第146話 魔獣と神獣
「――グォオオオオォオオオオオオォオ!」
魔獣ガルムの咆哮。ビリビリとした空気の振動に、セイラの動きが一瞬鈍る。
それを見逃すことなく、魔獣の牙がセイラに迫った。
しかしフェンリィを肩に乗せたまま、ギリギリで真横に飛びその噛み付きから逃れる。セイラは相変わらず表情に変化が少ない。
逆にガルムの血走った瞳は、即座にギロリとセイラに向けられ、そして身体中の体毛が硬質化しキラリと輝くと同時に全方位に発射された。
「――アップグラン」
セイラの口から紡がれ魔法が発動される。
目の前の土が盛り上がり、セイラの身体を隠すほどの高さに達し壁となる。
初級魔法とはいえ、アップグランは込める魔力次第では防壁としても優秀だ。
そのままではとても避けきれない無数の毛針は、セイラの手によって生み出されたそれに阻まれ、標的に達することなく終わる。
が、その直後――防壁は粉々に砕かれ、大小様々な石の礫がセイラとフェンリィのいた場所を轟然と突き抜けた。
だが、直後振るわれた音速の一撃にガルムの顔が歪み、岩を吐き続けていた口が閉じられる。
空中からの一撃だ。セイラは毛針の後のブレスから、跳躍して逃れていた。
ロックブレスは正面から扇状に広がっていく攻撃ではあるが、横の範囲に比べて縦の広がりはそうでもない。
そこを突いた一撃であった。尤もガルムが首を擡げ再び放出すれば今度は逃げようがないが、しかしその鞭の一撃一撃がそれを許さない。
鞭という武器は獣や魔獣相手に特化した武器である。しかもそれをビーストテイマーのジョブを持った者が使用すれば、固有スキル【躾の鞭】の効果で更に威力が向上する。
セイラは空中から更に鞭の武器スキルである【ビーストウィッピング】を繰り出した。
目にもとまらぬ速さで鞭がうねり踊り、ガルムの身に甲高い音と衝撃を残していく。
対象に鞭を連打するこのスキルは、特に獣や魔獣に対しては嫌がるポイントを重点的に打つことで効果が高くなる。
セイラの疾風の如き鞭を喰らい続けたガルムは、流石にこのままでは堪らないと思ったのか、攻撃の切れ目を狙ってゴロゴロと横に転がるようにしながら鞭の射程範囲から脱出した。
巨体が転がることで大地が揺れ、地震でも起きたのかと錯覚するほどでもあるが――
セイラはフワリと地上に降り立ち、距離の離れたガルムを見据えたまま、鞭でピシャリッ! と地面を鳴らした。
歯牙を剥き出しにしたガルムの様相は、戸惑いと怒りのまじり合ったものだ。
だがどちらかと言うと怒りの方が強いのかもしれない。
セイラは表情にこそ出さないがガルムを観察し次の手立てを考えている。
このまま鞭で攻め続けてもいいが――しかし確かに魔獣相手に効果が高い鞭であるが欠点がないわけではない。
鞭はメイスや槌などのように破壊する力はなく、剣のように斬りつけたり、斧のように断ち切ることも出来ない。弓矢のように射抜くことも出来ず槍のように貫くことも不可――つまり、鞭による攻撃は殺傷力に乏しいのである。
尤もこれは、獣や魔獣系を固有スキルであるアニマルティムで捕獲する為には本来有利な事でもある。
鞭であれば相手を捕獲できるまで弱らせるには最適であり、間違って殺してしまうことも大怪我を負わせてしまうこともないからだ。
なのでこのガルム相手であっても、捕獲できるのであればこのまま鞭による攻撃を続けてもいい――セイラはそうも考えていたかもしれないが……しかし戦っているうちにそれが無理であることにセイラは気がついた。
ビーストテイマーとしての直感で、このガルムがなんらかの方法で精神を支配されている事を知ったからである。
そうなると、セイラの力ではガルムを手懐けるのは不可能である。
と、なると、ここでガルムは何があっても駆逐しておかなければいけない相手だ。
そうでなければヒットに任せてとまで言い放った意味が無い。
「――ファイヤーボール」
セイラは鞭を手にしつつも、相手にダメージを与える戦法に切り替えようと、先ずは使用頻度の比較的多い炎の魔法で様子を探る。
魔力を練り発射された火球は、セイラの頭より二回りほど大きい。
それがガルムの右肩辺りに命中。小爆発を起こすが――ガルムは一瞬顔を顰めるも大したダメージには繋がっていないようだ。
一般的な獣であれば火をみればそれだけで恐れるものだが、魔獣ともなると、この程度の炎は恐れもしないし怯みもしない。
そして、ガルムの眼の色が再度変わる。戸惑いは消えていた。残っているのは殺気のみ。
そして次の瞬間、ガルムの周囲の地面が跳ね上がり、硬化し岩石と化したそれが空中に打ち上げられた。
そしてその無数の岩石は空中で砕け、破片がセイラ向けて降り注ぐ。
これは土の中級魔法のロックレインと同じ物であり、本来であれば使用には詠唱が必要とされる。
だがガルムほどの魔獣ともなれば、この程度は詠唱なしでも即座に発動可能。
