前兆
えーと。タイトル通りです。
― 前兆 ―
ねっとりと蒸し暑い夜の底で、息を切らせてその女は走る。
ここは住宅街の中に位置する、大きめの自然公園。
昼間であれば近所の親子連れや老人などが集う憩いの場だ。
しかし、公園の時計台の針が二時を指すこの深夜、人影は彼女の他見えなかった。
女は年の頃二十代後半といったところか。十代にはない成熟した女性の美しさをまとっていた。
女はスーツ姿であった。ややきつめに角度の付いた眼鏡、その奥の意思の強そうな釣り目がちな瞳。
キャリアウーマン然とした格好であったことだろう。わずかに数十分前までは。
頭の後ろでまとめ上げられていた髪は今や崩れ、走る度に彼女の頬に当たっていた。
黒のストッキングはところどころ破れ、白く柔らかな脚の表面が覗いている。
ジャケットの片方の肩は、強い力で引っ張られでもしたかのようにほつれ、今にも落ちそうである。
「はっ、んっ、はあ、は……っ!」
それでも女はそれに構わず走り続ける。
走り続けるしかないのだ。
追われる身としては。
――ビュルンッ!
真っ暗な茂みの中から勢いよく飛び出した何かが、女の足首に巻き付いた。
足を取られ、女がバランスを崩す。上体が地面に叩きつけられた。
「った……、は、いや……、いやああああああああああああああ?」
恐怖から、女の口から絶叫が溢れ、瞳が大きく見開かれる。
――ビュンッ!
――ビュルンッ!
――ギュルン!
茂みからさらに何かが飛び出した。
それは赤黒い色をした、蛇のようなもの。
蛇ではない。その長さは茂みの中から女の身体まで、ゆうに十メートルはある。そして今まさに女の両手、両脚を拘束したそれの先端に、蛇の頭はなかったのだから。あるのは男性器の先端のような形の、ツルリとした曲線だけ。
そして、それら肉の戒めは女の自由を奪ったまま、彼女の身体を空中へと釣り上げた。
「やだ……ちょっと……、なに……何なの……お願い……離して……」
あまりのことに女は涙を溢れさせながら、うめくように言葉を漏らした。
――ビュンッ
五本目の肉の蛇が地上から飛び出し、彼女の顔の前でピタリと制止した。否が応にもその不気味な姿を見せつけられる。
と、まるで涎でも垂らすかのように、その先端から粘性の高い液体が滴り出し、ポタリ、ポタリと地上へと落下していった。
「いっ――」
女が次なる悲鳴を上げようと喉を震わせた瞬間、粘液にまみれたその肉の蛇は、目にも止まらぬ動きで女のシャツの胸元に飛び込むと、乳房の隙間を通り、腹部を這い、スカートの中を通過し、再び空中に顔を覗かせた。
女の肌にヌルリとした粘液が付着し、その事実を数瞬後に嫌悪を伴って彼女の脳が認識する。
――ミチミチッ
――ビッ…ビッ…ビッ…
彼女の服の内側を通過した蛇は、身体全体で強引に女と衣服の間の隙間を広げていった。
その行為に悲鳴を上げるかのようにスーツの繊維が軋む。
――ブチブチブチッ
そして伸縮の限界を迎えた衣服は彼女の前半身をむき出しにして、二つに裂けた。
これから何をされるのか。それを予告されたかのような行為に、女の顔から血の気が引く。熱帯夜のよどんだ空気の中、寒くもないのに歯がカチカチと音を立てる。
汗と涙と涎と鼻水と。そして股間からも生温かい水を垂れ流しながら、それでも女は唯一の抵抗のように、声の限りに叫ぼうとする。
しかしそのわずかな抵抗すら、肉の蛇は許さなかった。
――ビュルンッ!
その身を女の温かい口内へと踊りこませ、そして――、