第42話 逃亡奴隷と追跡者と俺の娘
「畜生、畜生! うちまた、またあいつに騙され――」
森の中を褐色の少女カラーナは全力で疾駆していた。
その瞳には涙。悔しそうに唇を噛み、時折後ろを伺いながら、必死に脚を前後させるその姿は、何かから逃げているようでもあり――
「全く無駄なことを」
ふと、藪の中から投げつけられた冷たい声音。
そして――三方から光のリングが彼女に迫る。
カラーナは、必死に避けようとするも、それは彼女を追いかけるように軌道を変え、そして褐色の両腕、両脚、そしてその細い首に嵌り、その動きの自由を奪う。
当然その光の枷で拘束されたカラーナは、その場でバランスを崩し、土臭い地面を思いっきり舐めた。
カラーナは必死に土の上で藻掻く。褐色の肌に赤茶けた土が纏わりつき、その色がより深まる。
塩辛い雫が頬を伝った。地面に涙の跡も付いた。だが、そんな彼女の悲痛な気持ちを弄ぶように、愉快そうな連中の声が投げ落とされる。
「かかっ! 惨めだねぇ。必死に暴れてそんなに逃げ出したいのかい?」
「全く無駄な事を。俺達チェイサーから逃げおおせるわけもないだろうに」
手足を封じられそれでも諦めていないカラーナ。その背後から近づくは肌にフィットした黒い衣装に包まれた二人。
そして空中からも一人、カラーナの目の前に着地する。
「ふん、愚かな女だ」
「がはっ! があぁ、ぎいぃいいうぅうう!」
正面の男が手を翳すと、カラーナはゴロゴロと左右に転げまわり、遂には仰向けの状態で目を剥き、口を半開きにさせ飛び出た舌がだらんと落ち、そして泡を吹く。
どうやら首に嵌められた光のリングがギリギリと締め付けているようだ。
「おいおい死んじまうぜ」
仲間の一人が面白そうに口にすると、ふんっ、と鼻を鳴らし男は翳していた手を引っ込める。
「うん? なんだ死んじまったか?」
締め付けが収まったものの、カラーナは目を開いたまピクリとも動かない。
だが――
「俺がそんなミスをするわけが無いだろう。気絶させただけだ」
その言葉に仲間の一人が嗜虐的な笑みを浮かべ。
「だったらさっさと起こして甚振ろうぜ。俺はそれが楽しみでこの仕事してんだからよ」
「馬鹿言うな。忘れたのか? 今回は見せしめ用としてすぐに連れ帰る約束だ」
「そんなもん少しぐらい大丈夫だろ?」
「いいのかねそんな事言って。奴隷落ち喰らっても知らないぜ?」
もう一人の仲間が忠告するように告げると、途端に言われた男は口を閉ざした。
「まぁそういう事だ。それにチャンスぐらいまだまだあるだろう。今回は諦めてとっとと運ぶぞ」
その言葉に、へいへい、と口にし男はカラーナを肩に担ぎ、そして三人はその場から一瞬にして消え失せた――
◇◆◇
「よぉ。おふたりさんお帰りかい?」
俺とメリッサが西門の近くまで戻ると、例の如くダイモンが薄ら笑いを浮かべながら出迎えてくれた。
相変わらずこいつの前に並んでいる人間は少ないな。反対側は列を作っているが、おかげで俺は特に待たずとも門を抜けることが出来る。
まぁ、とは言え、今日は折角だからとダイモンに、ちょっと聞きたいことがあるんだが、と囁くようにして持ちかける。
するとニヤリと悪っぽい笑みを浮かべ、また相方に、後は頼む、といって一緒に城壁の影に移動する。
しかしこれで相方は文句を言わないのか? まぁどうでもいいけど。
「で、何を聞きたい? これ次第で何でも答えるぜ」
ダイモンは指でお金を現す形を作り笑顔で返してくる。
「ご主人様なにか知りたいことがあったのですか?」
「うん、まぁちょっとな」
何せこいつは腐ってもこの領地の守衛を任されてる男だしな。そういった情報は他の連中より詳しいかもしれない。
「今回は先に質問していいか? この間みたいのも面倒だしな。質問にあった金額を教えてくれ」
「おう! それぐらいかまやしねぇよ」
ふむ、あまり高いと今すぐは難しいかもしれないしな。ただ知ってるかどうかは確認しておきたい。
「じゃあ質問だ。今の領主について知ってる限りの情報を教えて欲しい」
「…………」
うん? なんだ? 顔を眇めて腕を組んで難しい顔してるが――
「わ、悪い。そういえば大事な仕事があった。俺戻るわ」
「ちょっと待て!」
踵を返して戻ろうとするダイモンの背中に声をぶつける、
ビクリと大きな肩が振るえ、そしてこっちに首を巡らせた。
