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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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104/117

「鬼の副長」と「心優しき巨魁」と「小さき暗殺者」

 榎本総裁の執務室は、この五稜郭の中でも最奥部にあり、軍議ができるだけの広さがある。

 そこに樫材の長卓テーブルと同様の材質の椅子を十脚以上設置してあり、ほとんどの作戦会議を行ってきた。


 この夜の軍議が、この政権における最後のそれとなることを知っている者はすくない。


 夕刻から行われたそれは、さして盛り上がりも冷めることもなく、無難な口舌と円滑な進行でいっときほどで終了した。


 その執務室の隣には、軍議に参加する将官の側近や小姓たちが待つ為の待合室が設けられている。


 この夜、軍議に参加している将官もまた多くなく、したがって、この待合室で控えているのも数名であった。


 そのなかで、一番いい体躯の兵卒以外の全員が、煙草キセルを愉しんでいた。


 島田は、もくもくと煙る室内にあって、それをさして気にすることもなく、自身の敬愛する上官がでてくるのを、否、自身がもっとも信頼し、尊敬する局長がでてくるのを辛抱強く待っていた。


 大きな相貌のなかにある小さな二つの双眸からときおり涙が零れ落ちてゆく。これは、煙草キセルの煙の影響ではなく、ついさきほどまで交わしていた小さな朋輩との会話によるものだった。


 相馬たちが土方の部屋を辞す際、島田は「坊の軍服が破けている」ことを指摘し、それを繕ってやるという名目で居残った。

 相馬達には、すぐに追いかける、と言い添えて。


 相馬たちは気がついていたとしても、それを咎めることも詮索することもなく、それぞれが小さな兄弟に声を掛け、抱きしめて別れを告げた。


 それが今生の別れとなることを心底口惜しく、無念と噛みしめつつ・・・。


 全員が去った後、島田は無言の内に自身にもたれかからせていた小さな体躯を抱き上げた。

 そのまま奥にある土方の寝室に入ると、丁寧に小さな体躯を寝台ベッドの上に横たえた。


「血が・・・」

 一方的に横たえさせられた側が訴えかけようとするのを、島田はやさしい口調と温かい両の掌で小さな頭を、頬を、背を、撫でてやることで封じた。


「局長は。そんなことは気にしない。傷をみよう」

 でかい体躯、さらにでかくて広い精神こころの持ち主である島田は生来涙もろい。

 このときも、止めどなく流れ落ちる涙を隠そうとも拭おうともしない。


 島田もまた、新撰組に入隊し同時期に入隊した山崎とともに密偵の任を与えられた際、この小さなわらべから手ほどきを受けた。


 正直、剣術や体術など力が自慢で、そういう職務のほうが向いていると思い込んでいたが、意外にも密偵など繊細な職務も向いていて、また面白いと思えたのだから自身でも驚いたものだ。


 ひとえに、師の手ほどきがよかったのだろう。


 軍服の上着を脱がせると、白いシャツが赤く染まっている。寝室にある小さな窓の向こうはすでに暗く、一つだけある洋燈ランプの明かりをもってしても、五稜郭の庭は闇に包まれたまま樹の一本も認められない。

