市村、漢(おとこ)の約束
五稜郭の一室、陸軍奉行並土方歳三の執務室に、めずらしく客人が訪れていた。
この五稜郭に設けられた、数少ない洋式の部屋の一つで、机に椅子の執務室の奥には小さいながらも寝起きできるだけの寝室がある。
そこには、質素で大きくもないが寝台も置かれている。
その客人は薩摩出身の商人で、大阪や横浜で手広く商いをしているという。
薩摩出身とはいえ、とくにそれを喧伝するわけでもなく、大阪での暮らしが長いため薩摩の訛りより大阪のそれのほうがかえって強いくらいだ。
だが、それは表向きで、じつは大阪府判事を務めていたが、つい先日、会計官権判事を命じられ、横浜へと転勤になったばかりのれっきとした役人であった。
名を五代友厚といい、造幣局の誘致や鉱山の再構築を行ったり、大阪の経済の基礎を築き上げ、大阪経済界の重鎮の一人として大成する大実業家。
幕末期、刀を算盤に持ち替え、西郷や大久保とは違う意味でのし上がった男だ。
もっとも、成功した上に西郷たちよりよほど長生きしたのだから、五代はよほどその才に恵まれていたのだろう。
兎に角、五代は横浜に到着し、まだ荷解きをせぬままはるか蝦夷までやってきたのだ。
商人に身をやつして。
ひとえに、生来の好奇心の強さと商人としての鼻がこの蝦夷に興味を示させたのだ。
桐野利秋から蝦夷にいく商人を紹介してくれと依頼されたとき、彼はすぐさまのっかた。
新しい役職での仕事は、自身の病気治療の専念により数週間そのはじまりを遅らせることに成功していた。
さして興味も意欲も湧かないその転勤話より、桐野の依頼のほうがよほど魅力的だ。
とはいえ、その依頼内容をろくにききもせずすぐさま受けたものだから、さしもの人斬りもさぞ驚いたことだろう。
桐野からの頼みごとを終えたら、この蝦夷をみて回る心算だ。
その為には、商人としてまずはこの依頼をそつなくこなし、できればこの地をよく知る者を紹介してもらいたいと目論んでいた。
陸軍奉行並の執務室には、机と椅子だけでなく、小さいながらも来客用の卓、それをはさんで長椅子が二脚置かれている。
部屋には、陸軍奉行並本人と小姓が二人いた。
一人は、背の高い立派な体躯のあどけない相貌の若者で、いま一人はまだほんの童だ。
五代は、自身を薩摩出身の商人であると名乗ってから、訪れた用件を述べた。
卓の上の絹の布袋。
これは、五代がいかにも商人がしそうなことを演出したのだが、それに包んだ一振りの刀を、丁寧な仕種で置いた。
桐野からの口上を、そのまま伝える。
「こちらは、さる藩の剣術指南役がこの騒動でお役御免となり、喰うに困って売りし曰くつきの名刀でございます。なんでも、陸軍奉行並は「和泉兼定」のみお持ちということで、ぜひともこの一振りもお腰に頂ければと思いまして・・・」
五代は小柄だが色白で目元涼しく、役者のような男だ。
とても元薩摩武士とはみえない。
いまも白いシャツに背広、ズボンにぴかぴかの靴という洋装で、これがじつに映えている。
「ほう・・・」
土方は、背後に控える小さいほうの小姓に視線を送った。
土方には、絹袋の中身がどういうものかがわかっている。
そして、小さいほうの小姓には、それがここにある経緯もわかっている。
その誠の意味が・・・。
「五代元大阪府判事殿にわざわざお運び頂き、感謝の念に堪えませぬ」
小さいほうの小姓の言に、五代はその涼しげな双眸を文字通り白黒させた。
そして、桐野がいっていた辰巳とは、この小さな童のことだと、いまさらながら気がついた。
まだほんの童ではないか?かような童が、岩倉卿をはじめ長州や松前藩を翻弄しているのか?
そして、薩摩の恩人でもあるのか?
