第93話 ジョブ
「これで完了ですチェリオ卿。メリッサ様の隷属器は新しいものに変えておきましたし、主もチェリオ・バルローグ伯爵として刻ませて頂きました」
「うん、ありがとう。あんな男に付けられていた隷属器なんてすぐに外してあげたかったからね。どうメリッサもすっきりしただろ?」
伯爵に尋ねられるもメリッサは返答しない。当然だが、メリッサの心境としては悍ましいとさえ思えるほどだ。
おまけにチェリオは、新しいものに交換しながらも、付ける場所は寸分たがわぬ同じ位置を求めた。
そうすることで、メリッサの気持ちさえも塗り替えられるとでも思ったのかもしれない。
彼の異常なまでの独占欲は、そういった所作一つとっても滲み出ていた。
「さて、それではこの隷属器に設ける制限はどうされますか? どのようなものでも直ちに付与してみせまずぞ」
「うん、それはいらない。制限はなしでいい。寧ろ一切何も設けないでくれ」
チェリオのその言葉に、ブールと、メリッサさえも目を見張った。
「いや、あのそれはどういう? 奴隷であれば何かしらの制限をつけるのが普通ですが……逃亡の防止にも繋がりますし――」
「ブールといったな。一応はメフィスト卿からの紹介ということだから、一度は許すが二度はない。何も、制限を、設けるな」
チェリオは表情に冷たい笑みを貼り付け、ブールに命令する。
その様子に、彼の丸い顔が青白く染まった。
「し、承知致しました! ではそのように!」
慌てて頭を何度も下げながら返事し、奴隷商人は予め付与されていた制限さえも全て外し、終わりました! と告げる。
「そう、だったらもう外して貰っていいかな? 部屋はもう聞いてるよね? あとはそこで適当にしてて」
「しょ、承知致しました! では!」
背筋を伸ばし返事した後、ブールは大急ぎで部屋を後にする。
それを認めつつ、嘆息した後、チェリオはメリッサを振り返る。
「ごめんねメリッサ。本当は私の妻になるメリッサにこんなものは付けたくないんだ。でも隷属の魔法を解くのは直ぐには無理らしくてね。そうなると隷属器の装着と主の登録は絶対だってメフィスト卿は言うんだよ。本当に融通がきかなくてまいるよ。でも安心してね、時が来ればそんなものは必ず外すから。だって君は私の大事な人なんだから……」
メリッサはその間、呆けた顔で彼をみていた。
その行為があまりに意外だったからだ。
メリッサからしてみれば、どんな言うことでも聞かざるを得ない、厳しい制限も覚悟していたのだが――
「チェリオ様、少し宜しいでしょうか?」
ふとそこへ、部屋の扉が開かれ、あのガイドという男が姿をみせる。
「なんだガイドか。今はメリッサと話をしていたんだがな。急ぎなのかい?」
「はい……少し耳に入れておきたいお話がありまして――」
そういってチェリオに向けられた目に、メリッサは只ならぬものを感じた。
「そう、判った。じゃあメリッサ私は一度」
「何故ですか? ここで話されていけば良いではないですか」
メリッサは凛とした顔を見せ、二人に向けて言い放つ。
その様子にガイドの表情が若干曇った。
「貴方は私を愛しているといった。なのに愛してる者の前で話せぬことなどお有りなのですか?」
メリッサは、まるで試すような口調でチェリオに告げる。
「……何をいっているんだ。そんな事があるはずないだろ? さぁガイド構わない。ここで話をきかせてくれ」
チェリオにそう促され、はっ、とガイドは頭を下げ説明する。
「……実はザックが何者かの手によって殺害されました。犯人が誰かは未だ掴めておりませんが、チェリオ様に仇なし、命を狙うものである可能性があります。その為直ぐにでも対策が必要と思いまして……メリッサ様、そういう事ですのでここでは少々――」
