。
頭のなかで整理のつかぬまま、震える声音で思いの丈を綴る。
まだまだいいたいこと、伝えねばならぬことはあるはず。
それらがすぐにはでてこぬ。もどかしい。
こいつは、胸に異相を埋めたままそれをきいている。
「おめぇの親父が、おめぇを抱き締めてくれといってる・・・」
こいつは、胸元から異相を上げる。嬉しそうだ。
すぐ傍にある父の鼻面に掌を伸ばし、撫でる。
「父さん、ありがとう。わたしの父さん・・・」
抱く一人と一頭。
ほんのひとときの安寧を、共有する。
七、八間離れたところでその光景をみている忠助と末吉も、流れ落ちる涙も鼻水もとどまるところをしらぬ。
そのとき、忠助の掌から手綱がするりと抜けた。それまでともに死線をくぐりぬけてきた土方の騎馬が、「ぶるる」とおおきな頭部を幾度もうちふり、じょじょにその距離をはなしてゆく。
そして、馬の視力ではみえぬところでぴたりと歩をとめ、その場でこちらをみる。
それは、動物たちの掟。
偉大なる獣の死に際は、その王たる狼神以外、いかなる動物であってもみることかなわぬのである。
とおくの方からきこえる砲声。漂ってくる死臭や血臭。もはやなにも気にならぬ。
「副長、局長から言伝をあずかっています・・・」
父親の鼻面を撫でるのをやめ、表情をあらためそう告げてくる。
「近藤さん、かっちゃんから?」
驚いた。
このときに伝えるよう、託すとはどういうことか。
そのとき、まだこいつの左の掌に、くないが握られていることに気がついた。
「どうした?」
右の掌で、こいつの左の掌に触れる。
硬直している。このまま、かなりのときをすごしたのだ。掌が白くなっている。
すくなくとも自身のそれより冷たく、ちいさくてはるかに分厚い・・・。
こいつが毎夜、二十貫以上の鉄棒をうちふりつづけていることをしっている。
それだけではない。槍や体術の基礎を、寝る間も惜しんで積み重ねていたことも。
みてきた数々の常人ばなれした技と力の数々は、なにも才能や血筋によるものだけではない。
さらには、妖かそのついをなすものか、兎に角、そういう未知の力によるものでも。
努力、そして、あまたの経験が、どんな困難をものりこえた・・・。
「毒にやられました・・・。その所為で左半身に感覚が・・・」
恥じ入るような呟き。
しばしの間、なんのことかわからなかった。そして、やっと例の宴のことを思いだした。
そうだ、たしか将軍慶喜の杯を呑み干したのだ。あとでそれが、トリカブト入りの酒だったときいた。
なんてことだ。こいつはあれ以降、不自由な半身を抱えて、あれだけの働きをしてたのか?
息を呑む。もはや、だせる言もない。こうなれば、脅威でしかない。いいや、努力だけで片付けられるものではない。
こいつの精神力だ。強大無比なる精神力こそが、こいつのすべてだ。
脳裏に「飼い殺し」、という言の葉が浮かぶ。
自身には、すぎたる名刀。否、刀などという武器でかたづけられるものではない。
そう、まさしく軍神。
敵味方双方が、崇め、畏怖している戦いの神・・・。
その偉大なる軍神を、なにゆえ自身があつかえるか。なにゆえ、傍に縛りつける権利があるか。
だというのに、こいつは・・・。
「こんな体躯で無茶しやがって・・・」
いつもどおり文句をいいながら、左の掌を揉んでやる。
なかなかとれなかった強張りも、しばらく揉んでやるとようやくとれる。
くないが土の上に落ちた。すでに落ちているくないとともに、太腿の側に並べて置いてやる。
ずいぶんと遣い込んでいるそれらを、こいつが手入れを怠ることはけっしてない。
どれだけの血をすってきたか、想像できぬ。だが、まるで刀工が鍛えたばかりのように、刃毀れ一つしていない。
忍者の類など、誇張された昔語りと思い込んでたが、密偵や暗殺者としての技術のほとんどが、伊賀や甲賀、武田や山鹿といった流派を素にしているとしって驚いた。
左半身の不利を悟らせぬ為におこなった鍛錬は、さぞかし凄まじかったろう・・・。
「近藤局長は・・・」
みえる方の瞼を閉じ、こいつは腕のなかで呟く。
こいつが囚われたかっちゃんと会ったことは、報告を受けていた。
詳細については、きいていない。いや、きく勇気がなかった。
