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分岐のとき

 世界樹の島に戻った白雅は、アルボリクスたちエルフ族に、会談の内容を話して聞かせた。


「……つまり、レグルス殿下が生きている間は、島は守られる、ということでよいのじゃな?」


 アルボリクスの確認に、白雅は頷いた。


「うん、そう。あとは、アイツが自分の死後のことまで考えてる仕組みが形になれば、当分は大丈夫だろ」


 エルフ族からようやく安堵の息が漏れた。


「ようやってくれたのう、ハクガよ」

「うーん……どうだろ。世界樹・ルナヴェルナとしては、どう思ってるんだろうな。月の乙女・ルナフェリアはちゃんと選ばれるのか」


 白雅の不安に、アルボリクスは柔らかく微笑んで答えた。


「それじゃよ、ハクガ。安心するがよい。ルナヴェルナ様は本日、無事にルナフェリアをお選びなさった」

「え?」


 驚く白雅に、アルボリクスはエルフ族に向かって手招きをした。


「こちらにおいで、ルナフェリアや」

「はい」


 甲高い声がして、エルフ族の中から進み出てきたのは──。

 その瞬間、周囲の空気がわずかに澄んだように感じた。


「はじめまして、ハクガ様。ルナフェリアです」


 なんと見た目年齢七歳くらいの少女だった。太陽の光を集めて縒ったような長い金髪を背中に流し、美しく澄んだ翡翠色の瞳をキラキラさせてこちらを見ている。


 少女の背後で、風に揺れた若葉が光を弾いた。まるで祝福するように。

 思わず白雅は目を奪われた。そこだけ世界の色が変わったように見えた。


「か……可愛い……」


 白雅が心を撃ち抜かれていると、アルボリクスが穏やかに笑った。


「そうじゃろう、そうじゃろう。このルナフェリアは我がエルフ族では最年少の娘なのじゃよ」

「そっか……」


 白雅は、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じた。

 地下世界で竜神が言っていた。エルフ族もドワーフ族も、人間よりもずっと長命だが、たくさん子供を授かるわけではないので、同胞をとても大切にするのだと。

 このルナフェリアは、そんな中で授かった大切な子供なのだ。


「はじめまして、ルナフェリア。よろしくな」

「はい!」


 うん、やっぱり可愛い。紫闇が子供や女の子にきゃあきゃあ騒ぐ気持ちがほんの少しだけわかってしまって、白雅は内心複雑だった。


「それで、アルボリクス。彼女はこれからどうするんだ? 確か、皆既月食の夜に祈りを捧げるって言ってたよな?」

「そうじゃ。我らエルフ族の暦によると、次の皆既月食は幸いにも二ヶ月後には起こるじゃろう」


 なんとか今年中に間に合いそうじゃ、とアルボリクスは本当に嬉しそうに笑った。


「二ヶ月後か……皇太子の即位式の頃だな。また凶兆だのなんだの言われて騒がれるんだろうなー、アイツ。気の毒に」


 白雅は今日の会談で話したレグルスの顔を思い浮かべて苦笑した。どうやら彼は受難の年らしい。


「皆既月食もまた自然の摂理じゃ。人間というのは面白い発想をするものじゃのう」


 アルボリクスの言葉に、白雅も頷きを返した。


「まぁ、仕方ないよな。よくわからないものが怖いっていうのは……きっと人間の本能なんだろうよ。『白い子供』みたいに」


 白雅の声はどこか哀しみに満ちていて、アルボリクスは眉根を寄せ、わずかに言葉を探すように沈黙した。


「のう、ハクガよ」

「ん?」

「……そなたが望むなら、ここで暮らす道もある。この島が、そなたにとって『逃げる場所』であっても、『帰る場所』であっても構わぬ。ただ、そなたが安らげるなら、それでよいのじゃ」