ガイドが一応は申し訳無さそうな面持ちで口にし、そしてチェリオも渋い顔を見せながらメリッサを振り返った。
「ごめんねメリッサ。そうなると、もしかしたら賊がこの屋敷まで入り込もうとしてくる可能性がある。だから色々作戦を講じないといけない、メリッサに危害が及ばない為にもね。だから一旦はここを離れるけどいいかな?」
「……承知致しました」
メリッサが応じると、
「出来るだけ直ぐ済ませるから、用事はその侍女に何でも言いつけて」
と言い残しチェリオは部屋を後にした。
馬鹿にして――そう囁くような声で思わず口にしていた。
メリッサが、ガイドの言葉の意味に気づかないわけもない。
そもそも彼女は、この街に来てからザックとガイドがいなかったことには当然気がついていた。
その理由を問いただしたい気持ちにもなったものだが、聞いたところで素直に教えてくれるとも思えず……メリッサが出来たことはとにかくヒットを信じることだけであった。
そして――今の会話。メリッサは心のなかで安堵する。
ザックの件は、ほぼ間違いなくヒットの行為であると確信したからだ。
そして今の話から、きっとヒットはこの屋敷に向かっている、ということまで察することが出来た。
それが単純に嬉しいという気持ちもあったのだが……同時に不安もあった。
チェリオの今の力はメリッサ自身が目にしている。
あの能力はあまりに驚異的だ。
だが――
「あ、あの、あの、な、何かすることは、ご、ございますでしょうか?」
メリッサとふたりきりになり、レイリアはオドオドした様子で尋ねてくる。
彼女の不安はメリッサにもよく判る。
置かれてる立場には近いものがあるからだ。
だからメリッサは、レイリアににこりと微笑み、囁くように、安心して、と告げた。
「貴方も……不安なのよね――」
勿論彼女はそれをすぐには認めない。
必死に首を振り、そんな事はありません! と否定する。
伯爵に逆らったら待っているのは死だ。ここではあまりに人の死が軽すぎる。
そして、だからこそ彼女は、震える心を必死に抑えこんで懸命にメリッサに尽くそうとしてくれている。
メリッサはレイリアの気持ちを汲み、一旦着替えの手伝いをお願いする。
レイリアは、は、はい! と応えクローゼットから数着新品の肌着とドレスを取り出してきた。
メリッサが彼女に着替えをお願いしたのは、チェリオはこの状況で、メリッサの着替えを済ましていないという程度の事でも、彼女の命を奪う可能性があると思ったからだ。
「……大丈夫、私が絶対死なせないから――」
メリッサの着替えを行ってくれるレイリアの顔が、自分の顔に近づいた時、そっとそう耳打ちした。
一瞬レイリアの目が見開かれ、メリッサに顔を向ける。
それにメリッサは聖母のような笑みで返す。
すると、可愛らしい顔をくしゃくしゃにさせて、レイリアが涙を浮かべた。
きっと緊張の糸が緩んだのだろう。
軽く抱きしめ、安心してねと告げ、その涙をテーブルの上に置かれていたハンカチで拭ってあげた。
メリッサの思いは本気のものだ。もうこれ以上誰も死なせたくない。
だからこそ、自分も強くならなければいけないとメリッサは心に決める。
武器もないこの状況……だがメリッサには、別の力が備わっていた――
それは隷属器の制限がなくなった直後の事だった。
脳裏に声のような、言葉のような、それが浮かび上がってきた。
それはメリッサにまずこう問いかけてきた。
――ドラッカーの資質を受け入れるか?
――ファイターの資質を受け入れるか?
選択肢は二つ。そしてきっとこれが降りて来ると言うことなんだろうなと理解した。
メリッサはヒットの助言を信じた。
選んだのは先ずはドラッカーだった。
だが、降りてきたのはそれだけではなかった。
ドラッカーを選んだ直後だ。
――チェッカーの資質を受け入れるか?
