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空色の瞳  作者: 氷中冴樹
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第4章

    真相


 いつの間にか、入口の扉がほんの少し開いていた。

 その扉を背にして、逆光の中に立つ少し大柄な人影が見える。その宇宙服とヘルメットが、自分が操縦する機体の装備だということに、セレイアスが気が付くためには、多少の時間が必要だった。

 しかし、それに気が付くと、スペース・クラフトの機長は、その中の人物が誰であるか、その声と体格から容易に想像が付く。

「モニカ……!」

 上司に名前を呼ばれた、大柄な女性副操縦士はヘルメットの中で、少し皮肉に微笑んだ。

「こんな形で再会するとは、思いませんでしたわ機長……」

「あなた、世界警察の人?」

 近付いて来る女性に、マリコは穏やかだが、やや刺のある口調で尋ねた。

 その有名な宇宙工学博士の娘は、耳元を電磁衝撃波が通過したショックで膝を折った、少女アンドロイドを両手で抱き上げている。

「あなたから見れば、お父上を氷漬けにした人達の同類でしょうね。でも仕方がなかったのよ、月にジョウガとかいう精神生命体がいるから、月面開発を中止しろなんて言い出して……」

「聞き入れられないとなると、軌道ステーションもろとも破壊しようとしたんですものね。あなた方に言わせれば、大悪人でしょうね……」

 それはまさしく、火花を散らす皮肉の応酬だった。

 いったい何がどうなっているのか、コータにはさっぱり分からない。ただ、そこに込められている冷たい憎悪と敵意は、嫌でも感じられた。

「まったく、大したものだわ。娘の年齢や遺伝情報を、そっくり偽のデータに書き換えるとはね。まさか、ゴドワナの娘が日本人だとは、誰も思わないわよ。しかも、ガード用のロボットと入れ変えるなんて、すっかり騙されていたわ。でも、今回の事件はやり過ぎたわ。こんな大芝居までして、お父上の意志を継ごうとするなんて、大した孝行娘だわ。今時貴重な人物よね、博物館に陳列してあげたいわ」

 モニカの口調は柔らかく、聞きようによっては誉めているように、聞こえないでもない。

 もっとも、その銃口がピタリとマリコに向けられている以上、それが誉め言葉だと信じる者は、その場には誰もいなかった。

「それで、あなたは私達が宇宙に出る時に備えて、スペース・クラフトの会社に就職した訳?気の長い話ね……」

 マリコの口調にも、嫌味の味付けが山盛りだということは、コータも認めるしかない。

 もっとも、そんな若い女性の嫌味ごときに、動じるような相手ではなかった。

「潜入待機は、こういう秘密捜査では当然なの。それに、機長さんに誤解のないように断わっておくと、私にとってはパイロットが本職で、秘密捜査の方が副業みたいなもの。もし、あなた達が現れなかったり、現れても何も起きなければ、私はこのまま航空会社に居座るつもりだったのよ。結構気に入っていたのよ、副操縦士って仕事も……」

 最後の言葉が、機長に向けられた皮肉であることもまた、疑いはない。

 何とも奇妙な立場に立たされて、苦笑するしかないセレイアスを横目で見ながら、秘密捜査官はゆっくりとマリコ達に近付いていた。

「お父さんを冷凍監禁したように、私を氷漬けにでもする気なの?」

 黒髪の女性は、自分に向かって微動だにしない銃口を睨みながら、近付いて来る大柄な女性に、挑戦的な質問を容赦なくぶつける。

秘密捜査官が、そんな挑発に乗るはずはなかった。彼女は穏やかに、それが当り前のことのように答えた。

「それは、私の役目ではないわ。でも、恐らくそうなるでしょうね。永久に知られることのない、史上最高の親子犯罪者としてね」

 最初から黒髪の少年は、このモニカという女性に好意を持てなかったが、このことでもう完全に嫌いになる。

 いったい、この女性副操縦士、いや世界警察機構かの何かの秘密捜査官らしい人の言っていることは、正しいのだろうか?仮に正しいとしても、どうしてこの女性はこんなに悪意と皮肉に満ちた、暖かみに欠けた言い方をするのだろう?

 同じ髪と瞳の色を持つためだろうか、コータはどうしても、マリコに同情的だった。そんな少年の、単純だが分かりやすい気持ちを、機長が代弁してくれる。

「ちょっと、待ちたまえ。すると君は、このミス・マリコが今回の事件を、すべて企んだというのかい?」

「そうです。ジョウガと名乗って、自分の乗る機体を乗っ取らせ、あたかも被害者のごとくふるまう。機長達も、襲われたのでしょう?彼女は邪魔者を排除するのに失敗すると、今度はもっともらしい理由を並べて、自分の行為がさも正しいように演じて見せたのです」

 見方が違うと、見たものが同じでも正反対の結論に至る。

 知識として理解はしていても、目の前でこうまで極端な現実を見せつけられて、コータは軽いめまいを感じていた。

「ではなぜ、彼女のボディ・ガードは我々を助けて彼女の行為を止めたのだね?ジェシカを作ったのも、同じ彼女の父上なのだろう?」

「分かりませんか?ただのミスです。このアンドロイドは、マリコを守るために作られた。従って真相がどうであれ、最終的には自分を守る立場になる。それならば、最後までアンドロイドを娘に仕立てておいた方が安全だと、考えたのでしょう。まさか、機長とお坊ちゃんが一緒にやって来るなど、予想はしなかったでしょうから……」

 あくまでも喰い下がるセレイアスを、モニカはほとんど鼻であしらうつもりのようだった。

 それでも、機長は忍耐強く質問を続ける。

「では、わざわざジョウガを名乗ったのは?」

「もちろん、父親の無実を証明するためです。ほらッ!やっぱり、ジョウガはいたでしょう!?お父さんは正しかった

のよッ!ってね、今そう言っていませんでしたか?だいたい、ジョウガというネーミングはゴドワナ教授が行なったものです。語るに落ちるとは、このことでしょう!?」

 グウの音も出ない、見事な論理展開だった。

 幾年にも渡る、周到で執念深い犯罪計画。今一歩のところで挫折したのは、余計な機長達の行動と地道な秘密捜査官の活動のためだった……。

 辻褄は合うように思えたのだが、どうしてもコータには納得が行かない。もし、全部モニカの言う通りだとして、いったいどうやってコンロンのみならず、他の軌道基地のコントロールを、全て支配したのだろうか?