かっちゃんのことだ。潔く、そのときがくるのを、心穏やかにまっていたに違いない。
かっちゃんは、そういう漢だ。強くてやさしいというお定まりの表現が、あれほど似合う者もそうはいないであろう。
「「歳、生きよ。おれと龍の分まで、存分にこの世を愉しめ」。これが、近藤局長からあなたへの最期の頼みです・・・」
かっちゃんらしい・・・。
「おれと龍・・・」
やはり、かっちゃんはわかっていた。昔のことを。こいつとすごしたときのことを、かっちゃんはしっていたんだ・・・。
しばし天を仰ぎ、友を偲ぶ。
空の色が、涙でよくわからねぇ。刻限の感覚も失われている。
早暁、五稜郭を経ったが、それが何日もまえのように感じられる。
「おまえにはなんと?かっちゃんは、おまえにもなにかいったか?どうせ、おれのお守りを、とでもいったろう?」
涙を掌で拭いつつ、きいてみる。
閉じられていた瞼が物憂げにひらき、こいつの口の端に笑みが浮かぶ。
よくみると、左側半面の表情が右半面のそれより動きがぎこちない。
眼と頬の傷、くわえて、表情のほとんどをつくっていたこともあり、左半面や左半身のことをまったく気づいてやれなかった。
「わたしにも頂戴しました・・・。「歳のために死んでくれ」、と・・・」
「なっ・・・」
絶句しちまう。
かっちゃんが?こいつに、かようなことを、最後の最後に命じるとは・・・。
「いいえ・・・」
右頬をちいさな掌が撫でる。
「まだつづきがあります。「おまえが決めた運命。それをかえられぬ、おれを許してほしい。ゆえに、さきに逝ってまっている。けっして生き急ぐな。ゆっくりと参ればいい」そう仰られたのです・・・」
互いをみていても、そこに映しだされているのは互いの相貌ではない。
頼もしき兄貴分の、おおきな相貌。
近藤勇という、義と仁に厚き漢の姿・・・。
「新撰組局長としてではなく、友としての望み・・・」
自身の頬を撫でるちいさな掌を握り、それをみつめる。
かっちゃんもこいつも人がよすぎる。
ちいさな掌。
だが、厳しく辛い鍛錬と、苛酷な使命により、その分厚さは半端ではない。
そして、いまだに消えぬ傷。
新撰組をかばい、刃に刺し貫かれた傷跡・・・。
もう片方の掌で、おなじときに斬られた頬の傷を撫でる。
わかってる。心身に傷を負うことを意に介さぬその根底に、他者を傷つけることの罪悪感と苦しみがある。
それは、だれにも理解できぬであろう。
すくなくとも、それをさせつづけた側の一人である自身に、わかるはずもない。
「ああ、生き抜いてやる。なにがなんでも生き抜いて、さらに面白いことをしてやる。あの世でかっちゃんやおめぇに、胸を張って語ってきかせれるような面白くてでけぇことをしてやるさ」
無理にでも、笑みを浮かべようとする。
「ええ、あなたの武勇伝は、きっと局長の気に入るところとなるでしょう・・・。副長、わたしの腰のものをとっていただけませんか」
たったそれだけの動きも、困難なのか。
いわれるままに、こいつの腰に掌をあてる。
軍服のズボンに、二つの細長い物が触れる。
「母の形見の懐刀と、「桜花」という名の名笛です。どちらもわたしにはすぎたもの。地獄へもってゆくには惜しい・・・。懐剣も「千子」の作。どうか、信江殿に。笛も一緒に。尾張をつうじて、会津候に・・・。この名笛も、いまでは形見もおなじこと。会津候は、出所をご存知です」
その二つの形見の品を、しばしみつめる。
この蝦夷で、幾度か奏でてくれた笛。その音色は、じつにすばらしかった。
まさか、かようなまでに由緒正しき名笛だったとは。
この笛は、帝か将軍家から下賜されたものに違いない。
会津候もこいつも、ともにどちらからも寵愛を受けていた。
それだけ尽くしてきた二人の末路は・・・。
理不尽や不公平などというには、皮肉すぎる。
「信江殿を・・・」
きこえるか否かの声量で、言の葉が紡がれる。
「どうか、叔母を頼みます・・・」
「ああ、わかってる。気の強ぇ女のあつかいは慣れてる。なにより、おれはあいつに心底惚れちまってる」
臆面もなく宣言してのける。
すると、こいつは嬉しそうに微笑む。
「日の本一のいい漢に惚れられたわが叔母は、たいしたものです」
はたして、自身はいかなる女子を好いたのであろう?
