第116話 託されしもの
メリッサの鑑定により、思いもよらないフェンリルの妊娠を知った直後、魔獣フェンリルは突如蹲るような姿勢に変わり、苦しそうな表情をみせ全く動かなくなってしまった。
正直言えばこの時点で、フェンリルを無視さえしてしまえば、通り過ぎることは可能だったかもしれないが、どうにも事情が事情だけに放っては置けなくなってしまった。
だから今は、全員がフェンリルの近くで様子を見ている形だ。
「よ、よもや妊娠とはな……」
アンジェも眉を落として、戸惑いの表情を浮かべている。まぁ今さっきまで戦っていた相手なわけだしな。
「……大分、弱ってる」
するとセイラが、フェンリルの容態を見ながらそんな事を呟いた。
まぁ俺達がここまで近づいても、何もしてこなくなったぐらいだから弱っているのは確かだろう。
四つの瞳もどこか虚ろだし。
そして、セイラの話を聞いたアンジェはどうにもバツが悪そうな雰囲気であり。
「も、もしかして私の攻撃のせいか?」
どうやらさっきまでの戦いを気にしているようだな。
「う~ん、やけど、こればっかりはうちも攻撃したし、やらなきゃやられるって状況やったんやし、別にアンジェのせいってこともないやろ」
「そのとおりだな。俺だってセイラだって、さっきまでは本気で倒そうとしていたんだし。このフェンリルだってお腹の事もあったんだろうが、本気で俺達を殺しに来てたんだ。その事を後悔しても仕方がない」
「……ま、まぁ確かにそうか」
こればっかりはな。誰が悪いってわけでもないだろう。
それよりもだ――
「なぁボス。このフェンリルやけど、ボスの力で治す事できんの? うちらにやったみたいに?」
「……さっきまで俺達が与えたダメージ分を、治すことなら出来ないこともないと思うけどな。でもいいのか? それをしたらまた襲い掛かってくる可能性だってある。それにこのフェンリルをどうするかという問題もあるだろ」
どういう事やん? とカラーナが不思議そうに聞いてくるが、俺がこのフェンリルを放っておけない理由はただ心配だからというわけではない。
「つまり、このフェンリルを今の内に始末してしまうかどうかということだ」
セイラ以外の全員が、一斉にぎょっとした眼を俺に向けてきた。
ただセイラは無表情というだけで、何かを言いたそうな雰囲気も感じられる。
「お、おいヒット本気か?」
アンジェが狼狽した様子で俺に訪ねてきたが。
「……アンジェ、君は後顧の憂いを絶ちたいと言っていただろ? そうなってくると、当然考えるべきは、生まれてくる子は果たして魔獣なのかどうか、というところではないか?」
アンジェが、むう、と唸り、顎を押さえ考えこみだす。
「確かに迂闊だった。その可能性は当然考えるべきだったな……その場の雰囲気に流されていい問題ではない」
アンジェも悩みどころか。何せ生まれてくるのが魔獣だというなら、いずれは人に害なす脅威となり得る可能性が十分にある。
ましてや神獣フェンリルがベースなのだから。
「で、でもご主人様! やっぱり私殺すのは――」
メリッサが叫び、そこで言葉を止め、悲しそうな顔を見せる。
鑑定で妊娠状態であることを知った本人だけに、心苦しいのかもしれないな。
「一応いっておくが、これは客観的に考えた場合の意見であって、俺個人としては出来れば産ませてやりたい」
俺がそう告げると、メリッサがほっとした表情を見せてくる。
ただアンジェとカラーナは渋い顔を見せていた。
「でもなぁ、ボスのいうことはもっともかもしれへんで。危険があるかもしれないなら始末しといたほうがえぇんちゃう?」
「むぅ……私も正直心苦しいか――」
「……だいじょう、ぶ」
うん? 何かセイラが――フェンリルの頭を撫でながら、そんな事を口にする。
「……この子、産みたがって、いる――それにお腹の子は大丈夫だと、思う」
……正直俺は驚いた。セイラが特に聞かれたわけでもないのに、ここまではっきり自分の意見をいったのは初めてだからだ。
「あ、あのご主人様! 私もセイラの意見に賛成です。きっと大丈夫だと思います!」
「う~ん、セイラがここまで言うなんてきっと思うところがあるんやろな。やったらボス、前言撤回してうちセイラの言葉を信じたいわ」
メリッサとカラーナが訴えるような瞳で俺に言ってくる。
俺は後頭部を擦りつつ、アンジェに視線を移すが。
