第155話 魔族との決着
ナイフを投げた。すっかり出番の減った投げナイフだが、基本常に投擲用のナイフは数本ベルトに仕込んでいる。
それを奴に投げつけたわけだが、アルキフォンスは驚く様子も避ける素振りも見せず、ただ黙って俺の投げたナイフを受け入れた。
結果――ナイフは弾かれ、そのまま空中をくるくると数回転した後、地面に落ちた。
「無駄だ。もう貴様の攻撃など効かん!」
なるほどねっと。
「メリッサ! この周りの結界がどうなっているかは判るか?」
「あ、はい! それがご主人様、き、綺麗さっぱり消え去っております!」
「うん? 消えてるというとあの結界の事か?」
「どういうこっちゃねん。て、あ!? 向こうになんか皆きとるやん!」
アンジェが、どこかきょとんとした様子で述べ、カラーナは外の様子に気がついたようだな。
そして俺は――メリッサの話のおかげで状況が理解できたので、一旦ステップキャンセルで皆の下へ引き返す。
「ふん、わざわざ距離を離すとはな」
愚かな、とでも言いたげな口調。
だが、俺にとってこの行動は間違いではない。
「私から見てもヒットは十分おしていたと思うが、何かあったのか?」
ここでアンジェからの問い。基本的には接近戦が得意な彼女からしたら、俺の行動が解せないってところか。
「あいつは結界を解いたことで更に魔力を回復させたんだ。だから、今あいつの身体には膜のように結界が覆われていて一切の攻撃を通さない」
「はぁ? なんやそれ! そんなん勝ち目ないやん!」
素っ頓狂な声を上げるカラーナ。
それに、くくっ、とアルキフォンスが反応し。
「そこの黒いのの言うとおりだ。まぁこれも消される可能性があったがな」
そういいつつニヤリと口角を吊り上げる。あれは、例えまた俺がキャンセルで結界を消しても、あの妙な移動方法で避けてただろうな。
まぁそれもキャンセルでなんとかならないこともないが、相手が俺のキャンセルを意識してると、その分冷静に対応される可能性がある。
「さぁ! ここからが本番だ! そこの女は惜しいが――仕方がない」
奴は勝利を確信したかのような笑みを浮かべると、それから高速で唇を動かす。
その響きに皆の空気が変わった。
「なんだこれは? 詠唱?」
「でもなんやねん! どうして同時に何個も聞こえてくるねん!」
そう、ふたりが驚いているように、奴の口から紡がれるは重なりあう多重の調べ。
「これは――まずいですご主人様! あの魔族が使用しているのはスペルテンダラーです!」
メリッサの緊張した声が耳朶を打つ。
あぁ確かに、これはスペルマスターのスペシャルスキル。
ダブルスペルより更に強力な一〇の魔法の同時展開。
重なりあう詠唱で、一体何を唱えているのかまで確認できないが、これをまともに食らうと流石に全員やばいな。
だけど――
「カラーナ! マジックボムはまだ残っているか?」
「え? あ、大丈夫や! 一個残っとるで! それをあいつにぶつけるんやな!」
「いや、まてヒット。いま奴には攻撃は通じないと言っていたではないか?」
「あぁそのとおりだ。だからカラーナ、それは向こうに投げろ!」
俺がそういって投げる方向を目で示す。するとカラーナもアンジェも驚きを隠せない様子。
「大丈夫だカラーナ! セイラなら絶対に気づいてくれる! そしてメリッサは――」
「あ、なるほど判りました! いきます!」
俺達のやりとりを聞きながらも奴の詠唱は止まらない。
そして――
「貴様らが何をするつもりか知らんがな! これで終わりだ!」
発動の言葉とカラーナの投げたマジックボムが空中で爆発したのはほぼ同時。
そして俺達に迫るは、黒と赤の交じり合った猛撃。
炎の玉と爆発の連鎖、八匹の炎蛇に、闇の炎に漆黒の槍、そこに加えて炎の馬車と黒き蝙蝠の大群が迫り来る。
それらの魔法がほぼ同時に四方八方から襲いかかってきたのだ。
絶体絶命、そう、普通であれば――だが、それらの魔法は全て、俺達に着弾するその前に、その場から消え失せた。跡形もなくすっきりとな。
「あ、あ、な、何故、な、ななっ、何故だぁああぁあぁああ!」
アルキフォンスが悲鳴に近い声で叫ぶ。
そしてこれは、勿論キャンセルだ。メリッサの周囲に設置しておいたキャンセルトラップを俺たちの周りに変更し、更に残っていた範囲指定のマジックキャンセルを使用した。
魔法指定ではなく位置指定形なのが範囲キャンセルの特徴。
だから、来るタイミングさせ掴めば一気にキャンセルで消すことが可能ってわけだ。
そして、取り零した分はトラップキャンセルの効果でこれも消えた。
「お前は俺の力を舐めすぎだな。さて次はこっちからいくぞ。覚悟はいいか?」
奇声に近い叫び。強張る表情、信じられないといった両の目。
どうやらいまのスキルによっぽど自信があったようだがな。
だからこそ絶望もひとしおってところか。
そんな奴に、俺は教えてやる。今まさに真の絶望が迫ってきていることをな。
「上を見てみるんだな」
「う、上、だと?」
怪訝な様子で、奴が首を擡げそれを確認し、そして奴の身が固まった。
恐らく恐怖が表情に張り付いている事だろう。
頭上からは、炎に風に土に雷といった多種多様な魔法に加え、無数の矢に投げ槍と、空を覆い尽くす程の量が凄まじい勢いで迫ってきているのだ。
奴のスペルテンダラーが霞んで見えるほどの一斉攻撃。
それらは淀みなくターゲットのアルキフォンスのみを狙い打つ。
やはりセイラは気づいてくれたな。彼女はメリッサのスペシャルスキルも知っている。
だからあの一見意味のない爆発を使ってのサインも、しっかり汲み取ってくれた!
