第159話 シャドウの秘密
アンジェの問いかけに、シャドウは顎に軽く指を添え一考する。
そして細目を彼女に向けゆっくりと口を開いた。
「それは……私から答えるようなものでもない気がしますけどね」
右手を差し上げ、相変わらずのどこか澄ました笑みを浮かべながら言う。
それにアンジェは、むぅ、と顔を顰めるが。
「そんな事はないのではないか? そもそも今回の案件、私に知らせを寄越したのはシャドウお前だし、結果的に解放軍が結成されたきっかけを作ったのもシャドウではないか」
「確かにそうですが……しかし私はあくまで解放までお手伝いしたに過ぎませんよ」
「いや、だがそれでは少々薄情ではないか? あまりこの場で話すことではなかったかもしれないが、恐らくこの状況であれば元の領主の生存は絶望的であろう。貴族たちの生き残りも期待は出来ない。つまり――」
アンジェのいいたいことは判る。今ここは領地を治める主がいない状況だ。
それでいて周辺の村の被害も大きく、今は宴を楽しんでいるが、今後は街の復興も考えていく必要がある。
そうなると例えば冒険者達の纏め役としてモブがお願いされているように、とりあえずでも領主の役目を担うような先導者が必要になるだろう。
「しかし、だからといって領地をこれからどうしようかなどとは私には手に余る問題ですよ」
「いや、そんなこたぁないだろうよ」
相変わらずの作り笑いを残したまま、シャドウが頭を振って答えた。
だが、そこへ待ったをかけるようにキルビルが口を挟む。
「どういう意味だキルビル?」
「あぁ、実はさっきもそれについてちょっと話をしていたところでな」
「……キルビル。その件は私は納得した覚えはないですよ」
「いいじゃねぇか。俺はもうシャドウしかいないと思ってるぜ。このアーツ地方の領主を任せられるのはな」
筋肉の張った腕を組み、数回頷く。
どうやらキルビルは、シャドウに新しい領主になってほしいみたいだがな。
実はさっきのアンジェとの話の流れでも頭にそのことが過っていた。
それぐらいの手腕はシャドウにはあるだろうとも思える。
ただ――
「……うむ、やはりそうだな。やり方はどうであれ、裏で色々と策を講じたその力量はかなりのものだと思うしな。まぁ正式に領主となると簡単には行かないと思うが」
「やっぱり領主はそう簡単になれるものではないのか?」
俺が横からアンジェに訊くと、形の良い顎を引き。
「元の領主の血筋の子などが後を継ぐのであればそれほど苦もないのだが、そうでなければ色々とな……最低条件でも爵位ぐらいは必要とされている。騎士で武勲を上げたり、王侯貴族に認められた商人などであれば爵位を授かると同時に領地も任されるという事もあるが、今回のような場合は通例であれば王国から選任された者が領主となる可能性が高い」
アンジェの説明に特に疑問に思うところはないな。
ここの領主は魔族が成り代わっていた事でかなり無茶な事をやっていたようだが、魔族を倒したからといって基本的な制度が変わるわけもないわけだしな。
やはり貴族というのは色々と特権が与えられるものなのだろう。
「でも、そうなると新しい領主が決まるまでは何も出来へんって事になるん? まぁシャドウが領主ってのはあんまりピンとせぇへんけど」
カラーナが怪訝そうに発言する。
シャドウに関しては盗賊ギルドにいた頃から知ってるだけに、領主というのがしっくりこないのかもしれないな。
「いや、流石にそういうわけにもいかないだろう。だからここは王国側から正式決定があるまでは、代理のような形でシャドウが立つのがいいかと――」
「いや、だからそうじゃないんだって」
と、ここでまたキルビルが口を挟んだ。
それにアンジェも眉を顰め疑問の目を彼に向ける。
「なぁシャドウ。もう話したっていいんじゃねぇか? どうせ隠してたってここまできたらバレるのは時間の問題だと思うぜ?」
「……寧ろここで言わなくても貴方が言うのでしょう? それにこの流れだと言わないわけにもいかないでしょうし……全く」
キルビルがシャドウの肩を叩き念を押すように言うと、黒衣装の中から嘆息し、男性にしては細い指で帽子を軽く直した。
直後、笑みが消え、観念したような様子で口を開く。
「キルビルが言っているのは私の本来の生まれについてです。実はシャドウというも偽名でしてね」
その告白には特に驚くことはなかった。元々は裏でブローカーという仕事に就いていたわけだしな。
それなのに堂々と本当の名を語ってるとは思えない。
「本名ではない? 偽名だったという事か? ならな本当の名はなんと?」
……アンジェはシャドウが本名だと信じてたのか……
まぁそれはそうと、彼女が尋ねると、やはりシャドウは一つ息を吐きだし、それに答える。
「……シャトー・ライド、それが私の本当の名ですよ。本当はもうこの名を語ることもないと思っていたのですけどね」
吐露されたシャドウの言葉で、アンジェから短い声が漏れた。
かなり驚いているような雰囲気を感じる。
「シャトー……ライドだと? それではまさかノースアーツの!?」
「あぁやっぱり王国の正騎士ともなると判るようだな。ははっ驚きだろ? こいつこうみえてノースアーツを治めてた伯爵家の次男坊なんだよ」