「こ、この状況で私だけが嫌だというわけにもいかないだろ! それに……冷静に考えれば生まれてから考えてみてもいいわけだしな」
俺の視線で何がいいたいかは察してくれたようだが、言われてみればそうだな。
メリッサの鑑定もあるわけだし、別に産んでもらってから考えても問題ない。
「……でも、体力的に普通に産むのは難しい」
再びセイラの言葉。
頑張ってとでもいいたそうに、頭を撫で続けてはいるがな。
むぅそこまで弱っていたか。
それに関してはどうしようもなかったとはいえ、やはり俺達が与えたダメージのせいもあるかもしれないしな。
「……ここはやはり回復してやるか」
「あ!?」
俺が思った事を口にした瞬間、メリッサが素っ頓狂な声を上げる。
「なんやメリッサ、突然大きな声上げて、びっくりしたわ」
「もしかして何かあったのか?」
カラーナが怪訝そうに眉を顰め、俺が尋ねる。
するとメリッサは、どこか弱ったように口を開き。
「そ、その妊娠という部分に気を取られすぎていてうっかりしていたのですが……この子、呪いが掛かっています――」
「は!? の、呪いだと?」
「それは鑑定で判ったのか?」
アンジェが疑問げに訪ね、俺もメリッサに問いかけるが、それに彼女は頷いて応え。
「しかもかなり強力な呪いみたいで……多分この子が弱っているのは、その呪いの影響の方が大きそうです」
「なんやそれ……大体なんで呪いなんて掛かっとるねん」
カラーナもアンジェも得心がいっていない様子。
勿論メリッサもだが……ただ俺は、周囲に見える人骨からなんとなく予想がついてしまった。
「……どうやらここでフェンリルに敗れた中に、シャーマンがいたようだな」
俺がそういうと、アンジェが、そうか! と思い出したように声を上げた。
「シャー、マン? なんやそれ?」
「魔力を呪いに変換して扱うスキルを扱うジョブだな……私もみたことはないのだが」
「あぁそのとおりだ。そしてシャーマンはエンドオブカーストというスペシャルスキルを持っている。これは自分が死ぬときにのみ発動できるスキルで、自分の命と引き換えに、相手に絶対に解けない最悪の呪いを掛けるんだ」
「なんやそれ! えらい迷惑なスキルやな! 死ぬ時ぐらい黙って死んどけ! て思うわ」
まぁその気持ちも判らなくもないがな。
「これはご主人様の力で何とかならないでしょうか?」
メリッサが懇願するように言う。
そんな悲しそうな瞳で頼まれると何とかしてやりたいという気持ちにはなるが……
「一応やってはみるが……」
俺はフェンリルの顔を眺めながら、状態キャンセルをその身に掛けてやる。
だが――
「……すまない。やはり無理だった。俺の力は時が経ちすぎた相手には効果が無い……残念だけどな」
ダメージキャンセルにしても状態キャンセルにしても、一見万能そうだが、無制限にいつでもどこでも効果があるというものではない。
「……そう、ですか」
メリッサも辛そうではあるがこればっかりはな……
しかしこれは、セイラの話通りだとしてどうなってしまうのか……
と、思っていた矢先、突如フェンリルが苦しみだした。
「お、おいどうした?」
「……産気づいてる……産まれそう」
「な、なんだと! た、大変だ! う、産湯産湯!」
「アンジェちっとおちつきや!」
「ど、どっから取り出せば!」
メリッサも大慌てだな……いや、しかし。
「……このまま産むのは無理――最終手段をとる」
「最終手段って?」
「い、一体何する気なんセイラ?」
全員がセイラの次の言葉に注目するが。
「……腹を切る」
「えぇええぇええぇえぇえ!」
「ほ、本気かいセイラ! 腹なんて切ったら……」
「し、死んでしまいますよ!」
アンジェが叫びあげ、他のふたりも困惑している。
セイラが俺達に顔を向ける。
その表情は無表情だが、ただ何かの決意を感じさせる。
「……これは仕方ない、それに――」
「……どっちにしろ長くはない、か」
俺が言うとセイラがコクリと頷く。
それならばせめて子供だけでもという事なのだろう。
「しかし大丈夫なのかセイラ?」
「……これぐらい、メイドの……嗜み」
言ってセイラがスカートを捲りナイフを取り出した。
そしてファイヤーを唱え、刃に熱を加える。
滅菌消毒といったところか。
すると俺達が固唾を呑んで見守る中、セイラが首を巡らせ俺達をじっと見据え。
「……このままじゃ切れない。仰向けに」
そんな事を言ってくるが…………え? これをか?
