第97話 狂気のカラーナ
俺達はノースアーツの砦を抜けた後、イーストアーツ目掛け、山を一つ越え、麓の森に入ったところで今日の道程を終了させていた。
砦での戦いもありつかれていたというのもあったが、セイラの助言が大きかったというのがある。
彼女の話で、今夜辺り敵の襲撃があるかもしれないというの知ったのだ。
チェイサーというのはマーキングしている相手がどこにいるかを知ることが出来る。
そして恐らくは俺かカラーナどちらか、もしくは両方がマーキングされているかの可能性が高く、ガイドは帰還の玉で逃げた可能性も高いため、知らせを受けた伯爵の指示で仲間のチェイサーがきっと仕掛けてくるというのがセイラの意見。
だから俺達はその場で話し合い、それならばと敵の襲撃に耐えられるよう準備を進めた。
カラーナはどうやらトラップスキルを覚えられるトラッパーのジョブも習得済みだったらしく、それを活用し周囲に罠を張り巡らせた。
セイラはそれに合わせて引っかかりそうなトラップの周りを巡回。
俺とカラーナに関してはマーキングされている可能性を考え、ある程度夜が更けてきたらひとつの場所に留まり、全く動かないことで、睡眠中である可能性を相手に示した。
そして――その作戦はどうやら上手くはまったようだ。
この感じだと、マーキングされていたのは俺だけだったようだな。
俺の正面から聞こえた爆発音はきっとセイラの魔法によるものだろう。
罠が作動した音も何回か耳にした。
この場合は俺が完全に囮役ではあったのだが、そろそろ動いたほうがいいだろう。
罠に引っかかってあっさり倒れていれば楽ではあるんだけど……て、うん?
ガサゴソと茂みの中から音が聞こえる……罠を掻い潜って敵がやってきたのか?
若干緊張を覚えつつも、音のする方行に目を凝らした。
だが――杞憂だった。中から現れたのは仲間のカラーナだったからだ。
満月の光が差し込み、どことなく妖艶な雰囲気さえ感じたりもしたが……でも顔を伏せてなんとなく雰囲気がいつもと違う気もする……
「カラーナ。もしかしてもう終わったのか?」
俺はカラーナにそう問いかける。これで終わったなら全く出番がなかったことになるけどな……
だが、カラーナは何も応えず俺に近づいてくる。顔も伏せたまま目も合わせようとしない。
なんだ? 珍しいな。いつもならもっとケラケラ笑いながら、明るい声でも返ってきそうなものだが。
俺に抱きついてきたりとか……いやそれを期待してるわけじゃないが。
それにしてもやはりなにかおかしいな……少し暗い感じでらしくない。
失敗した? いやそんなはずはない。何かあった時は狼煙代わりにスモッグボールを使うよういってあるし、特に怪我や服装の乱れはないし――
「カラーナ。どうした? 何かあったのか?」
「……ヒット」
ん?
「あ、あぁ、なんだカラーナ?」
「ヒット! ヒット! ヒット! 死ねぇええぇえぇええ!」
「は? て! おい! 待て!」
顔を上げたかと思えば、カラーナが両手に武器を持ち俺に向かって襲いかかってきた。
待て! どうなってる!
「止めろカラーナ! どうしたんだ一体」
しかしカラーナの攻撃は収まらない。闇の中でも彼女の動きは鈍らない。
寧ろ闇の中のほうが動きにキレがある気さえするが――言っている場合じゃないな。
一旦離れるが、左右にステップしながら近づきつつ、ソードブレイカーでの刺突を数発纏めてくる。
だがこれは、長さを考慮しバックステップで躱した。
カラーナは力はないし、あたっても鎧部分なら装甲は破れない。
「ジュウザの敵! ヒット! 殺す!」
そして俺に攻撃を続けながらも、カラーナは叫ぶ。
ジュウザだって?
……そういえばカラーナは二度騙されたと言っていたな、もしかしてそれと同じことがおきているのか?
大体普段カラーナは俺のことをボスって呼ぶ。
ヒットなんて名前で呼ぶことは殆ど無い。
これは明らかにおかしいしな。
つまり……この様子だと、ここにジュウザが来ていたという事で、何らかのスキルか魔法をカラーナに掛けたという事か……
てことは、今も何処かからカラーナを操ってるとかか?
