第26話 それを知る時
あれから何がどうなったのかレイリアはよく覚えていなかった。
行為が終わった後、白にまみれたレイリアを、あの男は汚物でも見るような目で見下ろした。
「もう今日はいいぞ。とっとと帰れ」
そんな事を言われもしたが、せめて洗い場の一つも貸して欲しいと懇願した記憶はある。
卑しい奴め、等と言われ、後は勝手にしろと桶と使いふるしのタオルと石鹸を渡された。
水はあったので桶に水を張り、石鹸とタオルでゴシゴシと何度も何度も何度も何度も何度も何度も肌が擦りきれてなくなるのでは? と思えるぐらいに擦った。
とにかく匂いを消したかった。全身に染み付いたようにも感じられる、男たちの欲望に満ちたそれを取り去りたかった。
そして身体を洗い、着替えを済ませ、屋敷を出て帰路についた。
「すっかり遅くなっちゃったな……」
夜の帳に覆われた空を眺めポツリと呟く。
今宵は満月だ。月光で多少足元はマシだ。
綺麗な月だった。そこにゲイルの優しい笑顔を重ねた。
ふと、お腹を擦る。
もし、今、出来たとしてその子は一体誰の子になるだろうか?
獣のような奴らは、いくらレイリアがそれだけはやめて欲しいといってもやめることはなかった。
何人もの男の欲情が、レイリアの身体に注がれたのである。
「……うっ!」
口を押さえ脇にそれ屈み、全てを空にするようにげ~げ~と吐き出した。
思い出しただけで、胸にこみ上げる気持ちの悪さを堪えることが出来なかった。
「うぅ、うぅううう、あぁああぁあ、うぁあああああぁあぁああぁ!」
そして――溢れ出ろ慟哭。絶叫に近い叫び。
地に顔を伏せ溢れる涙が下草を濡らす。
――ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
繰り返す、繰り返す、繰り返す。
謝罪の言葉を、愛しのゲイルを裏切ったという感情が深々と胸に突き刺さる。
罪の鎖が心の臓を雁字搦めにする。
だが、後悔しても後悔しても――汚された現実は変わらない。
その時、誰かの足音が耳に届く。
レイリアにはそれが誰かよく判った。
すぐに顔を拭う。
絶対に気づかれないように……
絶対に許されない裏切りだと、レイリアは考えている。
例えそれが自分の所為などではなくても……
それでもレイリアは彼らに懇願した。どうかこの事は黙っていて欲しいと、自分から頭を下げてしまった。
「レイリア!」
月明かりに照らされたゲイルの顔をレイリアはまともに見れない。
だが、ゲイルは弾んだ声で駆け寄り、レイリアの肩に手を置いた。
「どうしたんだ一体? 他の皆は戻ってきてるのにレイリアだけ遅くて心配したんだぞ? まさか……あいつらに何かされていたのか?」
レイリアの心臓が跳ねた。
「……いえ、違うの。そんなことはないわ。実は貴方と街のことで聞きたいことがあるっていうから、つい話し込んでしまって」
「聞きたいこと?」
「……そう。貴方や街の事をね、女性の視点から一度聞いておきたいって。だから、ね。そんな心配するような事じゃないの」
そうか、と安堵するゲイル。
レイリアはなんとか笑顔を取り繕い、ゲイルに向ける。
意外な程すんなりと、嘘が口から出た。
そしてその後は一緒に帰路についた。
笑顔で接してくるゲイルが辛かった。
でも悟られまいと平然を装った。
ただ、その日レイリアはどうしてもゲイルが求めるのを受け入れることは出来なかった――
◇◆◇
翌日、ゲイルは今後の事をヘンベルやザクスと話し合った後、仲間達と一緒に物資を倉庫に運び入れた。
話は思いの外スムーズに進んだ。物資も十分な量を提供してくれた。
正直ゲイルにとって最初の印象は最悪であったが、それでも王国の正騎士としてやってくる貴族だ。
