第6章 美月、神宝を継承する
美月が企画した斎宮をテーマにした新ツアーが発表されると、榊原旅行企画のオフィスに一本の連絡が入った。
「『つくよみの会』から、社長に面会の依頼です」
電話対応をした沙羅の報告に、美月は思わず顔を上げた。
「つくよみの会って……おばあちゃんが参加していた短歌の会?」
懐かしさと違和感が交錯する。
短歌の会からの直接訪問など聞いたことがなかった。
「彼らとは昔、ツアーを何度か一緒に組んだことがある」と榊原は言ったが、その顔にわずかな緊張が走っていた。
「普通なら電話かメールで済む話だ。これは……何かあるな」
そうつぶやいた榊原の予感は、的中した。
その日、やってきたのは、美月の大学時代の恩師でもあり、榊原旅行企画・友の会のメンバーでもある吉岡保だった。
美月がこの会社に入社できたのは、吉岡の後押しのおかげだ。コロナ禍で採用取り消しになり、途方に暮れていたところを、吉岡教授が榊原に紹介をしてくれたのだった。
彼の後ろには、大きな荷物を抱えた青年が付き従っていた。
「吉岡先生……!まさか先生自ら、お見えになるとは」
「いやぁ、榊原さん、急にすまなかったね」
榊原は、社員全員に加え、堀川、沙織の待つ応接室に、吉岡を通した。
「今日は何か、改まったご依頼でも?」
榊原の問いに、吉岡は目を細めて頷いた。
「私が急遽、こうしてお時間をいただいたのは、あなた方に直接伝えるべき重大な使命があるからです。あなたも、うすうす気づいていたでしょう?」
「こういう仕事を長くやっていると、勘だけは鋭くなるものです」
榊原が苦笑する。
吉岡は軽くうなずくと言葉をつづけた。
「これからお伝えすることは、あなた方にとっては、驚き戸惑うことかもしれませんが、私にとっては、ついに伝えることができる喜ばしいことなのです」
吉岡は静かに一同を見渡した。
「『つくよみの会』――それは表の名前に過ぎません。本当の名は……『神宝継承会』」
その瞬間、部屋の空気が変わった。
「我々は、伊勢の斎宮に伝わる“神宝”を継承してきた守人の末裔。斎宮制度の終焉とともに歴史の表舞台から姿を消しましたが、密かに、使命は受け継がれてきたのです」
「八つの神宝……」美月が思わずつぶやいた。
吉岡は頷くと、後ろの青年が持参した木箱を開いた。
「我々が代々守ってきた四つの神宝。これらを、あなた方に託します。あなた方こそが、次なる継承者です」
木箱の中には、神聖な存在感を放つ神器が静かに並んでいた。
吉岡が一つずつ説明をする。
「これは銅鏡。太陽の光を受け止め、世界を照らす。光は、生命を育み、真理を明らかにする。
この聖杯は、聖なる水の器となる。神聖な儀式の前に、五十鈴川で潔斎するように、水によって、人は変化し、浄化され、再生する。
この香炉は風を象徴する。香の煙は、人の願いと祈りを天へと届け、時空を超えて運ぶ。
この不思議な形の剣は、七支刀。光と影を切り裂く神剣である。鍛冶師によって鍛えられる刀は、火を象徴する」
「……本当に、これを我々に?」
「はい。榊原さん。あなたが築いてきた“祈りを軸とした旅”は、まさに継承者としての資質を示しています。あなた以上にふさわしい人はいない」
榊原は、一瞬絶句したあと目を閉じた。そして静かに目を開けると、吉岡に向かって頭を下げた。
「謹んで、お受けします」
吉岡が静かに頷いた。
堀川が問いかける。
「美月さんのお祖母様、結月さんも……『神宝継承会』の一員だったのですか?」
「そうです。結月さんこと伊藤結子さんとご主人の伊藤蘇芳さんは、我々の仲間であり、神宝継承会の重鎮でした。
結子さんは、月の神宝とともに、神宝全体の選定に関わる重要な情報を継承しておられました。
蘇芳さんは、星の神宝を継承しておられました。
そして生前、結子さんも蘇芳さんも、『後継者を見つけた。必要な鍵は手渡してある。彼らが目覚めるのを待ちましょう』とおっしゃっていました」
「……美月さんの持っているあの短歌手帖は、ただの手帖じゃなかった」
堀川がつぶやく。
「ええ。結子さんの手帖は、一見、ありふれた短歌手帖のような体裁でありながら、木、地、水、風、火、月、星、太陽の八つの神宝、そしてそれぞれの“真の継承者”についての古代からの伝承についての情報が隠されています」
薫子が口を開いた。
「残る四つの神宝のうち、二つはすでに手渡されているということですか……?」
吉岡は美月と堀川を交互に見つめながら答える。
「ええ、月と星はすでに継承者のもとへ、結子さんと蘇芳さんから手渡されています」
「そして残りの二つ木と地は、人の手で守るものではなく自然界の中にあります。その答えも、結子さんの短歌の中にみつけてください」
斎王・明子は、美月との約束通り、神宝を護り伝えてくれたのだ。
それを受け取り、約束と責務を果たす時だ。仲間たちとともに。
「美月の体験を聞いたときは、まさかと思ったけれど、この旅を企画した時に、どこかで皆も覚悟していたと思う。旅によって目覚めた使命を果たすときだ」
榊原の言葉に、誰もが静かに頷いた。
その夜――
美月のスマートフォンが震えた。母からのLINEだった。
「おばあちゃんから託されていたものがあるの。あなたが伊勢に行ったら渡すようにって」
言われた通り、母の部屋の箪笥の引き出しを開ける。そこにある小さな包を開けた瞬間、美月は息をのんだ。
銀色の月光をたたえた、一粒の大きな真珠のペンダント。
それは、あの斎宮寮で朝月として、いつも身に着けていたものだった。
ペンダントに触れた瞬間、胸の奥から波紋が広がる。
斎宮寮での記憶。祈り。誓い。
そして、自分が“月”に連なる存在であるという直感。
「これは月の神宝……」
そして美月は気づく。
「残り七つの神宝――それぞれを受け取るべき七人の仲間が必要だ」
鍵は、あの短歌手帖だ。