6 二人の故人
メモには鬼気迫ったような、神経質な文字が殴りつけてあった。ところどころ震えているのか、文字の端々がぶれていたり乱れていたりと読みにくい。
ぱらぱらとめくったメモは三枚。
三枚目には、豹変した老女の顔が恐ろしいタッチで描かれていた。
「うわ」
思わず声も出る。憎悪を湛えたすさまじい形相だ。その絵の傍には、画家のサインらしきロゴと『正体』と走り書きの題がある。
「これ、見てみろよ」
自分一人で抱えるわけにもいかず、テトスは近くのナーナを呼んでメモを渡した。ヨランとジエマも寄ってきたので、場所を譲って見えるようにする。
「なにこれ。告発文?」
ナーナが眉をひそめて言う。
メモにはこう書いてあった。
『絵の修復依頼に来た者へ。速やかに依頼を成しつつ隙を見て逃げろ』
『友の名につられ、金払いの良さに引かれたのが愚かだった。これは罠だ』
『用済みになれば処分される。私は足を折られ、逃げることもままならない』
少女めいた声で読み上げながら、ナーナは眉間のしわを深くした。次の文面の名前のせいだろう。
『ヘンドリクと呼ばれる。私はヘンドリクではない。私は友と間違われているのか。夫人は男を誰でもヘンドリクと見做すのか。そこまで気が狂われてしまったのか』
『痛くて描けない。施療院に行かせてくれ。頼んだが麻薬を処方された。痛みは取れたがひどく気分が悪い』
『ああ、痛みのためだけじゃなかった! はやく領主様にヘンドリクのことを聞かなければ』
『もし君が逃げられたなら、ヘンドリクの過ちについて確かめてほしい。これでは、不憫でならない』
『ヘンドリクは二人いた』
痛みに呻きながら、恐怖に耐えながら書いたのだろうか。
これから来るだろう次の犠牲者に宛てた文章は、鬼気迫る感情を嫌でも感じさせた。
「ヘンドリクって、ねえ」
気分が悪い。ナーナもまた口を引き結んでテトスを見る。
「私たちの、どうしようもないウワサのお父様の名前でしょう」
「同姓同名の無関係な奴がいない限りはそうだろ。ヘンドリクの名前は今じゃ、ここの忌み名扱いだ」
聞きづらそうにヨランが口を開いた。
「それじゃあ、つまり、お二人の祖母君はヘンドリク氏の行動で気を病んで、良からぬことをしていたということですか」
「これに書いてあることが真実なら、そうでしょうね。本人の家なら、防犯魔法も作用しないもの。でも」
「でも?」
ヨランが促す。
「祖母はもう生きてないものと聞いていたけど……お父様の事件で、その親世代は責任を取って処されたと私は聞いているわ」
ナーナは視線を落として答える。それにつられるように、ジエマが頬に手をあててうつむいた。
「それほど重たい事件でしたのね。お母君のご両親も同時に責任を取らされたのは、相当なことでしょう」
「いや、ちょっと待て。俺が聞いたことと違う」
思わずジエマの言葉を遮った。テトスは頭を掻いた。
「ナーナ、お前それはブラベリの親から聞いた話か」
「そうだけど」
「じゃあ違う。俺が聞いたのは」
言葉を区切る。テトスは聞いたのだ。親からではなく、面白おかしく噂していた議会の者たちや、モングスマの縁類を名乗る者たちからの口さがない話を。
第三者は当事者の気持ちも考えずにあれこれ推測混じりで話すが、装飾せず遠慮のない事実も平気で話すこともあるのだ。
「祖母は処罰を受けていない。旦那は当時の領主様の兄弟だった。身分があるから下手に害せない。大人しくしてもらうために旦那ともども蟄居されていたが、それでも領主様の近い身内だ」
「じゃあ、死んでないってこと?」
「表舞台じゃ死んだ扱いだった。モングスマと縁づいてそういえばいたってくらいのな。母が殺されて、祖父も間を置かず亡くなって後を追った……らしい」
「伝聞? 実際は?」
「チャジアの報告記録には、三番街から出た森で消息不明ってあっただけだ。屋敷を探しても誰もいなかったから、定期巡回に移行。それが不定期になって、魔法道具の検知頼みになった」
「お祖母様って、お強かったのかしら」
「ジエマさんほどではないが、深窓のご令嬢だったそうだ」
それが、こうなった。
三枚目のスケッチを誰もが見て、口を閉ざす。
「ヘンドリクが二人の意味、わかる?」
「知らん。親世代で他にいたのかって話だが」
そこで、ジエマがおずおずと片手をあげた。
「あのう、それらしき御方、存じています」
「えっ」
注目を浴びたジエマは手を下ろして、両手をもじもじと合わせた。
「こちらに向かうに当たって、お勉強をしたと申しましたでしょう。伝手を使って、色々と読み学びましたの。カロッタ様やウァリエタトン様方も協力してくださって、その中に少し古い領主家の家系図がありまして」
本来なら、他領や外部に出るはずがない資料も見たということか。
(古い貴族家のカロッタなら、ありうる……。ベイパーのとこも古い家だし、芸術関連なら伝手で知っててもおかしくはない?)
