第85話 いざ! その境界の先へ!
メリッサのすすり泣く声に雨音が重なる。その頭を撫でながら、俺はメリッサが落ち着くのを待った。
「ありがとうございますご主人様。私はもう大丈夫です――」
メリッサがそう口にして俺の胸から顔を離し、薄く微笑んだ。
そして少し下がり、でも、と思い出すようにいい顎に指を添える。
「チェリオは私ではなく既に別の方と結婚されている筈です……なのにどうして今更――」
「側室にでもと思っとるのやろか? だとしたらとんでもない男やな!」
確かに……カラーナのいうことは尤もだ。そこまでの事をしておきながら、メリッサを愛人にでもしようとしてるなら俺は絶対に許さない。
「……ですが正直驚きました。前はどこかオドオドしている雰囲気もあって、正直頼りなさそうなところもあったのですが、今のチェリオはあの時とはまるで別人のよう――」
「……別人のようか、ところでその、今の話は領主が変わってからの話なのだろうか?」
「いえ、領主様が変わられたのは私がトルネロに買われた後の事なので……」
そうなのか……しかし、俺はメリッサの知っているチェリオを当然知らないが、確かにあれは別人という言葉ですむ類のものではないだろう。
そう、あれはもはや狂気に近い……だがメリッサの話を聞く分には性格そのものが変わってるという事か……
それだけ聞くと操られているとか洗脳とかそういったものさえ考えられなくもないがな。
何せ魔法のある世界だ、それほど難しい事ではないのかもしれない。
だが、それでも俺は確証たる証拠があるわけでもないが、そうではないと感じている。
本当に勘でしかないが、あの男はまさに性格が豹変したのだろうとそう思えてしまうが――
「あ、あの、ところでカラーナは、え、えっと――」
そこでメリッサが言い淀む。今度は彼女が訊いていいものか迷ってる感じだが――
「うん? あ、もしかしてうちのこと? いやいやうちはそんな話すような事やあらへんで?」
「なんだ? 気になるな。今ならカラーナが実は令嬢だったと聞いても驚かないぞ?」
カラーナの軽いノリで場の雰囲気が少し和んだので、俺もその流れに乗るように尋ねる。
するとカラーナは右手を左右に振り否定を示し。
「うちはそんな上等なもんちゃうわ。それに両親ゆうても、物心付く前に捨てられたから顔も判らへんし~」
……軽い調子とは裏腹に中々重い過去だ。
「いやボス! そんな顔せんといてや。うち別にそれに引け目とか感じてへんし、それにそのおかげでナッシュに拾われたしな」
「ナッシュ?」
俺がその名を疑問符混じりに繰り返すと、にひっ、と笑ってみせて。
「まぁうちの育ての親や。生きるための術は全てナッシュに教わったわ。まぁいうても盗賊やったから、その手の技術がメインやったけどな。あぁでも文字の書き方とか生きてくのに必要な勉強も教えてくれたけどな」
ふむ、雰囲気的にはそのナッシュという男は盗賊とはいえカラーナの事をしっかりと、そしてまぁ色々と立派に育て上げたみたいだな。
「……ナッシュは盗賊やったけど、それでも絶対に貧しいもん弱いものから盗るような真似はせんくてな。うちにも盗るならいけすかねぇ貴族共から盗れって教えてくれたんや。その方が悔しがってる姿見てスカッとするし、儲かるしでいい事ばかりやいうてな」
楽しそうに話すカラーナに思わず俺の口元も緩む。
しかし、カラーナはカラーナで今の盗賊としての腕前にはしっかり理由があったんだな。
「まぁそのナッシュも今はおらへんけどな……」
ふとカラーナが淋しげに零す。それで俺は察した……きっとシャドウキャットというのは――
「ごめんなさいカラーナ……つらいことを、思い出させてしまいましたか?」
どうやらメリッサも俺と同じように思ったようだな。
若干申し訳無さそうに眉根を落とすが。
「え? つらい? なんでやん?」
て! え!?
