第33話 夜のキャンセル
逃亡奴隷というのを聞き、俺は唖然となったが、メリッサも困惑の色を表情に滲ませていた。
どうやら彼女も、カラーナが逃亡奴隷とは知らなかったみたいだな。
まぁ当然か、さっき風呂場であったばかりだろうし。
「カ、カラーナさん逃亡奴隷だったんですか?」
そしてメリッサが驚きで、碧眼を宝玉のようにまん丸くさせ、カラーナに尋ね返す。
「そうそう。そうやねん。いや~ちょっと逃げ出しちゃってんねん。それで今は逃亡奴隷やってま~~~~っす」
右手を挙手するように上げて、軽々と言い放つカラーナ。
か、軽い――驚いた俺が馬鹿みたいだ。
「で、でも逃亡なんてしたら追跡者が捕まえにやってきますよ!」
メリッサの慌てるような声。両手を祈るように組み、諭すように述べる。
その表情は、今さっき知りあったばかりの相手に対するものじゃないな。
まるで、十年来の親友を心配するような顔だ。
それだけメリッサの心が、優しさと慈しみで溢れているということなのかもしれないが。
「うん、まぁそれもなぁ、うちも重々承知しているつもりやし。でも、今更そんなこと気にしてもしゃーないやん。それになぁ、うちこう見えて逃亡奴隷としてもう一〇日目やし、このまま上手いこと逃げ延びてやるねんって」
……中々逞しいことだな。
「注文はみんないっしょでいいかな~?」
て……俺達が話をしていると子供が乱入して、注文を聞いてきた。
なんだ? お手伝いか? でもコックみたいな格好してるけど……
「あ! じゃあうちは大盛りで頼むわ~」
「あははっ。カラーナちゃんはよく食べるね~」
「だって、ここの料理美味しいねん。シェフの腕がいいっし~」
「いや~照れるな~」
円筒形の帽子に手を回して、照れくさそうに笑ってるな。
この対応、本当にシェフなのか?
「ふたりも同じでいいかな?」
「え? わ、私は普通で……」
「……俺もだな」
「了解で~す。あ、それで一人五〇〇ゴルドね」
俺はメリッサの分を合わせて一〇〇〇、彼女は五〇〇ゴルド銀貨を手渡す。
「それじゃあちょっと待っててね」
言ってペコリと帽子を揺らし、トコトコと厨房に戻っていった。
何あれ可愛い。
「……ここは子供が料理をしているのか?」
なんとなく気になったので、誰にともなく呟く。
「何言うとんねん。あぁみえて三〇超えとるんやで」
「嘘!」
「マジかよ!」
メリッサと俺がほぼ同時に声をあげ、その反応にカラーナがケタケタと笑い声を上げた。
「初めて来るんは、みんなそんな反応みせんねん」
うん、まぁそりゃそうだろうな。誰だって驚くと思う。
しかし、それはそうと一旦話を戻し。
「それにしても、カラーナは大丈夫なのか? 当然隷属の魔法というのも掛けられているんだろ?」
「まぁそれは色々あんねん。でもあまり詳しくは言えないかな~ごめんな~」
「……まぁいいたくないなら別にいいさ」
詮索不要がここのルールだしな。
「まぁあたしも、ヒットみたいないいご主人様に巡り会えてたら、逃げんくても良かったかもしれへんけどな~さっきもメリッサちゃんご主人様が~ご主人様が~って」
「ちょ!? カラーナさん!」
メリッサが耳まで真っ赤にさせて、カラーナの口を塞ごうとしてる。
……一体どんな話をしていたのだろうか?
「おまたせ~」
うん、子供っぽいコックが料理を運んできた。背伸びして、うんしょうんしょってテーブルに料理を置いていく。
なにこれ微笑ましい。
で、結局三人で夕食を摂った。カラーナの言うとおり食事は昼の飯よりはるかに美味しい。
出てきた食事は見た目野菜炒めと、卵を利用したスープ、そしてライスだ。
どれも味は高級レストランのような本格的なものではないが、とても家庭的な味付けで、これであればいつ食べても飽きが来ることはないだろう。
メリッサも美味しかったですといって、食器を下げに来たシェフにレシピまで聞いていた。
「あれ~メリッサちゃん誰に作る気なん?」
「そ、それは――」
もじもじと指を合わせてチラリと俺をみてきた。
……料理を作れる環境ぐらい、何れは用意してあげたいところだ。
「全く、これだけ奴隷に愛されてるご主人様も珍しいわ。熱い熱いごちそうさま~」
にやにやとイタズラな笑みを浮かべながら、カラーナは立ち上がり。
「ふたりきりなところを、これ以上邪魔しても悪そうやし、あたしはそろそろ退散させてもらうわ~でも楽しかったありがとうな。ところでふたりとも暫くいるん?」
「え~と」
メリッサが窺うような目を俺に向けてきた。
まぁそうだな。
「少なくとも明日までは泊まる気だ。その先は未定だが、まぁ空いてるならここに留まると思う」
「ほんま? よかった~あたし結構寂しがりやねん。良かったらまたふたりに声かけてもえぇかな?」
胸の前に手を当てて、親しみを超えた笑みを浮かべてくる。
この性格なら、嫌だといっても声は掛けてきそうだけどな。
でもメリッサも、捨てられた子猫のような縋る目を俺に向けてきてるし。
……まぁしゃあないか。て、伝染りそうだなこれ。
「別に好きにすればいい。メリッサの友達なら断る理由はないさ」
「わお! 話判るわぁ~あんがとな~」
「て!? おい!」
こいつ、いきなり抱きついてきた! あ、結構いい感触が顔に――いやそうじゃない!