しかしそこまで手を回して一生懸命に学んできてくれたとは思いもしなかった。熱心だとは思っていたが、本当にここまでとは。
自己保身もあるだろうが、テトスが知るジエマなら相手の立場を尊重し迎合すべく励んだのだろう。
学ぶに当たっての努力の姿勢、研鑽は賞賛に値する。何度目かの惚れなおしを覚えたところで、テトスは続きを促した。
「その中にいたと」
「はい。ヘンドリク・ディアデムタル。前領主様の異母弟にあたる方ですわ」
「領主家のヘンドリク……聞き覚えないな。ナーナは」
「知らないわ。そんな方がいたなんて、誰も言わなかったし……伯父様は知っていらっしゃるのかしら」
言いながら、ナーナは「知らないはずないわよね」と独りごちた。同感だ。
(頭がこんがらがりそうだ)
領主家とモングスマにヘンドリクが二人いた。
祖母は行方不明の生死不明。この屋敷で見つかった麻薬原料。死んだ画家らしき人物。
その後、この屋敷では麻薬と関係する異形が産み出された可能性もある。祖母と関係があるのか。わからないことだらけだった。
「あの、そのご婦人と似た方とお会いしたことがあるのです」
ジエマは厳しい顔つきの女性を見て、言った。
「特徴的な香りと言葉遣いでしたから、よく覚えています。小箱のときのことでしたから」
「他人の空似じゃないの?」
「いいえ、ヨラン。あそこにある戸棚の香水瓶を見たかしら」
埃をかぶった低い背丈の戸棚のことだ。
テトスの腰辺りまでしかない小さな戸棚は、一人分の食器と透明な瓶が飾られている。瓶の形は特徴的な花をあしらったデザインだった。そういうものに詳しくないテトスからすると、ランプみたいな形だと思えた。
香水瓶はどれも同じものばかりで、ほとんど空だがわずかに黄色く変色した液体が残っているものもある。
「この香水を使うのは、今はそうないはず。だって、先のお花を使うのですもの。正しく調薬しないとご禁制の品と変わってしまいますわ」
「血の釉薬の香水? そんなのあったかな」
「まあ、お勉強が足りないのではなくて? あるのよ。お母様の世代では殿方を誘惑する、ちょっとしたお品として流通していたもの」
ナーナは口に手を当てて、あっと目を丸くした。
「プルスアニェスの香水……ねえ、ちょっと、ここも見て」
三枚目のスケッチ、画家のサインらしきところをナーナが指差す。
「このデザイン見覚えがないかしら」
「小皿の裏のやつか」
簡略した炉を模ったシンボルマーク。
テトスは、ああ、と思い出すように続けて呟いた。
「炉……出廬教?」
あの小皿とは異なり、ロゴのようにマークの下に描かれている。
テトスの呟きに、ナーナは頷いた。
「あとね、誘惑の香水のことでそういえばって思い出したの。小皿の噂が出た時、ヨランのところで話していた女の子がいたでしょ?」
じっとナーナに見られて、たじたじとヨランが頷く。
「香水の匂いがしたって言ってたじゃない。だから、危ないものかどうかモナや他の女子にも聞いたの。これ、最近になってまた再流行しはじめているみたい」
「まあ、それは存じ上げませんでしたわ。お恥ずかしい」
「ジエマが辺境に行った後、じわじわ流行り出したから知らなくてもしょうがないわよ。それで、先見の明があったってムーグが喧伝したのよね」
「まあ……」
ジエマがほう、と息をこぼした。想像に容易い。ホリィ・ムーグならするだろうという納得によるものだ。
それで、とナーナが続ける。
「その子曰く、あの時は小皿と一緒に買ったんですって。今は流行だから他の店でも出されているけれど、最初は橋の街の露店売りだったのよ」
「血の釉薬の小皿と一緒に売られていた香水か。それに出蘆教のマーク。まったく良い予想にならないな」
「活動の資金源にしたとか? 一体、お祖母様は何を思って」
口をつぐんでナーナはメモを畳む。緩慢な動作は、落ち込んでいるのかと思えた。
だが、次の瞬間にまた勢いよく顔を上げて、慌てたように魔法を使い始めた。
「ナーナティカ?」
「ヨラン、もう一度耳を済まして。地崩れの音でもいいわ」
様子が変わったナーナにヨランがたずねる。それを気色ばんで返したあと、青い目を魔法によって輝かせて周囲の探知をし始めた。
「……地崩れというか、何か穴にぽたぽた落ちたような音はします。土ごとでしょうか。あちこちからすると思います」
「あああ、まさか! さっきの揺れはこのため? 骨を持っていかれたわ! 血に、肉の代わりの土。それがあれば」
早口でまくしたてて、ナーナはぶつぶつと続ける。
「代償、材料が揃っているならできて当然だもの。混ぜ合わせるために、もう一度利用したほうが再現はしやすい。そういうことなのね」
「どういうことだ」
テトスに、顔色を悪くしたナーナの視線が向く。
「炉の魔法道具が使われたの。それも一度じゃない、何度も、今も!」




