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武士大神(もののふおおかみ)   作者: ぽんた


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天皇(すめらぎ)

 古高俊太郎ふるたかしゅんたろうは、近江の出身で京の河原町で古道具屋を営んでいる。

 無論、それは表の顔にすぎない。その正体は、過激な攘夷志士だ。


 長州の宮部鼎蔵みやべていぞうらと朝廷の有栖川宮ありすがわのみやとの間をつなぐなど、長州の間者の大元締として、諸大名や公家の屋敷に出入りし情報を収集したり武器の調達にあたっている。


 古高は、ときどき長州や他藩の浪士、脱藩者を連れては陰間茶屋に通っていた。

 

 陰間茶屋「葵屋」は、古高のいきつけの茶屋である。かれは、そこの看板陰間である雅清にすっかり参っていた。


 辰巳と名のる間者がいることなどしる由もない古高は、寝物語に雅清に「ある陰謀」なるものの断片を語ってきかせた。


 それにより、新撰組の監察方である山崎と島田は、それぞれ乞食や屋台の蕎麦屋に身をやつし、古高の古道具屋を監視した。


 かみしもに烏帽子姿で会津藩主松平容保と新撰組の佐藤龍が宮中に参内した。


 その姿、立ち居振る舞いは控えめにいっても惚れ惚れとするものであった。まるで生まれながらの公卿のようだ。


「畏れながら、親子のようですな」とは、着付けの終わった藩主と少年をみ、思わずもらした会津藩家老の田中の言だ。


 禁裏の長い廊下を近習の者の案内あないであゆむ会津藩主は、歩を止めうしろをわずかに振り返った。

「この期に及び、諦めが悪いですぞ」

 その視線の先には、殺しをつねとする少年がやはり歩を止め佇んでいる。


御方おんかたが心よりお待ち申し上げていらっしゃいます。どうかいまのうちにご拝謁下さい」

「しかし、会津中将・・・」

 この話をもちかけられたとき、少年はかなりの勢いをもって尻込みした。それがいまになってもまだ、うじうじとしている。


 会津藩主は、とうとう業を煮やした。 


 すこしさきで、近習が忍耐つよくまっている。


 会津藩主は、少年に近寄るとその耳朶に囁いた。


「畏れおおいことながら、近年玉体がすぐれず、是非ともあなたに会いたいと切望されていらっしゃるのです」

 会津藩主が視線をあわせてきた。その双眸は澄んでいた。そして、その心中もまた・・・。


 この方は、誠に純粋で何事にも一途なのだと感じた。もう覚悟を決めなければならぬであろう。


 たとえそれが朝廷や将軍家、公卿や諸侯との陰惨な駆け引きに巻き込まれることになろうとも・・・。


「参りましょう、会津中将」

 会津藩主は、思わず少年を抱きしめそうになったがかろうじて抑えた。それほど安堵したのだ。


 長い廊下を、ふたたびあゆみはじめた。

 天皇のもとに向かって・・・。


 何畳あるのかも想像がつかない。この日の本にあって最高の地位にある帝の寝所は、ただ広いだけで華美でも豪奢でもない。静謐さがかえって重苦しいほどだ。


 おろされた御簾のまえで、会津藩主と少年は平伏していた。


 遠く離れた襖には、狩野かのう派の絵が一面に描かれている。その向こう側に武装した護衛がいるわけではなさそうだ。案内あないの近習が下がると、この広大な寝所には平伏する二人と、御簾の向こう側におわす御方だけとなった。


