第70話 ボンゴル商会
「う、う~ん……」
俺の朝はアンジェの艶っぽい呻き声と同時に訪れた。
……て、ちょっと待て。どうなってる?
今俺の直ぐ目の前にはアンジェの顔がある。つまり俺の寝ているダブルベッドにアンジェが潜り込んでいる。
これは由々しき事態だ。
まて、まて、考えろ。俺か? 俺が何かしたのか?
いや、てかそもそもアンジェは昨晩、メリッサやカラーナと一緒に自分の部屋で盛り上がっていたのではないのか?
いや、よくは知らないが……
「ん~~~~……トぉ――」
て! えぇえぇえ! 俺の首に腕を回して、ちょ! ちか! アンジェさん? ち、近いぞ! ぶ、ブラと谷間が見えてるし! それに、唇が、近づいて――こ、このままいくと……
「……うん?」
て、これだよ。どうせそうだろうと思ったよ。 がっつり瞼が開いたよ。もう俺の目の前で、綺麗な切れ長の瞳がじっと俺を見据えて……で、わなわなと震え始めて――
「きゃああああぁあああああぁああああ!」
「ほ、本当にすまなかったヒット……」
「あぁ、うん。もう大丈夫だから」
食堂で俺に深々と頭を下げるアンジェに苦笑まじりにそう返す。
そんな俺の左頬には見事に紅く染まった楓模様。
うん、まぁ思いっきりビンタされたんだけどね。
しかもウィンガルグの唸り声が聞こえてきそうな鋭い強烈なビンタ。
「全く何してんねん。騎士道がとか女の嗜みはとか散々いうとったの、どこの誰やねんって話や。なぁメリッサ?」
「あはは……」
「うぅ、返す言葉もない」
カラーナの掛けた言葉にメリッサが苦笑、アンジェが面目なさげに瞳を伏せた。
ちなみに昨日の話を聞く限り、どうやら最初のうちはアンジェが騎士道とは何かや、淑女たるものなどまぁそんな堅苦しい講義を聞かせていたらしいのだが、それに辟易したカラーナが話を変え、しかもアニーに頼み食堂からお酒を何本か拝借し、アンジェと一緒に飲み始めたらしい
彼女も最初は抵抗があったようで遠慮していたが、カラーナの押しに負けてメリッサもまじえて酒盛りに。
どうやらカラーナの思惑では、アンジェを酔い潰させ部屋に戻ろうというところだったらしいが、聞くところによるとアンジェが豹変し、逆に酒を無理やり飲まされメリッサもカラーナもダウンし、アンジェに関してもそこから先の記憶があまりないらしい。
まぁつまり、酔いつぶれたメリッサとカラーナはそのままアンジェの部屋で眠ってしまったが、どうやら酒癖の悪かったらしいアンジェは俺のベッドに潜り込みそのまま寝てしまったと。
てかなにしてんの一体!?
「……まさかやけどボスとやったりしてへんよね?」
「やったって! え!?」
「わ、私は何もしてない!」
「お、俺は何もしてない!」
……いや、なんでこういう時に限って声が揃う! ついでに動きも一緒になって立ち上がって示し合わせたみたいじゃん!
「……なんやろ、ごっつぅ怪しいわ」
カラーナがジト目で俺とアンジェを交互に見てくる。
くぅ! 本当に何もないのに!