 よほど具合が悪いのか、少年はされるがままだ。みえる側の隻眼を閉じ、寝室の天井にそれを向けている。

 晒を準備してからシャツを脱がせ、血糊を拭いてやる。あっという間にそれは真っ赤になった。


 こんな小さな体躯にこれだけの血が・・・。

 よく立っていられたものだ、といまさらながら驚く。


 素人目にみてもこの小さなわらべにときがないことが、そのときがすぐそこまで迫っていることがわかる。そう思うとさらに涙が視界を奪う。


「坊、終わったぞ。止血は気休めだ。すまない・・・」

頬を撫でてやると、少年は隻眼を開け島田をみた。


「魁兄さん、ありがとう」

 それは、少年が職務以外のときに使う呼び方だった。


「傷だらけだ・・・」

 それには答えなかった。島田も返答を求めたわけではない。


 寝台の近くに置かれた椅子を引き寄せ、少年の上半身を起こしてやってからその背に着物を羽織らせてやった。

 それは、おそらくは土方が寝間着代わりに使っているのだろう。椅子の背に無造作に掛けられていたものだ。


「魁兄さん、皆さんをどうかお願いします」

 少年の隻眼は少年自身の下半身を覆う布団に向けられたままだ。


「坊・・・」

 土方の着物を小さな両肩に掛けてやりながら島田は鼻をすすった。

「案ずるな。全員、無事にこの戦をやりすごせるさ・・・」

 涙と鼻を同時にすする。どちらも止まらない。


 こんな小さなわらべが、明日には死ぬだけでなくその首をも差し出さねばならないのだ。


「泣かないで下さい、魁兄さん・・・」

 隻眼が自身の相貌を覗き込んでいるのにやっと気がついた。


 小さいわりには分厚い右側の掌が、島田の大きな相貌へと伸び、その指先が頬を伝う涙の粒を拭う。


 この小さな指が、掌が、奪った多くの生命いのち・・・。

 そして、その罪過に苦しみ、理由をつけては己の体躯を切り刻む・・・。


 土方は、このことに気がついているのだろうか・・・?


「申し訳ありません。せっかく魁兄さんが繕ってくれた軍服の上着やシャツをだめにしてしまいました・・・・」

 口の端に浮かぶ笑みも声音も弱々しい。


「それも案ずるな。ちゃんと新しいのを用意している。明日は、それを着るといい」


 坊の為に繕ったのはこれが最後で、自身の寝台に準備してあるそれは文字通り死に装束となる。


「坊、局長と話しをするんだ、いいな?」

 刹那、相手ははっきりそうとわかるほど拒絶を示した。

 隻眼には脅えの色が濃く現れ、自身の頬から掌が離れる。


「逃げるな。おまえほどのおとこが・・・。自身の左眼を抉り出すことはできるのに、なにゆえ話しが、向き合うことができぬ?」

「だって・・・」

 ますます脅え、萎縮する相手の小さな上半身をできるだけやさしくその両の太いかいなで包み込んだ。


「局長はこの将来さき、おまえを亡くしたことで一生自身を責めつづけることになる。今宵、たった一夜、甥として叔父と向き合い、心ゆくまで話しをしてくれ。そうでないと、局長はいっそう自身を責め苛まねばならない・・・。わかっている。おまえは、おまえ自身の意志のことをいい訳に、局長にすこしでも罪の意識を、罪過を背負わせたくない、と考えていることを・・・。だが、おまえの想い以上に、局長の想いは大きい・・・。おまえの考えている以上に、局長は苦しんでいるのだ・・・。頼む、坊・・・」


 少年は、広い胸にその小さな体躯を預け、隻眼を閉じている。


 心の臓の音がきこえる。聴覚以上に心の底から様々なものが感じ取れる。


 温かい。人間ひとはこんなに温かいのか・・・?


「承知しました、魁兄さん。大丈夫、ちゃんと話します」

「いい子だ、坊。いい子だ・・・」

 力をこめ過ぎないように抱きしめ、いまは刈る者を失った頭を撫でながら、幾度もいい子だと繰り返す。


 島田は、京を追われ、新政府軍と戦うようになってから、そのほとんどを土方の片腕として働いてきた。ゆえに、土方がどれだけこの少年のことを想っているかを知っているし、その反対に少年の土方への想いも理解している。


 体躯の大きさから、他者ひとの心情の機微には疎く思われがちだが、そのじつは違う。新撰組で密偵や伍長を務めている時分でも、しっかり仲間たちの心情を悟り、できるだけ配慮してきた。そして、そのことを土方も少年も知っていた。


