第76話 ボンゴルの悪あがき
「おい、おい起きろって」
ひとしきり互いの健闘を労いあった後、俺はとりあえず寝かせておいた執事長を起こすことにする。
するとぱちりと目を覚まし、そして執事長は一旦俺を認めた後、きょろきょろとあたりを見回し――そして立ち上がって顎がはずれるぐらいに口を開き、呆然と立ち尽くした。
声も出ないって感じか。まぁわからんでもないけどな。
「とりあえずさ。この敷地内の建物とか商品とかさっぱり使えないから――キャンセル!」
俺はそう告げ、執事長の持っていた一億ゴルド分の金貨を全て返却してもらった。
それからの執事長はまるで魂が抜け落ちたみたいに暫く状況を眺め続けた後――その場にバタン! と崩れ落ちた。
完全に気を失ったようだ。まぁ、もうこいつの今後なんてどうでもいいから、そのまま放置しておくことにするかねっと――
「な! い、一旦何なのだこれはぁああぁあああぁあ!」
と、そこへ轟き渡るは、俺もよく知るあの男の声。つまりここボンゴル商会の長がようやくここまで辿り着いたというわけか。
そしてボンゴルは、苦々しい顔で盗賊やドワン達には目もくれず前に進み、そして元々屋敷があったはずの場所を眺めながら呆然と立ち尽くす。
ざま~ないぜ、という声がドワンの近くから聞こえてきたが、それに反応するようにボンゴルが怒りの形相を浮かべ振り返り、全員の姿をぐるりと見回した後、大口を広げ怒鳴り散らした。
「貴様らかーーーー! 私の屋敷を! 工房を! 倉庫を! 滅茶苦茶にしやがったのはーーーー!」
オークに勝るとも劣らない脂肪にまみれた顔をくしゃくしゃにさせながら、顔を真っ赤にさせ地団駄を踏む。
その姿にざまぁねぇな、と返し盗賊達も含めて一斉に笑いあげた。
「何がおかしい! 貴様らこんな事してタダですむと思うなよ!」
「ふむ。しかし貴様はさっきから何を一人で怒っているんだ?」
とりあえずこの作戦を考えたのは俺だしな。
奴の正面に立ち、理解が出来ないといった顔で問いかけた。
「何を、だと? 貴様こそ何を言っている! こんな事をしておいて!」
「しかしこれらは、この俺がお前の代理人である執事長より購入したものだ。まぁ気に入らないから取引は無かったことにしたがな」
「な!? 貴様何を馬鹿な事を! そんな話が通じる筈がないだろ!」
「筈がない? じゃあお前はこの取引は無効だと?」
「あったりまえだーーーー! こんなものは……こ、こんなものは――」
「どうなんだ? 俺は買ったものが気に入らなかったから返品しただけだぞ? 何か問題があるのか?」
「だ、だから! これは! こんなものは――がぁああぁあぁあ何故だぁあぁ! 全く問題がなぁああぁああぁい!」
そう、その通り。俺の、購入したものをキャンセルするスキルには目に見えない強制力が働く。
どんな形であれ、あの執事は俺の言い分に納得し、そして金を受け取り売ると約束した。
その時点で誰が何をしたか等は関係なく、出来事として売買契約が成立し、それを俺はキャンセルしている。
その為、この一連の出来事は例えボンゴル本人の知らない内に起きた事であったとしても、もう拒否はできないし否定もできない。
俺がこの敷地内の建物と倉庫の品を全て一億ゴルドで一旦購入し、それをキャンセルして一億ゴルドを返して貰ったという事実は誰にも覆せない! たとえ全てが破壊されたあとであったとしてもだ。
「……許さんぞ」
ん?