「!」


 思わず目を見開いた白雅に、アルボリクスは重ねて問うた。


「その身に、外の世界は生きづらくはないか? この件、よく考えてみてくれると嬉しいのう」


 アルボリクスの厚意に、白雅は胸の奥がキュッと痛むのを感じた。外の世界で、彼女はどれほどの時間、独りで立ち続けてきたのだろう。


「……ありがとな、アルボリクス。少し、考えてみるよ」


 口ではそう言いながら、白雅の胸の奥はざわついていた。ここに留まる未来と、外へ戻る未来──どちらも、もう『選べてしまう』ことが、なにより怖かった。


 白雅の声はどこか弱々しかった。



──帝都・ヴェラントゥスの宿にて


 その日の夜。紫闇は白雅と久しぶりに連絡を取った。


『紫闇、大丈夫か?』


 開口一番に、白雅はそう尋ねてきた。まったく。竜神を通して毎日伝言していたというのに。


「アタシは大丈夫よ。そんなに心配しなさんな」


 軽い調子でそう言ってのけると、心底安堵したような白雅の声音が伝わってくる。


『……よかった。紫闇は優しいから、皇太子のこと心配して、無理してるんじゃないかって不安だったんだ』


 紫闇は思わず口元をへの字に歪めると、照れくささを隠すように軽口を叩いた。


「……アタシが無理してまで助けたい相手なんて、今のところアンタとローラン国の幼馴染くらいのもんよ。そうねぇ……一応、赤鴉のヤツも入れといてあげようかしら」

『あはは……まぁ、家族だしね』


 ずいぶんとおかしな関係だと思うが、それでも紫闇は白雅を介して、赤鴉のことは家族のように思っている。それは三人の共通認識だった。

 そんなことを考えていると、白雅が無邪気に爆弾を投げ込んできた。


『ローラン国のナディル王太子殿下やライラ王女殿下は入れなくていいのか?』


 紫闇の顔が一瞬で真っ赤に染まった。


「なっ……! なんでアンタがそのことを……!?」

『ライラ殿下から聞いた。ナディル殿下から告白されたんだろ? いいじゃん。ナディル殿下、誠実そうだし。あの赤鴉の友人ってとこがちょっと気になるけどな』


 実は昔に二人でヤンチャしてたりして。白雅の声はどこか楽しげだった。


「それは……まぁ、まず間違いなくヤンチャしてるでしょうね」

『だろ?』


 そこで白雅は急に声の調子を落とした。


『……なぁ、なんで断ったんだ? やっぱり……私のせいか?』


 その罪悪感の滲む声音に、紫闇は一瞬言葉に詰まった。


「……違うに決まってるでしょ。アタシの事情だよ。それに……『待ってる』って、言ってくれたもの」


 ボソボソと白状した紫闇の言葉に、白雅は驚きをあらわにした。


『だったら、余計に一緒にいないと! よし、この国の件が解決したら、一緒にローラン国へ戻るぞ、紫闇!』


 その勢いに、紫闇は珍しく戸惑った。


「え? でも……」

『でも、じゃない。ナディル殿下は『待つ』って言ったんだよな? だったら、紫闇が殿下の傍にいないと意味ないじゃないか。旅に出てたら今回みたいに命の危険だってあるのに』


 白雅の言葉はもっともだ。だが、紫闇の内側に別の痛みが走った。胸の奥でなにかが軋んだ。

 気づけば言うはずのなかった言葉が口を突いて出ていた。


「じゃあ、アタシはもう要らないってのかい!? 今回だってアタシがいたから、アンタは逃げられたんだろ!?」


──言ってしまった、と紫闇自身が一番よくわかっていた


 心のどこかで、白雅に突き放される未来を恐れていたのかもしれない。


 返答を待つ紫闇の耳に返ってきたのは、まるで胸の奥を押さえるような、静かで深い声音だった。


『……そのことは、本当に感謝してる。紫闇がいてくれなかったら、私はここにいない』


 そこで白雅は、少し息を置いた。


『でも……それとこれとは別の話なんだ。紫闇は、いつも私のことばかりで、自分を後回しにしてる』


 白雅の声は低く、重い。


『……少し、言葉を選ぶけどさ』


 ためらいながらも白雅は本音を吐露した。


『私だって……紫闇に幸せになってほしい。それが……家族ってもんだろ?』

「──!」


 紫闇は、はっと気づいた。白雅はもう子供ではない。子はいつか巣立つ。そして親は、取り残される。


(あぁ……アタシはずっと、白雅を子供扱いしてきたんだ。もうとっくに、自分で歩けるってのに……)


