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地底の民

──翌日


『白雅』


 竜神の音なき声が白雅を呼ぶ。だが、白雅は今回わざと返事をしなかった。


『白雅よ、まだ怒っておるのか?』

「だって……ずっと紫闇のこと心配して、心が潰れそうだったんだぞ! ──なにも知らされないまま、待つしかなかったんだ。それを知ってて黙ってたんだろ!?」


 竜神には白雅の思考が読める。だからこそ、頭の中で会話することも可能なのだが、今回はそれが完全に裏目に出た。紫闇の姿を思い浮かべたとき、ようやく念話で話せる事実に気づいたのだ。


『すまぬ、白雅……我もその事実に気づいたのはつい先ほどなのだ』


 白雅はそっぽを向いたまま唇を噛み、靴先で地面をコツリと蹴った。


 竜神が小さく項垂れる気配が伝わってきて、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 あまりにも竜神がしょげ返っているので、白雅はそれ以上、なにも言えなくなった。


「……まぁ、悪気もなかったみたいだし……今回は許すけど、次はないからな」

『白雅……!』


 竜神が心なしか元気になったような気がする。たぶん白雅の気のせいだろうが。


「……で、すぐに紫闇と話せるのか?」

『しばし待て』


 竜神がなにやらゴニョゴニョと考える気配がする。それから竜神は答えた。


『なにやら今は忙しいらしい。夜に、ということだ』

「無事ではいるんだな?」

『うむ』


 明らかに白雅の声に明るさが戻っていた。それは竜神にとって嬉しくもあり、どこか落ち着かない気分でもあった。


『……それが我でないのは、少し悔しいな』


 竜神の声が、かすかに沈む。


「ん?」

『なんでもない』

「そっか」


 竜神の気配は、相変わらず白雅の意識のすぐ傍にある。長く旅を続ければ続けるほど、それは家族のようで、どこか厄介でもあった。


 普段なら素直に甘えられるのに、紫闇のこととなると、胸の奥がどうしてもざわついてしまう。自分でも扱いきれない感情に、白雅は小さく息をついた。


 夜まですることもないので、ひとつ深呼吸して気持ちを整え、武器の手入れでもしようと思い、白雅は荷物から双剣と弓矢を取り出した。


 弓の弦を指で弾くと、張り具合がしっかりと返ってくる。その音を聞くだけで、胸の奥に戦場の緊張が甦る。


 弓の弦とは違い、双剣を握ると、わずかな震えが手のひらに残った。


「お前も、よく保ってくれたよな……」


 白雅は小さく呟きながら、布で丁寧に弓身を磨いた。すると、アルボリクスが近寄ってきた。


「ほう、ハクガは弓も扱うのか。弓なら我々も得意分野であるぞ」

「へぇ、エルフ族はみんな弓が得意なのか。凄いな」

「よければ訓練の際には呼ぼうかの?」

「いいのか? ありがとう!」


 目を輝かせる白雅に、アルボリクスは思わず相好を崩したが、ふと、彼女の双剣に目を留めた。


「これはまた……ずいぶんとくたびれておるな」

「わかるのか? 最近ずっと大きな戦いが続いてて、かなり傷んでるんだ」


 だが、アルボリクスに告げられた言葉はもっと衝撃的だった。


「それだけではない。刀身が過負荷に悲鳴をあげておる……ハクガよ、そなた、ずいぶんと無茶な戦い方をしてきたようだの」

「……バレたか」


 へへっ、と笑う白雅に、アルボリクスはやや呆れたように告げた。


「このままでは、刀身が保たぬ。近いうちに折れるか朽ちるか、はたまた……」

「……そうなのか」


 白雅は刃の欠けた部分をそっと親指でなぞった。その動きには、懐かしむような、謝るような気配が滲んでいた。


「……この剣、ずっと相棒なんだ。折れるのは……嫌だな」


 今度はシュンと肩を落とした白雅を見て、アルボリクスはポンと手を打った。


「そうじゃ。ちと現実的ではないかもしれぬが、よい案があるぞ」

「え?」


