5 迫る秘密
ところ変わって、一番街の辺境領主の居住地。
領主の館は、辺境領地で一番の権威であるからして一等豪華で優れている。
というのは過去の話だった。
「財政はじり貧。懐事情はいつだって寒いものだ。これからの気候のようにね」
軽口まじりに自嘲して、ムリナイ・ディアデムタルが笑う。
しんとした空間に乾いた笑い声が響いて、消える。笑顔も一瞬で消えて表情に浮かぶのは無であった。
「……いや、笑いごとではないな」
「仰る通りで」
ようやく返ってきた言葉にムリナイは唇の端を上げた。
自分よりも幾分か年若い男は、長い年月ですっかり精神も身体も老けて擦れてしまった。
「カイデン、モングスマはどうだい」
「変わりなく。このまま傾くなら、予定通り家門は閉じてもよいでしょう」
問いかけの返答は変わりない。ずっとこうだった。意固地もここまでくるのなら、尊敬ものだ。
罪ありきと生きてきた。それは目の前のモングスマを背負う男のことだけではない。
「そうか」
無言で頭が下げられる。麦の穂を思わせる髪色には、白髪が目立つようになった。
こうして下がった頭も何度見たことか。すっかり慣れてしまった。それがまた虚しい。
大仰なくらいの豪奢な椅子にもたれて座ることも、癖のようなものになってしまった。
視線を外して深く背中をあずける。ひじ掛けに置いた自分の手が視界に映った。高く質のいい衣服を身にまとっても、老いや変化は簡単に隠せるものではない。
会話が区切られた拍子で、無造作に片手を動かす。
ハリのない皮膚。手首の傍から生えた親指、本数の減った指先。長い爪先と偶蹄類の蹄が合わさったかのような奇形の手。
ムリナイは、体にこうした変化が起きるのは分かっていた。
異形化しやすい血を集めると、異能が発現しやすい。強い異能を好んで集めて頂点に君臨していた領主家一族にとって、異形と異能はあって当然のものだった。
だから、強さを良しとした昔から他家に脅かされることなく、辺境領に君臨し続けられたのだ。その代わり、濃い血に溺れて異形へと変じて人ではなくなる危険も秘めている。
寿命や老いとともに、精神も身体も異形に変容していくのだ。それが濃い血を発現した代償だ。そして周囲の害となる前に処分される。
「君がいなくなったら、誰が私の始末をしてくれるのだろうねえ」
「チャジアは優秀な手足になりますので、心配は不要です。牽制が必要なら良い道具屋もあります」
「身内自慢か。君らしくもない」
「事実ですので」
「まあ、しばらくはその世話になるまいよ」
頬杖をついて体を弛緩させる。
ムリナイ自身も、老いを自覚していた。だがそれでも、死期を悟るには早すぎることも理解していた。
なぜなら、ムリナイの異能は自身の危険に関することを、少し先の未来まで察知できるのだ。草食動物か何かの血だと研究者は述べていたが、こうして異形が顕わになったことではっきりした。
危機察知のおかげで、これまでなんとかやってこれた。賢君である自信はないが、暗君凡愚の類ではないと胸を張れる理由はこのおかげだった。
「あるいは、世話になる前に終わるかもしれないさ」
「それは、いつのことです」
「今朝からずっと悪寒がする。周囲から悪意の手が延びているような寒さがある。じきに囲まれるだろう」
「出蘆か、議会か、両方ですか。ムリナイ様は人気でいらっしゃる」
「本当にその通りだ。勇ましく戦えたらいいが、才も立場も鑑みて叶わない身ときた。困ったものだね」
ゆっくりと力を入れる。椅子から立ち上がるが、人の足だったときと同じ感覚で立つと上手くいかない。ふらりと揺らめきながら踵の蹄でたたらを踏む。
「カイデン・モングスマ。私人として言いたくはないが」
「気遣いは無用です。弟は、いなくなった彼らには、その時間すらなかったのですから。覚悟をする時間があるだけ、幸運でしょう」