 白雅の声が少しだけ沈んだ。


『……正直言えば、紫闇が離れていくのは寂しい。でも、それでも……幸せであってほしい』


 その優しい本音に、紫闇の胸が震えた。


『私は……紫闇が私の幸せを願ってくれている分だけ、紫闇も幸せになってくれたら、それでいいんだ。もし、紫闇の気持ちが少しでもナディル殿下にあるのなら……戻るべきだと私は思う』


 紫闇は答えることができなかった。胸の奥が熱くて、言葉にならなかった。



 帝都司法殿──その大広間は、普段の静寂からは想像もつかぬ重苦しさに包まれていた。


 白い石造りの高い天井が、押し殺したざわめきを鈍く反響させる。


 貴族と官吏がびっしりと並ぶ傍聴席では、誰もが緊張を隠せずにヒソヒソと声を交わしていた。


──英雄の失墜

──帝国軍元帥にして軍務卿、バルセリウスの裁判


 その名だけで、大広間は不穏に揺れる。やがて、鉄の扉が軋む音を立てて開いた。鎖の擦れる乾いた音が響き、護衛に囲まれた長身の男がゆっくりと姿を現す。


 痩せた──というより、削り取られたような印象だった。右手と左足の腱を切られたため右腕は固定具で支えられ、歩行は護衛二名に支えられている。

 それでも、彼の琥珀金の眼光だけは鋭く曇ってはいなかった。傍聴席に小さなどよめきが走る。


 裁判官の席中央には、皇太子・レグルスの名代として最高法官が座る。レグルス自身はここに姿を現さない──だが、誰もが理解していた。彼がくだすであろう裁可が、すでにこの空間の空気を形作っていることを。


「被告、バルセリウス」


 重厚な声が裁判長席から響く。


「帝国軍の越権行為、および皇太子殿下への背反について、弁明を述べよ」


 一瞬の沈黙──そしてバルセリウスは顔をあげた。


「……弁明の余地はない」


 ざわ、と傍聴席が揺れる。


「私は確かに、皇太子殿下を拘束し、投獄した。だが……」


 掠れた声に、かつて軍を従えた威圧感の名残があった。


「この身が裏切ったのは、帝室ではなく──帝国そのものの『弱さ』だ」


 裁判官たちの眉がピクリと動く。


「強い武力こそが帝国に平和をもたらす。力こそが正義だと──私は、そう信じるしかなかった」


 ひと言ひと言が、断罪されるべき男のものとは思えぬ、揺るぎない確信を帯びている。だが、そこにはひと雫の狂気にも似た感情が揺らめいていた。


 護衛が不穏に身じろぎし、廷吏たちは動揺を隠せない。


「……バルセリウス」


 裁判長が静かに、しかし鋭く言葉を切った。


「汝の言葉は、罪を覆すものではない。問われているのは動機ではなく、帝国軍元帥および軍務卿としての責務を逸脱した事実だ」


 バルセリウスは目を伏せ、薄く笑った。乾ききった、痛みすら含まない笑み。


「事実で裁くのなら、それでいい」

「皇太子への背反、軍の私的利用、世界樹の島への侵攻──罪科は多い」


 裁判長の声が大広間に響く。


「ただし、戦場での決闘においてすでに戦闘能力を喪失し、また帝国軍多数を救う行動も確認されている」


 その言葉に、観客席がざわつく。


──そう、バルセリウスは『完全な悪』ではなかった


 自然現象に敗北したあの海戦でも、最後まで部下を逃がすため指揮を執り続けたことは事実だった。


 法官たちの間で、小声による協議が始まる。冷徹な視線がバルセリウスを刺すが、彼は静かにそれを受け止めていた。


 やがて裁判長が立ち上がった。


「最終審理は、皇太子殿下の御前にて行われる。これより結審までの間、被告は皇城地下牢にて拘束を継続する」


 槌の音が響いた。


──バァン!