 ゆえに、土方も少年も、この心やさしき隊士にはそれぞれの方法で甘えられるのだ。


「魁兄さん、申し訳ありません。もう魁兄さんのお汁粉を食べられなくなります・・・」

 少年の呟きに、島田はおおげさに嘆息してみせた。

「そうだな。わたしの十八番おはこをおかわりしてくれるのは、おまえくらいだ・・・」

 味覚を失っている少年であるが、島田の作る汁粉だけはなにゆえかほんのりと甘みらしきものを感じることができる。

 ゆえに、屯所内で隊士たちの非難の嵐のなか、一人、おかわりをしてみなを驚かせた。


 それほどまでに、「島田汁粉」は甘かったというわけだ。


「さあ、傷に響く。局長の軍議が終わるまで眠っているんだ、いいな?」


 最後にもう一度やさしく抱きしめてから、島田は少年に有無をいわせず小さな体躯を寝台に横たえさせ、薄っぺらい布団を掛けてやった。


 けっして他者ひとに寝姿をみせぬ少年も、島田のいいつけに素直に隻眼を閉じた。


 しばらく頭を撫でつづけていたが、少年の小さな呼吸が安定してくると、その小さな頬を両の掌で包み込み、寝顔を瞳に焼き付けようと溢れる涙のなかで幾度か瞬きを繰り返し、納得してから寝室をでていった。


 ありがとう、魁兄さん。どうか息災で天寿を全うしてください・・・。


 寝室のドアが閉まるまえに、少年は寝台からその大きな後姿をそっと見送った。



 さして重要でもない軍議。

 集まっているのも各方面の隊長格ばかり。各方面への補給の確認が主だったが、榎本はなんだかんだと話題を持ちだしては、集まった将官を足止めし、結局、それが終わったのは夜もすっかり更けたころだ。


 兵の補充の要望をしに、亀田新道から歩兵頭並陸軍隊頭の春日が出席していたので、一度は養子にやった田村の消息を手短に伝えておいた。


 喜んでいた。元彰義隊の剛毅無双の武士も、つづく戦ですっかり憔悴していた。まさかこのとき、すぐつぎの日に戦死するなど思いもよらなかったし、実際、それをしったのは戦後しばらく後だった。


 あいつならきっと、このとき春日隊長の相貌に浮かんでいる死相をみて、戦線離脱を説いたに違いない。


 おれにはあいつのような力も感覚もない。


 春日隊長を、むざむざ死なすようなことになるとは・・・。


 その春日隊長には、控えの間で腹心の部下が待っていたらしい。

 おれには待つ者もいない。そのまま素通りしようとしたところで、春日隊長に呼び止められた。


「土方殿、島田君が待っているようだが?」

 部屋を覗き込むと、たしかに見慣れた巨躯が部屋の隅にある。


 春日隊長に礼をいい、その腹心ともども挨拶をしてから部屋の内に入った。


 島田たちは、たしか弁天台場に夕刻には出立する手はずになっていたはずだ。


 泣いてやがる。島田は、おれをみると涙と鼻水を軍服の上着の袖で拭いながら近寄ってきた。


「局長・・・」

「なんて面してやがる、島田?弁天台場にむかったんじゃあ・・・」

 そこではっとした。


「あいつに、なにかあったのか?」

 無意識のうちに声を落とし、きつく問うていた。


 島田は、いまはだれもいない部屋のドアのほうをちらりとみたが、気配がないのを確認してから分厚い唇を開いた。


 拭ったばかりの眼からまた涙が落ちてくる。


「局長、お願いです。もうあいつを死なせてやってください。坊を、これ以上苦しめないでやってください・・・」

 涙に咽びながら、それでも外に漏れぬよう声量を落とし、島田は切々と訴えてきた。


「なんだ、と・・・?」

 驚いたというよりか、正直ぞっとした。


 だれよりもやさしく、おれたちのことを理解しているこの大男の口から、かような言をきかされるとは・・・。


 島田は、おれの両のかいなを掴んでからつづけた。


「すでに限界を越えていることは、局長にもわかっているでしょう?傷も精神こころも、ただあいつに地獄の苦しみを与えているだけです。あなたに覚悟が、あなたが覚悟を示してやらねば、あいつは死ぬことすらできぬのです・・・」