「はい、今日のモーニングはオムレツとパンだよ」
「おお! これはとても美味しそうだな~」
「ああ本当だなー凄くオイシソウダー」
取り敢えずナイスシェフ! とにかく飯を食べて誤魔化そう……カラーナの視線が痛いが……
「まぁええわ。てかほんま旨いねん! 何このオムレツとろっとろや!」
「あの、このオムレツ教えてもらってもいいですか?」
「うん? あぁこれはね……」
ふぅ、とりあえずアンジェとの件はうやむやに出来たな。
……てか本当に美味しいな。アンジェも頬に手を当てて幸せそうだ。
俺のいた世界より旨いぞこれ……
朝食を摂った後はアニーから馬車のレンタル代として一万ゴルドを貰い、そしてアンジェと一緒に宿を出た。
今の一万ゴルドは正直ありがたい。
そして路地を抜けメインの街路にでたところでアンジェは俺達を振り返り。
「ヒット達はこれからどうするのだ?」
「あぁ俺達はドワンというドワーフのやっている装備店に立ち寄って、それからギルドに向かうつもりだ」
「そうか、ならここで一旦お別れだな」
どことなく寂しそうにアンジェが口にする。
「アンジェは何かあるのか?」
「あぁ私は私でちょっといくところがあってな。まぁまた夜には宿で会えると思うが」
ふむ、何やら忙しそうだな。
「判った、ただこの街も結構物騒だから気をつけてな」
「あぁ皆もな、また会おう」
そして俺達とアンジェは再び一旦別れ、そして俺は俺でメリッサ、カラーナと共にドワンの店に向かったのだが――
◇◆◇
「ふざけんじゃねぇ! そんな借金俺には身に覚えがねぇぞ!」
「……いやいやそういわれましてもねぇ。この通り書面として残っておりますし」
……俺達がドワンの店に入ると、そこには先客がいた。
しかしどう見ても、この店に買物や修理を依頼しに来たようには思えない――
何よりも……
「おや? お客さんですかな? いやはやこんなロクでもない店をまだ利用する客がいるとは驚きですな」
そういって振り返った男には見覚えがある。
というか話だけなら何度も出ていた男だ。
そう確かボンゴル。ボンゴル商会の長にして大商人――それが相変わらずの太鼓腹を押さえながら俺に薄汚れた口を開く。
巨大な大福みたいなブヨブヨの面に、どこかの音楽家のような妙ちくりんなヘアースタイル。 贅肉で押しつぶされた細長の瞳。
だるんだるんに垂れ落ちた頬と、左右に針金のように伸びた黒ひげ。
正直見てるだけで不快になるその面に俺は思わず顔を顰める。
「お前たち、もしこの店に来たのが初めてならやめた方が身のためだぞ。質が悪い物が高い、更にもう店もなくなる。いいことなんてなにもないからな」
「店が無くなるだって?」
質と値段は戯言でしかないが、最後のその言葉は見逃すわけにはいかない。
一体どういう事だ?
「てめぇ! 勝手なことばかり言ってんじゃねぇぞ!」
「ですが事実でしょう。こうやってわざわざボンゴル様も来ておられるのだから」
「往生際が悪いと見苦しいだけだぞ!」
ボンゴルの両隣にいるふたりもそんなふざけたことを言う。
見た感じこいつらも商人か? ボンゴルの息のかかった連中ってところか。
「ドワンこれはどういう事だ? こんな奴らに借金なんて――」
「こんな奴らとは失礼な物言いだな貴様!」
腰巾着がやかましい。
「ふむ、その口ぶりだと、ここには初めてというわけではないのか?」
「当然だ、この店にはいつも世話になってる。表通りの下手な装備店より質もいいし腕もいい、おまけに安いからな」
俺があてつけのように言うと、ボンゴルが顔を歪め、鼻を鳴らす。
「全く! 品性の欠片も感じさせない店かと思えば、客層も同じように最悪のようだな!」
「全くですねボンゴル様!」
ちっ! むかつく連中だ。しかし、この感じだと俺のことは覚えていないか。
まぁ当然か、キャンセルであの時の事は記憶も曖昧だろうしな。
「ふん! まぁいい。どうせお前たちが何をいおうと、この店の商品も店もうちが差し押さえる。この哀れな薄汚いドワーフは全てを失うんだよ! さぁ判ったら邪魔だからさっさと出て行け!」
「そうだボンゴル様がこう言われているんだ! シッ! シッ!」
「貴様など見てるだけで目が腐る! さっさと消えろ!」
やべぇ最近色々あったから超殴りたい。
……だが取り敢えず。
「ドワンは勿論そんな借金に身に覚えがないんだろ?」
「当然だ、俺がこんな連中から金を借りるわけがないだろ!」
「おっさんドワンはこう言っとるで。おまんがボケとるだけやないか?」
「そ、そうです! ドワンさんは嘘を言ったりしません!」
カラーナとメリッサもドワンを擁護する。
まぁ当然だな。
「俺も同感だな。お前らの言っていることのほうが明らかにおかしい」
「はぁ? なんだこいつらは。横から出てきて勝手なことをべらべらと!」