「ちょ!? カラーナ何を!?」
メリッサの困惑の声が耳に届く。
や、やばい! 頬を引き締めろ! 緩めるな!
「あ、ごめんな。ついつい、あたしすぐ気持ちが行動にでるねん。堪忍堪忍」
パッと褐色の双丘が俺の顔から離れた。
少し名残、いや何をいって、うぷぅ!?
「ご、ご主人様は駄目です!」
こ、これはまた別の包み込むような優しい柔らかさ。そして芳しい匂い――
てっ! メリッサか! メリッサのおっ、こ、これはニヤけてもいいところかな?
「いややわ~メリッサそんな怖い顔せんと。メリッサのご主人様狙ったりせ~へんし。あ、でもカラーナと呼んでくれたのは嬉しいかな」
え? とメリッサが俺から腕を放し、柔らかい感触が離れていく。
な、名残惜しくなんか無いぞ。
「これからもそうやって気軽に呼んでぇな。あたしもメリッサって呼ぶし、それじゃあ今度こそ邪魔者は去るわ~ほなまたな~」
そういって手を振って食堂を後にした。
全く嵐のような女だな。
「あ! ご主人様~お相手が美人やからってハッスルしすぎんようにな~」
まだいたのかよ!
「さっさと帰れ!」
俺が吠えるように言うと、ケラケラと笑いながら今度こそカラーナはその場を後にした。
「全く一体何をいって――メリッサ?」
顔を向けると、メリッサは熟したりんごのような色に顔が染まり、俺に目を合わせようとしない。
……カラーナが余計な事を言うからだろ! どうすんだよ! これから部屋に戻らないといけないのに、俺まで変な気分になっちまってるだろ!
くっ、これはどうしろというんだか――
「うん。よし取り敢えずメリッサはベッドを使うといい。俺は床で寝る」
「そんな! ご主人様を床で寝かすなど奴隷として看過できません! それでしたら私が床に――」
うん、やっぱそうなるよな。うん。
俺とメリッサは食事を終え、カラーナと別れた後、預けていたバッグをアニーから受け取り、すぐ部屋に戻ってきた。
食堂も夜の8時で終わりだったしな。
で、戻ったはいいが――この状況でダブルベッドはやはり生々しく、俺も正直心臓バクバクで、もう床でいいや! とも思ったぐらいなのだがな。
しかし無理だな。メリッサの表情は真剣だ。
俺が床に寝るなど許してはくれないだろう。まぁ、俺が無理して、命令という形にすれば別かも知れないが、てか、それもどうかとは思うし、多分それを言ったら悲しそうな顔を見せると思う。
メリッサとの関係は大分砕けてきてると俺は思う。
食事にしても、部屋にしても、前のように奴隷だからと床に座ることもない。
だが、それでもやはりこういった事は別か。いや、そもそもこの状況で一人が床という方が確かに不自然だ。
そして――時間ももうすぐ夜の9時だ。テレビもネットもないこの世界じゃ、夜やることなんて決まってる。
いや! そっちではなく、寝るだけって意味だがな――
「わ、判った。まぁベッドも広いしな。俺はこっち側で寝よう。明日も早いしな。メリッサも空いてる範囲で休んでくれ」
俺はそう言って、ベッドの一番端っこに身を置き、そのままゴロリと寝っ転がる。
今メリッサの顔を見ると、どうにかなってしまいそうなので、背中を向けながら布団をかぶる。
さて問題はこれから。このままではドキドキして眠れない。
そうだ! 羊を数えよう! 困ったときは羊だ! ラムだ! ウールだ!
羊が一匹羊が二匹羊が三匹……
「……え? ご主人様本当に眠られてしまったのですか?」
眠ってる。あぁ俺は眠ってるぞ。狼になっては駄目だ俺は羊だ。
ホテルに入ればオッケーなんて幻想だ。
抱きつこうとしたらビンタされて、
「何勘違いしてんの? サイッテー!」
と言われたあの夏を忘れるな。
すると俺の耳にしゅるしゅるという音と軽い落下音。
その後、魔導器の灯り消しますね、とメリッサが口にし、瞼に闇を感じる。
「ご主人様失礼致します――」
布団が捲られ、ゴソゴソとメリッサが潜り込んでくる擦れ音。
「……ご主人様はこれぐらいでは怒りませんよね? お背中――お借りします……」
羊が二十三匹、羊が二十四匹……って! この背中に感じる二つの柔らかい果実は! くっ! 落ち着け羊が二十五匹、おっぱいが二十七個、て違う! 何考えてるんだ! 落ち着け! キャンセルだ! 煩悩!
キャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルキャンセルゥウウウウウウウウ!




