二大人斬り、闇人斬り
「なに用ですかな?」
墓の前で瞑目し、手を合わせたまま柳生厳蕃は静かに問う。
実の姉の墓には、月命日に必ず訪れている。
家督と指南役の双方を息子に譲ってからは、月に二、三度訪れることもめずらしくない。
最近は、その回数がとみに増えている。
それは、三佐の家に更なる客人が増えてから、である。
いまさら他流派の若者に、指南することになるとは思いもしなかった。だが、意外とそれが愉しく打ち込めることがわかった。
その若者の噂はきいていた。
京では、病で臥せっている時期でもあり、会うことができなかった。
「三段突きの沖田」
噂は誠だった。
これほどの突きを放てるのは、柳生の中でもすくない。
そして、疋田の道場での約束どおり、若者は「大太刀」の技を継承していた。
ときのすくない継承で、その若者は確実に身につけていた。
ひとえに才と努力のなせる業なのだろう。
いま一人は宝蔵院流の槍術家。
もともと、柳生はその流派とは縁がある。その為、多くが剣を学ぶ過程の中でそれをともに学ぶ。
わたしも例外ではなく、太刀と遜色なく遣うことができる。
この若者もまた、胤舜直伝の秘技を受け継いでいた。
しかも、この長躯の若者は小太刀もよく遣う。
さしもの妹が苦戦するとは、正直、驚きだ。
あの子は新撰組の仲間たちに柳生の礎を確実に引き継いでくれたのだ。
「さすがなあ柳生殿。無礼をお許しゅいやんせ」
木々の間から二人連れが現れた。
厳蕃がわずかに背後に視線を向ける中、その二人は、かなりの間を開けたところで歩を止めた。
二人とも袴に着物姿で、頭には一文字笠、手甲脚絆という旅装である。
二人とも、自身と同じ臭気を放っている。しかもかなりの手練れだ。まったく隙も無駄もなく、気を隠すつもりもないらしい。
裏でも表でも、かなりの自信と矜持をもっていることが伺える。
二人とも、さほど背が高くなくごついわけでもないが、筋肉質の体躯であることは間違いない。
風に乗ってかすかに馬のいななきがきこえてくる。
江戸から馬を駆ってきたか・・・。
厳蕃は、その二人が何者であるかがわかっていた。
それはなにも国の言葉からではなく、同じ臭気をもつ同類としてだ。
「まこつに柳生ばさすがだけん。やりあってみたいもんだけん」
二人目は一人目よりさらに背が低い。そして、その声音は甲高く、まるで女子のそれのようだ。
「やかましか。だまっとうんだ」
一人目が苛々したように怒鳴ると、二人目は被っていた一文字笠を脱ぎ捨て腰の得物に手をかけて連れを挑発した。
その相貌は真っ白で美しい。外見も女子のようだ。
「そのようなこつをいっていいのだけんか?、わたしば誰からでもいいのだけんよ」けらけらと笑う。
その間にも、左掌はしっかりと柄を握って放さず、右の五本の指先はわずかに揺れている。
瞬時に得物を抜き放てるように。
伯耆流居合い。だが、この女子のような漢は、それを素として我流の技を遣うときく。
「頼みもすから、おいを怒らせんでくいやんせ」
さらに苛々として怒鳴る一人目。
生来短気なのだろう。江戸からの道中、かなりの精神的負担を強いられたはずだ。
薩摩の桐野利秋、否、中村半次郎。そして、肥後の河上彦斎。
四大人斬りのうちの二人。乱世を生き残った二人の暗殺者・・・。
尾張藩主の指南役を長年務めた兵法家は、二人の正体だけでなくその目的も見当がついていた。
今年も見事な桜が咲いてくれた。いまは山の木々の青々とした葉が目に眩しい。この日もすでに朝から暑く、さらに気温が上がりそうだ。間もなく、蝉の声がうるさいくらいになるだろう。
毎年訪れる四季の移ろい。墓は、毎年その流れをずっとみつづけている。
厳蕃は、眼前の暗殺者たちから背後にある墓へ、わずかに視線を走らせた。
(姉上・・・。あの子は、心安らかに死ぬことすら許されぬのですか?わたしたちは、なんのために存在するのです?)