「全くだ。だがまぁいいだろう。そこまでいうならお前達にも特別見せてやる。これがこの男の借用書! 何よりの証拠だ!」
言ってボンゴルが、どうだ! と言わんばかりに紙切れを一枚突き出すが――確かに文面としてはドワンがこの男から一億ゴルドを借りたことになっている。
……正直金額からしてどうかしてる……だが。
「まてこの証書はおかしいぞ。ボンゴル商会のサインと印はあるが、ドワンはサインだけしかしてない」
「そ、それにご主人様、これボンゴル商会とドワンのサインの筆跡が同じです! 同一人物が書いてるとしか思えません!」
「ほ、ほんまや! 何やこれ、でっきの悪い捏造やな~こんなの何の意味もないで」
俺達が口々にそういうと、ボンゴルは再度鼻を鳴らし借用書を引っ込め、その取り巻きの一人が声を上げる。
「貴様等! 言うに事欠いてボンゴル様を嘘つき呼ばわりするつもりか!」
「呼ばわりも糞も、明らかに捏造だろうが!」
「ふん、何を愚かな。貴様等はその証書にボンゴル商会の印があるのが見えなかったのか? 節穴かお前たちの目は?」
「……いや、それは見えたが、だからなんだというんだ? 肝心のドワンのサインも偽物、それにドワンの印だってない。そんなものに意味も効力もないだろ」
「馬鹿か貴様は! サインなんてものは、頭の悪いドワーフに文字が書けるわけがないからこっちで代筆してやったんだよ! 印だってこんな貧乏たらしい店の店主がもってるわけない!」
「ざけるな! 文字も書けるし印だってある!」
ドワンが怒鳴りかえす。当然だ、第一ドワンは内訳だって自分で書いて見せてくれている。
「おやおやそうですか。これは失礼。だがこっちは気を利かせてやってやったのだ、文句を言われる筋合いではないな」
「ボンゴル様の申される通り! 更にいえばここにある印とサインこそが重要!」
「はぁ? 何いうとんねん。意味わからんわ」
カラーナが呆れたように両手を広げ言う。
メリッサも眼力を強めぐむむぅ、と睨んでる。
だけどメリッサの場合ちょっと可愛い……いやそんな事を言っている場合ではないが――
「ふん! これだから脳の足りてなさそうな奴隷娘は! いいか貴様等! この証書にはこの街の店を牛耳る大商人たるボンゴル様の有難いサインと印が押されているのだ! それこそが全て! 商人の中の商人であり商神たるボンゴル様が、わざわざ趣き持参した証書に間違いなどあるはずがないのだこの愚か者がーーーーー!」
……多分俺達は、揃って口を半開きにさせて唖然としていたことだろう。
愚か者という響きは昨日聞いたばかりだが、同じ言葉でも感じ方は全く違う。
寧ろそっくりそのまま返したいぐらいだが、どういうわけか当のボンゴルはふんぞり返って偉そうにしている。
「……駄目だ、話にならない。とにかくドワン、当然ドワン本人はこの借用書の控えを持ち合わせていないのだろ?」
何せこれだけの大金を借金として記した証書だ。もし本当なら両者共に持ち合うのは間違いない。
「当たり前だ。俺はそんなもの知らないのだからな」
「だそうだ。これで話は終わりだな。書いている内容もデタラメ、サインは本人のものでない上、印もなく、ドワンは借用書の控えをもっていない。こんな無茶な話が――」
「何を馬鹿なことを、そんなものこのゲスなドワーフが最初から踏み倒す気で、破くか燃やすかでもしたのだろうよ」
「……はあ?」
俺はもはや呆れを通り越す勢いで顔を顰め、溜め息を吐きだす。
「えぇ加減にせぇや! そんなわけの判らない話が通じるわけ無いやろ! そんな事が通じるなら、あんたの思うままに借金だなんやとなんぼでも言いがかりを付ける事が可能やないか!」
「そ、そうです! こんなの無茶苦茶です! そんな借用書一枚でドワンさんの店も品物も差し押さえられるなんて意味が判りません!」
カラーナが吠える。
メリッサも珍しく語気が荒い。
それだけ我慢がならないといったところか。
勿論その気持ちは俺も一緒だが――
「借用書一枚? ふん、誰がそんな事をいった?」
「何だと?」
ドワンの眉が波打つ。
俺も、どういうことだ? と問い詰めるように言った。
「ふん、仕方がない、貴様等にまで見せる必要は本来ないがな――これをみよ!」
そういって、ボンゴルが懐からもう一枚の紙を取り出し、皆に見えるように豚足のような腕を動かすが……これは――
「銀行の――承認証だと?」
ドワンが両目を大きく見広げながら、信じられないと言った風に口にする。
「くくっ、その通り! どうもうっかりしていて発行してもらうのが一日遅れてしまったがな! これは銀行がこの借用書が本物であることを認めた証書! つまり貴様が何を言おうと、借用書の効力は銀行が保証してくれるのだ!」
ボンゴルが得々と言い上げニヤリと口角を吊り上げた。
正直腹立たしいが……くそ! また銀行か!