少しくすんだ色の歯を覗かせ、悪戯っ子のような笑みを浮かべたキルビルが言った。
てか、これには俺も驚きだな。
偽名とは思っていたが、まさかシャドウが貴族の血を引いているとはな……
「て、ほんまなん? 信じられへんわ! だってシャドウ、やったらなんでここであんな仕事やってたんや?」
「カラーナの言うとおりだ。それにノースアーツは今は酷い状況だ。正直生き残ってるものなどいないと思っていたが……」
「……私が今の仕事についたのは、貴族のしがらみなどから逃れる為ですよ。キルビルの事は私も子供の頃から知ってましたし、彼がセントラルアーツに居ることも知ってましたからね。ですから領地を継ぐのは兄に任せて、私は置き手紙だけ残して家を出たのです。元々私は父とも折り合いが悪かったですしね。まぁそのおかげであのノースアーツの襲撃からは逃れることが出来たと言えますが」
つまりシャドウ、まぁ本名はシャトーだが正直今更だしな……で、シャドウは自分から貴族の身分を捨てたという事か。
しかしその行き着いた先が裏稼業とはな。
「……しかし、それにしても自分から出て行くとは。ふむ、という事はもしかして今回の件で色々動いていたのは、領地を滅ぼされた事も関係しているのか? 恨みを晴らすためなど……」
アンジェの問いかけ。確かに、結局ノースアーツはここの領主に成り済ました魔族の手によって滅ぼされたようなものだ。
そうなるとシャドウがその事にうすうす感づいていて、色々と計画を練ったという可能性も当然考えられるが――しかしシャドウは首を横に振り否を示す。
「今も言いました正直言うと私は父も兄も嫌いでした。母も私が物心付く前に他界しておりますし、なので別に家族の敵討ちなんて物を考えていたわけではありません」
「しかしシャドウ……て、シャドウでいいか?」
「問題無いですよ。私もそっちの名の方が気にいってますし」
許可が出たので俺は今後もシャドウと呼ぶこととし、更に話を続ける。
「そうか、じゃあシャドウ。シャドウがそこまで嫌うというのはやはり何か理由があるのか?」
「理由ですか……そうですね。父も兄も選民意識の高い人でしたから。キルビルとの付き合いも当時はいい顔されなかったぐらいですし、貴族以外は人としてみないような、そんな偏った意識の持ち主でしたからね」
「まぁ何を言われても俺との付き合いをやめなかったのはシャドウらしいっちゃらしいけどな」
キルビルが両手を差し上げながら言う。どこか呆れたような微笑だが、嬉しそうでもある。
しかし……その話を聞いているとこの街にいた貴族たちと大差ない感じだな。
「むぅ、確かに貴族には自分は特別だという思想が強く、それ以外の人々を見下しているものも多いが……」
「そうですね。実際ここのセントラルアーツとて例外ではなかったでしょう。魔族のせいでかなりひどい状況ではありましたが、かといって魔族に支配される前は良い領地だったのかというそんなことはなかったですしね。銀行は流石にまともでしたが、税に苦しむ人々は多かった。まぁだからこそ私のような仕事に需要があったともいえますが」
「シャドウの商売の腕はかなりのものだったからな。まぁそういった経緯もあるから貴族相手には身なりよくしてライトを名乗り、中々えげつない事をしたりもしていたが」
「……コホン。まぁそのことに関しては詮索しないようにしておこう」
アンジェが咳払いしつつ言う、
まぁ本来は王国の人間だからな……
「しかしシャドウ。元々貴族の家系なのに、わざわざライトという偽名も使っていたんだな」
「えぇ。そっちは前もお話したとおり、私からの借金を返せなくなった貴族のを利用したもので……」
「そ、それも聞かなかったことにしておこう」
アンジェが顔を顰めた。元々はアンジェから問いかけたものだが、聞きたくないことまで耳にして戸惑ってる様子も感じられるな。
「流石にライドの名を出すと、生い立ちがバレてしまいますからね。裏の仕事では逆に邪魔なんですよそういうのは」
「確かにいざとなったら弱みを握られることになるかも知れへんしね」
それもそうか。それに本名を出すぐらいなら偽名を使用する意味が無いしな。
「まぁそういうわけでして、領地そのものにはこだわりもないですし、家族が殺されたと言ってもそこまでショックはないのです。冷たいと思われるかもしれませんが。ただ、ノースアーツで暮らしていた人々の命が数多く奪われたことに関しては思うところもありました。ですので、私も能力を使って独自に調査を始めたわけです」
「そしてそこから色々調べているうちにおかしな点に気がついて――」
「王都に向けてカラスを飛ばしたわけか……」
「はい。正確には領地を出る商人の馬車に潜ませた形ではありますけどね」
あぁなるほど。許可されたものなら結界に出れたわけだから、馬車に忍ばせておけばシャドウの創ったカラスが出ることも可能だったという事か。
「まぁ事の顛末としてはそんな感じだな。だが、とはいえだ、出て行ったとはいえ、シャドウが伯爵の血筋であることは間違いないしな。これなら新しい領主としての条件は満たしているだろう?」
自信満々にキルビルが言う。
確かにその話だけ聞くと条件としては問題ない気はするが――