「ダイモン。どんな情報でも教えてくれるんじゃなかったのか?」
「ヒットの旦那。それはマジで勘弁してくれ。領主に逆らうような真似は俺には出来ねぇ。それにどっちにしろ大した情報は持ってねぇよ」
……かなり腰が引けてしまってるな。完全にビビってしまってるようだし、領主の事に触れるのも憚れるといった感じだ。
「……大した情報はないか。でもまさか、お前も領主の顔すら見たこと無いとかじゃないんだろ?」
「……ねぇよ。俺なんかが領主様のお顔を拝見出来るわけ無いだろ? 恐れ多くて仕方ねぇ」
そこまでか? 一体何者なんだここの領主は――
「お前の情報のツテで調べる事は出来ないのか?」
俺は更に質問を重ねるが。
「それを言われるのが嫌だから、これ以上その事は話したくなかったんだ。本当に勘弁してくれ、俺にも家族がいる。下手な事に関わって人生詰みたくねぇんだよ。あんたも余計な詮索はやめた方がいい、命が惜しかったらな」
「……そうか判った。忠告ありがとう。もうその事は訊かないさ」
「わ、悪いな。他のことならなんでも教えてやっから――」
そう言って、いそいそと門の前に戻っていく。
まぁとはいっても俺達も街に戻るわけだけどな。
で、すぐに門に向かうとなんか気まずそうに目を逸らしてきた。
もう冒険者証もみてないなこれ。
で、門を抜けて街路を歩く俺とメリッサだが。
「あの、ご主人様。ダイモンの言うとおりかと……これ以上領主様の事を探られるのは――私ご主人様の事が心配です」
顔を伏せ暗い声でお願いのように口にする。
そこまで領主の事に触れるのがまずいのか――もしかして領民が全て脅されているという事か? だが領主の顔も姿も誰も見てないという。
代わりに誰か別の者が動いてるという可能性もあるが……それにしても領主のことに関して、ここまで徹底的に口を閉ざすなんてな。
ふむ――
「ご主人様?」
歩きながら俺が考えを巡らせてると、メリッサが心配そうな目で俺の顔を覗きこんできた。
むぅ、やはり可愛いな――じゃなくてとりあえずこれ以上心配掛けたくないしな。
「そうだな。とりあえずその件はなしだ。それにドワンに早く荷物を届けないといけないしな」
「はい、そうですねご主人様。急ぎましょう」
どこかホッとしたような笑みを浮かべ、メリッサが俺の手を握りしめてきた。
街中では瞬間移動をする気はないんだけどな……いや、これはそうではなくて、もっと自然な流れか。
むぅ改めて見ると、メリッサの手は小さくて柔くて抜群の握り心地だな……ステップキャンセルの時はそれに集中してたから、あまり意識してなかったけど……
なので折角だから、ドワンの店に向かうまでの間、俺はたっぷりとその感触を楽しむことにした――
「いらっちゃいまちぇ~何かそうびをおしゃがしでちゅか~?」
「…………」
俺は踏み込んだ脚を一旦戻し、メリッサと外に出た後、外観とボロボロの看板を見なおした。
……ドワンの店だよな? 間違いないよな?
とりあえず再び店内に足を踏み入れる。
「お客ちゃま、どうかなちゃいましゅたか?」
……どうかも何もないな。どうみても今店内にいるのは――幼女だ。しかも只の幼女ではない。耳の尖った幼女だ。長くて尖った耳を持つ幼女だ。
金髪を背中まで伸ばしたクリクリっとした瞳も可愛らしい幼女だ。
黄緑色のチュニックを着こなす、見た目三~四歳ぐらいの幼女だ。そしてエルフだ。
「か、可愛い――」
俺の横でメリッサが呟く。それはそうだろう。こんな三頭身幼女エルフ、可愛くないわけがない。
だがこのまま癒やされてる場合でもない。
「その、なんだ、ドワンに会いにきたんだが、判るかな?」
「ぴゃぴゃに用事でしゅか~わかりまちゅた~ぴゃぴゃーーーー!」
何か声を上げながらパタパタと奥に駆けていったな……しかし、聞き間違いだろうか? 発音はともかく、なんとなくパパと言っているような気もしたんだが――
「おう、あんたらか。もしかして依頼をこなしてくれたのかい?」
……奥からドワンが現れた。彼の腰にはさっきの幼女エルフがしがみついている。
「……その前に一つ質問なのだが、今ドワンの腰に抱きついている愛らしいその子は誰なんだ?」
「あん? 俺の娘だがそれがどうかしたか?」
「……娘なのか?」
「娘だが?」
娘だったのだ――
このエルフ幼女は一体!え?犯罪の匂い!?




