2 黒い小皿
陽の光にあたると金に透ける薄茶の髪。肩口まで切り揃えた毛先が、ふんわりと輪郭を形作っている。
華やかな花弁を思わせる赤い瞳は、きらきら煌めいているかのよう。化粧をしなくても輝かんばかりの美しさは、見ているだけでため息がこぼれてしまいそうだ。
いや、この美貌を見てうっとりしないほうがおかしい。
テトスは即座に自分が考える素敵な紳士像を作り出して、きりりと構えた。
近くのナーナが呆れた顔をしているが、それどころではない。
「お集まりのところ、失礼いたします」
楚々とした仕草で部屋に入ってきたジエマは、テトスとナーナを見て柔らかな笑みを浮かべた。
既定の学生服である紺色のワンピースも、特別にあつらえたように似合う。ふわりふわりと脛のあたりで揺れるところなんて、素晴らしい美術品のようだと思えた。テトスはしっかり目に焼きつけた。
「ナーナティカさん、それにチャジア様。お会いできて嬉しいわ」
ジエマがそう言ってから、視線を後ろに向ける。ジエマの後ろにいた人物が目礼して去っていった。ここまで来るまでのお付きだったようだ。
「姉さん。どうして急に? 僕から聞いておくって話をしたのに」
「でもね、ヨラン。お二人にも聞いていただきたいことがあったの」
ジエマの意思は硬いようで、ヨランの咎めるような口調にもひるまず答えた。
互いに見合って、先に折れたのはヨランだった。
「どうしても二人と話したいみたいです。いいでしょうか」
申し訳なさそうにヨランが言う。
テトスとナーナは、どちらともなく入るように促した。
ドアを丁寧に締めて、ジエマは数歩進んだ。それからゆっくりと辺りを見回して、ほう、と息をこぼした。
「ふふ、こちらがヨランたちがいつもお話している場所なのですね。私、学習小部屋は初めて。思ったより物があるのね。とても素敵だわ」
「姉さん」
「ええ、わかっています。お話があって来たのですもの」
ジエマが部屋の中を歩き出す。テトスは即座に立ち上がって椅子を用意した。
「どうぞ」
「まあ、ありがとう存じます」
微笑み一つが褒美に等しい。テトスはにこやかに返して、またきっちりと姿勢を正して席に着いた。
「こんにちは、ジエマ。私たちに用事って何かしら」
「ご機嫌よう、ナーナティカさん。弟がお世話になっております」
嬉しそうに言ってから、ジエマはヨランを手招きした。
ヨランが近寄ってくると、その手に持っていたカバンを差し出した。ヨランは一瞬苦いものを飲みこんだみたいな顔をしたが、さっさと受け取り、部屋の荷物置き場に持って行った。
「ヨランからお話を、もうお聞きになったでしょうか。予知のおまじないが流行っているようなのです」
「はい。つい先ほど」
「まあ! ちょうど良かったのですね」
テトスが答えると、にこにことジエマはうなずいた。
「私、そのお話を耳にして……おかしなことかもしれませんが、最初は嬉しい気持ちが湧きましたの」
「嬉しい?」
「ええ、そうなのですナーナティカさん。予知をすることは気味の悪いことではないと、そう思っていただけていると知れたのですもの」
両手を合わせて、真実嬉しそうにジエマは言う。聞き返したナーナは、眉をひそめて「そう」と気まずそうだ。ジエマは気にしていないように続けた。
「ですけど、良く知りもしないおまじないは危ないと申しますでしょう?」
うんうんとヨランが何度もうなずいている。ジエマがおっとりと夢見がちな言動をする分、ヨランが制止役を買っているのだろう。身内として必死で説得したに違いない。
「私、ケイボット先生にもご忠告いただいて……あ、失礼いたしました。実は、ケイボット先生は、私たちの親族で」
「ヨランから聞いているわ」
ナーナの相槌に、よかった、とジエマはほっとしてみせた。
