第117話 追いかけられるダイモン
母親フェンリルが亡くなり、子フェンリルも暫く哀しそうに鳴き声を上げていた。
その様子を一様に眺め哀悼の意を示す。
だが暫くその身を抱き抱えていたセイラだが、小さなフェンリルを地面に戻し、その姿をじっと見下ろしながら口を開いた。
「……これからは、私が親代わり……立派に育てる」
俺の耳に届くセイラの声。
抑揚のない声ではあるが、どこか決意めいた思いも感じられる。
すると小さなフェンリルがセイラを振り返り、くぅん、と消え入りそうな声を上げながら顔を上げた。
見た目には本当にフェンリルが小さくなったみたいな、そんな感じか。
ただ、今の体長は子犬ぐらいであり、改めて見ると中々愛らしい。
「……そろそろいく」
「え? おいセイラ」
ふとセイラは踵を返すと、すたすたと馬車の方へ向けて歩み出す。
フェンリルは放ったままだ。
「ちょいセイラ。あんたフェンリル育てるんやなかったん?」
カラーナが怪訝そうに問いかけるが、そこでセイラは振り返り。
「……ここまで来る」
距離にして三メートルぐらいか? そこで小さなフェンリルを振り返ってそう呼びかけた。
だがフェンリルは、くぅ~んくぅ~ん、と淋しげに鳴き動こうとしない。
「セイラ、あの子はまだ生まれたばかりですし……」
「うむ、そうだな。本来ならまだ親に甘えていたい頃だろうしな」
メリッサとアンジェが小さなフェンリルの肩を持つようにのべるが、セイラはふたりを振り返り、表情は変えずに反論した。
「……ただの子じゃない。神獣の子……強く、育てる」
無表情ながらも、どことなく芯のある考えに、ふたりも何も言えず口を閉じた。
そして、セイラは……メイド服から鞭を取り出し、て、え?
――パシィイイイィイン!
「……甘えるな、こい」
えぇえええぇえ! と全員が大口を上げて驚きの表情を見せる。
いきなりスパルタだなおい!
そして突如音速を超える鞭さばきを見せられたフェンリルも、ビクリッ! とその小さな体躯を震わすが――程なくして狼の如き遠吠えを披露した後、セイラに向かって駆け寄り始めた。
その姿を認めたセイラが両手を広げると、小さなフェンリルがその胸に飛び込み、その腕の中に収まった。
……俺にはよくわからないが、これが躾というものなのか?
「……よしよし」
そして、そのフサフサの頭を撫でながらセイラが褒めるように言うと、嬉しそうに、あん! と鳴きペロペロとセイラの顔を舐めだした。
セイラは片目を瞑り……無表情ではあるが、嬉しそう、かな?
「なんやこのフェンリル、中々賢いやん、触ってえぇ?」
「……カラーナもう触ってる……」
「うむ、流石はフェンリルの子といったところか。きっとこの子はいい神獣になるぞ!」
「で、でもやっぱり子供のうちは可愛いですね……お、お腹とかも凄く柔らかい」
「た、確かにこのもふもふ感は……ウィンガルグとはまた違った――」
「……最高の毛並みと、もふもふ」
……うん、なんか全員でセイラを囲んで子供フェンリルの身体を触り始めてるな。
流石もふもふは女性陣に大人気だ。
ただ、俺はその外側で眺めているだけだがな。
なんか男があぁいう輪の中に入るのは少し気恥ずかしいし。
だが、そこへセイラが俺に顔を向け、小さなフェンリルを抱え近づいてきた、無表情で。
「……ご主人様も抱く」
「え? 俺が? いいのか?」
思わず自分の顔を指さし尋ねると、セイラはコクリと頷いた。
「……ご主人様の願い叶える、奴隷の務め」
……いや、おれそんな顔してたのか?
まぁ確かに、人並みに動物を可愛がる気持ちは持っているが……
でもやはりこのもふもふの魅力には抗えず、セイラの手から受け取り、抱きしめ、頭を撫で、お腹を擦った。
やべぇ! なにこの手触り! 柔らさか! そしてなんか気持ちよさそうにしてる愛くるしい表情!