「い、いやだって今はいないって……」
「ん? あぁ、ちゃうちゃう。なんか大事な仕事があるいうてうちを置いて旅に出たんよ。全くそれからさっぱり連絡ないねん。一体何処をほっつき歩いてるんやか……まぁでも、その頃にはうちの腕も中々やったし、キルビルがな、なんか本人曰くナッシュの弟子らしいんやけどしばらくあいつの下で世話になってたんやけどな……まぁ、ふたりが気になるのはどちらかというとこれからやと思うけど……」
そこまでいってカラーナの眉が引き締まり。
「うちがシャドウキャットに加入したのは領主様が変わってからや。そもそもシャドウキャットが結成されたのも領主様が変わってからやけどな。その頃から平民の締め付けが厳しくなって、逆に貴族がより偉そうな態度を取るようになってきたんや。それが許せなく思うてた頃キルビルからシャドウキャットの事を聞いてな、でも――」
カラーナはそこで顔を背け、己の肩を抱き話を続けた。
「それから暫くしてあのジュウザが加入したんや。あいつ、人の心に入り込むのが上手いみたいやったねん。だから入って間もなくみんなに好かれるようになったんや。それはうちも同じで……いや、ボスにははっきりいうわ。うちはあの時のジュウザに好意を寄せてた、それは間違いないんや――」
どこか申し訳無さそうに語るカラーナに、
「大丈夫だよ、俺はカラーナの過去で気持ちが変わったりしないから。勿論メリッサにもいえるけどな」
と伝える。
「ありがとなボス……そやな、それでうちもすっかりジュウザを信用するようになってその矢先や、あいつが銀行の話を持ちかけてきたんは。ジュウザは銀行に入り込む鍵の事を調べてきた言うてな。更に警護の手薄な時間も調べた言うて、あのうちらが捕まった日を決めたんや――」
そこまで話した後カラーナは親指の爪を噛んだ。その時のことが相当悔しかったのだろうな……
「その後のことはボスもなんとなく判ると思うんけど、あの日鍵開け担当はうちやった。けどな、ジュウザの教えてくれた鍵と全く構造が違ってたねん。より複雑になっとうて、更にそれに戸惑ってる内にや、銀行が雇ったもんにまで囲まれてな、警備が手薄なんてデタラメやった……それどころかあいつ、銀行の連中とならんでほくそ笑んで仲間が捕まったいうのに高みの見物決め込んでたんや……それでうちも理解したんや。騙されてたんやって――」
膝を抱え悔しい表情を見せるカラーナ。そこから今度は自虐的な笑みを浮かべ。
「でもな、うちがなさけないんわそれからや。ヒットやメリッサと初めて会ったあの日あるやろ? あんあとうちのまえに、そのジュウザが現れてんねん」
「え?」
とメリッサが驚いたように目を丸くさせる。
俺も正直びっくりだが――
「でな、当然うちも許せなくてその場で殺してやろうとも思ったぐらいやったのに……突然地べたに頭を擦り付けて許してくれって……銀行に脅されて仕方なく本当はそんな気はない、実は仲間の捕らえられた場所を知っている。そこまで案内するから付いてきてくれ言われてな……うちアホやからそのまま付いて行って……追跡者いうのに引き渡されたねん。何とか逃げようと思ったんやけど捕まって……後はふたりも知ってのとおりやねん。本当参ったわ、仲間がうち以外全員そないな事なってたなんて本当わら――」
俺は今度はカラーナを抱きしめ、
「馬鹿! 強がるな!」
と今度ばかりは頭を優しく撫でる――
カラーナは静かに鼻を鳴らし、俺の胸に顔を埋めた。
「俺の前でまで無理して強がる必要ないんだからな?」
カラーナにそう告げると、うん、うん、と頭を揺らす。
それから暫くメリッサと同じようにカラーナを抱きしめ続けるが――
頭のなかではジュウザの件に妙な違和感を覚えていた。
カラーナが二回も騙される? 好きだったから? だが、シャドウの飲み物でさえ毒を疑う程用心深い筈のカラーナが……そもそもそのシャドウキャットのメンバーだって――
とにかく……できれば避けたいところだが、今度会うことがあるなら色々と気をつける必要があるかもしれない――
そんな事を考えていると、落ち着いたのか、カラーナが少し顔を離し上目遣いに俺を見やる。
その瞳に少しドキッとしたが――
「……ボス、そろそろうちらのこと抱いてくれてもえぇんやで?」
「は!? な! ば、このタイミングで何馬鹿いって!」
「なぁメリッサもそう思うやろ?」
「え! あ、いや、え、は、は――」
「だ! だから誂うなって馬鹿!」
俺は声を張り上げ、今度はカラーナの髪をくしゃくしゃに掻き乱す。
「ちょ! 何すんのやボス! 折角いい雰囲気やったのに!」
「何がだよ! たくっ……でもふたりの話を聞けて良かったよ」
俺はふたりに微笑みながらそう伝える。切なかったり悲しかったり……許せない事もあったけど俺なんかに正直に話してくれて嬉しかった。
「てかボスは何かないん?」
「あ、私もご主人様の事は気になります――」
