『狼たちの伝説』
序 章
急に静かになりやがった。
いや、きっとおれの耳があらゆる音を遮断してやがるんだろう。
砲弾や銃弾が雨あられと降り注いでいやがる。それらの音は、両の耳朶をもふさぎたくなるはずだ。
だったら、こいつの声もいっそきこえなかったらよかったんだ。こいつのいうことなど、ききたくもない。なのに、こいつはおれにさっきからずっとおなじことをいいつづけてやがる・・・。
「土方さん、ごめんなさい」
ついさっき、馬から仰向けに落ちた。いや、こいつにわざと落とされた。
いま、地面の上に仰向けに倒れてる。そのおれの胸の上に、こいつが馬乗りになってやがる。
くそっ!いったいどうなってやがるんだ。間抜けもいいとこじゃねぇか。蝦夷の地、新政府軍の砲火のただなか、おれは北の大地に寝そべってこいつと大空とを見上げてる。
今日も晴天だ。何時だろう。
いまの落馬の衝撃で、懐中時計も壊れたかもしれねぇ。
こいつの鷹、否、いまやおれたちの鷹である「朱雀」が空を舞っている。
会津候からこいつが拝領した大鷹だ。
会津候や斎藤は、いまごろどうしてるだろう・・・?
「朱雀」のように自由に大空を舞えたら、あの世にいるかっちゃんや山南さんや源さんに会えるのか?
否、おれの行き着く先は地獄か・・・。
「土方さんっ!」
こいつがおれの胸を揺すっていた。
こいつのたったひとつしかない黒い瞳におれがはっきり映っている。
なんて間抜けな面だ、ええ?
胸元が生暖かい。こいつの血に違いない。こいつは、こんなに軽かったのか?まだまだガキだ、こいつは。小さくて幼い・・・。
こいつがおれを、おれたちを武士にし、そして新撰組の名を世に知らしめてくれた。
だが、やはりおれもそろそろ潮時か。てめぇだけ生き残ろうなんざ、虫のいい話じゃねぇか。
そんな面でおれをみるんじゃねぇ。またおれの心中をよみやがったな!
「忠助さんっ!」
こいつが叫ぶと、おれたちに付き従っていた隊士がふたり、銃弾から身を護るために這うように近寄ってきた。
こいつらもしってやがったんだ。最初からこうなることを。いや、仕組んでやがったんだ。ちくしょうめ・・・。
おれはなす術もなく、されるがままに助け起こされた。
周囲を見渡すと、隊士だけでなく、函館政府の兵隊の死体が転がってるのがみえた。ほとんどが銃弾か砲弾に殺られてる。四肢のどれか、頭、どっかが吹っ飛んでいて、まともな死体なんぞありゃしねぇ。
時代の流れだ?はっ!どうせ飛ばすなら真剣で腕やら首を斬り落とすほうがよほど人間らしいだろう?すくなくとも、命の駆け引きはできるってもんだ。
忠助が馬を挽いてきた。砲弾でぼろぼろになった一本木関門の関所の柵の向こう側に、新政府軍の鉄砲隊がみえ隠れしている。
眼前の敵だけじゃねぇ、やつらも狙撃してきてやがる。
まさしく四面楚歌。かっちゃんの好きな「三国志演義」にでてきそうな場面だ。
いや、ちくしょうめ。こりゃ「史記」だったか?
「忠助さん、早くっ!」
こいつはおれに背を向けたまま、急かした。
おれをかばって撃たれた背は、いまや真っ赤に染まっちまってる。
大人用の軍服を、器用な島田が、こいつが着られるように作り直したやつだ。
その島田や相馬たちは、弁天台場でふんばってるってのに・・・。
くそっ!島田、弁天台場には行けそうにねぇ。すまねぇ。
「局長、さぁ、早く」
忠助がおれを無理矢理馬に乗せた。
「局長を、いえ、わが主を頼みます」
こいつは背を向けたまま、忠助ともうひとりの隊士にいっていた。
なぜ、おれにはなにもいわねぇ?なぜおれをみねぇんだ?おれを無視しやがって。
くそっ!おめぇは悪い子だ、とどやしつけてやりてぇ。そうしてやりてぇのに声がでねぇ。
かっちゃん、どうにかしてくれ。おれは、あんただけでなく、こいつまで失うのか?
すがるように空を見上げたが、そこには「朱雀」がいるだけだ。雲ひとつない空、黒い点がゆっくりと旋回している。
「局長、身を低くしてください」
忠助が怒鳴りながら、短い腕を必死に伸ばしておれを馬の背に押し付けた。馬が歩きだす。意外にも、忠助の力は強かった。剣術や柔術も、逃げ回ってばかりでなんの役にも立たなかったこいつの力が、こんなに強いもんだったとは。
馬上で身動きのとれねぇおれの耳朶に、あいつの声が響いた。
「新撰組っ!土方二刀が一刀佐藤龍、局長土方歳三の仇を討たんっ!」
首をかろうじてまわすと、あいつの背中がみえた。もう何度みたことか。あの小さな背が、おれや新撰組を護ってくれた。
思いだしかけている。なにゆえいままで思いだせなかったんだ?
おれがガキの頃、あいつに会ったんじゃなかったか?そうだ、桜の満開のころだった。おれはあいつをこう呼んだんだった。
「龍」と・・・。
また音が耳朶に戻ってきやがった。悲鳴、断末魔・・・。
おれの懐刀が舞ってるんだ。死の舞を・・・。