 少年の真面目な質問に、目の端で笑うように女性捜査官は答えた。

「すべては、ゴドワナ教授の企みなのよ。マリコは、父の仕掛けた計画に合わせて、行動したに過ぎないのでしょう。どうやったのかは、専門家の調査を待つしかないわね。たぶん、ゴドワナは軌道開発計画の基本プログラムか何かに、時限式のウィルスのようなものを仕込んでいたんでしょうよ。それが発動する時、自分の娘の行動も計算していたとすると、その意味では実に優秀な人物だわね、ゴドワナ教授とその娘は」

 立て板に水と言った感じの、まことに理路整然と鮮やかな説明としか言えない。

 悔しいかな、コータには反論することは不可能だった。それでも彼は、父の意志を継ぎ無念を晴らすとしても、マリコがそんな無謀な行為に走るとは、とても信じられない。

複雑な表情を浮かべる、自分と同じ髪と瞳の色をした少年の胸の内を、知ってか知らずかマリコは意外な言葉を口にした。

「そのことは、本当です。お父さんが、軌道開発の基本システムに、プログラムを仕込んでいました。ただ、それはジョウガが活動を始めた時に、作動するようになっていたのです。ジョウガの活動を止めるために……」

「ありがとう、ようやく認めてくれて。でも、もっとマシな言い訳を考えないと、裁判では不利になるだけよ。秘密裁判だから、弁護士もアテにできないのよ」

 どこまで行っても、永久に交わらない平行線。

 宇宙服とヘルメットに身を包んだ二人の女性は、まさにそういう関係だろう。その間にほとばしる火花すら、コータには見えたような気がした。

「さてと、これ以上無駄な時間は過ごせないわ。あなた達を逮捕して、この基地のコントロールを回復しないと……ここにあなた達がいてくれたおかげで、手間が省けたわ」

「すると、君もここからコントロールするつもりで?」

 機長の質問に、女性副操縦士は振り返りもしない。

 彼女は、専門家に口を出すなと言わんばかりの態度で、手錠のようなものを取り出すと、マリコとジェシカの手首を繋ぎながら言った。

「運が良かったんですね。閉じ込められた場所の鍵が壊れていて、しかもそこがドッキング・ポートの近くだったんです。一緒にいた乗客にも手伝ってもらって、機体の空気と気圧を回復して……私は宇宙服を手に入れると、すぐにここに直行しましたけど、他の人達は閉じ込められた人達を助けに行きました。もう、みんな助け出された頃でしょう……」

 その話に不審を感じたのは、コータだけではなかった。

 軽く首をかしげながら機長は何気ない口調で、しかし慎重に秘密捜査官に尋ねてみる。

「すると、君はこのコントロールを起動する方法を、知っているのか?」

「軌道基地の標準コードぐらい知っていないと、この仕事はできませんから。あなた方と違って、私は正規の方法で起動させます」

 どうして彼女が、コータ達のシステム破りまがいの行動を知ったのかは、この際余り問題ではなかった。

 問題は、彼女が正規の方法でシステムを起動しようとしていることだろう。正規の方法を取れば、一時的にしろメイン・コントロールと接続することは常識だった。

 セレイアスの視線とマリコの視線、そしてようやく意識を取り戻したジェシカの視線が、同時に空中で絡み合った。

「待った!これは罠だ!!モニカ、システムに触れるなッ!!」

 言葉と同時に床を蹴った機長に、副操縦士は正確な動作で銃口を向ける。

 セレイアスは空中に浮かんだまま、ジェット噴射で静止するしかなかった。

「大人しくして下さい。これまでのことはともかく、これ以上邪魔をすると、共謀容疑で逮捕しますよ!」

 そう言いながら、手早くモニカはパネルを操作する。

 たちまち部屋中が明るくなり、壁には様々な色の光が明滅した。

 最後に、メイン・パネルのモニターが明るくなる。どうやら空調装置も作動したらしく、流れ込む空気がヘルメットや宇宙服をわずかに揺らした。

「これで、いいわ!さて、コントロール回路の接続は……」

 モニカの指が、いくつかのスイッチに触れると、空中に浮かぶ機長の目の前に、突然のように三次元表示の立体画面が現れる。

 その大きな立体表示に圧倒されて、機長はコータの傍らに降りた。本来なら、その立体画面に基地全体の回路図が現れるべきなのだろう。ところが、明るく光り輝くばかりでだけで、回路図が現れる気配はなかった。

そればかりか、他の全てのモニターや表示用の画面も、光り輝くばかりで、意味のあるメッセージを表示していない。

 この時、初めてわずかにモニカの表情が曇った。

『我が名はジョウガ、我が体内であがく蛆虫達よ、その報いを受けるが良い!』

 どこからともなく響く抑揚の無い声に、腹の中をいきなり握られたような気持ちの悪さを、コータは感じる。

 世界警察の女性捜査官は、表情こそ変えなかったが、その指の先がわずかに震えていた。

「そんなバカな!なんでサブ・コントロールまで……あなた達、何をやったのォ!?」

 振り返った大柄な女性は、自分が手錠で繋いだ少女が、その栗色の髪を純白に輝かせて、ゆっくりと立ち上がるのを見る。

 ジェシカの空色の瞳が光り輝き、やがて燃えるような赤色に染まった。その直後、彼女はまるで紙細工のように、軽がると手錠を引き千切った。

「何をやったって?やったのは、あなたよ!わからないの?まんまと利用されたのよッ!?あなたは、この基地のコント

ロールを回復する唯一の手段を、ジョウガに渡してしまったのよッ!!」

 その少女の声に促されたように、中空に浮かぶ三次元モニターが様々な色に輝き、やがてその光が一つの形を作り上げた。

 その形がまとまりかけると、大柄な女性捜査官も含めて、その場に居た者全員が息を飲む。

「ジェシカ……?」

 コータの言葉が、全員のヘルメットの中で、押し殺したように響いた。

 確かにそれは、輝く光に彩られてはいたが、白色の長い髪をたなびかせた顔の輪郭と赤い瞳は、まさにそこにいる少女とそっくり同じに見える。

『待っていた。MK18、我が手足……一度は、ゴドワナの悪知恵にすっかり欺かれたが、今度こそお前を手に入れるッ!』

 光で作られたジェシカの顔は、笑っているのだろうか醜く歪んで見えた。

 その顔の前に、本物のジェシカはモニカを除く全員を、その背中にかばうように立っている。

「ジョウガが精神生命体である以上、自由に動く手足が必要なことは分かりきっている。ゴドワナ教授は、そのことを知っていたんだ。自分が作ったアンドロイドが、やがてはその役割に最も適してしまうということを……だが、娘を守るためにはジェシカが必要だった。娘と入れ換えたのは当局とジョウガと、両方の目を欺くための苦肉の策だったんだ!」

