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魔女裁判

 明朝、朝靄の残る冷えた空気の中、鉄扉が重く開いた。兵の手が白雅の腕を掴むと、冷たさが外套越しの骨身に沁みた。紫闇も両の手首を手錠で拘束され、ひとつ悔しげに眉を寄せる。


 石畳を踏む音だけがやけに響き、帝都の朝の静けさが二人を押し包む。白雅は胸にこびりついた不安を、踏みしめるたびに掻き回されるような気がした。


 白雅は隣を歩く紫闇の横顔をチラリと見た。紫闇はなにか言いたげだったが、言葉は喉で凍りつき、ただ前だけを見つめて歩き続けた。


 二人が連れて行かれた先は皇城の外周の一角にある異端審問院の裁判堂である。


 厚い扉の上には、鉄の王冠に一本の長剣を掲げた帝国紋章が刻まれている。下向きの刃は、まるで『逃れられぬ裁き』の象徴そのものだった。


 中に入ると、高い天井の下、祈祷文の刻まれた石柱が静かに並び、わずかな冷気が足元を這っていた。


 厚い扉が閉じると同時に、外界の光は完全に遮断され、裁判堂にはわずかな燭台の明かりが揺れた。


 その薄暗さは、まるで内部に漂う偏見と恐怖そのもののようだった。白雅は足元に流れる空気の冷たさに、背筋をひっそりと強張らせる。紫闇もまた、知らず拳を握りしめていた。


 中央には『罪人台』があり、白雅と紫闇はそこに立たされた。


 正面壇上には審問官長が座る帝国紋章の刻まれた椅子が、まるで玉座のように鎮座している。


 時間になり、審問官たちが入廷した。正面の椅子に審問官長が腰をおろす。


 ふと視線を感じて、白雅は目線を横にずらした。審問官席の脇に設けられた来賓席に、いかにも貴人らしい青年が静かに腰をおろしていた。


 見た目は二十代前半と、まだ年若い。白皙の肌に、白金色の髪を軽く撫でつけている。紺碧の瞳には、この場の重さに押し潰されそうな、不安の影が揺れていた。祈るように指を組んだ手が、震えているのが白雅の視界の端に映る。


 白雅には、その青年の周囲だけ、別の温度が漂っているように感じられた。彼の震える指先は、恐怖ではなく、なにか必死に抗おうとする意志の表れにも見えた。

 彼女は、その不安げな横顔に一瞬だけ眉根を寄せたが、すぐに視線を正面へ戻した。


 審問官長が手にした笏を打った。


「これより裁判を始める」


 その冷たい声で白雅は我に返った。


「その前に……被告人の頭巾を取れ。神聖なる裁判の場をなんと心得るか!」


 審問官長の叱責が飛ぶ。若い審問官が慌てて白雅に近づき、その外套の頭巾を無理やり脱がせた。


「──!」


 一瞬、時間が止まったようだった。あらわになった雪のように白い髪と、血のごとく紅い瞳に、誰もが絶句した。その白皙秀麗な面立ちと相まって、まるで人ならざる者のようである。


「これは……『白い子供』か……!」


 傍聴席の数人は小さく悲鳴をあげ、別の者は胸に手を当てて後退った。審問官長だけは、恐怖よりもむしろ、古い嫌悪の教義そのものをまとったような憎悪を浮かべている。


 白雅の胸がスッと冷えた。いつものことだ。こんな反応をされるのは。


 白い子供。異端。化け物。裁判堂には混乱の気配が満ち満ちていた。

 傍聴席の後方では、小声で祈りを唱える者まで現れた。


「あれが災厄の子なのか……」

「近づくな、目を合わせるな」


 そんな囁きが次々に生まれる。白雅は視線を伏せ、呼吸をひとつ深く沈めた。慣れているはずなのに、胸の奥が少しだけ軋んだ。


「……被告人は『ハクガ』と『シアン』で間違いないな? では罪状を読み上げる」


 気を取り直した審問官長が白雅と紫闇の罪状を羅列した。その内容といえば、『魔性の力』に『異端の儀式』、そして『神聖冒涜』など曖昧なものばかりで、ついでに一昨日の『騒乱罪』まで押しつけられていた。


「……以上である。なにか質問はあるかね?」


 審問官長の言葉に、白雅は小さく肩を竦めた。


「特にないな。なにを言ったところで、どうせ聞く気はないんだろう?」


 その歯に衣着せぬ物言いに、審問官長は憎々しげに白雅を睨みつけた。


「黙れ、白い異形め──!」


 憤怒の表情で叫んだ審問官長に、法廷がざわつく。白雅だけは表情すら変えずにその場にたたずんでいた。


 そこへ静かな青年の声が割って入った。開廷前に不安を滲ませていた、あの貴人だった。声は震えていたが、それでも彼は逃げなかった。


「審問官長。その呼び方は断じて許されぬ」

「し……しかし……!」

「裁く者である前に、帝国の法に仕える者だろう。侮辱と偏見は法を歪めるだけだ」


 静かだが確かな強さを滲ませるその口調には、青年の公平性という価値観がよく表れていた。


 審問官長が固まり、周囲の空気が一変する。


(ほう……)