「桐野先生や西郷先生に、どうかよしなにお伝え下さい。残念ながら、この蝦夷にあなたの欲するものはありませぬ。ここは、人間の領域にはあらず。ただ、この戦が終わりましたら、どうか内地で放置されたままの鉱山の調査をされるがよろしいかと・・・」
やわらかい笑みを浮かべ、提案する小さな童を凝視しつつ、その言の持つ意味や価値を、頭の中の算盤ではじいていく。
そして、童の提案は正しく、試して損は絶対にないだろうと瞬時に結論付ける。
容姿だけでなく、明晰で他者の忠告や助言に従うのをよしとする性質は、大成する秘訣であるのだ。
なにより、いつも感謝し笑みを絶やさぬ。
根っからの商売人。それが五代友厚という男なのだ。
「この刀は、遠慮なく頂きます。あつかましい話だが、横浜へ帰る際、この市村を連れて行ってはもらえぬだろうか。これは、商売人たる五代氏に、是非とも頼みたい」
土方の申しでである。
五代は、つぎは背の高いほうの小姓をみた。
その大きいほうの小姓は仏頂面で、ここから逃避するよう命じられ、あきらかに不承不承のていであるのがみてとれる。
「承知致しました。この五代、商売人の名にかけ、陸軍奉行並のお小姓さんを無事、横浜にお連れします。ただし、わたしの使用人として、ですが」
「ありがたい。道中、お気をつけて。お会いできてよかった」
市村のことを託せてよほど嬉しかったのか、立ち上がりながら土方のほうから五代に右の掌を差し出した。硬い握手を交わす。
「別れをする間、庭でもみてて下さい」
土方は、隊士の一人に案内を命じた。
五代は一礼し、陸軍奉行並の部屋から去っていった。
卓の上の「千子」。
少年がそれを掌にとり、袋から取りだす。
それをじっとみつめる少年。
「おまえにではないのか、坊?」
「いえ、これはあなたが継ぐべきです。おれには、その資格がありませぬ」
差しだされる一振りの剣。
土方はこのときはなにもいわず、そのまま腰に佩いた。
こいつとは近いうちに、しっかりと話しをしなければならぬと思いつつ。
五代と入れ替わりに、島田や相馬をはじめとした新撰組でも京から一緒の、いわば古参兵たちが土方の部屋に入ってきた。
かれらも五稜郭を進発し、弁天台場に向かう。
そこを、死守する為だ。
いまや市村も立派な古参兵の一人。
だれもがその別れを惜しんだ。
両局長付きの生意気な小姓の、あらたな門出を見送る為に。
すっかり背が高くなり、がっしりとした体躯に、ほんの少ししっかりとした精神を讃え、大人たちがそれぞれ声をかけている。
土方は、それを複雑な気持ちで眺めていた。
そのすぐうしろでは、残る最後の子どもがおなじようにひっそりと見守っている。
市村は、ひとしきり仲間から別れを惜しまれると、あらためて土方に向き直り挨拶した。それから、口唇をぐっと噛み締めた。
土方は、その市村の気持ちがよくわかっている。昨夜も、さんざんなだめすかし、眠る間もなく話し合った。
「なあ、坊」
市村は、土方のうしろに佇む少年の前に立った。
さりげなく、土方が少年の肩を掴んで前へ押しだしてやる。
全員がじっと見守るなか、市村は憮然とした態度を崩さぬまま、噛み締めていた口唇を開いた。
「すまなかった」
消え入りそうな声音だ。
それは、常ではけっして謝罪をよしとしない市村の、そうとうな決意が滲むものだ。
「おまえのこと、ずいぶんとひどいことをいった。それに、ぶっ叩いた。おまえが誰よりも近藤局長や土方局長と、新撰組のことを想ってるってこと、いまはおれもよくわかってる・・・」
「いいえ市村さん、おれはあなたの仰るとおりの存在です。おれは、そうでないとやっていけぬ弱い存在なのです。ですが、おれにはあなたの両局長や新撰組にたいする想いがわかっています。ですから、ぶっ叩かれるのも当然です。辰巳という妖は、人間をだまし、操り、色仕掛けで取り入り、そして、その血肉を喰らう・・・」
全員がぎょっとした。
なにゆえこいつは、いつも自身を卑下するのか?
「おれは、そうあることで生き延びてきました。それがおれの正体なのです」
にんまりと笑う。
わざと自身を貶めることで一線を画そうとしているのが、大人たちにはわかった。
そして、市村にも・・・。
市村は、そこにある左頬の大きな傷をみつめた。
この傷は、けっして弱い存在や妖だからついたものではない・・・。
「そんなこと、おれもみんなも思ってない」市村は両の拳を握り締め、叫ぶ。
窓の外、五稜郭の表門が遠くにみえており、一個中隊が整列しているのもみえる。
あいかわらずここは騒がしい。いつもずっと・・・。
これも、もうまもなく終わる。
「良三からきいたんだ。おまえの正体は、そんなんじゃない。おまえは・・・」
拳を握り締めたまま、大人びてうっすらと髭すら生えている相貌を、左右に振る。
彼には、なにをどう表現していいのかわからぬのだ。
「なあ、おまえの力は、おまえ自身をなんとかできぬのか?」
唐突に叫んだ市村のその言に、はっとしたのは土方だ。
島田たちも、いまではうすうすわかっているのであろう。
どの表情も、似たり寄ったりのものが浮かんでいる。
「生まれかわってこい。なっ?それくらいできるんだろう?おれ、剣をたくさん振ってうまくなる。そして、かわいい子を娶る。おれの子として生まれかわれ。大切に育てる。約束する。いっぱい話しをしよう。新撰組のこと、土方局長のこと、近藤局長のこと。剣術を教えてやる。素振りからきっちり。一緒に素振りしよう・・・たくさん木刀振って、一緒に強くなろう・・・」
誰かが嗚咽を漏らした。土方はそう思ったが、それは自身だったのかもしれぬ。
そのとき、自身の軍服の上着の裾が引っ張られた感触があった。視線だけをそちらへ向けると、少年がそれをぎゅっと握っている。
驚いた。
感情をあらわさぬよう訓練を受け、それが当然だと思っている暗殺者。
表現のすべてが演技で、本心という概念が失われているであろう獣・・・。
左半面しかみえぬ為、その表情はよめぬ。
だが、ひそかに握られた軍服の裾。
これが感情であることを、自身気がついているのであろうか?