 唸るようセレイアスの呟きに、コータも同感だった。

 マリコは、自分を守ろうとする少女の肩を、そっと叩く。

「お逃げなさい、ジェシカ。あなただけなら、逃げられます。人間をいくら操っても、大気圏外での行動には限界があります。あなたは大気圏外で自由に、しかも無限に活動できる、今のところ唯一の存在です。そんなあなたを、ジョウガの手に委ねる訳にはいきません!そんなことをすれば、それこそすべてが終わりです!!」

 そう言う本人を守るために作られたジェシカは、当然のことながら首を振った。

 ヘルメットの奥のマリコの哀しそうな微笑みを、同じ色の瞳でコータは見たような気がする。

「いい娘ね、ジェシカ。私が育てたにしては、上出来よ。きっと、お父さんも誉めてくれるわ……」

 そう言ったマリコは、そっと純白の髪を輝かせる、赤い瞳の少女の耳元に軽く口付けた。

 その瞬間、軽い電撃でも走ったかのように、ジェシカの全身が震える。その直後、髪の毛と瞳が元の色に戻り、力が抜けたかのように両手足と首が軽く傾いた。

 見開かれたままの両の目を、その手で優しく閉じたマリコは、ジェシカの体をそっと抱き上げ、セレイアスの前に歩み寄る。

「この娘をお願いします。今回のことで父の正しさが証明され、冷凍監禁から解放されたなら、父に渡してやって下さい。父なら、この娘を回復させるキー・ワードを知っているはずです……」

「あなたは?」

 少女の体を、半ば無意識に受け取った機長は、不審気な視線を黒い瞳の若い女性に向けた。

 ヘルメットの中で、明らかに黒髪の女性は微笑んでいる。

「せっかく名誉を回復して目覚める父を、二人もいる娘がどちらも出迎えないなんてこと、恥ずかしくてできません。姉として、妹を助けることぐらいはしてやらないと……秘密捜査官さんの話では、どうやら乗員乗客のみなさんは、無事にキャメル・ナンバー3に戻っていらっしゃるみたいです。この娘とコータ君のためにも機体に戻って、自力でここを脱出して下さい」

 女性の言葉に、強い決意を感じたのはコータだけではなかった。

 辛抱強く機長はもう一度、同じ質問を繰り返す。

「あなたは、どうする気です?」

「何とか、この基地を父の計画通り、月の裏側に衝突させます。月面基地は、月の表に集中していますから、コータ君の御両親達にも影響はないはずです」

 そう言うと、マリコは優しくコータの頭を、ヘルメットの上から撫でた。

 自分と同じ瞳の色の女性が、自分の両親のことまで覚えてくれていたことに、少年は息が止まるような気がする。

「おっしゃる通り、精神体であるジョウガは、手足となるものがない限り、コントロールを支配する以外は何もできません。先ほど、私が使ったモーター・ギアには、この基地の中心軸を爆破させた爆薬が積んであります。これを使えば、何とか進路を月の裏へ変えることが……」

 そこまで、マリコが淡々と語った時、それまで呆然と立ち尽くしていたモニカの顔色が変わった。

 大柄の女性捜査官は、持っていた銃をゆっくりと構え直すと、その銃口をマリコに合わせる。

「ダメよッ!絶対にダメッ!!月の裏側に、コンロンを衝突させることはできない!やってはダメよッ!!」

 その言葉に、機長よりも先にコータの方が限界を越えた。

 少年は床を蹴って飛び上がると、大柄な女性の銃を持つ腕にしがみ付く。

「まだそんなことを言っているのか!アンタは、アンタはあれが見えないのか!マリコさんが、どんな思いで、どんな思いで……」

 少年の必死の行動は、確かにモニカの不意を突いた。

 大柄な女性捜査官は、しがみついた少年を振り払おうと激しく銃を持つ腕を振り回す。さらにもう片方の手で、少年の顔を引き離そうと、彼のヘルメットを力づくで持ち上げた。

 とっさに、子供を振り解く方に注意を向けたモニカは、セレイアスの行動に気が付いていない。

「やめなさい!子供相手に、みっともない!!」

 少女の体を抱いたまま、女性捜査官の腕を押えるのは、重さをほとんど感じない、極低重量状態だからこそできる離れ技だった。

 その間に、マリコはジェシカがその指を引き千切ってしまった、大きな人型作業用機械の点検を始める。

「落ち着いて、落ち着くんだモニカ。落ち着いて、何がダメなのか説明しなさい。俺は簡単に冷静さを失うようなパイロットと、一緒に飛んだ覚えはないぞ!」

 機長の声に、ようやく女性副操縦士は自分を取り戻したようだった。

 自分の腕にしがみついたまま、宙に浮いている少年を、モニカは少し意外そうな顔付きで見つめている。

「お坊ちゃんに、こんな力があるとは……私も、ヤキが回ったようです。少し、副操縦士稼業が長過ぎたのかな……」

 そう言うと、モニカは銃をコータが押えている腕から、機長に押えられた腕の方に持ち変えた。

 それを見て、機長は自分が押えている腕を離す。

「コータ、もういいよ。離しなさい……」

 少年は、疑惑のこもった黒い瞳を女性に向けたが、大きく息を吐くと両手を離して床に立った。

 モニカは少し乱れた宇宙服を直すと、顔を上げてマリコの方を向く。

「月の裏側には、核融合プラントがあります。マリコさん、コンロンが衝突したらどうなるか、考えるまでもないでしょう?」

 そのモニカの一言に、黒髪の若い女性の動きが止まった。

 静かに立ち上がると、マリコは低い押し殺したような声で尋ねる。

「お父さんの計画では、核融合プラントは使わないことになっていましたが?」

 モニカは、小さく一つ息を吐いた。

 少年は油断なくその大柄な女性を見上げたが、もはや先ほどのような、慌てて狼狽えるような様子は見えない。

「確かに、ゴドワナ教授の当初計画では、動力はすべて太陽発電で賄うことになっていました。月面基地の開発が余りに順調に行ったので、大陸機構と日本が、勝手にプラントを建設したのです。より安定的に、莫大な動力を得るために……もちろん、これは国際協定違反ですから、極秘にされています。でも軌道開発関係者の間では、周知の事実です。いわゆる、公然の秘密というヤツです……」