おまけに本来は一発しか打ち上がらない筈が、同時に何発もである。
こうなると流石に躱すのは厳しい。かといって土魔法のアップグランは上にまで効果は及ばない。
ならば――
「……収束の風、衝撃の風、仇なす者を打ち砕かん――【エアハンマー】」
放たれしは、風を一点に集め固まりとして対象にぶつける初級の風魔法。
セイラはこれで降り注ぐ岩の破片を打ち砕き、被弾数を抑えた。
だが、それでも全ての破片を防ぐことは叶わず、セイラは肩に乗せていたフェンリィを抱き寄せ、一身に防ぎきれなかった礫や尖った矢のようなそれを受けた。
セイラの身体に痛々しい痣と裂傷の痕が刻まれる。
命を失うほどではないが、滲んだ血が痛々しくもあった。
腕の中ではくぅ~ん、とフェンリィが心配そうに鳴く。
「……大丈夫」
セイラはフェンリィの頭をひと撫でしそれだけいうと、再びガルムと対峙。
既にガルムは次の攻撃手段に移ろうとしている。
そこへ破裂音と共に鞭が迫る。あたりさえすれば一瞬でも動きは止まる。
「グゥオウ!」
しかしガルムは、鋭い爪を誇る右の前肢で地面を刳り掻く事で勢い良く土が舞い上がり、その力を利用し鞭の進撃を阻害した。
あたることのなかったセイラの鞭が手元に戻るのと、ガルムの次の攻撃が発動したのはほぼ同時であった。
身体を起こした魔獣がそのまま地面を叩きつけると、土の津波がセイラとフェンリィに向けてその大口を開け飲み干しに掛かる。
「……フェンリィ」
「アンッ! ワオォオオォオオン!」
この状況でフェンリイが遠吠えを上げる。任せてと言わんばかりに。
フェンリィとて、ただ黙ってみているほど臆病ではない。
むしろずっと出番を待っていたのだ。
セイラのワイルドウィップによってその能力は高まり、姿も成長した野生の狼と同程度にまで変化する。
そして今度は、セイラがフェンリィに掴まる番だった。
セイラの腕が首に回るのを認めたフェンリィは、再び遠吠えを上げ、風を纏い、迫る土砂目掛けて飛翔した。
正に風の如き速さで、フェンリイは斜め上方に向けて飛翔し、土砂を貫き、ガルムの頭上まで到達した。
そこで威嚇するようなひと鳴き。
だが、今のフェンリイではまだまだガルムを怯ませるほどの咆哮は無理である。
寧ろ魔獣はその顎門を開き、空中漂うフェンリィを噛み砕きに掛かった。
しかしこの状態のフェンリィは、ある程度なら風を操れる。
横風を発生させ魔獣の狂牙から逃れ、そこから滑降し風を纏わせた一撃でガルムの身体に一文字の傷を残す。
「グウゥウウウウゥウウ!」
傷を受けたからか、いいように翻弄されたからか、ガルムの苛立ちを感じさせる唸り声がセイラの耳に届く。
しかしセイラはそれを気にすることなく、地面に着地した直後、フェンリィの残した傷目掛けてビーストウィッピングで攻め立てる。
これには流石に堪らないと、ガルムは身を捩らせ、情けない鳴き声を上げた。
かなり効いているのは間違いがない。
だが、鞭だけではトドメはさせない。
更にフェンリィの事もある。
この成長した状態はそう長くは続かない。
セイラは一旦瞑目すると、どことなく決然とした雰囲気を漂わせ――スペシャルスキルを発動した。
それは今覚えたばかりの【ブリーダルライン】であった。
魔獣と同期することでお互いの能力にお互いの力を上乗せするスキル。
それを行うことで――風をまとっていたフェンリイの周りに炎が生まれ、無数の炎の礫がガルムの傷口に命中しその肉を焦がした。
風しか操れないはずのフェンリィが、炎を操るに至ったのはセイラの力が上乗せされたから。
そして――
「風は烈風と化し我が身を覆うだろう。これは風刃の鎧なり。攻めるなら攻めよ、無尽の刃は近づくものを切り刻み、その生命を断ち切らん――【エアロミキサー】」
ウィンリィと同期することで、セイラもまた能力に風の力が上乗せされる。
これによって初級しか使えなかった魔法も、風魔法に限り上級までつかえるようになった。
エアロミキサーは、近づくものを切り刻む刃のような風が使用者を覆う魔法だ。
そしてこの効果は使用している武器にも及ぶ。
セイラはフェンリィの攻撃を喰らい悶えるガルムに更に追い打ちとして、ビーストウィッピングで攻め立てる。
さっきまでとは違い、風の刃を纏った鞭の攻撃は殺傷力が増している。
それに加えて、フェンリィの炎の礫が容赦なくガルムの身体を燃やしていく。
ビーストテイマーとしての力を遺憾なく発揮したセイラと、セイラのスキルでパワーアップしたフェンリィによるコンビネーションは、次第に魔獣の体力を奪い、ダメージを蓄積させ――そして。
「グウウウウウウウォオオオオオオオ!」
天空に轟くガルムの鳴き声は、相手を威嚇する咆哮ではなく、命の灯火が燃え尽きたことを知らせる絶叫であった。
そしてこの叫びを最後に、ズシィイイイイン! という重苦しい音をこだまさせ、魔獣ガルムは最期を迎えたのだった――