「確かその結界があれば無敵だったか? だが、あれだけの魔法を使用して、貴様の魔力は果たしてどれぐらい持つか? ところでメリッサ、今のターゲットロックの持続時間はどれぐらいだ?」
「はいご主人様――」
俺が尋ねると瞑目し、そして一拍置いた後、とびっきりのいい笑顔で彼女が言葉を紡げた。
「残り一〇分です――」
「くっ、くそがぁああぁああぁああぁ!」
◇◆◇
一〇分というのは短いようで意外と長いものだ。
おまけに奴は、ただでさせスペシャルスキルという大技を使い相当に魔力を消費している上、プリズムコートはこれまでの流れで見るに、発動中は魔力を消費し続けるタイプ。
つまり、奴にとってのこの一〇分間は、ボクシングで約三ラウンドを休憩なしで打ち続けるようなものだった筈。
だが、当然だがそんな真似をして体力(まぁこの場合魔力だが)が持つわけがない。
途中で息切れし、ガードも解ける。
そしてそこを狙ったように、相手の攻撃が降り注ぎ――まぁそれが、その結果が、今の奴の状態ってわけだ。
「ぐっ、ぐぞぉ、ご、ごん、な……」
……着ていた服はボロボロ。さらけ出した半身は、裂傷、熱傷、爆傷、槍傷、矢傷、打撲傷と敵ながら数多くの戦傷の後が痛々しくも感じる。
何より、そのどの傷も決して軽くなく、恐らくその影響から左目は潰れ、出血も酷い。
地面には血溜まりができ、身体もボロボロで杖をまさに杖として利用しないと立っているのもやっとのような状態だ。
この男が一体何分結界を持たすことが出来たかは知る由もないが、あえて言うなら寧ろこの状態で命があるのは流石といえるのかもしれない。
「さて。流石にもうこれはどうしようもないな。終わりだよお前も」
俺はどことなく憐れむような響きで言い放つ。
すると奴は、構えを取り準備しているアンジェに目を向け歯噛みした。
予め俺が頼んでおいた事だ。もしまだこれでも生きてるようならトドメはアンジェに任せるとな。
「くくっ、かかっ! やはりだ! やはり人間はどこまでも愚かで醜く、そして卑劣だ!」
「卑劣だと?」
俺は眉をひそめて問い返す。正直こいつには言われたくない言葉だ。
「あぁそうだ! そこの女を賭けた勝負で、よりにもよって他者の手を借りるなどな!」
「アホか貴様は。大体その賭けはお前が勝手に宣っていただけだろうが」
俺の返しに、むぐぅ、と喉をつまらす。
「大体、そもそもからしてこの戦いは別に俺と貴様の一対一の戦いではない。貴様に虐げられ、蹂躙され、人としての尊厳すら踏みにじられた人々が貴様ら卑劣な魔族を滅ぼすべく挑んでるんだ」
「その通りや! 第一うちの大事な仲間を、仲間をあんなめにあわせたあんたらが、よう卑劣なんて言えたものや! ふざけるんやないで!」
「おまけに貴様は自分の手は汚さず、結界という安全な場所でぬくぬくと陪観を決めるような屑ではないか。そんな奴に卑怯だ卑劣だなどと言われる覚えはない!」
「貴方の行った事で沢山の罪のない人々だって死んでいるのです。チェリオも、愚かではありましたが、元はといえば全ての現況は卑劣な魔族です! 愚かなのは貴方達の方です!」
カラーナ、アンジェ、メリッサが次々に思いの丈をぶつけていく。
恐らく、ここに他の皆もいたら同じように言ったことだろう。
貴様にだけは言われたくないとな。
「そういう事だ。ここに来た目的は別に貴様と正々堂々勝負するためじゃない。俺達で貴様を完全に滅する為だ。手助け上等! だからお前はここで――」
そこまでいって俺はアンジェに目配せする。
それにアンジェは一つ頷き。
「邪悪なる魔族よ! ここで滅びるがよい! ゲイルオンスロート!」
アンジェが、ここに来て新しく編み出したという必殺のスキル。
それがアルキフォンスに向け今放たれた。
やはり彼女の技は俺にはない破壊力を秘めている。
