第99話 ぎりぎりの中で
部屋にチェリオが姿を見せると、流石にメリッサも緊張し身体が強張るのを感じた。
恐らくメリッサがレイリアとアンジェを逃してしまったらしい、という事をガイドから聞いているはずだ。
しかし、だとしてもチェリオが、メリッサの命までも奪うことはないことを知っている。
それよりも今、彼が、一人で部屋に来ていることのほうが重要だ。
流石にガイドの姿もない。これは冷静に考えればチャンスといえるかもしれないのだが――
メリッサの与えられた部屋には時計がある。凝った意匠の施された振り子タイプの柱時計だ。
その時刻は夜の9時を示している。
この時間に部屋を訪れた以上、何かしらの目論見があってもおかしくはない――
「メリッサ。全く君にも困ったものだ」
チェリオは顔に笑顔を湛えたまま、そんな言葉をメリッサに掛ける。
やはり聞いていた、そうメリッサは心のなかで呟いた。
ただ今見せている笑みは普段周囲に見せている冷淡なものではない。
メリッサにしか見せていない好意的なものだ。
「ガイドから聞いたよ。レイリアを侵入者に引き渡したとか……本当に、そんなに嫌だったなら言ってくれれば始末したのに」
「……そういうつもりだったのではありません。ただ、どうしようもなかったのです……」
メリッサは、まさかチェリオがそういう答えに行き着くとは思えず、少し戸惑ったが、出来るだけ曖昧な返事をするに留めた。
「……そうか。そうだよね。いきなり賊が入ってきたなら怖くて動けなくなるだろうし。だってメリッサはか弱い……だから今後は私がしっかり守らないといけないな。安心して屋敷の警護は明日から倍に増やすよ。魔物が多くて少し驚くかもしれないけど、人間なんかよりずっと役に立つ従順な魔物たちだから」
「……はい、ありがとうございます」
本当はお礼なんていいたくもないのだが、メリッサはぐっと堪えて、その言葉を言う。
本来なら魔物が増えるなどこれほど嬉しくないことはないが……とにかくいまはチェリオから目を離せない。
「でもガイドのやつ、おかしなことを言うんだよ。侵入者はメリッサの知り合い、仲間じゃないかって。そんな筈ないだろうにね」
心臓が跳ねまわる思いだ。
だが、なんとか落ち着かせようとする。
「メリッサの気持ちは私はもう判ってるつもりだよ。時折困らせるような事を言うのも、私への愛ゆえともね。私は嬉しいんだ、メリッサが心を開いてくれたのが。感じるよ君の熱い眼差しを――」
「……そんな、勿体ないお言葉です……」
認めはしない。でも否定もしない。
「……ガイドは本当に失礼なやつでね。メリッサが私を視てるのは、何かを探るためじゃないかっていうんだ。だから出来るだけ、視られないようにした方がいいなんてね。そんな筈がないだろうに……ねぇメリッサ。そうだろ――」
チェリオの顔つきが変わった。少し息も荒くなっている気がする。
そしてゆっくりと近づき、目と鼻の先にチェリオの顔が来た。
「あいつの言ってるのが間違いだって、今から証明してやろうよメリッサ。この意味判るよね?」
チェリオの右手が、メリッサの胸に添えられ、ビクリとそのか弱い肩が震えた。
勿論それは、触られることへの嫌悪感ゆえ。
早く、早く! と鑑定の結果を待つが、一時間にも二時間にも感じられた苦痛の時間は、実際は五分が過ぎただけであった。
この空間での三〇分が、あまりにも遠い。
「メリッサ、私は君が、欲しい」
すると首筋に生暖かい息がかかり、全身が粟立つ感覚を覚える。
更にチェリオの右手は、ドレスの胸元に入り込み、スライドして豊かな膨らみに差し掛かろうとするが――
「お、踊りましょうチェリオ!」
「……へ?」
咄嗟にチェリオの腕を掴み、呆けた彼の右手を引き抜くようにして、左手もとり、
「ほら、こうして」
と部屋の中で踊り始める。
勿論瞳は、チェリオから外してはいない。
「チェリオ覚えていますか? 昔一度こうやって一緒に踊った事がありましたよね?」
そう。メリッサはチェリオに男女間の愛を感じてこそいなかったが、弟に対するような(実際はチェリオの方が年上だが)愛情は芽生えていた。
だからこそ、とある貴族の集まりの際に、まだ踊りが不得手だった彼にダンスを教えてあげたことがあるのだ。
尤もその行為の一つ一つが、チェリオがメリッサに恋心を抱くようになった、要因でもあったわけだが。
「……そうだね。懐かしいな。今でも思い出すよ――あの時の君も、美しかった――」
思い出したように笑みを浮かべるその表情に、かつてのチェリオを垣間見た気がした。
もしこの優しさを、メリッサだけでなく臣民に向けることが出来たなら……もしかしたらいい領主にもなれたかもしれない――
一瞬そんな事も考えてしまったメリッサだが……しかし今の彼はもうもどれないところまで来ている事も、当然メリッサは理解していた。