 エウロペ帝国にもこんな価値観を持つ人間がいたのか、と白雅は感心したが、ただそれだけだった。


 審問官長は気まずさを誤魔化すように咳払いをして裁判を再開した。


「ゴホン……では、この件について、陳述する者は前に出るがよい」


 一般開放されている傍聴席から手が挙がり、審問官長が発言を許可する。


「審問官様、聞いてください!」


 一人の女性が声を張り上げた。


「うちの子は、あれから毎晩『紅い目の魔女』の悪夢にうなされています。もう可哀想で見ていられなくて……!」


 それは、あのとき脳震盪を起こしていた子供の母親だった。


 ただ助けたかっただけなのに──白雅の胸がチクリと痛んだ。


「審問官様、俺からもいいか?」


 次に手を挙げたのは、足を挫いた初老の男性だった。松葉杖をついている。


「俺は町で医術師をやっているんだが……そこの二人に助けられた」

「!?」


 思わぬ言葉に、裁判堂の空気が一瞬止まった。異端審問官たちでさえ、驚愕に目を剥いている。


 あの男性が医術師だとは思わなかった。白雅の驚きは、庇う発言そのものより、むしろそこにあった。


 初老の男性は自分の右足を見せた。


「見てくれよ。俺は足を捻挫したんだが、二人の処置に間違いはなかった。むしろ、適切で正しい治療が施されたお陰で、皆、軽傷で済んだんだ」


 そう告げて、男性は子供の母親を見た。母親は気まずそうにうつむいて黙り込んだ。


 その瞬間、白雅の胸の奥で、ふっと小さな火が灯った。それを自分が求めていたと気づいた瞬間、白雅はそっと瞼を伏せた。

 希望は毒だ。期待すれば裏切られる──何度もそう非情な現実に教えられてきたから。


 医術師の言葉に動かされたのか、数名がためらいがちに手を挙げた。


「……私も、あのとき助けられて……」

「わ……私も……」


 小さな声だったが、それは確かに『救われた』という事実の証言だった。


 だが、別の者たちは眉をひそめ、露骨に不満げな声をあげる。


「魔女の肩を持つ気か?」

「惑わされるな!」


 裁判堂の空気は、賛否が入り混じってざわめいた。そのとき、審問官長は笏の先で石床を強く叩いた。


「静粛に!」


 その鶴の一声で、集まっていた人々が静まり返る。


「ただいまより審議に入る。しばし待つように」


 審問官たちが審問官長を中心に集まった。形式だけの評議と思いきや、なにやら議論は白熱しており、その中心には件の青年貴人の姿があった。どうやら彼が、紫闇の扱いについて何事かを強く主張しているらしい。


 机を囲む審問官たちは、互いに押し殺した声で応酬を続けていた。


「民を救った者を罪に問うなど前例がない」

「感情論で裁くつもりか、ここは帝国の法廷だ」


 どの声も低く鋭く、空気を削るようだった。白雅の耳には、遠くでざわつく傍聴席の不安な気配がじわりと伝わってきた。


 紫闇は審問官たちの声を聞きながら、喉の奥に固いものが張りつくのを感じていた。もし自分の言葉ひとつで白雅の審判が傾くのなら叫びたい──そう思いながらも、拘束された腕では一歩踏み出すことすら許されない。


「ゴホン……静粛に」


 どうやら決が出たようだ。審問官たちが元の位置へと戻っていく。審問官長はどこか尊大に告げた。


「──判決を言い渡す」


 誰かがゴクリと息を呑んだ音が聞こえた。白雅はそっと息を吸った。どんな結末であっても、うろたえるつもりはなかった。


「シアンとやらは、人々に治療をもたらした『善き魔女』であるとみなし、無罪とする」

「!」


 人々が大きくどよめいた。魔女が無罪を勝ち取った判例など、これまでにないことだ。白雅の胸にもようやく安堵が生まれる。


 次の判決の言葉を待つように、視線が一斉に白雅へと向けられた。


「だが、ハクガとやら……『白い子供』である貴様だけは論外だ。我が国では昔から『白髪紅眼の異形は災厄の象徴』と言われている。いかなる功績も、その本性を覆う理由にはならぬ。よって、『悪しき魔女』として火炙りの刑に処す」