大気を切り裂き、烈風の調べをまき散らし、螺旋の風を後ろに残しながら、戦乙女の渾身の刺突が奴のど真ん中に命中した。
「ぐはぁああぁあぁああぁああぁあ!」
絶叫を上げ、そしてアルキフォンスが派手に吹き飛ぶ。
空中高く舞い上がり、綺麗な放物線を描き、そして――アンジェの痛烈な一撃を受けたその身は結界の消失した塔の外側へと投げ出され、そして頭から地上に向けて、落下していった……
◇◆◇
身体中に手ひどい傷を残した青い身躯は、だらりと力なく地上に向けて自由落下していく。
アルキフォンスが投げ出された位置は城の外側にあたるが、そのまま落下すれば硬い岩の地面に激突。
塔の天辺から地上までの高さは五〇mは優にある。
頭から落ちたなら先ず助からない。
だが、そんな状況にも関わらず――そのアルキフォンスは薄い笑みを浮かべていた。
そしてまもなくして、アルキフォンスの身体が地面に激突。
そのまま頭蓋が砕け、地面に魔族の成れの果てが横たわる――そう思われていたが。
むくりと、彼は起き上がった。あれだけの高さから落下したにも関わらず、その身の傷は塔の上で付けられたものばかり。
魔族は笑う。ニヤリと口角を吊り上げ、ざまぁみろとでも言いたげに。
思わず声が出そうな口を手で塞ぎ、アルキフォンスは立ち上がり移動を開始した。
あのアンジェの攻撃を喰らうまで、内心ヒヤヒヤした思いで彼はいた。
わざわざあそこで卑劣だなどと挑発するような言葉を口にしたのは、少しでも時間を稼ぎたかったからだ。
そうすれば、塔を飛び降りた後、地面に達する直前に結界を纏うぐらいは出来る。
そう踏んでいたからだ。
そしてその作戦は見事にうまくいった。女騎士のスキルは強力で、咄嗟に結界の壁を張ったとはいえ肝を冷やしたが、そこからあえて自分から吹き飛んで見せたことで、奴らは確実に落ちて死んだと思っている筈。
いや、例え途中で気づかれたとしても、あの上から追い打ちを掛けることなど不可能だ。
いくらヒットというあの男の能力でも、この距離を瞬時に詰めるすべがないことは、彼もガイドの話から理解している。
こんな無様な真似、正直アルキフォンスからすれば屈辱でしかないが、今はとにかく生き延びることが大事だ。
それに、この地でもっとも重要な探索はとっくに済んでおり、ベルモットにも渡してある。
後は帝国との事もあるが、そのあたりは王に任せるほかない。
だが――それでもこのままおめおめと逃げ帰るのでは収まりがつかない。
このまま、あの冒険者共の集まってる場所までいき、この爪で何人かでも犠牲にしてやる。
ついでに魔力も奪ってやる。
移動を開始しながらアルキフォンスはそんな事も考える。
あのメイド服の女がいい、そう思いついた。
魔獣ガルムとの戦いで疲弊している筈だ。それにあの女なら魔力もそれなりに回復できるだろう――
アルキフォンスは唇を舐め醜悪な笑みを浮かべ、そして女をぶすりと突き刺す感触を夢想して、なんとも言えない興奮を覚えていた。
股間が疼くのも感じていた。まるで薄汚い人間のようだなと自虐的な笑みも浮かべた。
だが、それもきっと怪我のせいで、妙な興奮状態に陥っているのだと思うことにし――
重い身体に鞭を打ち、残り少ない魔力を振り絞って滑るように移動する。
――急がねば、急がねば、急がねば。
急いで! あの女を!
その瞬間だった――
「へ?」
それは、あまりに間の抜けた一言だった。
理解が出来なかったからだ。自分が置かれた状況に、自分に訪れた運命に。
青い額からは、先の尖ったボルトが見事に飛び出していた。
それは後頭部を貫き刳り穿ち突き出した物だ。
半ば呆然とした様子で動きを止めた魔族の指が、冷たい金属に触れ、かと思えば目玉がぎゅるんと上を向き――
そしてこのセントラルアーツを絶望の淵に叩き込もうとした魔族の領主は、間の抜けた言葉を最後に残し、物言わぬただの骸と化した――
やっと決着……
 




