第38話 王都帰還命令
「ん~ん~、これが魔族というものか」
「はい、左様でございます」
「ふん、人に近いといえば近いが、やはり醜悪な見た目をしておるな」
シャドウは騎士たちとの協議を終えた後、屋敷の地下に設けられている安置室に騎士たちを連れて行った。
そして魔導具によって朽ちるのを防止している棺の蓋を開け、魔族であるアルキフォンスの遺体を確認させた。
それを見た騎士たちは一様に顔を顰めてみせた。魔族に対する嫌悪感が強いようである。
「触ってみますか?」
「ん~ん~、バカを言うな汚らわしい。ん~ん~、酷い臭気であるしもう結構だ閉めるがいい」
実際の所、一般的な生物と似ているようで異なる点も多い魔族は時間を置いても腐ることはない。体内の魔力が肉体を構築する上で多大な影響を与えているが、死ねばその魔力の循環も途切れ、後はボロボロと灰になって朽ちるだけなのである。
故に魔導具の力を借りて魔力が切れないようにしているわけだが、どちらにしてもそういった事情から腐臭がすることはない。
だが、にも関わらず騎士たちも臭い臭いと言っている。全く思い込みというものは怖いものだ。
魔族の遺体を見た後は安置室を離れる。するとヘンベルが振り返りふたりを交互に見やりながら言う。
「ん~ん~今後の予定だが、まずアンジェ殿下には王都に戻ってもらいますぞ」
するとアンジェが、え? と目を丸くさせた。
「ちょっと待って下さい。私が王都にですか?」
「ん~ん~、当然であろう? 貴方は騎士であると同時に王女という身の上。いつまでもこのような場所に留まらせておくわけにもいくまいて。それに陛下も殿下の帰還を首を長くして待っておられる」
「し、しかし私にはまだやるべきことが……」
「わがままはそれぐらいにしておいた方が宜しいですぞ。ただでさえ此度の件で心配を掛けているのだから」
心配とは一体どの口が言っているのか? と思わず顔を顰めるアンジェであったが、当然口にはしない。
「とにかくこちらからも護衛を付け、馬車で早急にでも……」
「わかりました。確かにヘンベル卿の言われるとおりですね。私としてもこれいじょうアンジェ殿下を引き止めておくわけにもいきません」
「え? そんなライド卿まで何を……」
「ただアンジェを慕う人々もこの街には多いです。なので皆と別れをいう時間ぐらいは与えては頂けませんか?」
「……ふむ、まあ良いわ。ん~ん~ではアンジェ殿下、出発は明日の午後ということでそれまでには挨拶を済ませておいてくださいよ」
ヘンベルとライドのやり取りを聞いていたアンジェの表情はとても沈んでいた。だが冷静に考えてみれば確かにいつまでもここにいるというわけにもいかない。
「……わかりました」
「うむ、殿下もいつもそれぐらい殊勝であるなら少しは可愛げがあるというものだがな。ん~ん~おっとこれは失礼」
そう言いながらも顔は全く悪びれていない。
「ん~ん~、さて、あともう一点。此度の件で今みせて頂いた魔族の遺体を精査するため、今回特別に我が国とも友好関係にあるヴァリスより使者が赴く手筈となっておる。それまであの遺体はあのままにしておくように、決して紛失などがないようにな。使者が来て何もありませんでは我が国の沽券に関わる」
「また随分と知らない内に話が進んでいきますね」
「ん~ん~、何か問題でも?」
ヘンベルがシャドウを睨めつけ言った。彼の言うヴァリスとは東のヴァリス神聖教国の事である。ヴァリス神の教えを説くヴァリス教皇の統治する国家であり、国民は全員ヴァリス聖教会の信者でもある。
かつて魔王が生まれた際に世界を救ったのはヴァリス神の加護によるものという教義をし、大陸中に布教して回っており、ここガロウ王国に存在する教会も全てヴァリス聖教会の教派のものである。
そういった経緯から魔族に対する関心も強く、その為遺体の確認にヴァリスの使者がやってくるというのは別段おかしなことでもないが――
「……承知いたしました。別段断るものでもありませんので」
「ふん! 当たり前であろう。ヘンベル卿がわざわざ事前に手配してくださったのだ! 寧ろ感謝すべきであるぞ!」
相変わらず外野が煩いが、とりあえずそこで話を終えヘンベル達と別れた。
「アンジェ様は随分と表情が暗いですね」
「様などよしてくれ。もうあの連中もいないのだ。呼び捨てで構わない」
「そうですか。ではアンジェ、王都に帰れるというのにあまり嬉しそうではありませんね」
「……そういうところは意地悪いな。当然であろう、この状況で皆と別れるのはな……だが、仕方ないかもしれないが」
「はは、そうですね。アンジェは王女様ですから。やはりいつまでもこの街に引き止めておくわけにはいきません」
シャドウを一瞥し、そしてアンジェが嘆息する。
「……ま、その件は仕方ないとして、正直意外であったぞ」
「意外ですか?」
「そうだ。まさかお前がそこまで民のことを考えているとはな。いや、領主になってからのお前の働きは見事と言えるが、何か裏があるかと勘ぐっていた自分もいた。本当にすまない」
「謝る必要はないでしょう、実際そのとおりですし」
何? とアンジェがシャドウを見る。すると彼は子供っぽい笑みをこぼして言った。
「私は元は裏側の人間ですよ? それが表舞台に立っているのですから、何も利がないのにこんな面倒なことを引き受けるわけがないでしょう」
「……お前、一体何を?」
「ふふ、別に隠すことではありませんよ。基本的にはあの計画書の通り貴族制度を廃し、そして一人一人が責任をもって領地を豊かにするよう働けるよう意識改革を行っていきます。ただ発展には表だけでは厳しいので盗賊ギルドの皆さんにもこれまでの伝を活用してもらい、裏の販路も利用し――」
「ちょ、ちょっと待て!」
シャドウの言葉を切るようにアンジェが声を重ねた。
「いや、聞く限り、まあ裏の販路はともかくとしても、至極真っ当な内容に思えるのだが……」
「はははっ、それは当然ですよ。アンジェは勘違いされてるのかもしれませんが、裏の仕事は先ず表がなければ意味をなしません。表裏一体ということですね。勿論中には例えば戦火に巻き込まれ人々が貧困にあえぐ中、相手の弱みにつけ込む闇商人などが跋扈した例もありますが、それは長い目で見れば悪手でしかありません。ただでさえ少ない資源を無理やり搾り取ってるようなものですからね。ですから私は先ず地盤から整えることを優先させます。そしてある程度表舞台が整ったところで、裏稼業の方も再開させて頂きますよ。きっとその頃には私以外の領主が席についているでしょうしね」
笑顔で語るシャドウを見ながらアンジェは目をパチクリさせた。
「……ふぅ、全くお前は。ただ、それであればすぐに危険というものでもなさそうだな。だが、裏稼業の方は場合によっては私の手でお前を捕らえる可能性もあることを忘れぬようにな」
お手柔らかに、とシャドウが口角を緩め、そしてふたりがエントランスに戻ったところで、
「お、シャ、じゃなかった、ライド卿にアンジェ殿下。ヒット達が戻りましたよ」
ダイモンがやってきてふたりにそう告げるのであった――