最初は、突然やってきて指揮を取ると言い出した彼らに不満の声も上がっていたが、それにはゲイルから上手く説明したりもした。
意外と街の事はちゃんと考えてくれているのかもしれない等と少し見なおした部分もあったからだ。
それに、確かにゲイルは冒険者として魔物狩りなどを中心にやっている方が性に合っている。
暫くは補佐も同時にこなさなければいけないだろうが、その辺は上手くやっていくしかないだろう。
ヘンベルは兵士達と騎士を半分残し、後はセントラルアーツに向けて出立するようであった。
彼らが街を出る準備が整った時、既に太陽は中天の空に差し掛かる頃であった。
「それでは我々はもう出るとしよう。後のことはザクスと上手くやってくれ」
「わかりました」
ゲイルは素直にそれに応じる。
するとヘンベルは、ん~、ん~、と妙な唸り声を上げながら、思案顔を見せ。
「しかし貴様の婚約者というのは出来た女であるな」
ヘンベルから受けた言葉を、褒められたものだと素直に受け取り、
「そういって頂けると、昨晩向かわせた甲斐があります」
と頭を下げた。
「ふむ、しかしな。確かにいい娘だとは思うが、お前も色々と苦労するな」
え? と頭を上げるゲイル。
最後に告げられた一言に怪訝に眉を顰めた。
「ん~? ん~? なんだ知らなかったのか」
肩を竦め口にされた言葉に、何のことですか? とゲイルは問い直した。
「ヘンベル卿。その事は内密にというお話で」
「ん~、ん~? おお! そうであったなこれはうっかり私としたことが」
大仰な身振りでわざとらしくそんな事を言う。
だが、当然それによってゲイルの疑問が膨れ上がった。
「一体、一体なんの事なのですか?」
「ふむ、まぁ仕方ないか。だがあの娘もお前の事を思ってのことだ。それを裏切るなど心が痛む。だから私から聞いたとは言わないでくれよ」
「だから! 一体何が!」
興奮のあまり声を荒げ、問い詰めるように言う。
その態度に顔を眇めるヘンベルだが。
「だから、まぁあれだ。昨晩夕食を振る舞って貰った後にな、私は帰っていいぞと伝えたのだが、どうしても話があると言ってな。私やここにいる騎士たちもまぁ折角腕をふるってくれたのに無下にするのも申し訳ないと思ってその話に付き合ったのだがなぁ……」
「えぇ。ですがあの娘。話の途中で突然服を脱ぎ始めてな。あれには私も驚いたぞ」
「うむ、そしてまぁなんだ。我々もお疲れでしょうからとな。勿論我々も最初は断ったが、あぁも迫られては、なあ?」
「全くです。我々もやはり男ですから。あれは断れませんよ」
「う、嘘だ! レイリアがそんな事をするわけがない! デタラメを言うな!」
ゲイルが吠えた。右手を振りぬき、眉間に皺を刻み、怒りをその瞳に宿し、騎士たちに睨めつける。
「全く、まるで猛獣だな。だがゲイル、我々を責めるのは筋違いというものだぞ。それに我々とて言ったのだ。そんな事をされてもゲイルに爵位を譲るのも領地を任せるのも我々だけの判断でどうにか出来るものではないとな。それに物資だって割当は決まっている。それ以上を求められても困るとな。だがそれでもあの娘は……まぁその先は想像がつくとは思うが」
ヘンベルの言葉に唖然となるゲイル。
その言葉の一つ一つが信じられない。
「疑うなら直接あのレイリアに聞いてみるといい。我々としては心苦しいが、おかしな勘ぐりをされるぐらいなら、その方が良いでな」
「……そんな、そんなレイリアが、レイリア、が……」
ゲイルの肩が落ち、愕然と佇む。
口からは同じ言葉が漏れつつけていた。
「さて、我々はもういくがそう気を落とすな。それでもあの娘は、お前の為を思ってやってのけたことなのだからな」
言ってヘンベル達は馬を駆り、蹄の音を響かせた。
ゲイルは暫く呆然と、その音が離れていくのを聞き届けているだけであった――