なんか悪いものが全て抜け落ちていくような、そんな気にさえなる。
て、ぺろぺろと顔を舐められてこれも悪い気はしないな……あぁなんか癒やされる――
「なぁこのフェンリルって雄なん雌なん?」
「あ、はい。雌ですね」
「……女の子」
「やっぱかぁ。ボスは相手がフェンリルでもモテモテや」
「な、なに! あれはそういう事なのか!?」
いや、ちょっと待て! 何故か俺がとんでもないスケコマシみたいな話になってるぞ!
くつ! と、とにかく一頻り子供フェンリルの感触を楽しんだ後はセイラの下へ戻してやった。
そして改めて全員で死んでいったフェンリルの魂に祈りを捧げ、新しく仲間に加わることとなったフェンリルと共に道程を再開させる。
フェンリルはその身ごと消失したからな……それで馬車の通り道は確保された。
あとはこの洞窟を抜ければコンボ大森林に。
そこまで行けばセントラルアーツまで、もうそこまで掛からないことだろう――
「でも、この子にも名前をつけてあげないといけないですね」
洞窟を無事抜けることにも成功し、コンボ大森林を走っていると後ろの荷台からメリッサの声が届いた。
確かに名前はあったほうがいいよな……
「賛成やな、フェンリルだけじゃ不便やし」
「むぅ、確かにそうだな」
「アンジェの精霊獣にも、ガルちゃんって名前がありますしね」
「な!? そ、それはもう決まってしまってたのか?」
アンジェが唸るようにいう。
まぁガルちゃんは、メリッサがいつの間にかつけてた愛称だから、戸惑うのも判るけどな。
「えぇやんガルちゃん。呼びやすいし、アンジェの精霊獣としてぴったりや」
カラーナが茶化すように言う。
でもガルちゃんは別に悪く無いと俺も思うけどな。
そしてそんなガルちゃんは、子フェンリルと馬が合うのか、互いにじゃれあったりしてるらしい。
「折角だから名前はセイラが決めたらどうだ?」
御者台で四人の会話に耳を傾けながら、俺は幌の向こう側に聞こえるように声を上げて意見を言った。
「……私が?」
「そやな。セイラが親代わりなわけだし」
「うむ、確かにそれが一番だと私も思う」
「そうですね! この子もそれが一番うれしいと思います」
三人も俺の考えに同調し、セイラが、
「……考えてみる」
と返事した。
セイラが一体どんな名前をつけるか……ちょっと想像できないが楽しみに待ってるとしようかな。
その後、幌の中ではやはり女性陣がフェンリルを愛でたりしてるようで話が弾んでいた。
それを微笑ましいと思いながらも、俺はシャドウナイトの操る馬車にステップキャンセルを掛けて馬車の移動を補助する。
そしてコンボ大森林を抜け、街道を北に向けて走らせ続けていると、三台の馬車が魔物に追いかけられているのを目端に捉えた。
位置的には北西の方から俺達の向かおうとしているセントラルアーツ方向に向けて必死に駆っている形だ。
馬車の後ろから追いかけているのはスナイプリザート。
体長二メートルのトカゲ型の魔物で、群れで行動し狙った獲物は逃さないタイプ。
実際かなりしつこい魔物だな。
それが二〇匹程、馬車を追い、集団で平原を勢い良く駆け続けている。
ただ、馬車の方もただ追いかけられているわけでもなさそうだ。
全て俺達と同じ幌馬車だが、殿を務める馬車の後部側が捲れていて魔物に向けて矢が射られ魔法が放たれているのも確認できる。
魔法はフレイムショットやサンダーボルト。
弓矢系の武器スキルである、ダブルショットやワイドショットなどのスキルの使用も確認できるので、冒険者が乗り込んでいる可能性が高い……てか、よくみると先頭を走る御者台で手綱握ってるのダイモンじゃないか!
