創られし融合神
明日、市村が五稜郭からでていく。
本心は、最後までともに戦いたいだろう。
それでも、ここで死なせたり、生き残って捕虜扱いされることを思えば、主の決定とその命に従うことが、最善の策に違いない。
今宵、かれは主の部屋で過ごしている。
少年は、五稜郭の敷地の森の蝦夷松の枝上で両脚を投げだし、その太い幹に背を預け腹部の傷をさすっていた。
すぐ上の枝では、朱雀とこの辺りの守護神たる梟の長老が、それぞれ翼を休めている。
空を仰ぐと、満月がぽっかり浮かんでいる。
腹の上の掌を、それへと伸ばす。
樹の下で、兄弟たちが尻を地につけ、やはり同じように頭上の月をみている。
狼は、夜の月が大好きだ。
それは、大陸の狼たちも同じだ。
気配を感じ、月から眼前へと視線を移すと、狼神が太い枝の上に音もなく現れた。
白き巨獣の二つの瞳が、じっと隻眼をみている。
狼神は、枝上にうずくまった。
「大丈夫です、狼神」
枝上、その大きな頭部を抱きしめたかったが叶わず、微笑んで告げた。
同時に、月を見上げた。
わたしの為に死んだ多くの人間・・・。
これらがすべて「大いなる神の意思によるもの」、に値するのかと思うとぞっとする。
直接、間接問わずして、奪い、絶った多くの生命・・・。
助けたかった生命もすくなくない。
だが、わたしの意思がそれらをも許さず、理不尽に終わらせた。
そのどれもが尊い。たとえどんな悪党であろうと、いかなる理由があろうと、「そういう運命」や「それまでの寿命」、などというくだらぬいい訳で、奪っていいものではない。
なにが「神の意思」だ。
僧侶や司祭たちの礼拝、人々の祈祷・・・。
やめてくれ。神は祈られるような、頼られ、縋られるような存在ではけっしてない。けっして・・・。
無意識のうちに、胸元で十字をきっていた。
辰巳の習慣だ。
イエス・キリストや仏陀も、こんな想いを抱いたのか?
身動ぎしたとき、軍服のズボンのベルトに差し込む二つのものが、蝦夷松の幹にあたった。
それらを腰から取り出し、胸に頂いた。
一つは、亡き先帝から賜った名笛「桜花」、そして、いま一つは亡き母の形見の懐刀。
そうだ、「桜花」は市村に託し、尾張に届けてもらおうか。尾張公から会津候へ。
会津候も、笛を嗜むはずだ。
少年は、菊の御紋の入った袋の紐をほどき、中から笛を取り出そうとした。
そのとき、袋の一端に違和感があり、そこを検めてみた。
布と布の間に、一枚の紙片が隠されていた。驚き、慌ててそれをひろげてみる。
この夜の月光は、夜目のきく少年の隻眼になんの苦労も障害も与えることはない。
それは、十寸四方の紙片で、そこにはびっしりと草書が、かなりの手によって記されている。
読みすすめていく。じつに小さな文字だ。小さな紙片に、ありったけの情報を、想いを記そうとした努力と工夫が、ひしひしと伝わってくる。
そして、このような仰々しい書体がだれの手によるものか、すでに少年にはわかっている。
紙片をもつ両の掌が小刻みに震え、それを止めることができない。
眩暈がした。
否、眼前は真っ白になり、なにも考えられなくなった。
狼神の唸り声で、少年ははっとした。
怯えの色に染まった隻眼が、白狼に向けられる。
「わたしは、わたしはいったい・・・。わたしはなんなのだ・・・?」
片方の掌で紙片を握り締め、空いているほうの掌で自身の口許を覆う。
吐き気がする。
なにも考えられない。考えたくない。
わたしという存在は、いったいなんだというのか・・・?
確かに、いくら影武者を務め、御霊を護ったとはいえ、たかが雇われ暗殺者に、あそこまでご厚情を賜るのは度が過ぎている。
本来なら、目通りすらけっしてできぬはずだ。
ましてや、近衛大将軍の位階を賜るなど・・・。
先帝の心中を読むような畏れ多いことを、するはずもない。
こんな馬鹿な話しが、あってたまるものか・・・。
到底信じられぬ内容だ。
祖神と高位霊の融合が、このわたしだと?
さらに、護り神についても記されている。
柳生厳蕃もまた武の神であり、わたしの護り神であると?
叔父が暗殺者だったのは、尾張公の為にではなく、わたしの為だったというのか?
わたしの所為で、叔父は人間を殺しつづけなければならないのか?
永遠に・・・。
まったくそうと悟らせなかった叔父・・・。
わたしが未熟だった。
父と思っていた柳生俊章は?
母もまた悟らせなかった・・・。
白き巨獣狼神の双眸は、じっと息子に注がれたままだ。
「父さん」
育ての親に、助けを求める。
白狼の姿をした神は、枝の上を這い進み、その大きな頭部を息子のそれにこすりつける。
父に縋りつく少年。
育ての親に縋りつきながら、少年の脳裏に、同じような光景がちらつく。
それは、白き狼よりはるかに大きく、猛々しき白色の大獣・・・。
兄神?
四神・・・。
すぐ上の兄たる白き虎・・・。
「どうしたらいいの、父さん?これ以上、わたしがいてはいけない。やはり、わたしがいてはいけないのです。叔父を、これ以上苦しめることはできない・・・」
もう限界だ。あらゆることが、あらゆる意味で・・・。
頭上の枝で長老が啼き、朱雀が心配げに翼をひろげる。
五稜郭の夜が更けてゆく。
ゆっくりと、静かに・・・。
そして、少年は決意した。