……いや、何かが違うな。そもそもカラーナは、らしくなさすぎる。
この攻撃にしても、動きはシーフのものだが、戦闘方法としては明らかに違う。
カラーナはここまで考えなしに仕掛けるタイプではない。
本当に冷静な状態で俺を殺ろうとするなら、この闇の中、気配を消して近づき襲い掛かってくるだろう。
つまり、操るにしてもそこまで自由なものでなく、寧ろ凶暴化させて襲わせてるといったところか……カラーナはこの感じだと、二度騙されたというのもジュウザの能力で奴を信じてしまったか。
だが……その後は正気に戻っている。効果は永久に続くわけではないという事だ。
しかしな、いつ切れるかわからないものを待ち続けるわけにはいかない。
それにカラーナがこの状態だとセイラも心配だ……だったら試しに。
「キャンセル!」
カラーナに向けてスキルを試す。が、攻撃を使用した動きがキャンセルされただけか……やっぱそうだよな。
そもそも状態異常はキャンセルできないしな――と! 危な!
「ヒット死ね!」
……やばい、地味に精神的に来るな。ついさっきまで俺を慕ってくれていたのにいきなり敵意むき出しで死ね! とか、こんなの言われ続けたら心が磨り減る。
だが、どうする……この場合、物語なんかだと何かをきっかけに正気に戻ったり……正気に、戻す?
そうだ! 確か! 俺は思い出したように攻撃を避けながらバッグの中からそれを取り出す。
メリッサが調合してくれた精神安定の薬、これが役に立つかもしれない。
俺は蓋を開け、カラーナの隙を突いて懐に飛び込み、
「カラーナ! これを飲め!」
と口に押し付けるが――唇を堅く結んで飲もうとしない。
暴れまわるしこれじゃあとても無理か……し、仕方ないな。
俺は決意し瓶の中身を――自分で飲んだ。
そしてカラーナの攻めを躱しつつ、比較的大ぶりの攻撃をキャンセル!
これで一瞬でも彼女の動きが止まる。そこへ――
「んぐぅ!?」
カラーナの双眸が驚きに見開かれる。
その顔は俺のすぐ近く……というか、両手を掴み、攻撃を封じながら、俺はカラーナの唇に自分の唇を重ねた。
そして口に含んでいたドロッとした液体を、舌で押しこむようにしながら、無理やりカラーナの喉奥に注ぎ込む。
「ん、んぐ、ん……」
ごくりとカラーナの喉が鳴った。
よっし! 俺の中の全部をしっかり飲み込んだな!
俺はカラーナの柔らかい唇の感触を名残惜しく思いながらも、彼女から顔を離す。
「どうだカラーナ? 大丈夫、か!?」
「ヒット殺す!」
俺がつい手の力を緩めた隙に、カラーナが腕を振りほどき、狂ったように切りかかってきた。
駄目だったのか?
……いや、早計だな。そもそも薬はそう簡単に効果が出るわけでもないだろ。
「カラーナ! 正気にもどれ! 敵は俺じゃなくてジュウザだろ?」
とにかく俺は薬が効くのに望みをかけて、カラーナの攻撃を躱しながら呼びかけ続ける。
メリッサが徹夜してまで作ってくれた薬だ。
それを信じたい思いもある。
とにかく感覚でしか測れないが一五分ぐらいは待ってみよう。
それで駄目なら、他の手を考えなければいけないが……
頭の中で考えを巡らせながらも、正気に戻れ! と呼びかけ俺は攻撃を避け続ける。
「ヒット! 殺す! 殺す! ころ――す……」
するとカラーナの目が、段々ととろんとした感じになってきて、動きも緩慢していく。
いいぞ! 効果が現れてきたみたいだ。
「ヒット、こ……」
そしてカラーナはそこまで口にすると、がくりと地面に膝を落としそのまま傾倒した。
俺はすぐにカラーナに駆け寄って背中に腕を回すようにして上半身を持ち上げ、大丈夫か? と声をかける。
「う、う~ん……」
呻くようにしながら、彼女の瞼がゆっくりと開かれた。
意識を取り戻したようだが……正気はどうか?