あの頃と変わらず、しっかりとした眼差しが見上げてくる。風貌は変わっても、それだけは変わりない。
すまないとも、ありがとうとも口にできない。ムリナイは溜息まじりに息を長く吐き出した。
そして、次には穏やかな微笑みをたたえて告げた。
「時間を稼ぎなさい。身命を賭して、我が身を守るように」
「この身にかえても」
***
白骨がまばらに埋まっている。
分解が進んでいるのか、半ば溶けかけていたり脆く崩れていたりと状態は悪い。ただそれは、時間経過による風化だけが原因ではない。
おそらく本当に時間が経っているものもあるだろうが、そこまで経過していないものもあった。入り混じっているのだ。
最初に見つけた場所以外の、黒土がこんもりとしている箇所を探すと次々と見つかった。屋敷にある黒土と花が咲いた下には、ほぼ例外なく白骨が埋まっていた。
被害者はどのような者かは、遺された服からかろうじて推察出来る。
路地裏に住むような襤褸服から立派な貴族らしき服、見覚えのある隊服まであった。
他にも遺体があるのかと四人で探して左から右の部屋を確認してみたが、どこも同じ状態だった。
「個室のほうも同じ。あとは奥だけか」
テトスが言う通り、個室の崩落した箇所からも同じように黒土と花、骨があった。
残すは、一番右奥にある部屋だけだ。
ナーナが魔法探知をかけて、ヨランが聞き耳を立てる。異常なしと判断して部屋を開ける。
一際、薄暗い。
ドアを開けて四隅を見ても、闇がそのまま固まって存在しているかのように隅は真っ暗だった。一歩踏み出せば、互いの顔さえも視認することは難しいだろう。
ただ、それ以上に、右側一番奥の部屋はひどい臭いだった。
埃と黴とこもった空気でむせるような、喉につっかかるような息が詰まるものだ。かすかな雨に濡れた土臭さが何重となって襲い掛かるような嫌な臭いだ。
よく目を凝らせば、部屋に窓がある。厚いカーテンで閉ざされている。
テトスは先に部屋に足を踏み入って、中のカーテンを開けた。
サッと、部屋の中に光が差し込む。それでもまだ薄暗いが、先ほどよりは見通しが遥かに良くなった。
そうして振り返って辺りを見回して、テトスは苦々しく言った。
「ここが事件現場かもしれないぜ」
部屋の保存状態は、これまで見たなかでもまだいい。調度品もある程度残っていた。それに、内装は劣化しているが大きな崩れもない。
だが、変色した血痕が広い部屋の床や壁に飛び散っている。幾度も塗り重なっただろう箇所はどす黒く変わり果てていた。日にちは経っているが、臭いたつ生臭さがそこから漂う気さえした。
明らかに猟奇的な何かがあったと思わせる痕跡に、誰かがえずいた。
「数日前じゃないな。一回二回の跡でもない」
部屋の片隅には、脚が壊れた安楽椅子がある。そこだけ埃はなく何度か使った形跡が見て取れた。
その近くに立って血痕を見る。まるで観劇でもしたようなちょうどいい間合いに痕が残っていた。
「ジエマ、大丈夫? 無理しないでいいのよ」
「ええ、大丈夫ですわ」
ナーナが気遣わしげにジエマの肩を撫でる。
(そうか、ジエマさんはこういうのは不慣れか)
ジエマを見ると、逆にこちらを労わるように微笑まれた。顔色が悪く見えるのは部屋の暗さのせいだろうか。
ナーナの手を優しくはがして握り、そっと離す。それからジエマはそろりと中を歩いた。
ゆっくりと血痕に近づいてしゃがみ込むと、自分の荷物から採取道具を取り出した。小さなペーパーナイフと同じく手のひらより小さい透明な細筒だ。
かり、かり、と乾いた血痕を削って細筒へ入れている。
「姉さん、何してるの」
「簡単な成分分析なら、持っているもので可能でしょう。だから、してみようと思って」
手際よくジエマは持ってきていた薬瓶を取り出し、筒の中で混ぜ合わせた。人差し指と親指で摘まんで、くるくると振る。やがて乾いた血痕が溶けて、色が変化した。
