第58話 川に潜む罠
ここセントラルアーツを望む領主の居城は、北門から抜けた丘の上にある。
だからこそ基本門を抜けなければ居城に立ち入ることが出来ないと、まぁ俺の知識ではそうなっている。
実際居城に向かうまでの丘は傾斜がキツく、周囲も深い森が広がっている為、街から直接伸びている道を使わなければかなり大変だ。
だが、不可能ではない。
それが俺が地図を見ながら思った事であり、昨晩門を抜ける事が出来なかった後で考えたルートであるわけだが――
「まぁ一〇〇歩譲って森のなかを進んで、居城を目指すまではえぇとしてや――」
カラーナが腕を組み、目を細めながら正面のそれに視線を向ける。
「で、この川はどうする気やねん?」
そして顔だけが俺に向けられ疑問の言葉を投げかけてくる。
……まぁその気持は判る。セントラルアーツの領主が住まう居城に向かう為、丘越えを狙うなら、必ず立ちふさがるアーツ川。
これは居城を挟みこむように左右に一本ずつ存在する川で、セントラルアーツの貴重な水源でもある。
下流側が街にも流入しており、またその辺りは北門近くの見張り台で監視されているため、当然そっちを越えるのは不可能。
その為、自然と中流付近の川を狙って渡りたいところだが、当然橋なんてものがあるはずもなく。
更に川幅は五〇メートルオーバー、水深は五メートル程。川の流れも中々急で、両端共に高さ五メートル程の土手になっており、当然歩いて渡るなんて論外。
まぁ当然これがあるからこそ、この街の居城に向かうには北門を抜けるという選択肢しかなかったんだけどな。
「やっぱり瞬間移動して越える気なん?」
目を大きくさせ、右手で川を越えるようなジェスチャーを混じえながら、更に質問を重ねてきたが、当然これは却下であり。
「いや、瞬間移動は集中も大事でな。これだけの川が流れていると気を取られて、移動場所を間違えて川に落ちてしまうかもしれない。だからそれはなしだな」
正直かなり苦しい言い訳ぽくもあるが、実際に使えないから仕方がない。
ステップキャンセルは、ただ移動の過程をキャンセルして結果を残してるだけなので、目の前の川に向かって使用すれば、当然土手を飛び出たとこで効果は切れ、あとは川に向かって俺の身体が自然落下するだけだ。
だから俺は、ここはキャンセルに頼らず――その場で屈伸運動や柔軟を行う。
何しとんのやボス? とカラーナはどこか怪訝そうに尋ねてくるけどな。
「まぁあれだ。瞬間移動には頼らずここを――飛び越える」
はぁ!? と更なる彼女の驚きの声。
何馬鹿いうてんの? とでも言ってきそうな目を俺に向けてきてるが、当然冗談で言っているわけでもない。
キャンセラーは、戦士系としては腕力という点において他のジョブに劣る職ではある。
だがキャンセルを利用したコンボというものを意識しているこのジョブは、敏捷性など、ようは単純な運動能力であるなら盗賊系にも負けないのが特徴だ。
そして俺は、そんなキャンセラーをゲームでとことん鍛えてきたつもりだ。
そんな俺にとって、五十メートル程度の幅を持つ川を飛び越える事など造作も無い――筈。
「ボス本当にやる気なん?」
「あぁ、まぁみてろ」
取り敢えずカラーナには、川を横断する為の縦線上からは離れてもらう。
そして俺は、少し離れた位置から目標の対岸を視界に収め、飛び出す体勢に入る。
下草も長く、木々の密集しているこの場所は、まともに助走できる距離はかなり短い。
一応歩いてみて距離を測った限りは精々二、三メートルといったところだ。
まぁ傾斜は下りなので、多少は助走の助けになるとは思うが。
さて、考えていても仕方がない。俺は心配そうにしてるカラーナを尻目に、意を決して前に飛び出した。
傾斜を下り、事前に合わせたタイミングで、土手際から対岸目掛けて思いっきり跳躍――
俺の身体はきっと、見事な弧線を描き、飛び駆けていた事だろう。