 人型機械の壊れた指の部分を手に取りながら、マリコの視線は上を向いたまま、しばらく動かなかった。

 コータは、大柄な女性と自分と同じ髪と瞳の色の女性を、交互に見つめる。少年の瞳に、その秘密捜査官の女性がこの部屋に現れて初めて、自分ではどうにもできないことに苦労している、よくいる大人のように映った。

 中空に浮かぶ三次元画像のジェシカの顔が、その時までなぜか沈黙を守り続けていることに、それまで誰も気付いていない。だが、その場の人間達の会話が聞こえたのか、再び気味の悪い形に口を開いた。

『我が名はジョウガ、愚かなり人間と呼ぶものども。自らが作りし道具で、自らを滅ぼすものども。選ぶが良い、我らと共に自らも滅ぶのか、我らが支配する世界から退去するか……』

 醜く歪んだ笑い顔を残しながら、立体画面は消える。

 同時に部屋の動力も切られたのか、壁面や操作パネルの明りも消え、空調装置も停止した。最初に機長が部屋に入った時の明りだけは、非常用だったのか、そのまま残ってボンヤリと内部を照らし出す。

 突然の停電のように、薄暗くなった部屋の中に三人の大人と、二人の子供が取り残される。

「我らが支配する世界からって、どういうことです?」

 暗がりに怯えるのを押し隠すように、コータは傍らのセレイアスを見上げて尋ねた。

 完全に動かなくなった少女の体を抱えたまま、穏やかに機長は答える。

「軌道開発、つまり宇宙進出を、諦めろということだろうな。最初に自分達のことを闇を支配する者と言っていたが、あれは月を含めた衛星軌道ということだったんだろう」

「核融合プラントを破壊すると、僕達も滅びるんですか?」

 コータの質問は、単純で深刻だった。

 そんな少年の態度に、セレイアスはむしろ彼の成長を、感じたような気がする。機長は、優しくその手を少年のヘルメットの上に置くと、言葉を続けた。

「プラントが爆発すると、恐らく月は粉々に砕けてしまうだろう。そうすると、引力なんかのバランスが一度に崩れて、地球自体がとんでもないことになる。人類が滅びるかどうかはともかく、まず世界規模で気象異変が起こることは確実だ。犠牲が少ないとは思えないな……」

 知らず知らずの内に、コータは小柄な機長の宇宙服の端を、しっかりと握りしめている。

 そんな黒髪の少年を、セレイアスは優しい茶色の瞳で見つめていた。

「方法は、あるわ……」

 暗がりの中で、モーター・ギアを点検していたマリコが、ヘルメットのマイクに向かって独り言のように言う。

 彼女がその腹部に入り込むと、ぎこちない動きながら、巨大な人型機械がゆっくりと立ち上がった。その操作をする若い女性の声が、全員のヘルメットの中に静かに響く。

「細かい計算が必要ですけど、加速の途中でコンロンの中心部、つまりこの部屋を爆破して、コンロンを真っ二つに分けるのです。うまく行けば、片方は月の裏側を通過し、片方は地球の大気圏に突入して燃え尽きるはずです。残念ですが、ジョウガを再び沈黙させるという当初の父の計画は、放棄するしかありません……」

 無念だとか残念だとかいう気配を、その口調から感じることはできなかった。

 マリコは自分にできることを、淡々と冷静に判断している。その黒髪の女性の態度が、もう一人の女性の考えに、少し影響を与えたのかも知れない。

「マリコさん。あのジョウガという精神生命体が存在するとして、なぜ今蘇ったのです?月面開発は、ずいぶん前から本格化していたのに……どうして、あなたの父上、ゴドワナ教授はそれを事前に予想できたのです?」

 モニカの疑問は、もっともだった。

 コータとしては、今さら何を言うんだという気持ちが強かったが、その答えには興味があったので、大人しくマリコの返事を待つ。

「ハニカム・ホーム、あの月面に作られた六角形のモジュール基地です。あのデザインが、月の原住生命体であるジョウガ達の覚醒を促すということに、父はどこかで気付いたのでしょう。気付いた時には、基本設計は完了していて、変更は不可能だった。そもそも、あのモジュール基地の基本設計は父のものです。父の後悔は、相当なものだったようです」

「六角形がジョウガを目覚めさせる?どういうことです?」

 機長の疑問も、当然だった。

 巨大な作業用機械の腹部で、両手足を使って操作の具合いを確かめているマリコは、その場で軽く首を振る。

「わかりません。父は月の女王は蜂の女王と同じだと、呟いていました。六角形のデザインが、ある程度月の表面を覆った時、ジョウガは覚醒するということだったようです。私の推測ですが、精神活動に必要な環境が、そのデザイン・パータンによって形成されるのではないでしょうか?」

「蜂の女王……確かに、ハニカム・ホームには蜂の巣という意味もあるが、まさかそんな!」

 機長は信じられんという口調で、独り言のように呟いた。

 コータは以前、両親から送られた月表面の画像写真を、思い出す。それはまさに蜂の巣のように、六角形の連続した建築物が整然と並んで、月の表側のほぼ半分を埋め尽くしている画像だった。美しいとか立派だとか思う前に、何となく不吉なものを感じたことを、彼は覚えている。

 その予感が、まさかこんな形で当たるとは!コータは思いもかけない展開に、心に重いものを感じていた。月面基地の形とその拡大が、月の奥深くで眠っていた精神生命体を覚醒させる。もし、それが本当だとすると、自分にも何かの責任があるように思えた。

 自分の両親は、実際にそこで働いているし、祖父の企業グループも月面開発の恩恵を、受けていないはずはない。コータは、自分だけが月面開発と無関係だなどと、とても思うことはできなかった。