メリッサは当然それも直ぐに受け入れた。
そしてそれにより手に入れたスキルが、彼女の決意を固めさせたのだ。
「……さぁレイリア、落ち着いたら一緒に紅茶でも飲みましょうか」
着替えも終わり、メリッサはそういって再度レイリアに微笑みかけた。
レイリアもメリッサに笑みを返し、はい、ただいま、と紅茶の用意を始めた。
レイリアの恐怖に支配されていた気持ちが、少しでも解れたことに、メリッサはとりあえず安堵したのだった――
◇◆◇
アンジェが潜入するために考えた作戦は、至極単純なものであった。
街の入口前で番をする魔物と、巡回する魔物が重なる位置で騒ぎを起こしてもらい、その隙にアンジェが街に入り込むという物だ。
イーストアーツの街は外壁に囲まれてこそいるが、その高さは一〇メートルに満たない程度だ。
アンジェが精霊獣の力を借りれば、それぐらいの高さは問題ない。
潜入がばれないよう、敢えて陽が落ち始め薄暗くなった頃を選んだ。
街に入ってからは、当然アンジェの行動に全てが掛かっている。
ルートに関しては、レジスタンスのアジトでメンバーから訊いた情報を頼りに練っていた。
彼らも、ただ無駄に攻めこんで終わりってわけではなかったのである。
その情報を元に考えると、街中は殆ど人の姿がなく、家屋もボロボロ、だがその分、少なくとも街の人間に見つかる可能性は低く、家屋の影を辿りながら移動は出来そうだ。
アンジェにとって幸運なのは、精霊獣に風の属性であるウィンガルグを選んでいた事だろう。
ウィンガルグは、事潜入においては優れた力を発揮できる。
脚に纏わせることで加速したり、城壁を軽々と飛び越える跳躍力を手に入れたりというも勿論だが、風を操作し、指定した場所で空気の流れを操作し、無音状態をつくりだすことが出来る。
これは本来、魔法を使用する相手の周囲に展開し、詠唱が行えないようにするのが目的だが、自分を覆うように使用することで、足音を全くさせず動きまわることも可能になる。
尤も、移動に合わせてこの状態を保つなど、簡単にできる芸当ではない。ウィンガルグと厚い信頼関係を築きあげ、実力も備えたアンジェだからこそと言えるだろう。
街に入った後は、まともに行けば一箇所だけ引かれた道を使って領主の屋敷に向かうとこだが、勿論そんなことをしたら見つけてくれといってるようなものだ。
領主の館は、街を望める高台の上にあるが、だからこそ本来なら絶対使わない岸壁を登るという方法で行く。
この際、回りこむようにして屋敷の反対側を目指す。
街の反対側に当たるそこは、脚を踏み外そうなものなら眼下に広がる森に真っ逆さまだ。
当然だが危険度も高いが、そこからなら三階部分にベランダが設置されており、そこから潜入することが可能だ。
アンジェは頭のなかでそのルートを何度も反芻させながら、最初の関門である外壁と門番の魔物をみている。
「お前たち、何度もいっているが絶対無理はするな。特に最初は長い時間は必要ない。ある程度魔物の注意を逸したら、私には構わず迅速に撤退、アジトに戻れ、判ったな?」
「あ、あぁ判った、でも本当にそれでいいのか?」
アンジェの何度目かも判らない確認に、ゲイルは返事しつつゴクリと生唾を飲み込んだ。
アンジェの事を心配しつつも、その顔には緊張の色が伺えた。
「問題はない。それよりも自分たちの仕事を忘れないでくれ。ここで一人でも欠けることは後々命取りになり得る」
釘を刺すようにアンジェが言う。
今一緒に来ているレジスタンスの面子はゲイルを含めて三人だ。
騒ぎを起こすだけが目的なら、この人数で十分とアンジェが判断した。
ゲイルも含めて、三人とも脚が速いのも選んだ理由だ。
そしてアンジェを含めた四人は、じっとチャンスを伺い――そして。
「今だ! 頼んだぞ!」
アンジェの掛け声に合わせて、三人が飛び出した。
彼らの目の前には、門番とは別に巡回に回っていた魔物の姿もある。
その数は五体――まともに戦えば彼らなら命を失ってもおかしくない相手だが、逃げの一手なら十分逃げ切れる相手だ。
挑発の言葉をぶつける三人を、案の定五体の魔物が追い回す。
やはり基本魔物は頭が良くない。
そして、予定通りアンジェはウィンガルグの力を借りて城壁に飛び乗り、一緒に来た仲間をちらりとだけ確認する。
(よし! いいぞ!)
予定通り三人が逃亡したのを認め、アンジェは街の中に飛び降りた。
あれなら大丈夫だろうと安堵しつつ、家屋の影に一旦身を潜め――再度屋敷へのルートを頭のなかで巡らせた……
 