角度も勢いも申し分ない。着弾点が見えてきた。これなら間違いなく対岸にたどり着く。
正直かなり余裕がある程だ。
おお~というカラーナの声が背中を抜ける。きっと感心している事だろう。
まぁここから先は、彼女を向こう岸で待たせたまま、俺はさくっと侵入して領主の顔でも眺めてくるかな。
そんな事を思いつつ、いよいよ眼下に流れる川も視界から消えるか? と思った直後――唐突に視線の向こう側に、驚いた表情のカラーナの姿が映った。
え? と俺も短く声を発す。
「きゃぁあ! ちょ! ボス~~~~!」
カラーナの悲鳴が耳に届く。そして直後に横っ面を撫でる穏やかな風と、足下に感じられる浮遊感。
さっきまでの勢いは何のその。景色を横切っていた感覚は全くなくなり。直後に対岸が上に流れる。
そう、俺は、落下している。背にしていたはずの、俺が飛び出した足場を正面にみた状態で、あの時の門と一緒だ。
どうやら俺は少々領主の事を舐めすぎていたようだ。
よもやこんなところにまで、謎の仕掛けを用意しているなんて――
視線を下に向けると、当然だが川面が眼前に迫っており、俺はとにかく思いっきり息を吸い込み、バシャーーーーン! という音を聞き届けながら流れる川の中へと落下した。
瞬時に視界が暗い水色に染まる。身体中に一気に水が染みわたる。
川の水は容赦なく俺の毛穴まで侵食していく。
何か合った時の為にと、装備一式は身につけた状態であったが、この場合はそれが完全に裏目に出ている。
さらに言えば、これは俺にとってはある意味予想外の出来事。
冷静に考えてみれば、ゲームではキャラが水中に潜るなんて行為自体することが出来ないし、そんな場面もなかった。
一応川を渡るぐらいはあったが、それでも基本川はキャラの腰が浸かるぐらいまでの深度しかなく、今回みたいな場合は橋を渡った。
だからこそ、今はかなり戸惑ってる部分が大きい。何せキャラの性能としてだけでは、どの程度泳げるのか推し量ることが出来ない。
しかし、かといって呆けてる場合でもない。川の流れは中々急だ。
黙っていてはこのまま下流に流されるだけだし、何より息が続かない。
一応地球にいた頃は、得意とはいえないまでも人並みに泳ぐ事ぐらいは出来た。
だからその経験を元に、なんとか泳ぎの体勢に入り、岸に辿りつけないかと試みた。
上手くたどり着ければ、後はなんとか土手を登って陸に這い上がればいい。
幸い多少キャラとしての補正もあるのか、為す術もない状況という程ではないようだ。
流石にプロのダイバーのような洗練された泳ぎは無理だが、頑張れば潜水したままでも、岸までは泳ぎ切ることが出来るかもしれない。
そう思った矢先――目端に捉えし水中を漂う影。
それはかなりのスピードで、俺の下へと近づいてくる。
最悪だ! そう思いながらも、俺は身体の向きを迫り来る魔物たちに向けた。
まさかこんなところに魔物がいるとは。しかも水の中に。
いや、本来であればあのタイプはそれが当然なのかもしれないが、しかしかなり厄介だ。
その内の四匹は、俺の知識でも理解が出来る魔物。水中のハンターとされし魔物、サハギンである。
両手両足には水掻きを備え、背中には背びれ。身体には魚鱗を湛え、顔は魚のそれで、ギョロリとした二つの眼を持つ。
巨大な口にはびっしりと生え揃えた鋭い鮫歯。
サハギンはその歯を持って獲物を噛みちぎる。
また細長い下も特徴で、それを脚に絡めて転ばしたり、舌を勢いよく突き出した攻撃なんかもある。
これが俺のゲームでみた場合のサハギンの知識だが、正直今の状況ではあまり役立ちそうにない。
何せゲームではサハギンとはいえ、ほぼ陸の上で戦うのと変わらない状況での戦闘だった。
しかし今は完全に水中だ。見たところ泳ぎも当然俺なんかより巧みである。
しかも更に最悪なのは四匹のサハギンとは別に、全く俺の知らない魔物が紛れていることだ。
