3 見送り
「とりあえず、橋の街についてなら、私もモナたちに聞いてみるわ」
「まあ、ありがとう存じます。ランフォード様なら、きっとお詳しいわ」
「ティトテゥスも聞いてみてよね」
「それはいいが、なあヨラン」
ジエマの頼みを断るつもりは元からない。ナーナに当然だと返してから、ヨランに顔を向けてテトスはたずねた。
「その噂話をいくつも聞いたんだったか」
「はい、少なくとも五人は」
「その中で、とくに詳しく話したやついるか。いるならどの寮だ?」
ヨランは少しの間黙ってから、あ、と声を上げた。
「カラルミスです」
「名前は……覚えてないか」
「たぶん、医務室の診察記録を見ればわかるかと思います。ああ、でも」
思い出したのか、微妙な表情に変えてヨランは言った。
「やたら装飾品をつけていたのと、香水臭くて、スピヌム先生が珍しく楽しそうでなかったですね」
「スピヌムが? そんなときもあるんだな」
「口直しにテトスたちが看たいといっていました」
「なるほど。近寄らんほうがいいな」
テトスにとって医務室は魔境である。
そんなところで自主的な勉学に励むとは。ヨランにわずかなりとも同情した。
(変な教師と、姦しいやつらがいるなかだろ。絶対ごめんだ)
本人は向いていると勉強に前向きだとしても、そのような環境では落ち着きやしないだろう。学期が始まれば、もっと煩わしくなるに違いない。
「ヨラン。早めに愚妹で売約済みと大声で喧伝しとけ。面倒が減るし、いざってときに盾にできる」
極めて真面目に助言したつもりだが、ヨランには変な目で見られた。ナーナにも、半眼でどういうことだと睨まれた。
「元、トイット。現、グリクセンの実妹がカラルミスに入ってきた。そいつをムーグたちが甘やかしているうえ、面食いらしい。ひょっとすると、もう会っているかもな」
「そうなの? ちょっとヨラン?」
テトスが言うと、ナーナは手のひらを返してヨランに詰め寄った。
ホリィ・ムーグとナーナは決して仲良くはないからだ。同室の友人を悪く言うのが嫌いな最たる理由だと前に聞いた。
ナーナはヨランの肩に手を置いて言う。
「何かされたら助けるわ。ひとまず保護の魔法道具を作るわね」
「いやあの、そんな大袈裟な」
「あら、ヨランったら。甘えることは恥ずかしいことではありませんよ」
「姉さんはややこしくなるから、黙って」
ヨランが女性二人に、あれこれと言われ始めた。助けを求める視線から顔を逸らして避け、テトスは腕を組んで思考を巡らせた。恨みがましい呻きが聞こえるが、ひとまず置いておく。
(そういや、さっき寮前で会った一団にはいなかったな)
モールの妹は、モールに似ていてそれはそれは愛らしい。
ホリィがそう言って騒いでいたのを何度か聞いた。それだけならホリィの欲目と流すが、ヴァーダルも都での貴族の集まりで姿を見たという。
髪も目の色もまったく同じで、気質も兄とよく似ているそうだ。
そもそもあのホリィが甘やかしているのなら、ホリィの側にいないのはあまり考えられない。
医務室にでもいたのか、早々に自室で休んでいたかのどちらかだろう。
(それにしても、また騒ぎか)
編入した昨年も、騒動が起きていた。
辺境の土地での、異能を持つ危険生物たちの襲来も面倒だったが、こちらはこちらで人がらみの事件が起きる。種類は違えど、面倒なことはどこでも起こるものらしい。
(まあ……放置してはジエマさんのご心痛の種になりかねん)
やはり、どうにかするべきだろう。助力を惜しむわけにはいかない。
養親である義父たちの、傭兵団の薫陶を受けた身である。
内に入れたならば、しかと守り抜くこと。弱者を虐げないこと。
ほかにも色々と叩きこまれたが、要は義に悖る行いをするな。その一点に要約できる。
(なんとなく嫌な感じがするしな。気を配っとくか)
自身の中で結論づけたところで、テトスは三人の様子へと視線を戻した。
ナーナが即席のお守りを作成したようだ。お守りは細いリボンの形状をしており、それをヨランにつけて満足そうにしている。ジエマも似合っているとはしゃいでいた。
なお、ヨランは諦めの姿勢でじっとしていた。右側の伸びた一房の髪に青のリボンが絡んでいる。
さらに髪飾りをとナーナたちが盛り上がりはじめたところで、さすがに哀れみを抱いた。
テトスはようやく、そっと止めたのだった。
ひととおりの雑談も終わった。
ジエマの帰寮時間がきたことで、その場は解散となった。
そして幸運なことに、テトスはコウサミュステ寮までジエマを送る栄誉を手に入れた。なぜなら、ヨランがナーナを引き止めて、学園医のところまで連れて行ったからである。実に鮮やかな手並みであった。
コウサミュステへは、学園棟から繋がる地下通路を通る必要がある。寮の周囲が湖で囲まれているため、地上から進むには泳ぐか飛ぶか、船で渡るかしかないためだ。
テトスはジエマの荷物を手に、声をかけた。
「では、参りましょうか」
「はい」
小さくうなずいたジエマを隣に、ゆっくりと歩き出す。
「小皿は俺のほうで預からせてもらいます。もし見るのも嫌なら、処分をしておきますよ」
「まあ、そんな」
「ジエマさんのお好みではない品でしょうし、気味の悪い物を近くに置くのは気が休まらないのではないですか」
丁寧な口調を心がけてたずねてみる。ジエマは口をつぐんで、申し訳なさそうにまた小さくうなずいた。