くだらぬ考えがふと浮かぶ。だが、それはすぐに消えた。
ないものねだりとは、このことである。
自身は、女を抱けぬ不具者、なのである。
あのとき、疋田景康が自身を救う為に放った火は、自身の左半身を包んだ。赤き炎の舌は、腰の辺りまで存分に舐めてくれた。
もはや男に抱かれるしかない、体躯。
かえってこの姿形で、よかったのやもしれぬ。
それももはやどうでもいい。
自身があゆんできた道に、誠の想い、真実の愛など、けっして存在せぬのだ。
そのとき意識が揺れた。
嫌ってくれるな・・・。
うちなる意識が慟哭している。
それとは、けっして相容れようとしなかった。妥協するつもりもなかった。
最期のそのときまで、妖であることに、土方の一振りの刃であることに、狼神の息子であることに、そうありたい。
感謝はしている。
心の臓を動かして生かしてくれ、一握りの人間たちに命と力を分け与えることができた。
なにより、この国の未来の英雄となる東郷という薩摩武士に託したものはおおきい。
かれは、いつかかならずこの国を救ってくれるであろう。
土方という恩人と、その仲間たちと共有した時間は、なにものにもかえ難い。
わかっている。
うちなる存在も苦しんでいる。
東方を守護する神獣。この国では、大神ともなり、蝦夷を、本土を護るべき高位霊。それが、なんの気紛れか、あるいはいたずらか、祖神と融合されてしまうとは・・・。
うちなるものは、あきらかに当惑し、混乱している。
無理もない・・・。
「わたしは、なんなのでしょう・・・?」
隻眼を上げ、無意識のうちに呟いてしまう。
主の戸惑いの双眸。そこに答えがあるわけもなく、それを得ることかなわぬこともわかっている。
答えも真実もわからぬままでいいではないか?
逝けば、あるいは送られれば、もはやそれらは意味をなさぬ。
「わたしは・・・。わたしはあなたに、あなたにただ恩を返したかった・・・」
胸に縋り付き、幾度も幾度もおなじことを繰り返す。
嫌ってくれるな・・・。
わたしもまた、おまえを助けたいだけ。おまえはわたし、わたしはおまえ。おまえが人間としての存在を、父親に認めてもらいたかったのとおなじように、わたしもまたおまえに神という存在を、わたしたちが一つであるということを、認めてもらいたかっただけ・・・。
依代とその宿り主。
そもそも、その観念は違う。
それは、まさしく六道輪廻。
宿り主は、あらゆるものの姿にやつし、ときを彷徨う。
「おめぇらは、どっちも苦しかったろう?どっちも苦しくて、たまらなかったんだろう?」
土方が呟く。
京で死んだ井上が、ずっと手入れしていた甥の頭を撫でながら呟き返す。
その土方の瞼は閉じられている。
土方は、いまこうして体躯を抱きしめていると、それをはっきりと感じる。
おなじ精神に宿る、二つの異なる意識を・・・。
「人間よ、わが兄に、わが兄神に「もはや、約定は解き放たれた」と伝えてほしい。その腰の「千子」と、狼神がいれば、わが兄神は協力してくれる。わたしの力をもちし恩人よ。われらの力と意志を継ぎ、思うままに生きよ」
胸元で語られる言。
土方は、それを発したものにたいして、その突飛な内容について、さして驚かぬ。むしろ、すんなりと受け止めることができた。
こめかみが痛む。甥によって封じられた、記憶の一端。
それが、これに結びつくのだ。
柳生厳蕃。
甥の叔父、つまり自身の妻信江の兄であるこの漢こそが、その兄神に違いない。
そう確信する。
それで、少年の話のつじつまがあう。
はっと気がつくと、甥の隻眼が、胸元から自身をみつめている。
「わたしは、なにを・・・」
意識を奪われたのはほんのわずか。
そのわずかな間に口走った。否、うちなるものに口走らせてしまった。
「おめぇは・・・」
土方は、何事もなかったかのように振舞う。
「おめぇがなにかって?馬鹿なこといってんじゃねぇよ。おめぇは、妖みてえに強く、神みてぇに恰好よく、ちょっとかわった力をもってる新撰組の仲間。狼神を育ての父にもち、「鬼の副長」を叔父にもつ、柳生の兵法家。こころやさしき人間の子だ。佐藤龍、それがおめぇの誠の姿だ・・・」
あらっぽいが、そこにこめられた想いははかりしれぬ。
戦の喧騒はつづいている。
だが、ここには届かぬ。
街道のちかくに佇む大きな桜の樹の下、そこにあるのは静寂と安穏である。