思わず前にオーグ退治でみた、あの化け物とおなじ感覚が蘇ってくる。
その魔物はやはり、体躯としてはサハギンより人間に近い。
一応肌は鱗でびっしり覆われているし、色も濃い青に近い。
ただサハギンに比べると背筋も伸びているし、四肢の格好もほぼ人のそれだ。背びれはなく、顔は魚っぽくはあるが、サハギンとは違い顔が前に突き出してるような事はない。
寧ろ平たく、厳つい顔つきをしていた。髪はないが耳は大きく、サハギンというよりは昔映画などでみた半魚人といった雰囲気が漂う。
そんな五匹が俺に向かって猛スピードで迫ってくる。この内リーダーは、一匹だけ見た目の違う異形の魔物なのであろう。
前の相手と違い、どうやらこいつは他の仲間と協力して俺を狩りに来てるようだ。
先手はサハギン二匹が集団から飛び出し、左右から挟み込むような動きで向かってくる。
とにかく逃げられる状況でもないため、俺は覚悟を決めなければいけない。
始めての水中戦だが、ここを乗り切らねば命はない。
河床を足裏で掴み、なんとか踏ん張る。
そして双剣の柄に手を掛け、抜こうと試みるが――予想以上に水の抵抗が強く、地上のように上手く抜けない。
刃が半分ほど露出した時、サハギンはもう俺の目の前にまで迫っていた。
口を開き、二匹が左右から同時に噛み付きに掛かる。
水の中では些細な出血も命取りになりかねない。
俺は二匹にキャンセルを掛け、攻撃を中断させた。
待ち時間は一秒程度なので脅威度は低い。
その間に双剣を抜き終え、とりあえずハリケーンスライサーを試してみる。
回転しながらの斬撃は、二匹のサハギンにダメージこそ与えたが、やはり抵抗が邪魔をし地上より遥かに威力は落ちる。
当然サハギンへの攻撃は致命傷には成り得ず、鱗一枚を斬り裂いた程度だ。
しかもサハギンは水中戦になれている。俺の攻撃を喰らった瞬間即座に後方に下がり、二匹同時に舌を伸ばしてきた。
しかしこれを俺は敢えて受け、河床を蹴り後方に飛び退く。
水の流れに逆らわず、距離を離しつつ双剣を鞘に納める。
水中では、この武器は殆ど役に立たないと察したからだ。
俺は代わりにマジックバッグをなんとか開き、中からスパイラルヘヴィクロスボウを取り出した。
これであれば多少は威力が落ちるかもしれないが、双剣よりは高いダメージが期待できるかもしれない。
俺は肩にクロスボウを乗せ、照準を定める。状況を察し、再びサハギンが迫ってきたが、その動きに合わせるように、トリガーを引く。
射出されたボルトは、やはり水に邪魔され地上に比べれは勢いは削がれているが、それでも螺旋を描きながら直進し、サハギンの右肩に刳りこんだ。
貫通とまでは行かないが、十分手応えの感じられる物である。
俺はキャンセルしすぐさまボルトを戻した後、今度は右側面から迫るサハギンに身体を向け直し、トリガーを引く。
魚眼が見開き、額に鏃が突き刺さる。地上ほど威力がないとはいえ、頭蓋を穿かれてはさしものサハギンもタダでは済まない。
絶命したのは明白であり、残ったサハギンは三匹。
そして謎の異形――俺はキャンセルでボルトを戻そうとするが、その時脇腹にずしりと重くめり込む感覚。
苦悶に顔を歪ませ、ガボガボと息が漏れ川水が口内に侵入し思いっきり飲み込む。
やばい! と思い口を閉じ、そして首を巡らすと、何時の間にか迫っていた異形が、俺の左脇腹に拳を撃ちこんでいた。
これは――正拳突き! しかも水中にも関わらず、威力は全く落ちていない様子。
心のなかで、くっ! と呻きつつ、俺は異形を蹴りあげ逃げるように川の流れに従った。
ある程度距離を離し、体勢を立て直すと、奴は追ってこそ来なかったが、今度は腰を落とした状態からの逆の拳を何もない水中に撃ちこむ。
その瞬間、水がぐにゃりと前方に向けへしゃげたかと思えば、俺の身体に二度目の衝撃。
それで俺は理解した。この異形もジョブ持ちであることに。
