第36話 シャドウの条件
「貴様! こんな馬鹿げたことを本気で言っているのか!」
ヘンベルの怒号が広間に響き渡る。彼と一緒についてきた騎士たちも揃って目を剥き唸るようにしてシャドウを睨んでいる。
彼らにとってシャドウの考えている計画が、あまりに突拍子のないものであったことが原因だろう。
そのヘンベルを含めた騎士たちの手には、シャドウによって作成された計画書が握られていた。前回渡した報告書とは別にシャドウが用意していたものである。
「はて? それほどおかしな話でしょうか?」
「当たり前であろう! なんだこれは! こんなもの認められるわけがない!」
額に青筋を浮かび上がらせ、怒りを露わにするヘンベルがなんとも滑稽で、同席しているアンジェは思わず吹き出してしまう。
しかしとはいえ、中々とんでもないことを考える男だな、とシャドウを一瞥しながらアンジェは彼を評した。
何せシャドウが計画書として提出したものは、大まかに言ってしまえば。
・イーストアーツ、ノースアーツ、セントラルアーツ、以上の三大伯爵領を併合し一つの領地とする。
・新しく生まれ変わった領地内では貴族制度を廃止する。
・自治権を行使する。
以上がシャドウの提案した内容であった。細かく言えばかなり仔細に表記されており、自治権に関してもそれを行使するにあたる理由がつらつらと列記されている。
だがシャドウに対し喚き立てる連中を、シャドウはどこか冷めた様子で眺めていた。相変わらずの作り笑いを浮かべながらだ。
それが更に癇に障ったのだろう。特に選民意識の高いヘンベルは殊更だ。
「こんなものを引き継ぐのが領主を交代する条件などと、冗談にも程が有るぞ!」
そしてヘンベルは目を通した書類を片手で強めに叩き当然のように文句を言う。
その態度は圧倒的に自分たちの方が上だと誇示したものだ。
しかしシャドウはシャドウで全く動じていない。涼しい顔で、気に入りませんか? と、一体どこに問題があるかわからないといった様相だ。
「当然だ! 大体事前に話しておいただろう! 既にこの地に派遣される貴族は決まっている!」
「それはそちらが勝手に申し上げたことですし私は了承していないのですがね」
「貴様の了承などいるか! これは国の決定であるぞ!」
「そんな一方的に決められても困ります。一応は今ここアーツ地方の領主はこの私ということになっているのですから」
「そんなものはお前が勝手に名乗っているだけだろ! 一体誰がそれを認めていると――」
「お言葉を返すようですが、それに関してはこの街の臣民全てが認めております」
吠えるヘンベルに馬銜を噛ませるが如く、アンジェが言葉を滑りこませた。
それに、むぐぅ、とヘンベルが唸る。
「それと前も話にありましたが、ライド卿は血縁で言えばアーツ地方で唯一の正統後継者です。領主を名乗るには十分と思いますが」
「き、きさ、貴方は一体どちらの味方なのだ! 仮にも王国軍の騎士であり王女ともあろう御方が、このような男の肩を持つなど!」
「私はこの地で生きる民のことを一番に思っております。その考えで申し上げさせてもらうのであれば、ライド卿の提案は一考の価値あるものと思いますが?」
くっ! と苦虫を噛み潰したような顔を見せるヘンベル。周りの騎士もやはり面白くなさそうな様相だ。
「ん~ん~、ふ、ふん、まあいいだろう。どうせこのような提案が国に通るわけがない」
「そうでしょうか?」
「当然だ! このような貴族を蔑ろにするような話、まかり通るわけがないであろう!」
「そうだそうだ!」
「全くこの国のために尽力せし貴族を排除しようなどとは!」
「我々に対する冒涜以外の何物でもない!」
周囲の騎士たちが喧々囂々と喚き始める。ヘンベルの下に付いているものも大なり小なり貴族の位を有している。その為シャドウの提案など納得できるものではないのだろう。
「ふむ、そんなに難しい話でしょうか。私はこれでも随分と譲歩しているつもりなのですが。何せこの提案を受け入れてもらえるなら、別の誰かに領主の座を譲ってもいいと申しているのですから」
「……どこまでもふざけた奴だ。第一――」
「それに、これはある意味王国にとっても好機ですよ」
ヘンベルが何かを言う前にシャドウが言葉を重ねた。醜悪な顔が更に醜悪に歪む。
「この話の何が好機だというのだ。貴族制度を廃するなどというこの話のどこが」
「だからですよ。何せ今この領地には貴族がいません」
何? とヘンベルが眉が吊り上がる。
「貴様! これだけの貴族が亡くなったというのに、それを利用すると言うのか!」
「端的に言えばそのとおりですね」
「な!?」
「なんたる暴言!」
「国にとってこれがどれだけの損失か判っているのか!」
「損失ですか。ですが残念ですがこの地においては貴族の存在が大きな損失に繋がっていたのは目を背けられない事実でしょう」
「な、なんだと?」
「報告書にも記させて頂きましたが、今回の件、確かに領主に成りすましていた魔族によって引き起こされました。ですが魔族の企てに気づきもせず貴族達は目先にぶら下げられた欲につられ、民に重税を課し更に銀行を利用した愚策に協力いたしました。それによって私腹を肥やし続け最も大事にしなければいけない臣民の怒りも買いました。その上で魔族に利用されるだけ利用され最後には魔物たちの餌にされた。彼らは目の前に広がる甘い水だけに目を奪われ、その底にある毒の水に全く気がつくことが出来なかったのです」
「そ、そんなものはお前たちの勝手な解釈だろ! 我々は現場を見ていない!」
「でしたら私が証明いたします。ライド卿の発言にも報告書にも一切間違いはございません」
そこへアンジェが立ち上がり、シャドウを擁護した。ヘンベル達はアンジェを卑下しているようではあるが、それでも王族の血を引く王女である。その発言を頭ごなしに無視するわけにはいかないだろう。
「う、殿、下……」
「これに関しては私も王国側の人間として発言させて頂きます。此度の件、王国で当たり前に続けられた貴族の制度に一石を投ずる事案であることは間違いありません。魔族はとても狡猾です。今後も王国に対して様々な手で災いをもたらそうとやってくる事でしょう。今回のような事がまた起きるともしれません。ならばシャドウ卿の言うように新たな施策を試みるのは決して悪い話ではないと思われます」
「ぐっ! 好き勝手言いおって。だが! だが、貴族を廃してこの先どうなる! この街とて平民が五千はいるのだ! まさか全員が好き勝手動きまわるのか? そんなことで領地が纏まるものか!」
「それに関してはこちらをお読みください。貴族制度は確かに廃止する予定ですがその代わりに議員制度を取り入れていきます」
「ぎ、議員制度だと?」
そのシャドウの話にヘンベル達の目が丸くなった――