「……銀行が、だと? そんな――」
「おやおや急にどうしたのですかな?」
「さっきまでの威勢はどことやら……まぁそれも仕方ありませんかな」
取り巻きふたりが勝ち誇ったようにいう。
しかし実際ドワンの表情が暗い……これは?
「ふん! 当然だな! 銀行が認めたということは、もしそれでも貴様が支払いを拒み、店舗と品をも明け渡すことを拒否するというのなら、私が申請すればすぐにでも銀行は動く。そうなれば店だけではない、貴様も罪人として連行される。何せ領主様に尤も信頼され、銀行とも懇意にしている私の借金を踏み倒そうというのだ! ちなみにこれまでも貴様のように最後まで抵抗するものはいたが、その連中は結局銀行の手で潰され店主だけではなく家族全員がが罪に問われていたな。綺麗な娘がいたはずだったがどうなったんだったかなぁ?」
「いやぁ哀れなもんですよ。噂では男も知らない生娘だったのが、今やスラムで娼婦紛いの事をさせられて、すっかり見る影もないとか」
「がははははは! それは愉快だ! 私に逆らうような屑は一生後悔して惨めに死んでいくが良いのだ!」
何がおかしいのか腹を抱え笑い出し、腰巾着共もそれに倣うように薄汚い笑みを浮かべる。
「くはっ、まぁそういう事だ。それでも貴様はまだ逆らうのかな? ん~? ん~?」
「くっ! 貴様!」
「待ってくれヒット……」
いい加減俺も我慢の限界に達したところで、ドワンからの待てが入る。
しかし……カラーナもメリッサも俺と同じ気持ちなのだろう、特にカラーナに関しては今にも飛びかかりそうだ。
「……せめて――せめてもう少しだけ考えさせてくれないか? 俺もそう簡単に決心がつかねぇ……」
「はっ? ちょっと待てドワン! 何を言って――」
「いいんだヒット。お前さんは黙っててくれ」
ドワンのその返しに、俺は言葉を飲み込んだ。
しかし――
「んん~まぁいいだろう。私はこうみえて理解ある男だ。何せ本来ならとても借金には足りないが、今ならこの店と商品だけで許してやろうというのだからな。明日の夕方までは待ってやろう。それまでにこの貧相な店としっかりお別れをしておくのだな。何せ明日で貴様はすべてを失うのだからな! 店も! 職人としての一生も! あぁでも、もし困ってるなら、私の店で最底辺の小間使いとして働かしてやってもいいぞ? 賃金代わりにパンの残りカスぐらいくれてやるよ。薄汚いドワーフにはそれがぴったりだ! がははははっはっはっははは!」
「しかしまったく馬鹿な男ですな、素直に商会の傘下に入っておけばいいもんを」
「所詮ドワーフって事だ。知恵が基本的に足りないんだよ。あの顔を見ていればわかるだろう?」
全くだ! と更に三人が声を上げて笑う。
俺達は握った拳をわなわなと震わせた。
「それじゃあな。しっかり明日までに腹を決めておけよ」
そして連中は最後にそう言い置き、高笑いを決めながら――ドワンの店を後にした……