◇◆◇
シャドウナイトを含めた全員で、なんとか全長一〇メートルあるフェンリルを仰向けにひっくり返すと、手慣れた手つきでセイラがフェンリルのお腹を切り裂き、そして中から一匹の小さなフェンリルを取り出した。
そしてセイラは前もって用意していた産湯にフェンリルの子供を浸からせた後、そっと抱き抱え母親フェンリルの顔の前まで近づけた。
ちなみに産湯は、セイラが土魔法で地面を抉り、水魔法で満たし、炎魔法で温めて用意していた。
この状況でなんだが便利だな。
フェンリルに産湯が意味あるかは不明だが……とりあえず母親フェンリルのお腹は、このままだと痛々しいのでそこはダメージキャンセルで戻してやる。
ただそれでも、このフェンリルがもう長くないというのは変えようのない事実だ。
「くぅ~ん、くぅ~ん」
まだまだ小さな子フェンリルが、親に甘えるように鳴き声を上げる。
すると母親フェンリルが、幼い我が子をペロペロと舐め毛繕いをしてあげた。
恐らくこれが、最初で最後の親子のスキンシップになるんだろうなと思いつつ、その様子を眺めていると、ある変化に気づく。
子供を産んだフェンリルの毛色が灰掛かった白から、光を帯びた、どことなく神々しい白に変化したのだ。
そう、これは――
「ご主人様……神獣に、フェンリルが神獣に戻っています」
メリッサが口元を両手で覆い、涙ながらに書き換えられた鑑定結果を伝えてくる。
「……これは、奇跡だ。愛する我が子を産み落とした事によって、フェンリルは最後の最後に自らの誇りを取り戻したのだ」
アンジェが恍惚とした表情を浮かべている。
その目にもやはり涙の膜が張られていた。
だが、最後にとアンジェが言っている通り、フェンリルの命は間もなく尽きる。
その証拠に、フェンリルの身体が徐々に光の粒子へと変化し、天に向かって浮き上がっていっている。
『――ニンゲンヨ』
その時、俺の脳裏に何者かの……いや間違いない。神獣フェンリルの声が鳴り響いた。
それは俺だけじゃなく、この場にいる全員の脳に直接語りかけてきているようであり。
『サイゴニ、オレイヲ、イワセテホシイノデス――ウマセテクレテ、アリガトウ』
「そんなフェンリル殿! 私達は貴方を……」
そこでアンジェが口篭り顔を伏せる。
神獣としての自我を取り戻したフェンリルの死にゆく姿をみて、つい後悔してしまっているのかもしれないが。
『ワカッテイマス、イママデワタシハワレヲワスレ……デスカラ、ソレハシカタノナイコト。デスガモシカノウナラ……ワガコガマジュウニオチヌヨウ、アナタタチニタクシタイ……コンナコト、イエタギリデハナイノカモシレマセンガ――デモアナタガタニナラ、アンシンシテタクスコトガデキル』
フェンリルの言葉でいくと、どうやら生まれてきた子供は神獣のようだな。
だが、このまま地上に放置しておくと、この子もまた、魔獣になってしまうかもしれない。
しかし……俺達なら安心、か。だけど俺は敢えていいたい。
「セイラ、今の君の気持ちを応えてやれ。死にゆくフェンリルの手向けにな」
彼女に語りかけると、その眼が俺に向けられた。
セイラの腕の中で、フェンリルは崩れゆく親の最期を看取るように、小さな鳴き声を上げ続けている。
そして俺や、みんなの視線がセイラに注がれている中、彼女が小さく頷き。
「……この子は、私が、立派に育てる。魔獣になんか、させない……」
『……アリガトウ、ニンゲンノムスメヨ。ワタシヲヨビダシタモノハ、ワタシヲオイテニゲテシマッタケド、アナタニナラアンシンシテ――ドウカワガコヲ、オネガイシマ、ス』
その言葉を最期に、フェンリルの身体は完全に霧散し、そして天に召された――
セイラの腕の中のフェンリルが哀しげにくぅ~ん、と鳴くと、セイラがその幼い身体をギュッと強く抱きしめた。
……それにしても、なんか最後に妙な事を言っていたな。
呼び出したものが逃げ出したって……どんだけ無責任だよそのサモナー……
産まれた!
無責任なサモナーもいたものです