 その音が、バルセリウスという男の過去を断ち切るかのようだった。


 彼は静かに護衛に支えられ、その場をあとにする。民衆のざわめきは、彼の背中に容赦なく降り注いだ。

 英雄は失墜し、反逆者として裁かれる。だが、その瞳に宿る光だけは、まだ消えてはいなかった。


***


 帝都・ヴェラントゥス皇城の大広間。白大理石の床は磨きあげられ、外から射す朝光が硬質に反射する。


 その中央に置かれた審理台。周囲をぐるりと取り囲むのは、帝国の文武百官、元老院代表、そして各方面の法官たち。


 だが、その全員の視線はただひとつ──玉座の前に立つ青年に注がれていた。


 レグルス──明日、帝国の皇帝として即位する青年である。


 この大審理は、彼の即位前最後の国家行為であり、同時に帝国軍元帥であった男の最終審判でもあった。


 重い鎖の音が響く。護衛に支えられ、バルセリウスが大広間へと姿を現す。

 やつれた頬。だが、背筋は崩れない。右手と左足の腱は断たれ、歩く姿は痛ましい。それでも、その眼光の濁りはなかった。


「被告、バルセリウス。前へ」


 彼は護衛に支えられながら審理台の前に立つ。その姿を、レグルスは黙して見つめていた。


 法官が朗々と罪状を読みあげる。軍務卿権限の逸脱、海戦における独断専行、皇太子殿下への危害行為、帝国軍の損耗および混乱の招致。

 読みあげる声が響くたび、傍聴席の空気が重く沈む。しかし、バルセリウス本人はただ静かにそれを聞いていた。


「……弁明があるか?」


 レグルスが問うと、広間に緊張が走る。バルセリウスはゆっくりと顔をあげた。


「……弁明はない。ただ──ただひとつだけ、申し上げたいことがある」

「言え」

「私は……帝国が滅びるのが、怖かった。それだけだ」


 その言葉は、まるで戦場に響く最後のひと太刀のように重かった。


「権限を逸脱したのも、侵略戦争を選んだのも、その愚行のすべてが……帝国の弱さが滅びを呼び込むと、恐れたが故だ」


 広間がざわつく。


「だが、私は敗れた。ハクガという女武人に──そして、皇太子殿下……貴方にも」


 バルセリウスの瞳はレグルスをまっすぐに射抜いた。


「もはや、私は過去の亡霊だ。裁きを受けよう」


 レグルスはただ黙っていた。若い顔には、感情がほとんど浮かばない。だが、静かに握られた拳が、彼の心の葛藤を語っていた。

 かつて己が憧れた英雄。その男が、今は帝国を揺るがした反逆者として立っている──レグルスの表情の奥に、その葛藤の影がわずかに揺れた。


(私は……父の時代の過ちを繰り返すわけにはいかぬ……)


 フェリクスは廷臣席で息を詰め、官吏たちは固唾を呑んで見守る。


 レグルスは長い沈黙の末、ようやく口を開いた。


「……バルセリウス。汝の罪は重い。軍を私物化し、帝国を大きく混乱させた」


 大広間の空気が張り詰める。


「しかし同時に──汝が戦場で部下を救うため動いたこと、帝国のために尽くしてきたこと、そして今回、最後まで罪を認め、抗わなかったことは事実である」


 レグルスは緩やかに息を吸った。そしてはっきりと、明瞭な声で告げた。


「よって、バルセリウス。汝を終身禁固刑とし、軍籍および爵位のすべてを剥奪する」


 その言葉を口にした瞬間、レグルスは理解していた。これは慈悲ではない。未来を選ぶための、決断だ。


 大広間が、一瞬凍りついたように静まり返った。次の瞬間、ざわり、と抑えきれない波紋が貴族席に広がる。死刑ではない。反逆罪では異例とも言える軽減。

 だが──帝国軍元帥であった男が持つすべてを奪われ、残りの生涯を地下牢で終えるという刑。事実上の生きたままの死だ。


 フェリクスですら目を見開いた。貴族たちがざわざわと騒ぎ出す。


 レグルスは騒めく場内を一喝するように続ける。


「帝国は変わらねばならぬ。復讐のためではなく、未来のために裁きを行う」


 凛とした声が広間に響き渡った。


「以上をもって判決とする」


 槌音が、帝国の新時代の幕開けを告げるように響いた。


 護衛に支えられて立つバルセリウスは、ただ静かに目を閉じた。

 安堵か、諦念か。それは誰にもわからない。しかしその口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


──あぁ

──この男は、自分では成せなかった『未来』へ進むのだな


 それは、敗者のものとは思えぬ静かな微笑だった。その意味を知る者は、もう彼自身しかいない。


 鎖が引かれ、バルセリウスはゆっくりと連れ出される。その背中を、レグルスは静かに見送っていた。

 英雄でも、反逆者でもない。ただ一人の、帝国の男の末路として。

2026/02/06

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