「あれ? ボスどないしたん?」
目をパチクリさせながら、いつもの似非関西弁でカラーナが問いかけてくる。
その姿に俺はほっと安堵したが、あ! と俺の腕の中で思い出したように叫び上げ。
「そや! ジュウザや! あの男どこや!」
語気を荒らげ、カラーナが上半身を勢い良く起こしてきょろきょろとあたりを見回した。
やはりジュウザは来ていたようだな……
「カラーナはどうやら、ジュウザに何かの力で操られていたみたいだ」
とりあえず俺がその事を伝えると、え! うちが!? とカラーナが自分を指さし目を丸くさせる。
まぁ記憶に無いようだし驚くのも当然か。
とはいえ――
「とにかく今はそのへんの詳しい話は後だ。セイラの事が気になる。まだ敵と交戦中かもしれない。探しに行こう!」
◇◆◇
「おらおら逃げろ逃げろ!」
「たかがメイドがチェイサー二人相手にして勝てると思ってるのかよ!」
セイラはふたりに追われながら森のなかを駆けまわっていた。
あの時、ファイヤーボールで落とし穴に落ちた二人を狙い撃ちしたセイラであったのだが、結局それは落とし穴から脱出されてしまった事で殆どダメージには繋がらず、その結果連中のターゲットは完全にセイラに変わってしまっていたからだ。
「てめぇはもうマーキング済みよ!」
「あのヒットとかいうのと一緒で俺たちから逃げられはしないさ」
このふたりは先ずヒットの仲間を先に殺ってしまうことで、目的を達しやすくしようという目論見があるようだ。
特に魔法が使用できるセイラは、残しておくと後々面倒になるという考えもあったのだろう。
そして更に言えば、奴隷を捕まえるのが本来の仕事であるチェイサーに取って、仲間を裏切ったセイラは当然罰すべき相手でもある。
「さぁ! そろそろ追いかけっこも飽きてきたぜ!」
「いい加減しまいによ、て、うぉおおぉお!」
だが――連中が愚かだったのは、セイラを少々舐めすぎていた事か。
チェイサーの一人は、見事にカラーナの仕掛けたトラップに誘導され、脚を縄に取られそのまま上の太い枝まで吊り上げられた。
「くそ! なんだこ、ぐふぇ!」
無様に吊り上げられた状態で暴れまわるチェイサーの仮面に、セイラの投げたナイフが突き刺さり、仮面が割れその中に隠されていた顔が顕になった。
チェイサーは基本素性がばれないよう、口から上を覆う仮面でその顔を隠して行動している。
「……無様な不細工」
「ちっ! 油断しやがって馬鹿が! だがテメェをマーキングしてるのは俺だ! ホールドリング!」
もう一人のチェイサーは両手で光の枷を一つずつ生み出し、それをセイラに向けて投げつけた。
このリング状の枷は、マーキングしているものをどこまでも追いかける性質がある。
セイラは軽やかな身のこなしでそのリングを何とか躱し続けるが、避けても避けてもしつこくリングは彼女を追ってきた。
「かかっ! 逃げたってそれはいつまでもテメェを追いかけるぜ! だがなそれだけじゃねぇ! いくぜ!」
言って男は前に飛び出し、セイラに向けて蹴りを数発叩きこむ。
男の動きはかなり素早く、リングから逃げ続けるセイラでは、その蹴りを躱すことは難しかった。
「どうだ! 俺はチェイサーの前のジョブはキッカーよ! 俺様の蹴り技とホールドリングの挟み撃ちだぜ!」
男は叫びあげ、突き刺すような飛び蹴りを食らわすスキル、飛襲脚を放った。
それをギリギリで躱すセイラだが、その位置に丁度ホールドリングが迫り、彼女の両手両足を拘束してしまう。
「かかっ! 無様だなぁ奴隷!」
拘束されたまま、地面に寝そべるセイラを見下ろし、男は下卑た笑みを浮かべた。
「まぁ本来なら、ここで色々拷問にでも掛けたいとこだが、時間もねぇから一発で終わらせてやるよ」
「…………」
「ふん! 随分と大人しいな、観念したかい? さぁいくぜ!」
声を上げ、チェイサーは地面を力強く蹴りあげ、上空高くまで飛び上がる。するとその脚が熱を帯びたように赤く染まった。
「かかっ! 死ねや! 爆砕脚!」
男は満月をバックにニヤリと口角を吊り上げ、セイラめがけて急降下。
利き足に力を収束させ、落下の衝撃も加えたキッカーで最も威力の高いスキル。
それが今まさにセイラの身に迫り、彼女は覚悟を決めたようにそっとその瞼を閉じた――