「貴様も! 貴様も! お前たちも! ここにいる全員! 絶対に許さん! この俺をコケにしやがって! 何をしたのかは知らんが! お前らにきっちり落とし前は付けさせてやる!」
「どうやってだ?」
「……どうやって、だと?」
「そうさ。貴様は、たった今全てを失った。屋敷も店も商品もそれを作る工房だってな。お前の手元には今や何も残ってはいない! この状況で一体何が出来るというのか? 寧ろ貴様はこれまで散々勝手な理由で苦しめてきた者達に、逆に追い詰められる番だろ! 全てを失った貴様など何の価値もない。もうお前に協力しようなんて思う連中だっていなくなる事だろう。銀行だってこの有り様をみれば、お前のことなんて見限るさ!」
「ぐ、ぐううぅうううぉおおおおおおおおお!」
ボンゴルは顔中に血管を張り巡らせ、今にも憤死しそうなほどの勢いで咆哮する。
頭を抱え、歯ぎしりをし、くそ! くそ! と連呼する。
ここまでくると逆に何かよからぬことでも考えてくるのでは? とも思えなくも無いな。
ただ、たとえばドワンの借金を持ち出すような真似はもう出来ないはずだ。
既に対策済みだしな。何せ屋敷の中で盗賊たちが借用書を見つけている。厳重に鍵の掛かった机の引き出しに入ってたようだが、盗賊たちの腕にかかれば何の意味もなさなかったようだ。
そして勿論それは燃やしてもらっているし、更に商会の印鑑も破壊している。
これでもう、こいつがドワンの借金の事を持ち出すのは不可能といっていい。
銀行の証明書の件もあるにはあるが、それに添付する借用書が作れなきゃ意味が無いし、そもそも今のこいつに銀行が手を貸すとも思えない。
寧ろこいつは掌返しを心配するレベルだろうな。
恐らくこいつだって、それぐらいは自分で判っているだろう。
「ボンゴル、もう諦めるんだな。見ての通りお前のボンゴル商会はもう終わりだ。立て直そうとしても誰も協力するものなどいないだろう。お前は確かに商店をここまで大きくさせたが、同時に敵を作りすぎたんだよ」
ドワンが一歩前に出て諭すように言う。
誰もが納得できる言葉だ。こいつに心の底から味方しようなんて奴がいる筈もない。
「全く天下のボンゴル商会もこうなったら惨めなものだな」
両手を広げ嘲るようにキルビルがいった。周りの盗賊たちも全くだ、と一斉に笑い声を上げる。
「調子にのっとるからこうなるんや。自業自得やな」
「ま、真面目にやっていればよかったのです。なのにあんな強引なやり方をするから……因果応報です!」
カラーナとメリッサも、辛辣な言葉をたった一人残ったボンゴル商会の長に浴びせかける。
奴の肩がぷるぷると震えた。
「まぁそういう事だな。貴様もこれまでの報いと思って――」
「がはっ!」
ん?
「がはっ! があはははっはっははははっは!」
「な、なんだこいつおかしくなったか?」
突如腹を抱えて大笑いを見せるボンゴルに、全員が眼を丸くさせる。
何だ? 何がそんなにおかしいというんだ?
「がはは、馬鹿が! 調子に乗りやがって! 確かにどういうわけかこの事実は受け入れなきゃいけないみたいだがな! かといってこの件が俺を貶める為のものだってことぐらい理解できる! 貴様らは! それだけで万死に値する!」
「……そうか。だが、それがどうした? 今もいったが貴様にはもう――」
「それが甘いと言うんだマヌケが! 私が自分の店がどんどん潰されていく中で、何も気づかず手を拱いていたとでも思っていたのか?」
……何だと?
「おい、それはどういう――」
「あ、貴方~~~~~~!」
俺がボンゴルを問い詰めようとしたその時、後ろから聞き覚えのある声が近づいてきた。
確かこれは――
「エリンギ! お前! どうしてここに!」
そう。ドワンの妻であるエリンギの声だ! 俺は首を巡らせ彼女を振り返るが――
「た、大変なの~~あ!?」
「あ!?」
……その場の全員の声が揃った。てか見事にベチャってコケたな。
で、イタタ、と起き上がって眼鏡を直してっと。
「あ、貴方~~~~!」
「わ、判ったから少し落ち着けエリンギ!」
そして両腕をパタパタさせるような走り方で、エリンギはドワンの下へ駆け寄り、また躓いて前のめりに倒れたところをドワンに抱きかかえられた。
「ドジっ子エルフとか……」
「可愛すぎだろ……」
「てかあのドワーフが旦那なのか?」
「信じられん――」
周囲からドワンに向けて嫉妬や妬みの篭った視線が注がれる。
だが、今はそれどころじゃないだろ!
「で? 一体どうしたんだそんなに慌てて?」
「そ、それが! ごめんなさい貴方、少しの間眼を離した隙に、エリンがエリンがいなくなってしまって……」
「な、なんだと! エリンが!」
「が~~~~はっはっはっはっははぁああぁあ! どうやらあいつらは上手く動いてくれたようだな!」
エリンギの話を耳にしたボンゴルが、顔を歪め高笑いを決め、そして声を張り上げる。
「ば、馬鹿な貴様が何かしたのか!」
「当然だ馬鹿が! 貴様は家族の事は知られないようにしていたみたいだがな! そんなもんとっくに調べがついているのさ! そして今の私でも貴様の娘をどうにかするぐらいの連中は抱え込んでる! それにしても生意気な男だ! 薄汚いドワーフの分際で、そんな眼鏡の似合う可愛らしいエルフ娘が妻とはな! ますます許せんくなったわ!」
「くっ! 貴様なんて卑怯な!」
俺は思わず吠えるように言う。
「がはっ! なんとでも言え馬鹿が! さぁ貴様ら! そこのドワンの娘を助けたければこの私に平伏し非礼を詫びろ! そして一生俺に従うことを誓え! まぁ資金を得るために売れそうなのは奴隷として売り飛ばすがな!」
唐突にとんでもない事を言い出したな……人質をとって強気になってやがる。
「だがドワン安心しろ。貴様の妻はこの俺が引き取ってたっぷり可愛がってやる。くくっ、まぁ私が飽きたらどうなるか判らんからな、娘の為に奥さんもたっぷり俺にご奉仕するんだな! がは! がははっっっっっはっは!」