「柳生殿、あん宴以来なあ。こいつのこっも含め、名乗いはいらんはずなあ。おはんも甥っ子と同じ力をお持ちござんで。おいの用件は、すでにおわかいかと考えもす」
「人斬り半次郎」と呼ばれ、幕末期には暗殺者としてもっとも活躍した漢は、言葉よりも行動を好むらしい。
その横で、いま一人の暗殺者がにこにこと気味の悪い笑みを浮かべ、無遠慮に柳生の兵法家をみている。
あきらかに人を人と思わず、殺戮に酔いしれることのできる性質の人斬りの態度。
兇刃を振るうことで、快楽と満足感を味わう異常者。
「ほらあれ、獲物だけん。殺ってもいいだけんか?」
細い山道を上がってきたのは、異常な気を察知した三佐と妹の信江、客人である二人の若者。
一人は槍を携えており、一人は腰に「菊一文字」を帯びている。
信江の掌には「千子」が、三佐もまた腰に現役時代からの無銘の剣を帯びている。
桐野はそちらに視線を向けた。
槍を携えた若者をみ、眉を顰める。
京で新撰組とやりあったことはなかった。どちらにとっての幸運かはわからないが・・・。
だが、例の宴でみかけた相貌。そして、暗殺者として、剣士としての本能がいま一人の若者が、かなりの剣の遣い手であることを告げている。
「新撰組の沖田?」
直感は、間違ってはいないはずだ。
たしか労咳だときいたし死んだともきいていた。
なるほど、これが例の力というわけか・・・。
「桐野殿、あの墓はあの子の母親のもの。ここはいわば聖域。どうか連れを止めてくだされ。用件については、理解はできても協力はできぬ」
「柳生殿、おはんの甥っ子のこっですよ?助けたくんですか?」
桐野は、墓に向かってさりげなく瞑目してから尋ねた。
想定している答えだ。同時に、連れの着物の襟首を分厚い掌でむんずと掴み、そのままぐいと自身のほうへと引き寄せた。
だが、びくともしない。
華奢な体躯のわりに、その膂力は相当なものだとわかる。
「あの子は、死なねばならぬのだ。もはや誰にも止められぬ。無論、あの子の力を利用することも叶わぬ」
「兄上・・・」
「厳蕃殿・・・」
いずれも、かなりの手練れの剣術、槍術家に挟まれるかたちとなっても、稀代の暗殺者たちはまったく意に介していないようだ。
すくなくとも、桐野は自身の身の危険を味わうよりも、目的を達せられぬ焦燥とどうすればそれを達せられるのか、という思考との板ばさみにあった。
河上が、若い剣士のほうにことさら興味を持ったようだ。
河上の意識がそちらに向いたのを確認すると、柳生の元当主は押し殺した声で薩摩の元暗殺者に尋ねた。
「薩摩は、なにを掴んでいるのだ?」
それで充分であった。
なぜなら、厳蕃もまた甥と同じ力を持っているのだから。
そして、そのことは、桐野も承知していた。
心中をよまれたことを。さらに、わずかな気の乱れから、桐野は自身が気に入らぬ大久保が密かに調べ上げたことが、誠
のことであったことも同時に知った。
「このことを知っているのは?」
厳蕃は、腰の「村正」を開放する準備を、すなわち、鯉口を切りながらゆっくり歩を進めた。
同時に気も開放していく。
柳生新陰流活人剣の極意。気を自在に操ることで相対する者の気も操るのだ。
「待ってくいやんせ。勘違いせじほしか。おいたちは、助けたいだけござんで」
さすがは四大人斬りの筆頭だけはある。
自身の相対する相手が、尋常ならざる力と精神の持ち主で、いまこの場で何の躊躇なく自身を斬るつもりでいるし、斬られてしまうことを、桐野は瞬時に悟った。
柳生厳蕃は、ある意味では辰巳よりはるかに危険だ。生まれながらの暗殺者である。
間違いない。甥っ子よりよほど暗殺者らしく、自身と同じ臭いを放っている。
桐野はじりじりと後退しつつ、腰の「兼定」をいつでも抜けるようにした。
だが、甥っ子の抜刀術と大差なければ、到底間に合わぬだろう。
ちらりと河上をみた。
新たに現れた若い剣士たちに気を取られていた河上も、尋常でない気の高まりを受けてか、油断なくこちらに向き直っている。
「もう遅い。もう遅いぞ、「人斬り半次郎」」
凄まじいまでの怒気である。
桐野は左掌は鞘に、右掌は柄にそれぞれかけてはいるが、そこから抜くこと、ましてや掌を放すことすらできないでいた。
いまや殺気をも超えた気は、桐野だけでなく河上やその向こうにいる信江たちをも呑みこんでしまっている。
「いったい、これは・・・?」
二人の客人沖田と原田は、その場で凍り付いていた。
発せられる気は、二人の内にあるなにかに直接呼応している。
そして、それが慟哭であることを二人は同時に知った。
永きに渡り暗殺を行ってきた剣士の、これからもしつづけることを運命付けられている尖兵の悲しみ・・・。
「どぎゃんいうこつだけん?話が違うでばないだけん」
身動ぎもままならぬなか、河上は口唇と舌だけは動かせるようだ。
その掌は得物にかかってはいるものの、桐野と同様にどうしようもできない。
「この場で死んでもらわねばならぬ。悪く思うな。そして、西郷殿、大久保殿、このことを知った両名も消さねばならぬ」
それは、死の宣告というよりかは発した者自身が己自身にいいきかせているような、ほとんど呟きに近いものであった。
陽は、暮れかけている。
厳蕃の気を受けた山中の動物たちが、ざわめいている。
柳生の兵法家は、眼前の桐野、ついでその向こう側で驚愕の表情を浮かべてこちらをみつめている二人の若者をみた。
(だれでもいい。わたしを、わたしをこの無間地獄から解放し、あの子とともに死なせてくれ・・・)
なにゆえ、わたしたちであらねばならなかったのか・・・。姉、わたし、あの子・・・。
わたしたちがなにをしたというのか?あの子になんの罪があるというのか?