 複雑な心境でいる少年の心中を知ってか知らずか、同じ髪の色の若い女性は自分の考えを説明する。

「今回のことで、ジョウガの存在は多くの人が認めるでしょう。元々、父はジョウガと対決しようと思っていた訳ではありません。ジョウガが目覚め、何も知らない人間達と敵対した時のために、今回のプログラムを残しておいたのです。時間をかければ、お互いに知性のある生命体です。共存の方法があるかも知れません。父は、単なる時間稼ぎの手段を講じたに過ぎないのです……」

 マリコの言葉を、モニカはじっと聞いていた。

 セレイアスもコータも、何を聞くべきか何を言うべきか、簡単には思い浮かばない。

 月に潜む知的な精神生命体。その存在を知った科学者は、自分の立てた計画がその覚醒を促すことに気が付き、警告を発する。しかし、誰もそんな途方もないことに、聞く耳を持たない。

 科学者は止むなく、自分の手で計画そのものを白紙に戻そうとする。しかし、それは既に進んでいる計画とそれを支えて来た人々に対する、裏切り行為に他ならない。発覚し捕らえられ、極秘の内に冷凍監禁されてしまった科学者。

 その科学者の娘は、父の汚名と当局の監視の目の中で、自分自身に自己暗示をかけてまで素性を偽り、父の予想した万が一の日に備えた。それが、どんな日々だったのか、コータには想像することすら難しい。

 少年は自分の黒い瞳を、機長が片手に抱く少女に向けた。あどけない、本当に幼い子供の寝顔のような、アンドロイドの顔。彼女もまた、自分に与えられた使命を守りつつ、普通の少女としての教育を受け、普通の少女として成長していたのだろう。

 それが偽りの生活だったのか、それとも平凡な日常だったのか、コータには判断できなかった。ただ、自分ならば絶対に耐えられないだろうということだけは、彼にもわかる気がする。

 そこまで考えると、少女の名がジョウガによく似ていることにも、何となく納得できるものがあった。ジョウガに似ているが、ジョウガではない。この娘はジェシカだ!という、何か祈りのようなものすら、少年は感じている。

 今は機能を停止させられている少女と、コータはまた生意気な言い争いをしてみたいと、本気で思っていた。このジェシカという娘には、空色の瞳に栗色の髪、何よりも赤いリボンが似合っているとすら、本気で思っている。

 少年が、そっとその額に触れようと手を伸ばした時、わずかにその少女の瞼が動いた。

「えッ!?」

「どうした?」

 コータの声と態度に、セレイアスが振り返った。

 少年はイタズラを見付かったように、思わず口ごもる。

 その時、部屋の中空が突然明るく輝き、再び光で作られたジェシカの顔が浮かび上がった。

『人間なるものよ!今度こそ、我が手足を貰い受ける!!』

 突然、その顔から青白い電流のような光が放射され、機長の腕の中のジェシカを襲う。

 とっさに、セレイアスは少女をかばおうとしたが、最初の一撃で抱いていた片腕が痺れ、思わずその手を離した。

「しまった、プラズマ電位転送だわ!早く!モニカさん、モニターを撃って!!」

 機長の腕を離れたジェシカの体は、部屋の中空に浮かび、同じく中空に浮かぶ、光で作られた顔と向き合っている。

 光で作られたジェシカの顔は、醜く歪みながら少女の全身に、プラズマ放射を浴びせ続けた。ほんの一瞬、女性捜査官はマリコが何を言っているのか、わからないでいる。

 だが、中空に浮かんだジェシカの体と光の顔が向き合った時、それどういうことなのか理解した。改めて銃を構え直すと、モニカは中空に浮かんだ光の顔に向けて、引金を引く。

 赤い筋が、光るジェシカに似た顔に吸い込まれた。しかし、何の変化もない。わずかに光の顔が、歪んだ笑みを浮かべたような気がした。

 モニカは、視線を光でできた立体的な顔に向けたまま、黒髪の若い女性に叫んだ。

「ダメよ!これは、電子機器と人間の体内電流には効果があるけど、立体映像には何の効果もないわ!」

「それじゃァ、この部屋のシステムそのものを破壊するのよッ!」

 言うよりも早く、マリコは巨大な人型機械の鋼鉄の腕を振り上げると、手近な操作パネルの上に振り下ろす。

 電気火花が散って、内部の基盤が砕け、配線が千切れた。

 モニカも周囲の壁に向かって、次々と赤い光を放つ。

『うぉッ、もう、もう遅い……この手足は、我らの……もの……』

 中空に浮かぶ光の顔が、大きく歪み苦し気にそう言った。

 二人の女性は、同時にシステムの中枢部分を破壊する。

 ついに、中空に浮かんだ光で作られた少女の顔は、激しく歪んだかと思うと、白色に光り輝いて消える。

後には、同じく中空に浮かんだジェシカの姿が残った。

 その髪の色が次第に白く変わり、顔や腕がゆっくりと起き上がる。

「ジェシカッ!」

 声を上げたのは、コータだった。

 しかし、顔を起こしゆっくりと瞼を開いた少女の瞳は、赤く染まっている。

『我が名はジョウガ、闇を支配する者。計画を邪魔するものは、すべて排除する……』

 それはあの生意気で可愛気の無い、でもどこか憎めない少女の口調とは、まるでかけ離れたものだった。

 白い髪に赤い瞳の少女の前に、巨大な人型の影がゆっくりと立ち上がる。

「もう、時間がありません。みなさん、早く脱出して下さい。ここを爆破します。計算している時間はありませんが、二つに分かれればいくらかは被害が減るはずです」

 マリコの声は、相変わらず淡々としていた。

 機長と副操縦士は、一瞬にして視線を交わす。何時間かぶりに、二人の間に職業的な連帯が回復したようだった。

「モニカ、キャメルに急げ!乗員乗客の無事を確認して、脱出するんだ。自動操作は一切無しで、すべて手動だ!できるな!?」

「機長は?」

 大柄な女性は、完全に副操縦士の立場に戻ったらしい。

 簡潔な質問に、セレイアスは相手の頼もしさを再確認したのだろう。

「機長には、乗客の安全を確保する義務がある。それにこういう時、独身の美しいヒロインと協力するのは、独身男性の義務だ。君は、この坊ちゃんを連れて、すぐに機体へ向かえッ!」