 なんて寂しいのだ・・・。


 会津藩主は、いつ参内してもおなじことを感じずにはおれぬ。この寝所とおなじように、帝もまたすべてにおいて寂しい思いをされていることをしっていた。


「会津中将?」

 御簾の向こう側から、か細い声が漂ってきた。そこには、覇気どころか生気すら感じられぬ。


「はっ!主上、会津中将、参内致しましてございます」 

 会津藩主と少年は、さらに叩頭する。


「ちこう・・・」

「ははっ!主上、お喜びなさいませ。主上のかねてからのお望みがかないましてございますぞ」

「・・・。ま、まことか?」

 ささやかな衣擦れの音とともに、上半身をおこす影が御簾に映った。これだけ広い寝所にあって、床の四方に御簾を垂らし、その側に燭台がたった二台しかない。


 蝋燭の細い炎は、まるで帝の生命いのちのきらめきのごとく細く立ちのぼっている。


 ここは不吉だ・・・。


 少年は、本能でそう悟る。


「はよう、はよう・・・」

 興奮は、激しい咳へとかわった。


 会津藩主と少年は、慌てて御簾のうちに入った。そして、会津藩主が「ご無礼仕ります」と非礼を詫びてから、帝の背を片掌で支え、もう一方の掌でその背を優しくさすった。


「すまぬ。もう大丈夫じゃ」

 帝は、礼を述べてから一息ついた。また咳き込まぬよう、気分を落ち着けるかのように。


 帝の尊顔を拝することは不敬にあたる。少年は、御簾のうちに入っても叩頭したままだ。


「相貌を、相貌をみせておくれ、わが命の恩人よ」

「おそれながら、わたくしは身分卑しき卑賤の輩にございます。主上のおよごしをするようなことは致しかねます」

「なにを申すか、命の恩人よ。どうか相貌を、昔のようにどうか・・・」

「主上、もったいなきお言葉にございます」

 少年はゆっくりと相貌をあげた。せめて視線だけはあわさぬよう、帝の寝間着の袷のあたりでそれをとどめた。

 だが、長年の修練で視界に入るものすべてをはっきりと焼き付けることができる。


 少年はめずらしく動揺した。

 そこにあるのは死、そのものだったからだ。五感が訴えていた。帝ご自身には死相が浮かび、毒の強烈な臭気をその玉体にまとわりつかせている。この寝所は、いや、禁裏そのものが、不穏な大気におおわれている。

 なにより帝ご自身が、すべてを無抵抗に受け入れようという諦念からか、無気力であらせられた。


 じつに十八年ぶりの再会だった。


 病に衰えた玉体は、手入れすらさせないのだろうか。玉顔は頬がこけ落ち、双眸に生気はなく髭と髪はいつあたったのかわからぬ状態だ。


「許せ、このような恰好で。辰巳、そちはかわらぬのう?」

 双眸を細め、帝は少年を眩しそうにみつめた。ゆるゆると両掌を伸ばし、少年の相貌に触れる。そのかいなも掌も細く、皮膚には皺がよっていた。


 辰巳という名は、少年が昔からつかっているふたつ名である。


「病とか?会津中将からきいておる・・・」

 帝は、両の掌に力をこめ、少年の相貌をあげさせた。

 否が応でも帝と視線があってしまう。少年の両の膝は、寝具の上にのっていた。


 視線があうと、帝は微笑まれた。それは、たいそうはかなく弱々しくはあったが、その笑顔は昔まだ践祚せんそされるまえのわずか十五歳だったときのものとなんらかわりない。


「つらくはないか、辰巳?」

 帝は、はらはらと涙をながされた。その様子を、会津藩主は沈痛な面持ちでみつめている。


「主上・・・」

 少年は居たたまれなかった。

「こうしてまた会えて誠によかった。あのとき、辰巳がわたしの命を幾度も助けてくれた。わたしの影武者となって・・・。そのお陰でわたしは無事に践祚できたし、こうして生きながらえることもできた。あのときには礼を申せなかった。それがずっと心残りだったのだ・・・」

 そこで軽い咳の発作に見舞われた。会津藩主がすかさず帝の背をさする。


「おそれながら主上、この辰巳、あのときほど幾度も命を狙われたことはござりませぬ」

 冗談混じりにいいながら、無理に笑顔をつくってみせた。

 このときほど、普通の人間ひとの子のように感情をもちあわせていないことが、腹立たしいことはなかったろう。


「おお、そうであろう?そうであろうとも・・・」

 帝もまた、痩せ細った相貌に弱々しい笑みを浮かべられた。幾度も幾度も少年の相貌を撫でられる。それはまるで、大切なものに触れるかのようだ。


「主上、御身体にさわりますゆえ、どうかお休みなされませ」

「会津中将は心配性じゃ。せっかく辰巳と会えたのだ。もうすこし話をさせてほしいものだ」

「主上、また参内致しましょう」

 会津候は優しく微笑んだ。

「辰巳、誠かの?」

 横臥しながら、帝はすがるような視線を少年へ向ける。

「お約束いたします」

 そう答えるしかないではないか?


「辰巳、まだ舞いや笛はつづけておるのか?辰巳の舞いも笛も、わたしのここにいまでもはっきり残っておるぞ」

 枯れ枝のような指が、心の臓の辺りを軽く撫でた。少年は、後ろに下がると再び叩頭し返答した。

「もったいなきお言葉でございます」


「辰巳、いまは幸せか?」

 御前を辞する直前、帝はそう問われた。


 それは、少年には答えようもない問いだった。


「会津中将、どうかご命令を」

 禁裏の長い廊下をふたたびあゆみはじめたとき、少年は会津藩主に囁いた。

 あゆみをとめると、会津藩主は少年を振り返った。その足許に少年が跪いていた。


 かえりは近習の案内あないはなく、長い廊下に二人しかおらぬ。

 

 会津藩主もまた、廊下に片膝ついた。


「辰巳、あらためて依頼致しましょう。御方を害する者どもを粛清して頂きたい。どうか御方に心休まる日を・・・。一日でも長く・・・。どうか頼みます・・・」

 最後のほうは言葉にならなかった。だが必要ない。少年は、会津藩主の心の声をはっきりと理解したからだ。


「承知」

 稀代の暗殺者は応じた。


 まずは御典医からだ。

 目には目を・・・。


 一服盛ってやることにしようか・・・。

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