戦士系で素手に特化したジョブ、マーシャリストからの派生。
上位職であるナックラー。
それが奴のジョブだ。最初に見せた正拳突きも、二発目の真空正拳突きも、ナックラーの得意とするスキルである。
前者は接近戦で重い拳による一撃を喰らわせ、後者はある程度離れた位置からでも、拳を撃った際の衝撃波でダメージを与える。
しかしそれを水中で行うとは――正直これはかなり厄介だ。
その上、状況はかなり切迫している。何せ俺の息はもう長く続かない。
正直一分持てばいい方だろう。
なんとかクロスボウを手放さずに済んでいるが、これだけで戦えるような甘い状況でもない。
水中で回転するようにしながら、再度河床に足をつける。
俺が大分弱ってると踏んだのか、異形と三匹のサハギンがほぼ同時に迫ってくる。
だが――逆にそれが有り難かった。このまま普通に戦っていても俺に勝機はない。
使えるものはフル活用し、なんとかこの状況を打破しなければ。
マジックバッグに手を突っ込み、取り出したそれに唇を押し当て、三秒後に――と口を動かす。
魔力を込めるというのは初めての所為。しかし精神を集中し自然とそれっぽいことが出来た。
なんとか機能してくれよ、と神に願うような気持ちでもあったが、それが通じたのかしっかりと反応も見せてくれる。
俺はそれを認め、迫る奴らに向けて手の中のそれを投げつける。
三……二……一――ゼロ!
マジックボムが爆発し、その余波で水の流れが急速に激しくなる。俺の身体も激流に飲み込まれ一気に下流へと運ばれていく。
しかしそんな中でも何とか本体にボルトを込め直した。
さっき奴に邪魔をされ、一発は失ってしまっていたからだ。
出来れば今の爆発で、全員片付いてくれたら有り難かったのだが――三匹のサハギンは吹き飛んでも、残ったジョブ持ちはそうもいかなかった。
両腕でがっちり正面を守っている。
この、ナックラーの使うスキルのアームガードは、衝撃をかなり緩和する。
それを活用し、うけるダメージを抑えたのだろう。
全く厄介な敵だ。しかも仲間が全員吹き飛んでも、動揺する素振りも見せず、俺を仕留めようと向かってくる。
正直俺も限界だ。息だって続かない。これで決めなければ恐らくもう絶望的だろ。
しかしかといって、この手はこの手で問題がある。
果たして俺は耐えられるか? しかし迷っている暇はない。
異形が迫る、そして俺の近くに来た瞬間、素早いパンチの連打。
ジャブだ。しかも拳を連打するスキル、マシンガンジャブ。
俺の意識を削ぐような瞬速の拳の連打が腹部、胸部、顎と叩き込まれていく。
しかしこれにキャンセルはしない。
マシンガンジャブは確かに攻撃回数は多いが、一発一発の威力はそうでもなく、決して耐えられない攻撃ではないからだ。
相手だってそれは理解しているのだろう。オードブルを終わらせ一気にメインディッシュに向かうよう、脚を開いて立ち、拳を引いた。
ナックラーの武器はその拳、だからある程度俺にだって動きは読める。
奴は必ず止めに重い攻撃である正拳突きを狙ってくる。
だからこそ、そのタイミングで、奴にキャンセルを掛けた。マシンガンジャブよりも正拳突きをキャンセルした方が相手の硬直は長くなる。
予想通り相手の動きが止まり、怯んだ隙に俺は相手を蹴りあげ少しだけ距離を離しながら、スパイラルヘブィクロスボウのトリガーを引く。
射られたそのボルトは、淀みなく目の前の敵の胸部を捉えた。
その瞬間俺は、ぐっ! と歯噛みし耐える準備をする。
少しでも自身への影響を減らそうと距離を取るが、それでも気休め程度だろう。
後は俺がどれだけ持つか――
刹那――バチバチッ! というスパークと一瞬の閃光。
そして俺の身に電撃が駆け巡る。痺れは俺の全身にも及び、まともにくらった異形の身体はビクンビクンと痙攣し水中を漂った。
それを認めた直後、安心しきった俺の意識は完全に水の底へと遠のいていった――