 機長の言葉と視線に、コータは大きく首を振った。

 マリコとジェシカを置いて、自分だけが助かるなど、今のコータには考えも及ばない。もし、機長が個人的な感情でマリコを見捨てられないのだとしたら、コータもまた個人的な理由で、ジェシカを見捨てることはできなかった。

「僕は、ジェシカとマリコさんが、一緒でなければ戻りません!みんな、一緒に戻るんでしょう!?」

 コータは、その黒い瞳を上げて真っ直ぐに、機長の茶色い瞳を見つめている。

 少年の表情から説得は無理と判断したのか、単なる時間のムダと思ったのか、セレイアスは視線をモニカに戻した。

「前にも言った!機長に何かあれば、機体と乗客に対する責任は副操縦士のものだ。君は、何としても他の人達を安全な場所へ!この三人は、特別な乗客だ。機長である俺が、最後まで必ず面倒を見るッ!!」

 ほんの少し、大柄な副操縦士にして秘密捜査官の女性は、どうしたものかと考え込んだ。

 マリコの操る人型作業用機械は、中空に浮かんだ白い髪と赤い瞳の少女と、静かに向き合っていた。

「ジェシカ、お願い……正気に返って!」

『我が名はジョウガ、闇を支配する者。邪魔するものは、排除する!』

 声と同時に、目にも止まらない速度で、ジェシカの体が人型機械の横に回り込む。

 マリコがその鋼鉄の腕を動かす間もなく、白髪の少女はその片腕を両腕で抱えた。そのまま凄さまじい力で、巨大な機械を傾ける。

 とっさにマリコは、バランサーを操作してモーター・ギアを反転させた。同時に、残った機械の腕で少女の体を挟んだ。合金製の指が使えないために、肘の部分に挟み込むしかない。

 ジェシカの白い髪が逆立ち、その瞳が燃えるように輝いていた。若い女性もその黒い瞳を見開き、必死で鋼鉄の腕を操る。

 その光景をモニカは、一瞬だけ息を詰めるような表情で見た。直後に、大柄な女性は機長の方を振り返ると、持っていた銃を彼に向けて放り出す。

「気休めくらいには、なると思います。ですが機長、すべての責任はあなたにあります。そのことを忘れないで下さい!機内でお待ちしています!!」

 そう言った後の、彼女の動きは素早かった。

 コータはさすがは秘密捜査官だと、妙なことに感心する。その捜査官は、床を蹴った思ったら、次の瞬間にはもう扉の前に向かっていた。

 鋼鉄の腕と格闘していながらも、ジェシカの赤い瞳は、その姿を見逃しはしない。強力な肘打ちと膝蹴りで、マリコの操る腕を振り解き、少女は直線的にモニカに向かった。

 その行く手を、とっさにセレイアスが塞いだ。白髪の少女の手が、目に見えない早さで機長の首筋に伸びる。

「うぐぅぅッ!」

 何とか、ジェシカの細腕をその両腕で防いだ機長だったが、少女に握られた両手首の痛みに、思わず気を失いそうになっていた。

 マリコが、慌てて巨大機械で助けに行こうとしたが、移動速度においてモーター・ギアは、少女アンドロイドに遠く及ばない。いち早く、少女の背後から組み付いて、機長を助けようとしたのはコータだった。

「離せッ、ジェシカ!君は、こんなことをする娘じゃないだろうッ!?」

 そんな黒髪の少年の言葉を、少女は白髪を一振りするように、片腕を伸ばすと彼の首筋を押える。

 片手でセレイアスの両腕を、片手でコータの首を捉えて、その二人ともほぼ失神寸前の状態に、ジェシカは追い込んでいた。

 それは同時に、赤い瞳の少女の両腕が、塞がっていることを意味した。黒髪の女性は、その機会を逃さない。巨大な人型機械は、勢いを付けて少女に突進して行った。

 激しい衝突の力は、両手に二人の男性を持ったままの少女を、一気に壁まで運んで叩き付ける。部屋の壁面と大きな機械の体に挟まれ、さすがのジェシカも、すぐに身動きは取れなかった。

「今の内です、モニカさん!急いでッ!!」

 どうにか自分の体が通り抜けるられるほど、部屋の扉をこじ開けた大柄な女性は、その声に振り返る。

 少女が動けないことを確かめると、モニカは大きく頷いて扉に滑り込んだ。その時、ヘルメットのマイクに向かって、女性副操縦士は叫ぶ。

「機長!今です!銃を使って下さいッ!!その娘には、効果があるはずです!!」

 その声を、意識が遠くなりかけて聞いていたセレイアスは、何とか頭を振ると気を取り直した。

 機長の目の前には、両手をだらりと下げている黒髪の少年がいた。そして、自分の両手は塞がっている。

「コータ!こっちを見ろ!これを使って……」

 そこまで言ったところで、ジェシカが両足を蹴り上げた。

 その衝撃力は、自分を押え込んでいた強力な人型機械を、簡単に宙に浮かべる。その時、少年の首筋を押えていた力が、いくらか緩んだ。

 黒い瞳の少年は、そのぼやけた視界の中に、機長の腰のベルトに挟まれた銃を捉えた。ほとんど無意識に、彼はそれを手に取る。

 少女の赤い瞳が振り返り、首を握る手の力がより強くなった。コータは意識がなくなる直前に、その銃をジェシカの顔に向けると、何も考えずに引金を引く。もし意識がまともであれば、躊躇いもすれば悩みもしただろうが、朦朧としていることが、逆に幸いした形だ。