あいつこんなところで何やってんだ一体……
とにかくそうなると放っては置けないな。
スナイプリザートは鱗が結構頑丈だから、弓矢ならそれなりに強力な物か、スキルでないと仕留めるのは難しい。
魔法も少々火力不足か。サンダーボルト系で感電効果を与えているので、追いかける魔物の動きが鈍ってるのは悪くないけどな。
ただ魔力が尽きると一気にピンチに成りかねない。
しかし、この魔物なら俺のスパイラルヘヴィクロスボウで問題なく倒せるだろ。
「おーい! ダイモン! 今助けるぞ~」
ステップキャンセルで魔物を狙える位置まで移動させた後、俺はダイモンに向けて叫んだ。
すると向こうも気がついたようで、焦りの見えていた表情に安堵の色を滲ませる。
「ヒットどうかしたのか?」
「てか、今ダイモンっていうてなかったか?」
「え? ダイモンってあのダイモンさんですか?」
荷台から三人の声が投げかけられる。
なので俺は、事情を説明しつつ。
「まぁすぐ片付くさ――」
そう言いつつ魔物の群れに向かって、キャンセルシュートを射ちまくった――
◇◆◇
「いやぁ、ヒットの旦那とこんなところで再会出来るとはな。でも助かったぜ!」
馬車を追いかけていたスナイプリザートを、スパイラルヘヴィクロスボウでの連射で殲滅させ、俺はシャドウナイトに告げ、俺達の乗る馬車をダイモンの操る先頭の馬車まで近づけた。
するとダイモンが顔を綻ばせ両手を広げ出迎えてくれたが。
「まぁ再会に関しては、俺からもそっくりそのまま返させてもらうけどな。なんでセントラルアーツで守衛していたダイモンが、こんなところで魔物に追いかけられてるんだ?」
御者台から下り、ダイモンに尋ねる。
すると幌を捲る音が耳に届いた。他の皆も気になって下りてきたようだな。
「ダイモンさんお久しぶりです」
「てかほんま何してんねん?」
「なんだお前たち、知り合いなのか?」
メリッサとカラーナはダイモンとは馴染みだが、アンジェとセイラはそうではないからな。
まぁセイラは特に何もいっていないが、とりあえずふたりには、ダイモンの事を簡単に説明し、改めて彼から話を聞く。
「守衛なんてもうとっくに辞めたっていうか、正直今はセントラルアーツもそれどころじゃねぇんだよ。シャドウが色々動いて盗賊ギルドも協力してで解放軍ってのが出来てな。銀行や貴族相手に対立してんだ。で、俺もまぁそれに協力してる形だ」
「なんやそうやったんか。てかシャドウの奴、うちのいたシャドウキャットの名前勝手に使ってるやろ? 全く油断も隙もないねんほんま」
カラーナが腕を組み、ダイモンに対して不満をぶつけるようにいう。
まぁダイモン関係ないけどな。てか一応はまだその事気にしてたのか。
「まぁいいじゃねぇか。今や、セントラルアーツじゃカラーナはちょっとした人気者だぜ?」
「え!? カラーナだって!?」
「もしかしてシャドウキャットを復活させ、たった一人でセントラルアーツに立ち向かい、解放軍の旗揚げに一役買ったというあの?」
「すげぇ! 生で見れるとは思わなかったぜ!」
「てかすげぇ美人! まるで女神のようだ!」
……いつの間にか後ろのも含めて馬車から下りてきていた面々が、カラーナの存在を知り色めき立つ。
ちょっとしたどころか、かなりの人気じゃないかこれ? なんか握手とか求められてるし。
「なんだカラーナ、随分と人気者ではないか」
「ははっ、凄いですね」
「いや! 何言うてんねん! うちそんなん言われても困るわぁ。ほんま参ったなぁ」
とかいいつつ、顔を綻ばせ頭を擦って、まんざらでもない様子だな。
「あ、あの……」
「うん?」
ふと横から声が掛かり首を巡らすと、若い女性が数人並んで立っていた。
どことなく遠慮がちに声を掛けられた感じだが……俺はこの子たちに見覚えがあった。
「え~と確かお前たちは――」
「あ、確か……」
「うん? あぁそや! あん時の!」
そしてアンジェ、メリッサ、カラーナの三人も気がついたようだな。
この子たちが、あの時豚の盗賊団から助けだした村娘達だって事に――
 




