第95話 鑑定
一度部屋を後にしていたチェリオであったが、しばらくしてメリッサの部屋を訪れ、夕食の支度が出来ている旨を伝えてきた。
メリッサ本人の気持ちとしては、とても食欲などわきはしないのだが、目的の為にと潔くその招待を受け取り、素直にチェリオの手を取り二階の食事の間へと向かう。
勿論後ろからは緊張した面持ちでレイリアが付いてきている。
部屋での事もありメリッサには心を開いてくれたが、チェリオの前ではやはり緊張、というよりは恐怖に支配されている。
食事の最中はメリッサだけでなくチェリオの給仕役もこなさなければいけないようだ。
些細なミスでも首を刎ねられかねない中での仕事だ。
彼女からしたら針の筵といったところだろう。
尤もメリッサはいざとなれば彼女を庇い絶対に命を無駄にさせない、と心に決めているのだが。
案内された部屋はやはり広かった。
メリッサの与えられた部屋よりも更に高級そうなシャンデリアが明かりを落とし、壁には美しい風景画の描かれた絵画が何枚も掛けられている。
広間の真ん中には二十人ぐらいが掛けれそうな長テーブルが設置され、その上には彼のいうご馳走が湯気を立てていた。
壁際にはガイドの姿があり、その他にも数名コックコートを纏った人物が立っていた。
この料理を作ったシェフ達だろう。
彼らはレイリアと同じように、緊張と恐れをその顔に貼り付けている。
椅子はチェリオが引いてくれたのでその席に座り、彼は上座に当たる位置でレイリアに椅子を引かれ腰を掛けた。
位置としてはメリッサからみて、すぐ斜め左にチェリオが座っている形だ。
「メリッサもお腹が空いているだろう? 食べたいものはレイリアに取らせるからね」
メリッサは今までの態度を一変させ、微笑みながらありがとうといった。
だが、勿論これはメリッサがチェリオに心変わりしたからなどではない。
理由の一つとしてはレイリアの事がある。もしメリッサが不機嫌な態度をとっていたら、チェリオがその責任をレイリアに押し付ける可能性がある。
今のチェリオはそれぐらいの事は平気で行うだろう。
それを避けるため、部屋でもなんとか笑顔を作れるよう練習し、レイリアに見てもらっていたぐらいだ。
そして……どちらかといえばこちらの方が重要であるが、チェリオに疑われないよう見続ける為でもある。
全く心も許さずにただ視続けるのと、振りでも心を許してると思わせておいて視るのでは後者のほうが自然だろう。
メリッサがチェリオを視るのに拘るのは彼女に備わったジョブと関係がある。
メリッサはここに来るまでに既に基本職のドラッカーとその上位職にあたるチェッカーのジョブを身につけている。
どうして基本職と上位職を同時に身につけることが出来たかについては、最初メリッサも疑問に思ったが、カラーナから聞いていた話を思い出しそれで自己解決した。
メリッサはこれまでは隷属器の影響でジョブを持つことを禁止されていた。
だがカラーナの話で行くと例え禁止されていてもジョブを得る為に行った所為はジョブを得るための経験として蓄積されるという。
その為、トルネロの奴隷時代に得た知識に経験、それとエリンギに教わった事や、実際にやってみた薬の調合などがきっかけとなってジョブを手にすることが出来たのだろうと考えたのである。
そしてメリッサの考えは大体はあたっている。ただ、そこに補足するならば彼女の生い立ちにも関係があった。
メリッサはもとは貴族の令嬢だが商人の家系でもある。
その為数多の商品の知識は奴隷に堕ちる前からある程度蓄積されており、またトルネロに奴隷として尽くしている時も、その知識を活かす仕事を任されたりしていた。
それらの経験はチェッカーとして必要不可欠なものであり、それが結果的に制限を外した瞬間に上位職まで身につく事に繋がったのである。
尤も皆が皆同じことをすればジョブに目覚めるという単純なものではなく、ある程度は才能も関係しているわけだが――
とはいえ、ジョブを手にした事でメリッサは当然それに付随したスキルも身につけることが出来た。
その中でドラッカーとして得たスキルは薬草に対する知識の補完であり、これによってメリッサはこれまで以上に薬草に対する造詣が深くなった。
また、調合のスキルにより薬を作成するのに必要な数多の知識も身につけ、最速で最適な動きが出来るようにもなった。
ただ、これらのスキルに関してはこの場ではあまり役に立たない。
そもそも調合するための素材がここにはないから当然だが――
そう、メリッサにとって大事なのはドラッカーではなく、チェッカーのスキルなのである。
インサイトアイ――それがチェッカーのジョブを受け入れたメリッサに与えられたスキル。
このスキルは、自分の目でみた物や生物を鑑定することが出来る。
だからこそメリッサは今チェリオを視る事にこだわっている。