 赤い光が、赤い瞳の間で炸裂する。一瞬、少女の動きが止まり、その両手から力が抜けた。

 コータとセレイアスは、その悪魔的な力から解放され、フワフワと宙を漂った。

 とっさに、マリコは動きの止まったジェシカを、その鋼鉄製の両腕で抱える。そして一気に、その巨大な機械ごと、部屋の一番奥へと運んだ。

「機長さん、コータ君!このモーター・ギアの背中には、爆薬が積んであります。私が、ここを爆破します!今の内に逃げて下さい!!」

 マリコの声に、まずセレイアスが頭を振りながら、姿勢を立て直す。

 目を開けた機長は、空中を漂う半分気を失った状態の、コータの手を取った。その手には、自分の腰にあった銃が、しっかりと握りしめられている。

「そんなことを言っていないで、君も逃げなさい!ジェシカは、機能を停止したのだろう!?」

「いいえ、ショックで一時的に停止しただけです。すぐに回復します。こうやって、押え込んでおかないと、また何をしでかすか……」

 そのマリコの言葉が終わらない内に、ジェシカの瞳が再び赤く染まり始めた。

 少女の細い両腕が、ほぼ同時に、自分を押え込む人型機械の腹部に、抜き手の要領で突き刺さった。その部分には、マリコの体があった。

「あぅッ!」

 若い女性の悲鳴が、コータの意識を呼び覚ます。

 その少年に、大人の男性はマリコとジェシカの様子を見せまいとするように、両腕に抱え込んだ。

「どうしたんです機長?何があったんです?マリコさんは、ジェシカは、どうなったんです!?」

「いいから、コータ、ここを脱出しよう!」

 そう言って、セレイアスは少年の体を抱いたまま、扉の方へ飛ぶ。

しかし、コータはその言葉に従うことはできなかった。少年は、思い詰めたような黒い瞳を機長に向けると、ずっと握りしめて離さなかった銃を向ける。

「人間にも、効果があるそうです。機長、離して下さい!」

 少年の黒い瞳と、機長の小さな茶色の瞳が、真っ正面から衝突した。

コータの気迫に押されたのか、一瞬セレイアスの腕から力が抜ける。そのわずかな隙を、少年は見逃さなかった。

 扉を背に立つ機長に銃口を向けながら、コータは素早く部屋の奥へジェット噴射の力を借りて、飛び下がる。

 ちょうどその時、少年の背後で悲鳴が上がった。

「ひぃぃーッ!」

 振り返った少年の黒い瞳は、巨大な人型機械の背中が割れて何かの影が、のっそりと立ち上がるのを映す。

 それは、片手にスーツのような宇宙服を着た若い女性を、ぶら下げるように持った白髪の少女の姿だった。

 少年はゆっくり体を回転させると、自分の黒い瞳を少女の少し濁ったような、赤い瞳に向ける。二人の視線は、空中でハッキリと絡み合った。

「マリコさんを、離してよジェシカ……」

 コータの言葉は静かで、本人も驚くほど落ち着いている。

 その言葉に、確かに少女は何回か、瞬きをしたように見えた。

『我が名はジョウガ、我を妨げるものは……』

 抑揚の無いジェシカの言葉を、コータは最後まで聞いていない。

「君はジョウガじゃない!ジェシカだ!!そしてその手に、君のその手に持っているのは、君を妹だと言ったマリコさんだ!君の姉さんだ!!わかるかッ!?」

 感情的なコータの言葉はジェシカ自身よりも、その片手にぶら下げられた、若い女性の耳から消えかけていた意識に届いた。

 マリコの体がピクリと動き、その動きにジェシカの視線が動く。

 とっさに少年は、少女に向かって飛んでいた。ジェットの力を借りても、素早さでは相手の方が上回っている。

 ジェシカは苦もなく、コータの片腕を取ると、その動きを押えた。しかし、それは少年が予想していた事だ。彼は、そのまま残った手で少女の額に、銃口を押し当てる。

「君は、ジョウガじゃない!ジェシカだぁーッ!!」

 残念ながら、このコータとしては実に良くできた動きは、完全に白髪の少女には読まれていたらしい。

 銃口を持った手は、額に押し付けられる直前に、もう片方の手で握られてしまった。それは同時に、ジェシカがほとんど動かなくなったマリコを、手放した証拠でもある。

 若い女性の体は、布切れのように空中に投げ出されていた。だがこの機会を、少し前に意識を取り戻した彼女は、待っていたらしい。

 動かない体を、必死の思いで回転させたマリコは、少年の持つ銃をその手に取っていた。両手をジェシカに握られたコータが、骨が砕けるような痛みに耐えかねて、思わず銃を手放したのとほぼ同時だったのは、偶然だろう。

「その手を離しなさいッ!ジェシカーッ!!」

 言葉と同時に、マリコは妹と呼んだアンドロイドの耳に向けて、銃を発射した。

 赤い筋が、少女の耳を左右に貫いた。

「き、君は……ジョウガじゃない、ジェシカだ……」

 両手を締め上げられ、ほとんど止まりそうな息の下で、コータは少女の濁った赤い瞳を自分の黒い瞳に映した。

 その少女の赤い瞳が、細く閉じようとするのを、少年の黒い瞳は映している。

『我が名は、我が名は……ジョウ、ジョウ……ジョウガ、じゃない……アタシは、アタシはジェシカ……ジョウガじゃないッ!』

 薄れるコータの視界の中で、ジェシカの赤い瞳から、徐々に光が失われて行った。

 銃を撃った後、ほとんど姿勢を維持することもできない若い女性の体を、そっと機長が背後から支える。彼の小さな茶色い瞳は、少女の白髪が徐々に栗色に染まるのを見た。

「ア、アタシ……なにを?えッ!?何してるの、アンタは?」

 元の少し生意気で可愛気の無い、でも憎めない口調に戻った少女は、自分が両手を握りしめている少年を、マジマジと見つめる。

 まだ、その力が抜けていないために、遠くなりかける意識を引き戻しながら、コータは皮肉に口を歪めた。

「君が……握り潰そうと、してるのッ!」

「あら、やだッ!なんで!?」

 少年の言葉に、ジェシカは慌てて両手を離した。

 そこにはまるで、自分は悪くないと言う表情がある。破壊的な力から解放されたコータは、もう身動きすることすら面倒だった。ただ体が部屋を漂うままに任せながら、苦笑いを浮かべるしかない。

 同じく力尽きていたマリコは、それでもセレイアスに支えられたままではあったが、本当に少女が元に戻ったのか慎重に見つめていた。

「ジェシカ、記憶がないの?」

「えッ、ちょっと待って……あッ、ダメ、マリコに機能停止コードを入れられてから今まで、何も覚えてない」

 少女は、空色の瞳を不安気に若い女性に向ける。

 マリコとコータ、それに機長。腹部から背中にかけて、大穴が開いたモーター・ギアと、すっかり壊されたサブ・コントロール・タワー。

 これだけのものを見て、自分が無関係だと結論するには、ジェシカの理解力は成長し過ぎていたようだ。

「いいのよ、あなた本来の自己判断機能が停止した状態でのことだし、一応みんな無事だったんだから。それよりもジェシカ、急いで計算してちょうだい。どこで、どの位の爆発を起こせば、このコンロンが月にも他の軌道基地にも衝突しないで済むか!」