「──!」

『なんだと!?』


 紫闇が思わず絶句し、竜神も驚きと怒りをあらわにした。集まった人々の間からは、安堵とも無念ともつかぬ複雑なため息が漏れた。


「白雅……?」


 その名を呼んだ瞬間、紫闇の脳裏には、火刑台で一人きりの白雅がよぎった。胸が潰れそうだった。


 白雅だけが、まるでこの結末を初めからわかっていたかのように、冷たい覚悟の炎をたたえて審問官長を見据えていた。


 胸の奥で、なにかが音を立てて崩れ落ちた気がしたが、それを表に出すつもりはなかった。


「これにて閉廷!」


 石床に反響した審問官長の声は、どこまでも冷たく、白雅の運命を突き放すようだった。



 裁判の結果を受け、紫闇の身柄は解放されたが、白雅は再び皇城の地下牢に入れられた。


 紫闇は鉄扉の閉まる音に、胸の奥を短剣で抉られたような痛みを覚えた。助けられたという事実よりも、白雅と離された現実のほうがよほど残酷に感じられた。


 白雅の傍にいさせてほしい、と粘る紫闇の元に、一人の兵士が近づいて耳打ちした。


「レグルス皇太子殿下がシアン殿をお呼びです」

「!」


 罠かもしれない──そう考えた瞬間、紫闇の心臓は一拍早く打った。しかし、罠でもなんでも、利用できるものは利用する。勇気を振り絞るように、兵士のあとについて行った。


 案内されたのは、皇城の奥まった場所にある、皇太子の執務室だった。その簡素な造りと警備の厳しさを見て、紫闇はようやく警戒をわずかに緩めた。どうやら本物らしい。


 兵士が扉を叩く。


「お客人をお連れしました」

「入ってもらえ」


 扉が開かれ、中にいる人影を見た瞬間、紫闇は納得した。その人物は裁判に立ち会っていた青年だったからだ。


「……なるほどね」

「驚かせてすまない。私はレグルス。このエウロペ帝国の皇太子だ」


 執務室には、長時間燃やし続けた油灯の独特の香りが漂っていた。

 机には未決の書類が積み重なり、どれひとつとして手放す余裕がなかったことを物語っている。

 若さより先に、責任の影が彼を包んでいるように見えた。


 紫闇は少し考えて、それから優雅に一礼した。その流れの旅人とは思えない美しい作法に、レグルスは一瞬目を瞠った。


「先ほどもお会いしましたね、皇太子殿下。この度は命をお救いいただきまして……なんて言うと思った?」

「……!」


 一瞬で紫闇の声の調子が変わった。礼儀をかなぐり捨てて、レグルスに訴える。


「アタシだけ助かっても意味がないんだよ。白雅も一緒じゃないと。なんで白雅を助けてくれなかったんだい……?」


 紫闇の声は嗚咽に変わり、指先は小さく震えた。頬を伝う涙をこらえようとしても、視界は滲むばかりだった。


「力が及ばず、すまなかった。そなたを助けるだけで精一杯だったのだ」

「白雅を助けておくれよ……そうじゃなきゃ、あの子と一緒に死なせておくれ。あの子になにかあったら、アタシは……!」


 それ以上は言葉にならない紫闇に、レグルスは痛ましげな視線を向け、言葉を探した。


「それほどまでに彼女のことを……大切な人なのだな」

「そうよ、あの子はアタシが育てたんだから」


 燃えるような激情を宿した紫闇の瞳に、レグルスは拳を静かに握りしめた。なにを選んでも誰かが傷つく。その事実を噛みしめながら、青年はゆっくりと紫闇に視線を戻した。


「シアン殿、ハクガ殿を逃がす方法を一緒に考えよう」

「え……?」


 突然のことに、紫闇は頭が真っ白になった。白雅が、助かるかもしれない?


 レグルスは訥々と内心を明かした。


「昔から……この国の蛮行が、どうしても許せなかった」


 声を震わせてレグルスは囁くように告げた。


「人と人は手を取り合えるはずなのに、何故、同じ人間同士で憎しみ合うのか」


 沈黙のあと、彼は目を閉じた。


「それも、憎しみを生み出しているのは、この国のほうだ……」


 その震える懺悔のような告白を、紫闇は黙って聞いていた。


「今日の裁判を見て確信した。この国は、間違っている……! 過ちは、誰かが正さねばならない。それが私にできることだ」


 レグルスはそこで一旦言葉を切ると、覚悟を決めるように大きく息を吸った。


「その手始めに、ハクガ殿をここから逃がしたい。シアン殿、手伝ってくれないか?」


 よく見れば握りしめたその手は小刻みに震えている。紫闇は目を細めると、低い声で囁くように告げた。


「……後戻りはできないよ。後悔はないんだね?」


 レグルスの紺碧の瞳が、紫闇を正面から見た。


「ない、とは言い切れない。だが、やると決めた」


 声を震わせながらもそう言い切ったレグルスに、紫闇はようやく表情を緩めた。


 その言葉は震えていたが、揺らぎはなかった。彼の内側でなにかが静かに燃えている──そんな確信が紫闇にも伝わった。

 たとえ帝国が相手でも、この青年なら一歩を踏み出すだろう。紫闇はその可能性に、かすかな光を見る。


「だったら、こっちとしても願ったり叶ったりだよ。よろしく、レグルス皇太子殿下」

「──! ……感謝する」


 差し出された手はわずかに震えていた。紫闇は一瞬だけ迷い、その温もりを確かめるように指先を重ねる。


──この瞬間からすべてが動き出す


 二人の指先が触れた瞬間、紫闇は悟った。これはただの挨拶ではない。

 それは帝国の未来を変える契約であり、同時に──後戻りできない現体制への反逆の始まりでもあった。

2026/01/24

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