既にスキルの効果は部屋にある物やレイリアを鑑定することで実感している。
レイリアに関しては勝手に鑑定することに抵抗はあったが、只の侍女に見せかけたチェリオの手下である可能性は否定できなかった。
だが、その結果は特に何のジョブもスキルも持たない普通の女の子であった。
ちなみにインサイトアイはジョブとスキル以外では名前と性別や種族、そして年齢がわかり、それにつけて現在の状態(健康的なもの)までわかる。
そしてメイリアの状態は恐怖となっていた。
インサイトアイで知れる状態は一過性のものは含まれない。
つまり彼女は常に恐怖に支配された状態であり、その原因などは聞くまでもなかった。
これに関しては他のシェフに関しても同じである。彼らもまた一様にして恐怖に支配されていた。
またついでに言うなら、この広間のシャンデリアの価値は一〇〇〇万ゴルドである。
鑑定は、それが物であれば使用した効果や価値が判るようになっている。
つまり、メリッサはこのスキルを持ってチェリオを視ればその能力が判る――のだがそれは容易な事ではない。
インサイトアイは確かにみたものを鑑定できるスキルであるが、鑑定するものの価値や能力によって鑑定できるまでの時間が異なるからだ。
これはスキルの力を磨くことである程度早めることは可能なのだが、何せメリッサはまだスキルを覚えたばかりだ。
故にそれだけ鑑定に時間が掛かる。更に鑑定条件を満たすには鑑定が完了するまで相手を見続ける必要がある。
一度でも目をそらしたり、相手を見失えばまたやり直しだ。
ただメリッサはインサイトアイとは別に、それを補助するスキルも合わせて身につけていた。
これは、みたものがどれぐらいの時間で鑑定できるかを知ることが出来る。
そしてメリッサは伯爵を視る。その能力を知る為に、それが必ずヒットの役に立つと信じて。
スキルの発動方法はただ鑑定したいと思いながら相手を視るだけでいい。
するとメリッサの視界に鑑定までの残り時間が表示されるが。
――鑑定完了まで残り三〇分。
「どうしたのかな? 私の顔に何か付いているかい?」
にこりと微笑みながら訊いてくるチェリオにメリッサは慌てて首を振り。
「い、いえ。やはり大きくなったなと思い……」
出来るだけ無難な返事を返すように努めた。
勿論嘘でも何でも見惚れていたなど言う手もあるが、流石にそれは態度が変わりすぎであるし、怪しすぎだろうと考えやめておいた。
「……そうだね、メリッサとは二年ぶりぐらいかな。でもその間に私も随分成長したからね」
メリッサはなんとか作り笑いを浮かべつつも話を聞き、更になんとか見続けていても怪しまれない状況を作り出そうとするが。
「ところで料理はどうかな? 温かい内にと思ったんだけど、もしかして気に入らなかった?」
「そ、そんな事はありません! これなんかとても美味しそう」
メリッサがそう口にするとレイリアがやってきて皿に盛り付け彼女の前に丁重に置いた。
しかし当然その時にはチェリオから目を離すことになってしまう。
だがかといって気に入らないなどと言おうものなら、シェフの首が飛ぶだろう。勿論実際に首から上が無くなるという意味で。
それだけは勿論メリッサも避けたい。
だが――そうなると食事中に三〇分も見続けることなど不可能に近い。
いや、そもそもからして、この状況で三〇分見続けるというのがあまりにハードルが高いのだ。
思わず心が折れそうになるほどに。だがそれを実行しなければチェリオの力を知ることは出来ないのである。
とにかく、先ずはメリッサは夕食を食べることに意識を向ける事にした。
ただ量が多いため流石に全部は食べ切ることが出来ない。
なのである程度食べ終わったところでお腹が一杯になったことをチェリオに伝え、同時にとても美味しかった事、今後もこの料理を作ったシェフの食事を食べ続けたい旨も伝えた。
勿論これもシェフ達を思ってのことであるが。
そして食事を取り終えた後は用意された食後の紅茶に口を付け――そしてチェリオとの談笑に挑んだ。
内容は過去の思い出話から始めた。そもそもメリッサにはそれぐらいしか話すことが無かったわけだが――
「メリッサ、今でも私は君を守れなかった事を後悔している。あの時の私は本当に弱くて愚かな両親に歯向かう気持ちさえ持てなかった。でも! でも信じて欲しいメリッサ! 私は君が奴隷にまで堕ちたなんて、ましてやあいつらがその原因を作ったなんて後になるまで知らなかったんだ」
メリッサは、もう昔のことですから――と返しつつチェリオから視線を外さなかった。
だが残り時間はまだ二〇分以上ある。
「メリッサの事を教えてくれたのは、あの忌々しい女だった。愚かにもあんな女と結婚してしまったのが今でも腹ただしい。あの悪女は嬉しそうにメリッサがどういう状況にあるかを語り、それが私のため、自分こそが私に相応しいなどと宣った――悔しかった。その事を聞いても何も出来ない自分が」