ケイボットは生物学教師であり、コウサミュステ寮の担当教師だ。神経質でいつもぴりぴりとしていて、レラレ家の二人と親戚にはとても見えない。
「ケイボット先生が仰るには、先生方も気にしていらっしゃるそうですわ。ですから、みだりに騒がぬようにと」
「それはその通りよ」
「ただ……なんだか胸騒ぎが止まなくって。それで、ヨランにもお話をしたのです。この噂は本当かしら、と」
ジエマはナーナと会話するのが楽しいのだろう、手振りをつけて語った。
予知能力者の胸騒ぎとなると、不穏を感じる。そのこともあって、ヨランもジエマの話をテトスたちに聞いてきたのだろう。
「きっと先生が探ってくれるわよ」
ナーナが安心させるようにジエマへと語り掛ける。こういった時の声かけはナーナが適任だ。テトスもその通りだと、ジエマに力強くうなずいてみせた。
「ええ、きっとそうですわね。でも私、あまりに不安でならなかったみたいで、いつの間にか家の者に頼んだようなのです」
「頼んだって、どういうことかしら」
「あんまり記憶が残っておりませんの。どう説明さしあげたらよいのかしら……家の者に買うようにと、申しつけたそうですわ」
おっとりと頬に手を当てて、困ったようにジエマは呟いた。
「それで、私の指示通りに購入したと、今朝がた、黒い小皿をたくさん受け取ってしまって」
ナーナが一瞬止まってから、荷物置き場のカバンを見た。ヨランも席に戻ろうとした途中で止まり、引いた椅子の背から手が滑り落ちている。
ジエマのほっそりとした指先が、カバンへと向く。
「入っておりますわ。そこに」
「それは驚かれたでしょう」
テトスが殊更優しく問いかけると、ジエマはおずおずと肯定した。
「ええ、とても。ですが、苦労して集めていただいたからには、捨てるというわけにもいきません。先生に相談しようかしらと思ったのですがいなくって……」
「そうなのですか」
「はい」
相槌にほんの少し表情を柔らかくする。それからジエマは両手を組み合わせた。
天啓を受けた神々しさまである。つやつやとした赤い瞳がテトスとナーナを見る。
「ですので、ナーナティカさんとチャジア様なら、こちらのお品を検分してくださるかしらと思いついたのです」
「なる、ほど……?」
戸惑いながらナーナが返した。
「こちらの黒い小皿は、橋の街で売られているものを無造作に集めたようですわ」
「姉さん。それって予知をしたんじゃないの」
「それがはっきりしていないの。確かにぼうっとは……いいえ、いつものようなものではなくて……そう。買わなきゃ、ってその時は思えて」
「やっぱり、予知じゃ」
いぶかしそうに言うヨランに、ジエマは煮え切らない様子で否定する。
「ヨラン。予知は機を見てすぐに出てくるものではありません」
「それは知ってるけど」
「なんだか上手く言えないけれど、これは違うの」
ジエマは目を伏せた。
(綺麗だ。何をしても絵になる人は存在するものだな……)
憂いを帯びて揺れるまつ毛すらも芸術的だ。ぼんやり見つめていたら、ナーナから魔法が飛んできた。
まるで脳裏に小さな雷が走ったような感覚。テトスはナーナを睨んだ。ナーナは素知らぬ顔をしている。
文句の一つでも言おうかと思ったが、ジエマの手前だ。お上品でいなければ。
「このことは我が家に、急ぎ伝えております。相談先にナーナティカさんたちを選んでも、お許しは出るでしょう。我が家はお二方に恩がございますもの」
「ご許可はまだでも、よいと?」
テトスがたずねると、ジエマは視線を上げた。テトスをまっすぐ捉え、こくりとうなずく。
「ええ。今回の噂が可愛らしいまじないだとしても、私が家の者に集めるよう頼んだことは腑に落ちないのです。総じて、こちらの小皿も、経緯も、よろしくないお品かと存じます」
「そうですね」
それは間違いない。