 アルボリクスは目を丸くする白雅に笑って説明した。


「世界樹・ルナヴェルナ様の根は地下深くに伸びておってな。そこには、ドワーフ族の営むひとつの地下世界があるのじゃ」

「ドワーフ族……」


 未知の世界に、白雅の好奇心がうずいた。


「そうじゃ。彼らは我らと同じく個の名前を持たぬ種族じゃが、頑強で誇り高い者らじゃ」


 そう語るアルボリクスの声はどこか愛おしげだった。


「優れた鉱夫であり、腕利きの鍛冶師でもある」

「鍛冶師!?」


 ようやく話が通じた白雅は目を輝かせた。


「彼らに気に入られれば、あるいは剣を打ち直してもらえるやもしれぬぞ」


 双剣をもう一度見つめ、白雅はグッと柄を握りしめた。


「それいい、行く! どうすればいい?」


 思わず身を乗り出した白雅を、どうどうと宥めて、それからアルボリクスは微笑んで告げた。


「ルナヴェルナ様にお願いするのじゃ。きっとそなたを地下世界へと導いてくださるじゃろう」


 アルボリクスはルナヴェルナへの祈り方を詳しく白雅に教えてくれた。


「さぁ、準備ができたらルナヴェルナ様の元へ行っておいで」


 そう言って、アルボリクスは白雅を快く送り出してくれた。


 白雅は双剣の重みを確かめながら、深く息を吸った。地下世界へ──胸の奥がそっと熱を帯びた。



 教えてもらった通り、世界樹・ルナヴェルナにそっと触れて、脈動に己の鼓動を重ねるようにして祈る。すると、大樹の根が静かにほどけるように揺れ、やがてポッカリと地中へ続く道を開いた。


 アルボリクスに持たせてもらった提灯ランタンを白雅は掲げ、竜神とともに地下世界へと足を踏み入れた。


 この提灯は正式名称を『深翠灯』といい、火を使わないエルフ族とドワーフ族の、古来から存在する独自の灯りだった。

 エルフの霧気と、ドワーフの地脈熱。二つの力を束ねて生まれる翡翠色の灯りは、炎のような熱を持たず、ただ静かに地下を照らした。


「綺麗だな……」

『……あぁ』


 世界樹の根は地下へ地下へと続いており、それは不思議なほどにまっすぐな一本道だった。どうやらルナヴェルナは本当に白雅たちを歓迎してくれているらしい。


 下へ進むほど空気は冷たく澄み、足音さえ吸い込むような静けさが満ちていた。


 根の壁には、染み込んだ神気がかすかな光の粒となって漂っている。提灯の翡翠色と混ざり合い、白雅の影が揺らめいていた。不思議と恐怖はなく、ただ胸が高鳴った。


──冒険者としての血が、静かに騒いでいた


 やがて、根の道が途切れ、足元の感触が土や岩になった頃。白雅たちの目の前には、広い空間が現れた。その広さは、エウロペ帝国の首都・ヴェラントゥスが丸ごと収まってもなお余るほど──地上の尺度スケールでは測りきれぬ空洞だった。


「……すごい」


 思わず息を呑んだ。地上では見たことのない光景だった。天井から滴り落ちる鉱石の雫が星のように輝き、風すら通わぬはずの地下なのに、地脈熱が満ちているのか、不思議な暖かさが漂っている。


 あちらこちらで鉱石採掘のためにツルハシを振るう音が甲高く響き、武具を加工する規則正しい槌の音も聞こえてくる。ここがドワーフ族の住まう地下世界だった。


「あんれ? まぁ〜、人間がここまで来るなんて珍しいだな」

「それにあれは『白い子供』でねぇか?」

「んだんだ」


 遠くからそんな話し声が聞こえてくる。白雅は彼らに近づこうとしたが、そのとたん、一目散に逃げられてしまった。


「逃げ足、速っ……」

『どうやら警戒心がかなり強いらしいな』


 こんな地下暮らしをしていれば、それは警戒心も強くなろうというものだ。白雅はそう思って肩を竦めた。そのときだった。


「んだ」

「うわっ……! ビックリしたー」


 いきなり近くで声がしたので、白雅は思わず飛びあがった。見れば白髪頭の小さな人影がいつの間にか隣に並んでいた。小柄な白雅のさらに半分くらいの背丈しかない。つぶらな黒い瞳がこちらを見つめていた。