当時の事を思い出すようにしながら、チェリオは奥歯を噛みしめる。
その時ばかりは笑みも消えた。
「でもねメリッサ――」
しかしそこで笑みを戻し更に話を紡げる。
メリッサは聞き役に徹し、とにかく残り時間を気にした。
――残り一五分。
「私はある日最高の力を手にした。そしたらねメリッサ、あれだけ逆らえなかった母が父がとても脆弱な生き物に見えてね。思わず殺しちゃったのさ! 私が剣で一振りすればあっさりと頭が跳んだ! それを三回繰り返すだけでもう終わりだった。本当にどうしてあんなゴミに逆らえなかったか今でも不思議に思うよ」
メリッサは、そうですか、としか言いようが無かったが、彼の口は止まらず、悍ましい演説は続いた。
「そしてこの力のおかげで、私はセントラルアーツの領主にも認められた。領地も手に入れた! 権力だってね。ふふっ、でも不思議なものでね。力を手にすると判るんだよ。自分の領地の人間がどれだけ愚かなゴミだったのかがね。税金が重くて苦しい? 不作が続いて生きていけない? あいつらは自分では何もせずそんな不満ばかりを口にする。何の力も持たないゴミのくせに! そんな奴らは、私とメリッサの為に築くべき世界には必要ないだろ? だからゴミはこれからもどんどん処分する。私とメリッサの未来の為にね!」
口にはしないが、あまりに悍しく聞くに堪えない話であった。
目的もなく、レイリアやシェフ達の姿もなければすぐにでも席を立ちたいぐらいだ。
だが、それでもメリッサはチェリオの話を聴き続ける。
そして地獄のような時間も間もなく終わる。
――残り一分。
鑑定は、一度済ました相手や物の情報は自分の知識として保管される。
つまりここで知ることが出来れば――
「だからねメリッサ私は君を――」
だがその時、シャンデリアの明かりが消えた。その場が一瞬闇に包まれ……鑑定するまでの時間がリセットされた。
「何事だ!」
チェリオが叫びあげると直後明かりが戻る。
「これは失礼致しました。間違って魔導器を誤作動させてしまいまして――申し訳ありませんチェリオ伯爵」
明かりを消したのはガイドであった。このシャンデリアは、壁に取り付けられた魔導器を使用して点けたり消したりが出来る。
「……ガイドか」
チェリオはそういい、以後気をつけるように、とだけガイドに告げた。
彼は即座に殺されるような事はないらしい。
やはりそれなりに重要視されているのかと思いつつ、メリッサはガイドを睨めつける。
「いやはやそれにしても、メリッサ様はチェリオ伯爵に対する愛情が相当に深いのですな。そんなに真剣な目で見つめ続けるとは……勿論チェリオ伯爵のお姿は女性であればいくらみても飽きないほどであるとは思いますが」
その言葉にメリッサの心臓は跳ねる思いであった。
自分の魂胆がばれたのかと心拍数が上がる。
とにかく表情に出してはいけない。メリッサは気持ちを落ち着かせるために紅茶のカップに手をかけ持ち上げるが――しかし予想以上に動揺してしまっていたのか指を滑らせカップが落ち、ドレスの膝から上の部分を汚してしまう。
「メリッサ様! 大丈夫ですか!」
慌てた様子でレイリアが駆け寄り、手に持ったハンカチで一生懸命汚れを拭き落とそうとする。
「ごめんなさいレイリア――」
「レイリア! 貴様なぜすぐにカップをその手で受け止めなかった!」
メリッサがそんなレイリアに謝って見せると、突如チェリオが激昂し立ち上がり腰の剣を抜いた。
ひっ! とレイリアの身が竦み、その姿を認めたチェリオが怒りの形相で、メリッサから離れろ! と叫び上げ近づいていくる。
それはメリッサからすればあまりに無茶な話であった。
レイリアは常に壁の近くで控えており、この広い部屋では壁からテーブルまで距離もある。
そこからメリッサがカップを落としたのをみて受け止めるなど土台無理な話だ。
「おやめなさい!」
メリッサはレイリアを庇うように立ち上がり、そして声を張り上げる。
「レイリアは私の為に良くやってくれております。私は彼女を気に入ってもいます。それなのに貴方は彼女をどうされると言うのですか! 私の為を思うというならその剣を収めなさい!」
メリッサの訴えは……チェリオの気持ちを鎮めさせた。
「……メリッサがそこまで言うなら許そう。レイリア、メリッサの優しさに救われたな。流石は私の愛する女といいたいが、二度目はあると思うなよレイリア!」
そういってチェリオは席に戻っていくが――この状況で鑑定を試み続けるのはさすがに無理がある。
レイリアも精神的にかなり疲弊しているだろう。
なのでメリッサは少し疲れたという旨を伝え、与えられた部屋へと一旦戻ることにするのだった――