はぁ? 俺? といってもな……
「俺はふたりに比べたら話すようなことはないよ。無計画に旅して回ってたような男さ。それよりそろそろ寝たほうがいいな。明日も結構移動するし」
「あ! ボスはぐらかしたやろ!」
「ご主人様ずるいです……」
「いや、だから本当に違うって! 大して話すような事もないし!」
俺はそう言ってそのままゴロンと横になる。ふたりは不満そうではあったが、いつも通り俺の両隣に寄り添ってきて、そして雨音を子守唄に三人で眠りについた。
◇◆◇
朝になると無事雨も上がっており次の日の道程は比較的順調に進んだ。途中森を抜けるときは徒歩で移動する必要もあり、ノースアーツに立ち入りこの世界では初めての魔物にも襲われたりもしたが、それらは全て撃退し、一応は素材も集めつつ、先を急いだ。
アーツ領を抜ける境界線を越える為、岩山を登り山道を進む、このあたりには特にオークの姿が目立った。
発情期に入ってるらしく、やたら興奮してるのが印象的だったな。
だが、それでも正直敵ではなかったけどな。
そして――いよいよ辿り着いた。
自然の岸壁と砦に挟まれた境界線。
意外と早くこれたな。まだ陽が落ちるまで余裕もありそうだ。
それにしても見事に誰も立っていないな――
砦も損傷が激しく、ここも魔物の襲撃とやらにあったのかもしれない。
てかここからは正直人の気配が全く感じられず、寧ろなんで領地から誰も逃げ出さないんだって感じなんだけど――
まぁ途中の魔物の事もあるにはあるが、不満を持ってる冒険者も多いだろうに――
「ボスやっぱ無理や。これ以上はいかれへんって」
「ご主人様、私もこれ以上は進めると思いません……」
と思ってたら、まぁこんな感じで、ここにきてふたりは急に怖気づいたようなそんな印象。
俺は一旦嘆息をつき、ふたりの様子をみやるが……無理強いしてもあまりいいことはないか。
なので少し離れてもらって、とりあえず俺がやるのを見ていてくれと頼む。
すんなり俺がこの領地を抜ければ、気が変わるかもしれないしな。
まぁそんなわけで、俺は堂々と歩いてこのアーツ領から抜けようと試みる。
残り八歩、五歩、三歩、一歩! どうだ!
「……ご、ご主人様……」
「な? 無理やろ?」
……なんてこった。俺は確かに境界を越えたが、その瞬間例の現象が再び。
そう、越えたはずが何故か俺は逆を向き二人の姿を視界に収めている。
……なんてこった。
まさかこんなところにまで? てことはこの効果は領地全体に及んでるって事なのか?
畜生! いや、だが待て! 諦めるのは早い!
今度はステップキャンセルで突っ込む! だがそれも前回と結果は同じ、当然か……
ならばと、今度は境界を越えるギリギリで自分にムーブキャンセル! 結果は――当然だか一歩前の状態に戻るだけ。
つまり境界を越える前だ意味が無い。
くそ! だったら魔法をキャンセルするように、そのよくわからない境界にキャンセル! て無理だ! そもそも視認できないものはキャンセル出来ないし、そこにあり続けるものをキャンセルするのも不可能だ!
だったらもう一度境界に突っ込んで、その瞬間に境界のよくわからない効果にキャンセル!
だ・か・ら、これも無理だーーーー! そもそも何にキャンセルしていいか俺が判ってない!
「はぁ、はぁ……」
「ボスもう無理やん。諦めた方がえぇと思うで」
「わ、私もそう思います……ご主人様やはり領地を抜けるのは無理なのかと……」
あれから小一時間ほど自分の考えられるキャンセルを試してみた。
例えばスパイラルへヴィクロスボウを射ち込んで、戻ってきた自分の矢に冷や汗をかいたりとかそんな感じでな……だけど全て失敗。
おかげで俺は無駄に疲れただけって感じだ……いろんなキャンセルを休みなく使用しまくったからな――ここに来るまでの披露もあってやはり結構キツイ……
それにしても――
「ふたりはこの仕掛があるのを知っていたのか?」
「こんなとこにもそれがあるのは流石に知らんかったけどな」
「私もまさか、そんな仕掛けが施されているとは存じませんでしたが……」
ふむ、まぁふたりがウソをつくわけもないしな。つくいみもないが。
そうなるとふたりは、この仕掛自体は知らなかったが、漠然と領地を抜けるのは無理と思っていたって事か。
それはそれで不可解だが、しかしやっぱこれを何とかしないとどうしようも……いや、でもちょっとまてよ。
そもそも、あの領主の館前の仕掛けがそのままここまで及んでると考えるのは無理があるか……第一この世界には魔導器なるアイテムがある。
正直ゲームの知識ではこんな仕掛けのものはなかったが、もう既にゲームの知識じゃ計り知れないところまできてるしな……
何かの仕掛けが施されている――そう考えるのが自然か? だが何処に……て、一つしか無いよなやっぱ。
「ふたりとも、ちょっとこの砦を調べてみるとしよう――」




