神の背、人間(ひと)の背・・・
古来より人間は世の軌道修正を行うに必ず戦を用いる。殺しあうことでしかかえることができぬのだ・・・。
さまざまな依代に宿り、人間にかわってそれをおこなってきた。
人間も時代をふるごとにかしこくなり、ただの殺しあいにも変化が生じてきた。
戦がなくなることはない。それがただの殺しあいだろうとだましあいだろうと。
ゆえに、われら軍神も永遠に彷徨わねばならぬ。
いたずらに創られし混合神であろうと、わたしの素は武を、戦いと五方五行五佐を守護する弱き小さな神獣に過ぎぬ存在だ。
さまざまな人間の器があったが、この小さな国の武士のそれはじつに強くて居心地がいい。
それは、巫女たるわれらが母神も認めるところであるし、兄神も同様だ。
だからこそ、また同じ血筋のを借りた。
柳生の血筋・・・。
柳生三厳とその父宗矩、そして柳生俊厳とその叔父厳蕃・・・。
前者では群雄割拠する戦国の世から徳川幕府へと、後者ではその徳川幕府を潰して新しい世へと、それぞれ塗り替えた。
もっとも、わたしの器はともに早々に壊れてしまったが・・・。
二つの器は、わたしを嫌っている。
そもそも、わたしを認めようともせぬ。
ともに、その最期まで剣士であることに、人間であることに固執している。
わたしを認めさえすれば、この日の本を思うままにできるというのに。ああ、そうか、それが柳生という血なのか・・・。
じつに頑固で、糞がつくほど真面目な血ではないか。
ねぇ、兄神様?あなたもきっと現在の器に手を焼いていることでしょう。なにせわたしの器と同じ血が流れているのですから・・・。
兄神様、あなたの背にのり護ってもらっていたわたしも、いまではすっかり大きくなりました。ですが、いまでもわたしはあなたの背で揺られ、あなたに甘えたい。いつもあなたに強くなれ、と叱られていましたが、わたしは兄神様の背でそれをきくのが大好きでした。
大きくてあたたかく、やさしさに満ちた兄神様の背・・・。
わたしはその背を、そこですごすときを取り戻したい・・・。
「大文字屋」の手代に案内され、三十名ちかくの浪士どもが裏木戸から庭に入ってきた。
月明かりの下、その貪欲で兇暴な表情がよくみてとれる。
そのおおくの心中もまた、各々の大義名分実現へのやむをえぬ所業というよりかは、それを隠れ蓑にし、ただたんに略奪行為をしたいという醜悪きわまりないものではっきりと占められている。
さして問答もなく、というよりかは三倍の相手への定石手段として、土方の采配の下奇襲攻撃を仕掛ける。
それは、少年の助言によるものである。幼少より喧嘩慣れした土方にとって、それはまさしく正攻法ともいえる。
ゆえに、異存があろうはずもない。
手代についてだらだらと庭をあゆむ無警戒無防備の浪士どもに、近藤たちは各々の抜き身を振り翳して襲いかかる。
それでも浪士どものほとんどは武士で、状況を把握するよりもはやく、条件反射的に得物を抜き放ち、応戦しだす。
近藤が、山南が、井上が、永倉が、原田が、沖田が、斎藤が、藤堂が、そして土方が、正面に立つ敵と斬り合い、命の遣り取りをくりひろげる。
場慣れした少年は、その九名の背を確実に護り、さりげなく敵を仕留めてゆく。
結局、土方らが斬り伏せた人数より、少年が掌や拳で昏倒した人数のほうがはるかにおおくなってしまったが・・・。
このときすでに、少年は暗殺者がもってはならぬものをもってしまっていた。
以降、自身それに気づかぬ、否、気づかぬふりのまま、この大好きな仲間たちとともにあゆんでゆく。
だが、それは人間としても少年のなかのもう一つの存在としても、さほど長い期間ではない・・・。
主や仲間の背・・・。
これらの背を護れるなら、自身はどうなってもいい。無論、穢れたことや非道なおこないもいとわぬ。
背をみせるのは、離れてゆくためにではない。
ましてや追いかけたり追うものでも・・・。
それは、信頼の証・・・。
背を護ってくれる、あるいは、護りきってみせるという、たがいの想いを伝える手段の一つ・・・。
いくつもの大きな背。
いつもそれらを見上げていた。そして、感じていた。
おおきくてあたたかく、やさしさに満ちた主や兄貴分たちの背・・・。
わたしはそれらの背を、それらをみつめ、護りつづけたい・・・。