「待ってる。だから・・・。だから、生まれかわってきてくれ。なっ?頼む。きいてるんだろう、なかにいるのは?」
市村は、すっかり分厚くなった両の掌を伸ばすと、少年の華奢な両の肩をつかむ。
土方の軍服の裾から、ちいさな掌が離れる。
「・・・。市村さん・・・」
少年はしばし、木の床に隻眼を向けていた。それを上げると、やはりいつもとかわらぬやわらかい笑みを浮かべた。
否、そうしようと必死の努力が伺えた。
「おれの、おれの力は・・・」
言葉を濁す。
島田が威勢よく鼻を啜り上げた。だれもが泣いている。
市村の一途な想いにたいして。
そして、それに応えられぬ少年にたいして。
「ええ、あなたはきっといい父上になってくれるでしょう。おれも、あなたのような漢の息子として、やり直せればいいのに・・・」
輪廻転生・・・。
いまの自身がなにかわからぬ。
あるいは・・・。
「そして、また主を、主の下で剣を・・・」少年は、そこで口を噤む。
いうべき言でないことに、気づいたのだ。
『おまえは人間ではない。妖がもつ感情ではない』
長い間、自身に強いてきた。
最期まで、演じなければならない。
「市村さん、刀を貸してもらえませんか?」小さな相貌に無理矢理笑顔を作り、少年は小さな掌を市村に差しだす。
いわれるまま、素直に従う市村。
少年は、市村の得物の鞘に指をはしらせる。
無銘の業物ではあるが、元の持ち主たちはそこそこの遣い手たちばかりだったことがうかがえる。
ただし、血は吸ったことはない。そういう機会に恵まれなかった。
それは、これからもないはずだ。
若くて未熟な持ち主のことを託す少年。
この無銘の業物に、自身の力を注ぐことで、この得物は神剣となる。
少年は刀との対話を終えると、それを市村に手渡しながら告げる。
「市村さん、正直、おれはあなたの仰るような力があるかどうかすら、わからぬのです。ですが、あなたの得物におれの念を込めました。これからのあなたの修行の力になれるはずです。ただし、けっして他者を傷つけるようなことはしないで下さい。この意味、あなたならわかりますよね?強さとは、力とはなにか?この刀を通し、ともに感じてください。おれもこの刀とともに、あなたを見護ります。ありがとうございます、市村さん。どうかいつまでも、いまのあなたのまま元気で、一途でいてください。そして、いつか近藤・土方両局長のことを、新撰組でのことを、あなたの子どもたちに、孫たちに伝えてください。海でいったとおり、あらゆる神々があなたを、あなたの子孫を守護します」
逆に、市村が元気付けられたようなものだ。
市村は、名残惜しそうに少年を抱きしめ、土方や島田らに抱きしめられ、旅立っていった。
神剣を腰に佩き、あらゆる神々の加護の下・・・。
市村のその後はよくわかっていない。
西南戦争で薩摩側に加わり、そこで果てたというのが通説になっている。
実は、土方の命を遂げた後、しばらく土方の姉の嫁ぎ先の佐藤家でやっかいになった。その後、五代を頼った。
その縁で、さる寒い夜、京の夜鳴き蕎麦屋で出会った薪売りと再会し、みっちりと剣術を指南された。
指南する側も、あのときの生意気な新撰組の餓鬼を、快くしごいてやった。
ひとえに、共通の知り合いたるちいさな剣豪を讃えてのことであることは、いうまでもない。
市村は、その後も剣術修行に明け暮れた。
素振りを中心にしたのは、いうまでもない。
蝦夷でのあの約束を、護りつづけた。
市村鉄之助は、そういう漢なのだ・・・。