茶褐色と暗緑色が混じり合う色だ。
「どんな結果?」
ナーナが同じようにしゃがんでジエマの手元を見る。
「人と植物の組織の反応があります。この血の御方は植物由来の血を持っていらしたのかしら」
「んー……ジエマ、ちょっとそのまま持っていて」
ジエマの持つ筒の前で、ちょいちょいと右手の人差し指をナーナが動かす。
数秒沈黙したかと思うと、すっと顔を上げた。
「≪探せ≫」
立ち上がり、ぐるりと体を回して遠くを眺めている。
げえ、とナーナの表情が変わった。
「やだ、同じ反応がいっぱい。これ、さっきの骨のところだわ」
「それは同じ血ってことか」
テトスが聞くと、ナーナはぴたりと止まって言い切った。
「そうね。まったく同じっていうより、家族くらいの、それこそ兄弟くらいの濃い血の繋がりだわ」
「ここのお屋敷は大家族が住んでいらしたのかしら」
「あの骨の量からして、十や二十じゃないはず。親兄弟がそんなにいたなら、まあ、なくもない……? いたんですか?」
ジエマとヨランの言葉に、テトスとナーナは揃って否定した。
「そんなはずないじゃない。お母様のほうに兄弟は……ないわよね?」
「ないない。俺らの従兄弟なんていない。隠し子も多分ない」
そう、いるはずがない。
テトスやナーナの父方の血筋は残すところ二人。母方は誰もいないはずだ。そう聞いているし、家系図も昔に覗き見て怒られたことがあるので間違いない。
父が行ったとされるやらかしが有名になりすぎて、血筋の管理は厳しく目を付けられているため隠し子がいるのも、まずあり得ない。亡くなったネルソンも、事件後に改めたが交際関係は乏しかったという。
「ここで襲来に現れた奴らを産み出したってほうが、まだあり得るな」
「出蘆教の掛け合わせの話ね。お祖母様もそんな輩に上がり込まれるなんて思ってもいなかったでしょうね」
ナーナの視線が動く。つられてテトスもそれを見た。
金目の物がほとんど無かった屋敷だが、この部屋だけは少なからず戸棚や机といった調度品や一枚の絵画が残っていた。特に目を引くのは大きめのカンバスに描かれた黒い額縁の絵画だ。
しかし放置されているのか、額縁には埃が白く積もっている。
(へえ、これが)
若い女性と年嵩の女性が並んだ肖像画だ。
おそらく親子なのだろう。柔らかく微笑む姿は、どことなく似ている。
ただ、テトスやナーナと血の繋がりがあるとは思えなかった。しいて言うなら、まだナーナのほうが似ている。
(目だけ同じだな)
豊かな栗毛の髪、真面目そうな印象を受ける顔つき。その中心の青い目は見覚えのある色彩だった。
なんとはなしに近づいて、テトスは手を伸ばした。
それと同時に、振動がした。
「きゃ」
「わっ」
四人とも小さく声を上げ、たたらを踏んでこらえる。
地面をごと何かが這って移動したような揺れだ。
「ヨラン、何か聞こえるか」
「下で何か移動したような、這う音が。それから遠くで何か隆起する音でしょうか。でも、もうしません。遠くに行ったようです」
目を閉じて耳を澄ませたヨランが言うのなら、そうなのだろう。この場にいる誰よりも耳がいい上に、察知能力に優れている。
揺れは長くは続かなかったが、かたかたと絵画はまだ揺らめていた。
「絵が」
咄嗟にテトスは言って、外れそうになった額縁を支えて掴む。すると、あっさりと壁から外れてしまった。
さらには、その拍子に額縁の右側も取れてしまった。
中身と額がバラバラにならないよう、ばれないように掴んで留める。ナーナに咎められては煩わしいので、その場で素早く嵌め込んで直した。
しかし、その最中に数枚の紙がはらりと落ちてきた。
色褪せた古びたメモだ。
「なんだこれ」
絵画と額縁のどこかに挟まっていたらしい。
絵画を壁に立てかけて、テトスはメモを拾って広げた。