「でも、よろしいの? チャジア様のお手を煩わせるなんて」
「いいですよ。貴女のお手伝いができるなら喜んで」
「まあ……!」
ジエマの頬がさっと赤らむ。
テトスは穏やかな表情を作りながら、紳士に見えるよう努めた。ジエマの好みは、ここ一年でヨランを通しつつ学んできた。その成果を披露するべく、押しつけがましくなく騎士のようにふるまうのだ。
「どうぞ、気兼ねなく頼ってください」
「チャジア様、ありがとう存じます」
爽やかさを心がけて口にすると、ジエマは瞳を潤ませて恥ずかしそうに礼を言った。
新たな学年の始まりとして、実に良い日だ。テトスはジエマの礼を謙虚に受け入れる素振りをしながら、軽い足取りで進む。
出会って間もないころ。最初こそは、親しくない殿方との交流はと遠慮されていた。しかし、ここ一年でようやく普通に会話もできるようになった。
ジエマは親しい者と判じた相手には、饒舌になるようだ。ささいなことを見つけては、よく話す。本当はお喋りな性分なのだろう。それでも徹底して、秘するべきことは避ける話題作りに感心してしまう。
美しい音楽を聴く心地で相槌を打っているだけで、あっという間に目的地まで到着してしまった。
装飾の多い、華美な雰囲気の門がある。地下の明りに照らされて、ぼうっと浮き出る生き物の彫刻が幻想的だ。
この門の先がコウサミュステ寮になる。
テトスたち以外にも、帰寮する生徒がまばらに歩いている。寮生が門に向かって呟くと、門に彫られた生き物たちが蠢いて道を開く。どの寮にも寮の合言葉があるのだ。
寮に所属している者が発することで起動する、特別な魔法の仕組みである。
「ここまでで大丈夫ですわ。迎えの者がそこに」
ジエマの言う通り、門の傍には女生徒が二人立っている。レラレ家のお付きだろう。
予知能力という秘匿するべき才があるジエマには、手厚い監視と警護がついている。交流をしているうちに、自然とお付きや護衛の顔を覚えた。
帰り際だって、見られている気配はあった。ほぼほぼ、ジエマの行動は見守られている。
先程まで邪魔が来なかったのは、テトスを警護役としてジエマの家から見られている節があるからだ。
光栄なことだ。そう未来の義弟予定のヨランに言ったら、なんともいえない曖昧な顔をされた。
だが今回のお付きは、見慣れない者が一人いる。新入生だろうか。まだ制服に着られているような感じで、動作も少しぎこちなかった。どこか眠そうで、緊張している風にも見える。
それを横目に、テトスはジエマに荷物を返す。
「何かあれば、気兼ねなく言ってください」
「はい。では、また」
嬉しそうにジエマが小さく手を振る。同じように返して、テトスは門の向こうに歩いていく背中を見送った。
それから来た道を引き返す。走らない程度に、とん、とん、と拍子に乗って早足で進む。
地下通路を抜けて、階段を上がれば特別教室や食堂がある施設棟だ。近くには教室棟へつなぐ連絡通路もある。
(医務室は……いや、見なくていいな)
学園の教室棟、その入り口近くには医務室がある。おそらくヨランとナーナはそこにいるだろう。とはいえ、様子を見に行ったら道連れにするべくナーナが奮闘することは予想できた。
(俺の分までスピヌムの好奇心を満たしてくれ)
ここにはいないナーナへ適当な励ましを投げかけて、テトスは食堂を目指すことにした。
全生徒が入っても余裕のある広さの食堂は、基本的に深夜や早朝以外、いつでも開放されている。
食事の時間も大まかに決まってはいるが、絶対にその時間でないといけない、というわけでもない。取る取らないは各人に任されているし、強制されていない。
生徒たちの学園生活は自主性に委ねられているのだ。
今だって、テトスが食堂に顔を出すと、早めの夕食を摂る生徒たちがちらほらといる。好きな席をとって適当な話を肴に楽しんでいるようだ。
食堂には隣接された大規模な調理場があり、その境目に料理が立ち並ぶスペースが設けられている。保温やら衛生に関する魔法がかけられた大きな皿たちに、いくつもの料理が置かれていた。ここから必要な分だけ食器に取り分けて食事をする。
いつものように料理が並ぶスペースに立ち入ると、調理場から漏れ聞こえる音が、食欲をくすぐる。これが空腹のいいアクセントになるのだ。
(ここに入ってよかったのは、飯だよなあ)
料理をひょいひょいと摘まみ入れながら、皿に盛り付けていく。小山のようにこんもりと肉料理が積み重なり、申し訳程度に野菜を放り入れる。
たっぷりふりかかった香辛料。塩。どれもこれも、辺境地の一介の庶民にはぜいたく品だ。国一番だからと、料理にも気合を入れているのは好ましい。
(多くとっても文句を言われないし、早いもん勝ちもない。平和だ)
さらに盛り付けながら、両手どころか肘にも皿を置いて、本日の夕食の完成である。
今の時間帯なら、どの席でも自由に座って食べられるだろう。もう少し遅ければ、なんとなく寮ごとに分かれて食べる集団でいっぱいになる。
適当な席について、食事を始めようとしたところで目の前に影が差した。
今まさに放り込もうとしていた肉塊を片手に、テトスはそちらを見て若干後悔した。
「あ、あの」
新入生の女生徒だ。
それも、テトスを指して呪われていると言いきった、クェリコが皿を手に立っていた。