厳蕃は、あの子の為に振るいつづけてきた刃を鞘から抜き放った。
藩主の為に振るったのは数度。たったの数度・・・。無数の数を、あの子の為に振るってきた。
そして、これからはあの子の欠片を持つ者たちの為に、「村正」を振るいつづけねばならない。
わたしたちは、なんの為に存在するのか?あの子は、存在すら許されぬのか?
眼前にいるのはただの獲物。いつものように斬るだけだ。いつものように・・・。
「村正」がゆっくりと振り上げられる。
それを、まるで蛇に睨まれた蛙のごとく、ただ呆然と見送る二人の人斬り・・・。
河上はともかく、桐野は、否、桐野とそれに命じた西郷は、真実を知った上でそれを利用することを選ばず、純粋に助けたい、死なせたくないと接触を試みている。
他の多くの連中とは違って・・・。
だが、知ったこと自体が、彼らの命運を断ち切る材料となる。
このことをしった何人たりとも、生かしておくわけにはいかぬ。
このことは、何人たりとも知ってはならぬのだ。
いままさに、「村正」が上段から振り下ろされようとした刹那、その直近に侵入した者が「村正」の遣い手を一喝した。
「お止めなさい、厳蕃。いまはいいのです・・・。いま、あなたがせずともいいのです・・・」
「信・・・江・・・?あ、姉・・・上・・・?」
やすやすと間合いを犯したばかりか、白く華奢な右掌が「村正」を振りかぶった剣豪の両掌を掴んでいる。
すくなくとも、女性とは掛け離れた膂力であった。
小柄な厳蕃が、眼前、ついで胸元に視線を落とすと、そこに実の妹の相貌と、左掌にしっかりと握られた「千子」があった。
自身の得物とは銘違いの、呪われし名刀・・・。
姉を前にし、呪われた得物を振りかぶったまま厳蕃は後ずさる。
否、よろめいたといったほうがいいだろう。
「なにを、なにを申されるか、姉上?あの子の秘事を護り抜くことこそが、わが使命。それを果たさぬは・・・」
その場にいる全員が、柳生の兄妹、否、姉弟の遣り取りをみつめ、きいている。
だが、桐野を除いて、その内容は理解できぬ。
「もうよいのです。あの子たち、いえ、あの子は、間もなく去ります。あなたの使命は、その時点であの子が遺したものを護ることにかわります。よいですね、厳蕃?あの子に殉ずることは、わたくしが許しませぬ・・・。真実を知ったあの子も、許すわけがありませぬ・・・」
その刀身は、夕陽で赤く染まっている。
それが、力なく下ろされた。
柳生の兵法家はがっくりと両膝を折った。
その両肩が小刻みに震えている。
「あの子だけが、あの子だけが、なにゆえ・・・」
村正が遣い手の掌から開放され、土の上に転がった。
その上半身を、妹の体躯を借りた姉がしっかりと抱きしめる。
三佐は、再び現れた大きい姫様とその弟を、涙まみれで見守っている。
「あなたにもわかっているはずです。あの子の出自について知る者は、いつか消える運命にあります。あなたは、あの子が護りきったものを引き継ぎなさい。あの子もわたしも、あなたと信江をいつでも見守っています・・・」
「姉上・・・」
「兄上?大丈夫ですか?」
姉は去った。
厳蕃は、妹の腕の中からばつ悪そうに逃れる。
「心配いらぬ・・・」
「村正」を拾い上げ、それを鞘に納めた。
桐野と視線が合う。
「あの子は知っているのか?」
「確信はあいもはん。じぁんどん、わが軍の密偵が、辰巳の持つ笛の袋が紋入いだと。調べたら、そん笛は直接下賜されたもののごとござんで。知ってしもた可能性はあうんそ」
「・・・」
厳蕃は、姉の墓、そして、妹をみた。
「わが軍の兵卒を庇って撃たれもした。死んでんおかしゅん傷ござんで。ときはあいもはんよ」
桐野のつづきの言に、兵法家の秀麗な相貌に皮肉な笑みが浮かんだ。
なるほど、この国と歴史の護り神に、後事を託したというわけか・・・。
器は壊れかけ、その意識が制御することは難しい。
あの子は自身の出自を、誠の父を知ったらどう思うだろう。あの子のままで消滅しなかったら、あの子は無念でならぬであろう・・・。