 腕が軋む。否、心の奥が軋んでやがる。


 あいつが蝦夷ここにやってきてから、ずっと向き合わねばならなかった現実。

 おれはそれを無視しようと、あるいは気づかぬふりをしようと努力していた。


 そう、あいつが苦しんでいることも死にたがっていることも、おれにその了承を得ようとしていることも、すべてわかっていた。


 かような現実をみたくもなかったし、ましてや認めたくもなかった。


 餓鬼のあいつがあらゆる意味でもがき、耐え、忍ばねばならぬことを、平気で強いていた。


「島田、残ってくれたんだな、それをいう為に?」

 穏やかに問うと、島田ははっとしたらしい。握られている両の二の腕がわずかにらくになった。


 不覚にも、頭を島田の分厚い胸板に押し付けていた。

 涙をみられぬ為に・・・。


 島田は、おれの二の腕から掌を離すと、つぎはやさしく肩を抱いてくれた。


 かっちゃんにも、こうして肩を抱かれたものだ。


 一瞬、かっちゃんかと錯覚してしまう。

 こうなってしまうと、「鬼の副長」も形無しだ。


「あいつはどうしてる?」

 島田の胸のなかで呟く。

「局長の寝室にいます。無理矢理寝かせています。はやくいってやって下さい。そして、話しをしてやって下さい」


 不意に、島田は言を止めた。わずかに逡巡したようだが、思いきって話しはじめる。


「局長、あいつは、あいつは十歳とおどころかその精神こころはもっと幼いのです。肉親の愛情をまったくしらず、心身に枷を強いられて過ごした代償は、あいつから正常な精神こころと感情を奪ってしまってます。どうか、あいつとたくさん話しをして、たくさん褒めてやってください。叔父としての愛情を与え、甥の不器用な想いをきいてやって下さい。そして一言、おれは大丈夫だから、といってやって下さい。あなたも辛いでしょう。苦しいでしょう。ですが、あなたは大人です。なにより、あいつを楽にしてやれるのは、この世にあなただけなのです・・・」


 やめてくれ島田。


 そう叫びたかった。

 なにゆえ、かような困難をおれに、おれだけに強いる?

 おれも、あいつとかわりやしない・・・。


「わかった・・・」

 感情とは裏腹に、口からそう漏らす。


「すまなかったな、島田・・・」

 気丈に振舞う為に苦心した。


 島田の胸から頭をはなそうとすると、島田は素直におれを解放してくれた。


 すばやく指先で涙を拭い、眉間に皺を寄せる。


「鬼の副長」である為に。あいつの叔父である為に。


「島田、はやく相馬たちを追いかけろ」

「局長・・・」

 島田は、まだなにかいいたそうだ。


 このとき、おれは悟った。こいつら、なにか企んでやがる、と。まがりなりにも、泣く子も黙る新撰組の局長であり、この政府の常勝将軍であり、なにより、あいつの叔父だ。どんな精神状態であっても、こいつらが、なにやら画策してやがることくらい気づかぬわけはない。


 京にいた時分ころとおなじように・・・。


「わかりました。もういきます。戦況が不利になったら、助けにきて下さい。やはり、「鬼の副長」の一喝がなくては、隊士たちも本領を発揮できないですから・・・」

 泣き笑い顔でそう冗談口を叩く島田の肩を、軽く叩く。


 それが、二人の間の挨拶のようなものだ。島田が入隊した当時からつづく、信頼の証・・・。


 島田が部屋をでようとしたところで、榎本さんが通りかかった。

 島田は上官にたいし、一応は一礼したものの、榎本さんにたいする態度はあきらかにほかとは違う。


 これはなにも、島田にだけいえることじゃない。新撰組うちの連中は、どいつも榎本さんにたいして納得がいっていないのだ。


 坊一人だけを殺す・・、無慈悲な総裁。


 みな、わかってはいる。生き残り、敗戦の責任者として生涯をすごさねばならぬ屈辱と無念のほうが、ここで死ぬことよりよほど勇気のいることだということを。


 それでも、仲間を、ちいさな弟分を奪われることの悔しさ、憤りは、みなの感情を昂ぶらせている。


 そう、感情はいつも無慈悲だ・・・。

 

 島田のおおきな背が消えるのをみ送り、おれも榎本さんに一礼し、そのまえを辞す。


 あいつらだけじゃない。あいつらの長たるおれも、想いはおなじ。


 そして、自身の部屋へ戻る。


 あいつと向き合う為に。


 みずからあいつに、引導を渡す為に・・・。



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