すかさず肯定する。返事に安心したのか、ジエマは両手を組む指を解いて膝に下ろした。
「騒ぎを持ってきたような形になって、申し訳ございません」
「そんなことは。いつでも気軽に行ってください。俺も妹も拒否なんてしませんよ」
爽やかに微笑んだテトスの横で、ナーナが「姉よ、姉」と呟いているが無視だ。そのままカバンに視線を向けた。
「手にとっても?」
「ええ、チャジア様。もちろん、かまいませんわ」
「ちょ、ちょっと、ティトテゥス」
ナーナの言葉を無視して荷物置き場に向かっていき、ジエマのカバンを開く。布に包まれた物が入っている。平べったくて手のひらに収まるくらいの大きさだ。
「私が呪いにかかったとき、お二人のご尽力があって助かったのですもの。このお品も、きっと良いように扱ってくださると信じております」
「その信頼は嬉しいけれど……」
困惑した声を上げたナーナに、テトスは声をかけた。
「おい、ナーナ。触っていいやつか」
「勝手に手を伸ばさないで、もう……はい、見たわ。平気」
テトスが異常な身体能力を持つならば、ナーナは図抜けた魔法の才がある。
さらに特異なのは、自分の体を媒介に魔法の構築を覗くことができることだ。観察さえできれば、書き換えもできるのだ。反則もいいところだとテトスは常々思っている。
青い目が淡く輝くのは、魔法の構築を覗き観た証だ。
「ヨランも安心して。ひとまずは大丈夫なものよ」
ヨランに向かってナーナが言うと、頭が痛いと言わんばかりの様子でヨランがやっと席に着いた。丸まった肩をナーナがそっとさする。その様子に、ジエマは目を瞬かせてわずかに微笑んだ。
「普通の皿だな」
カバンをそっと避けて、机の真ん中に布から出した小皿を置く。どれだけかき集めたのだろう。黒い小皿がいくつも重なっている。
ぬめりのある光沢をした黒い小皿。
光を反射しないほどべったりと塗料が塗りたくられた小皿。
ひとえに黒い小皿といっても色合いは様々だ。
テトスにはその価値はわからないが、どれもこれも大層なものでもなさそうに見える。学生の小遣い程度でも買えそうだと思えた。
「この中にありそうか」
ナーナに向かってテトスが声をかける。ナーナは身を乗り出して、じっと小皿を見つめた。
「おそらく塗料か、小皿の材料自体に魔法の構築式を埋めこんでいると思うのだけど」
自分の一番近くにある小皿を手に取って、ナーナはくるりと裏返す。
「どれもちょっと見栄えするようにだとか、長持ちするようにってくらいなものよ」
「つまり、ここには噂の黒い小皿はない?」
「そういうこと」
ヨランが言うと、ナーナは肯定した。
「ヨランの噂話だと、小物屋にあるそうね? ジエマはどこの店で手に入れたかわかるかしら」
「それなら記録しておりますわ」
ナーナに言われて、そわそわとジエマはカバンから手帳を取り出した。淡く色づいた爪紅の指先でぱらぱらとページをめくる。
「こちら、聞き取って記しました」
「ヨランといい、ジエマもマメなのねえ」
感心した様子でナーナが手帳を受け取る。
ジエマの書いたものだというなら、見ないわけにはいかない。テトスもすかさず体を動かして手帳を覗きこんだ。
本人の性格を表すような、細くて柔らかな線で文字が書きこんである。意外と得意なのか、地図に小さな簡略化した絵もあった。
「橋の街の小物を扱う専門のお店は、すべて確認したと聞いていますわ。ですが、橋の街はもともと構えているお店のほかにも、場所を提供して不定期に店が開くこともあるようなのです」
真剣なジエマに、ヨランは目を瞠っている。それに気づいたジエマは、唇に緩やかな弧を描いた。
「レラレ家の娘ですもの。私も、やればできるのですよ」
「うん……意外だ」
素直に言ったヨランに、ますます嬉しそうにジエマは笑んでみせた。