「やはり協力はできぬ。わたしには、それができぬのだ。薩摩の、否、西郷殿やお主の気持ちは、あの子もよくわかっている。無論、わたしも・・・。もう、あの子のときは終わった。つぎに繋げねばならぬ。誠にあの子を助けるのは、あの子をこのまま送ってやることのみ・・・」
厳蕃は、義理の弟疋田忠景の遺した刀を妹の掌から受け取り、それを薩摩の暗殺者に差し出した。
「この「千子」を、急ぎ届けてはもらえぬだろうか?あの子と、あの子の主である土方に・・・」
桐野は、手渡された得物をしばしみつめ、それから嘆息した。
最初から、この任務が成功するとは思ってはいなかった。それでも、自身より強くて聡く、優しいあの童を助けられるかもしれない、というわずかな光明を見出し、足掻きたかったのだ。
折よく、岩倉から長州を介して河上彦斎と柳生の一族を使って辰巳をどうにかしろ、と密命が下った。
それを、逆手に取ろうとしたまでだ。
だが、この接触で大久保の例の調べが、自身らの命運をも左右しうることが、はっきりとわかった。
すでに知ってしまった以上、この柳生の兵法家でなくとも、違う筋道により消されることになるかもしれない。
自身、西郷どん、大久保・・・。
確かにこれは、歴史的にも稀有なことだ。この戦局がひっくり返ってしまうことなど、それに比較すれば歴史のなかではささいなことに過ぎぬ。
かような禁忌を調べ上げてしまうとは・・・。大久保め、やはりあいつは薩摩にとって害虫以外の何者でもない。
「わかいもした。早馬を仕立て 、なんとか届けさせもす。まこっに残念ござんで。辰巳は、否、おはんの甥っ子は、立派な武士ござんで。おや、あん小さな柳生の兵法家のこっぉ生涯忘れんごっんそ。そいから、あん童を目標にし、精進しつづけうんそ。お騒がせしもした。柳生殿、おはんと会えてよかったと考えもす。柳生の兵法家たちは、こっごとくおいの目を、覚まさせてくれもした。感謝しもんで」
立場や状況が違いながら、暗殺という後ろ暗いことを、信じるものの為だけに繰り返してきた二人の武士。
「村正」、そして「千子」という、歴史上禁忌とされてきた刀を通じて、互いの思いを知り、伝えることができた。
二度と相見えることもない。それもまた互いにわかった・・・。
帰路は、河上の不平不満の嵐に辟易とするか、あるいは実力で追い払ってしまうか?
とにかく、桐野利秋は背に「千子」を背負い、墓標の前から静かに去っていった。
「四大人斬り」の二つの小さな背を見つめながら、沖田がぽつりと隣の原田に呟いた。
「そういえば、新撰組に河上彦斎に惨殺された佐久間象山の息子がいたよね?」
「そういやあ、三浦啓之助だったか?ありゃ、どうなったんだったか?」
仇討ちに感銘を受けた近藤が、入隊を許可したが、生来、臆病者の上に親譲りの傲慢さもあり、粗暴を働きまくった上にいつの間にか脱走した。
佐久間象山が幕臣の勝の妹の夫であり、三浦には叔父にあたるため、新撰組はそれを黙認したのである。
もっとも、ただのお荷物でしかなかったので、新撰組にとってはいい厄介払いになったが。
「ま、無理だわな、仇討ちなど・・・」
原田が締めくくった。
無論、三浦にはという前提であり、稀代の人斬りたちと斬り合ったとすれば、二人の元組長にとってはいい腕試しになっただろう。
もっとも、坊の実母の墓前で血腥い戦いなど、するつもりなど毛頭ないが・・・。
「兄上・・・」
「すまぬな、信江。わたしが・・・」
姉の墓の前で、その弟と妹が並び立った。
言にださずとも、妹は兄の、兄は妹の心中はよくわかっている。
「あの子は、あのときすでに死んだのだ。そう考えようとしても難しい・・・。おまえの夫も苦しむことになる。おまえがしっかりせねばな」
女は、ある意味では男よりも強い。それでも、あの子への想いは、その喪失感は、男も女もないのではないか・・・。
信江は、兄が誰よりも辛く、また、自身を責めていることがわかっていた。
あの子の護り神である兄が・・・。
空を真っ赤に染め上げていた陽は、ゆっくりと西の方角へと落ちていく。