目の前にいるこの男は、領地の人々も自分の親も妻も、そして――メリッサの家族の命さえも、奪ってしまったのだから……
「でもやはり、音楽がないと寂しいね。あの時演奏されていた音楽は、私のお気に入りでもあってね。でも参ったな。この屋敷に出入りしていた奴らは、私のお気に入りの演奏をミスしたものだから、ついつい両腕を切断させた後、喚き声をバックに切り刻んで殺してしまったんだ。あぁでも大丈夫。代わりはいくらでもいるだろうし今度手配するとしよう」
メリッサのチェリオとの思い出が、瞬時にして黒く塗りつぶされたような、そんな気持ちに陥る。
こんな悍ましい事を話しながら、楽しそうに笑うチェリオが恐ろしく、脚が縺れそうになるが、なんとか堪えダンスを続けた。
「どうかな? 以前より私もダンスは上手くなったつもりだけど?」
「え、えぇ。凄く上達していて驚いたわ」
メリッサの反応にチェリオは満足気な笑みを零す。
「そう、良かったよ。でも――」
「きゃっ!」
チェリオは突如動きを変え、メリッサをベッドに押し倒した。
その行為に思わず短い悲鳴を上げるメリッサだが、それでもやはり、視線はチェリオから外さなかった。
「……綺麗な目だ。吸い込まれそうな――」
チェリオの男性にしては小さな手が、メリッサの頬に触れ、優しく撫でてくる。
だが、にも関わらずメリッサの身体は硬直。
この男の能力を看破する。それを決意してから、ある程度メリッサは覚悟を決めているつもりだった。
場合によっては夜、このような状況に追い込まれる可能性だって予想もしていた。
そして、この時だけ、それを受け入れてしまえば、行為の間であれば見続ける事に違和感もなく、三〇分ぐらいはすぐかもしれない。
だが、それでも……メリッサは自分にとって大事なそれを、こんな男に奪われたくはない――
「メリッサ、君を愛している。一生大事にもする。だから私を受け入れて、そして今こそお互い、一つに――」
チェリオの唇が迫る。ゆっくりと、しかし確実に、あと数センチ、数ミリ――その瞬間!
「駄目!」
メリッサが大きく首を振り、顔を逸し、そして身を捩り否定を示す。
その様子に、あ預けを喰らった犬の如き様相で、チェリオが、何故? と呟いた。
「……やっぱり、まだ駄目。気持ちの整理がつかないの――まだ一日目だし……」
メリッサは顔を背けたまま話し、それに疲れてしまって、とも付け加えた。
「……それとも、貴方は無理やりそういう事をするの?」
背けていた顔を戻し、真剣な眼差しで、チェリオに問うように言う。
「……まさか。それなら仕方ないね。でも一緒に寝るのはいいよね?」
「……それも、御免なさい。今日ぐらいは、一人で考える時間が欲しいの――」
「判ったよ……」
そう言ってチェリオはベッドから下り立ち上がる。
メリッサの姿を見下ろしながら、今日は諦めるよ、と口にした。
「……でも、限度はある。もし明日も拒まれると――そんな事はないと信じたいけどね。うん、楽しみは後にとっておくよ。私はメリッサを信じているから」
チェリオは最後にそう言い残し、一人部屋を後にした。
その姿が完全にいなくなったのを認め、メリッサは大きく息を吐きだし、心底安堵し胸を撫で下ろした。
だが、チェリオの言葉はつまり、明日の夜には無理矢理にでもそういう行為に及ぶつもりだ、と、示唆している事になる。
それに薄ら寒いものを感じるメリッサではあったが――
とにかく今は、ギリギリ鑑定が間に合ったことを喜ぶことにする。
そう、正に唇が重なるか重ならないかといったぎりぎりのタイミングで、鑑定結果が脳裏に広がったのである。
本当に、危なかった……そう思いつつもメリッサは視界に広がったチェリオの能力を、脳内に呼び起こした――
鑑定結果
名前:チェリオ・バルローグ♂
ジョブ情報
ヘルシャー
ランク:最高位
系統:特殊その他
履歴
ファイター→ソードマン→フェンサー→ヘルシャー
※全て覚醒により同時習得
技能情報
スペシャルスキル
・ロードオブテリトリー※売却済み
使用効果
効果範囲内の生物は、スキル使用者に対しての反抗心が消失する。
効果範囲・対象
売却済みのため範囲不明。
対象は生物全般。
※対象となるのはスキル発動時に範囲内に入っていた者のみ。
※スキルを解くと発動時間の二分の一時間再使用不可。
固有スキル
・ロードオブパワーライト
使用効果
視界に収めるものに跪けと命じることで、強制的に跪かせ歯向かうことが出来ないようにする。
効果範囲・対象
視界に入るもの全て。
対象を選別可能。
・ロードオブスケープゴート
使用効果
臣下を身代わりに立てる。
使用者に恨みを持つものは身代わりとの見分けがつかなくなる。
効果範囲・対象
半径一〇〇〇メートル以内の臣下。
・ロードオブシールドハート
使用効果
効果範囲内にいる臣下を瞬時に呼び出し盾にする。
効果範囲
半径五〇〇メートル以内の臣下。
 