「おめさんが『白い子供』だな?」

「白雅だ……で、アンタ誰?」


 思わず胡乱げな目をした白雅に、小さな老ドワーフはエッヘンと胸を張った。


「ドワーフ族の族長・ペトラルクスだ。おめさん、こげなとこまで……なにしに来ただんべ?」

「アンタがペトラルクス? 会えて嬉しいよ。ここには頼みがあって来たんだ」


 白雅はアルボリクスから話を聞いてここへ来たこと、大切な双剣を鍛え直してほしいことをペトラルクスに話した。


「んだどもなぁ……そげなこつ言われても、困っちょるんだなぁ」

「んー……駄目か?」


 白雅が悲しげに小首をかしげると、ペトラルクスは慌てて答えた。


「駄目じゃねぇ……駄目じゃねぇけんどなぁ」


 そこで口ごもったペトラルクスに、焦れた竜神は精神感応力を行使した。


『ドワーフ族の極度の人見知りが原因なんだと』

「んだ」

「……なるほど」


 白雅は納得した。だが。


「でもな、璙。勝手に他人様の思考を読むなよ」

『む……すまぬ』

「構わねぇだ。オラぁ、口下手だかんね……」


 ペトラルクスはやれやれとため息をついた。


「通訳してけれ」

『……族長に選ばれる条件に、『人見知りがまだ軽いこと』とあるくらいだ。どうする? 白雅。このままでは、双剣を鍛え直してもらうのはかなり難しそうだ』


 白雅はうーんと考えを巡らせた。


「なぁ、ペトラルクス。どうにかみんなと仲良くなる方法ってないのか?」

『慣れれば問題ないそうだ』

「んだ」


 その慣れるのにいったいどれだけかかるのだろうか。白雅が腕を組んで考え込んだときだった。


「ペトラルクス様〜、大変じゃ〜!」


 ドワーフ族の男の一人が小走りに駆け寄ってきた。


「どげなしただ?」

「崩落で怪我人が〜! 何人か生き埋めになっちょるよ〜!」

「そりゃいかん!」


 ペトラルクスとドワーフ族の男は走って現場へと向かった。白雅も急いであとを追う。ドワーフたちはその小さな身体とは思えないほどに足が速かった。


「ここじゃ、ここ〜!」


 すでにたいがいの瓦礫は撤去されていた。ドワーフたちは力持ちなので、瓦礫の除去もお茶の子さいさいなのである。


 だが、示された場所ではかなり巨大な岩が通路を塞いでいた。これではいくら力持ちのドワーフといえども、動かすことはできない。


「退いてくれ! 私がやってみる!」

「え〜!? 非力な人間が〜!?」


 無理じゃろ〜。そう言われたが、それで諦めるわけにはいかなかった。


 白雅は腰の双剣を抜き放ち、剣に意識を集中する。通路の湿った空気が、肌をひと筋だけ撫でた。静かに呼吸を整え、カッと目を見開いた。


 その瞬間、白雅は音もなく動き、双剣を閃かせた。気合一閃、なんと巨大岩を斬り裂いたのだ。双剣が岩に食い込んだ瞬間、白雅の腕に、嫌な反動が跳ね返った。


 歓声があがり、ドワーフたちが切れた岩石を外へと運び出す。瞬く間に通路は開通した。中に取り残されて生き埋めになっていたドワーフたちも、どうやら全員無事だったらしい。


 安堵したのも束の間、両手に嫌な衝撃が走り、白雅がおそるおそる双剣に視線を向けると、双剣の刀身には大きなひびが入っていた。もはやひびというよりも亀裂に近い。


「あちゃー……」


 アルボリクスから注意されていたのに、と後悔したのは一瞬で、すぐに白雅は考え直した。


「ありゃあ……すまんのう、オラたづのせいで」


 ペトラルクスが近寄ってきて、ひび割れた双剣をいたわるように撫でたが、白雅はすぐにカラリと笑った。


「気にするな。確かに大切な剣ではあるけど……アンタたちの命には代えられないからな。全員無事でよかったよ」


 そう口にしながらも、胸の奥にかすかな寂しさがよぎる。それほど、この双剣は相棒だった。


「おめさんてば……なんていいヤツだんべ!」


 何故かペトラルクスがオイオイと泣き出し、他のドワーフたちもつられて泣き出した。白雅と竜神は思わず呆気に取られた。


「決めた! おめさんの双剣、修理は難しかろけんども、新しく作ることはできるべ! オラたづにおめさんの新しい双剣、作らせてけろ!」


 白雅は目を丸くして、それから口を開いた。


「え? ……本当に、作ってくれるのか?」

『どうやら、そうらしい』


 竜神が彼らの気持ちを代弁してくれた。


『エルフ族もそうなんだが……ドワーフ族は人間に比べてかなり長命だ。その代わり子供がたくさん生まれるわけではないので、同胞をとても大事にする。彼らにしてみれば、白雅は大切なものを差し出してまで同胞を助けてくれた大恩人、ということなのだろう』

「……そうなのか。絆が深いんだな」


 感心する白雅に、ペトラルクスは大きく頷いた。


「んだんだ。双剣ができあがるまで、ここに滞在するとよかんべよ」

「それは助かるな。どうもありがとう」


 お礼を言って、ふと白雅は考えた。


「泊まりがけになったら、アルボリクスが心配するかな……?」

『気にしてはおらぬみたいだぞ。むしろ楽しんでくるよう言っておる』


 サラリとアルボリクスの思考を読んだ竜神に、白雅はこれ以上の説教を諦めた。


「便利でありがたいんだけど、なんだかなー」

『ん? なにか言ったか? 白雅』

「なんでもない」


 竜神と人間の感覚は、やはりどこか違う。


──違うからこそ、一緒にいる意味がある


 白雅はそんな小さな気づきを胸の奥で温めた。

2026/01/27

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