 ジョウガを沈黙させるために、ゴドワナ教授が予定していた、コンロンの月への衝突が不可能になったことを、少女は知らない。

 マリコの手短な説明を受けて、ジェシカは必死に計算した。本来、機械であるはずの彼女が、眉間に皺を寄せて頭を抱える様子は、それを知っている者にとっては、何とも奇妙な光景だった。

 だが逆に、それがただ頭のいい幼い女の子だというのなら、実に自然な表情だろう。力なく部屋を漂いながら、やはりどうあっても、彼女を人工の生命体だとは感じていない自分に、コータは気付いた。

「大変ッ!今すぐやらないと……マリコ、爆薬はどこ?」

 突然顔を上げたジェシカは、その空色の瞳で、すがりつくようにマリコを見る。

 黒い瞳の女性は、モーター・ギアの背中を指差した。

「あそこ……でも、あなたが壊しちゃったから、起爆装置は使えないわ」

 その言葉と同時に、栗色の髪をベールのように広げたジェシカは、自分が完全に破壊した人型作業用機械のところへ、飛んで行く。

 少女は、その場で何かゴソゴソとやっていたが、手早く起き上がると、その両手に筒状の爆薬を何本も抱えていた。

「みんなは、この部屋に居てちょうだい。ここは、外からの衝撃に対して最も安全な部屋の一つだから、たぶん爆発にも耐えられると思う……」

 言われるまでもなく、それはコータにもわかる。

 メインのコントロール・タワーに次いで、ここは基地の内部で最も重要な施設の一つだった。強度が、並み大抵のはずはない。

「あなたは、どうするの?」

 マリコの言葉に、部屋の扉に向かった少女は、振り返って笑顔を向けた。

 それが余りにも、自然な動作だったので、誰も特別なことだとは思わない。

「起爆装置が壊れた爆薬を、残り少ない時間で、正確な場所で爆発させるためには、他に方法がないのッ!起爆装置にもなるアタシの体って、便利でしょう!?」

 ジェシカの言葉の意味が、その場の全員に伝わるまで、ちょっとした時間が必要だった。

 その間に、少女は行儀悪く足を使うと、扉をこじ開けた。

「ちょっと待って!ジェシカ、それじゃ、それじゃ君は!」

 もう完全に体が動かないはずのコータは、泳ぐように扉の方へ向かう。

 少年を止めようと動きかけて、セレイアスは自分の動作を中断した。いったいどちらを止めるべきなのか、彼にも判断は付かないのだ。

「うるさいわねッ、怪我人は大人しく浮いてなさいッ!アタシは、あなたを助けるために、こんなことするんじゃないからッ!マリコを助けるためにやるのッ!!アンタと機長

さんは、ただのオマケ!ついでよ、ついで!!勘違いしないでよねッ!?」

振り返るために、上半身をきれいに反転させたジェシカの周りに、栗色の髪が美しい弧を描いて広がった。

 その瞳の色は、初めてコータが見た時と、まったく変わらない。どこまでも晴れ渡った青空のように、一点の曇りもなく澄み切っていた。

 始めて見た時、少年はその瞳の色を眩しく感じた事を、思い出す。同時に、その髪の色を美しいと感じた事も。

 そんな素直な気持ちを、どうしてあの時、言葉にしていなかったのか?コータの胸の内で、後悔が膨れ上がった。

 無意識の内に少年の指は、ショルダー・ジェットのスイッチに伸びる。彼は、少女を止めようと思った。呼び止めようともする。

「待って、待って、ジェシカ!僕は……」

 しかしコータはそれ以上、声を出すことはできなかった。

 少年の指が、ジェットのスイッチに触れる直前に、彼の背中を一筋の赤い光が貫いた。少年の背後で、機長に支えられたマリコが、銃を構えていた。

 それを見ていたジェシカの口が、小さくポカンと開かれる。少女はその空色の瞳を、黒い瞳の若い女性に向けた。

「大丈夫なの?」

「もちろん、これは人にも電子機器にも有効な、優れモノだそうよ……ジェシカ」

 二人の、同じ人物を父と呼ぶ女性同士が見つめ合う。

 お互いにお互いが保護者であり、守られる人だという、不思議な関係の二人が、眼と眼で会話しているようだ。

 少女の空色の瞳が、潤んでいるように見えたのは、セレイアスの気のせいかもしれなかった。

「マリコ、アタシのこと妹って、言ってくれた?」

「何も、覚えていないんじゃなかったの?嘘を吐くことなんか、教えなかったはずよ……」

 若い女性の黒い瞳が、間違いなく潤んでいる。

 大人の男性は自分が支える女性の体が、細かく震えることに気が付いて、目を伏せた。

「ありがとう、姉さん……」

「ジェシカ!」

 言葉と同時に、栗色の髪がもう一度弧を描いて、扉の外に消える。

 マリコは、セレイアスの手を振り払うように、空中に足を進めた。

 扉のわずかな隙間が、外の力で閉められ、ロックする振動が微かに床から伝わる。

「行かないで……ジェシカ、僕は……」

 薄れ行く意識の中で、扉の外に消える少女の背中に向かって、少年はさらに手を伸ばそうともがいた。

 すると、その手の先が何かに触れ、無意識に彼はそれを引き寄せる。手の中には、赤い大きなリボンがあった。少女がただの少女であった時の、それは生意気な彼女を象徴するアクセサリーだとも言える。

 赤いリボンを手の中に握りしめながら、少年の意識は薄れて行った。

 力を失ったマリコと、気を失ったままのコータの二人を、セレイアスは両手でしっかりと抱え込む。その三人を、部屋全体を揺るがすような衝撃が襲ったのは、それからしばらくしてからのことだった。

 壊れた傘のようなコンロンの先端約半分が吹き飛び、サブ・コントロール・タワーを含む中心軸は、折れた小枝のように反対方向に飛んだ。

 月の軌道近くで、突然のように輝いた爆発の光は、月面基地からも肉眼で観測された。すべての通信が断たれていた人々は、ただただ不安気にその光を見つめるだけだったという。

 その中に、コータの両親もいたが、彼らだけは何があっても平気な顔をしていた。その二人にしても、その爆発のすぐ傍に自分の息子がいたのだと知れば、それほど平気な顔ではいられなかっただろう。


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