1 うわさ話
あのね、これは秘密の話なんだけど。
町の小物屋さんに、手のひらくらいの小皿が売られていることがあるの。
そう、小皿。どこにでもあるって?
ちがうわよ、特別な黒い小皿があるの。
それでね、それを使ってやる「手鳥のおまじない」って知ってる?
やり方は簡単。だけど、絶対に遊び半分でやっちゃだめだからね。本気でやってこそ効果があるんだから。
ええ? 危なくないってば。決まりを守れば簡単なおまじないだもの。
魔法も使わない、本当に簡単なものなんだから。ほら、呪いとかってもっと難しいものなんでしょ?
だから、これは違うの。特別なおまじない。
なによ、そんなに怪しまないでよ。やり方を教えてあげるから。
あなたって教えてくれた人と同じくらいカッコいいから、特別に教えてあげちゃう。ついでにアナタの未来もまじなっちゃおうかしら。ふふ、ふふふ。
え? うん、そうそう。やり方ね。
夜の学園みたいな、静かな場所でするものね。明るくない夜が一番いいっていうけど、そうじゃなくても大丈夫。
あ、でも窓は閉めていてね。風が当たると気になっちゃうでしょ?
小皿に水を入れて、指先からちょっとだけ血を垂らすの。ほんのちょっとだけ。
それから、小皿の水面を覗き込みながら、こう唱えて。
「羽よ、兆せ」
すると、水面に小さな鳥が浮かんでくるのが見えるの。
その鳥が、これから起こる出来事を教えてくれるのよ。
好きな人のことだったり、試験の結果だったり。なんでもよ。
ウソみたいでしょ? でも本当だもの。
あ、でもね。気をつけてね。
やっちゃいけないことがあるから。それと、手順はしっかり守ってね。
そうだなあ、私が聞いた話だといくつかあったかな。
窓を開けちゃだめ。
他人の血も使っちゃだめ。自分の未来を見るんだから。
使った小皿を途中で触るのもだめ。儀式を邪魔しちゃうもの。
聞いた話だけどね、手鳥のおまじないをして施療院に行った子がいたの。
きっと手順を守らなかったからよ。絶対そう。
あとね、鳥が関係ないことを話すなんてことがあったら大変らしいよ。
鳥にさらわれて未来が見えなくなっちゃうんだって。
だから、もしやってみたいって思ったなら、覚悟してね。
なんて、冗談。
後の話はウソだよ。全部? ううん、ちょっとだけ。でもどれがそうか、どんなお店か教えてあげない。
だって信じてなさそうだから、脅かしちゃおうって思ったの。
ふふ、でもね、このおまじないは本物。間違いないわ。
だって、私は、本当に未来を見たんだから!
*
一通りヨランが話し終わったあとは、微妙な空気が流れた。
ナーナが呆れたように口を開いた。
「小道具に血液。どう考えても、まともなおまじないじゃないわ」
「やっぱり、そうですよね」
はあ、と気だるそうにヨランが言う。
「これ、新入生から聞いたんです。その子は橋の街でこのことを知ったと言っていました」
「ふうん。聞いたことがないな。ナーナ、お前知ってたか?」
橋の街は中立特区にある唯一の街だ。都と繋がる連絡口でもある。
必要物品の他に、娯楽や飲食店も立ち並んでおり、生徒の憩いの場となっている。
何度か買い物に出たり、探索したりはあったが、テトスはそんな話を一度も聞いたことがない。それにそういった類のおまじないとやらは、女子が好みそうだと思えた。
恋愛のまじないや薬に手を出して、あれこれ面白おかしく噂してはきゃらきゃらと笑う。そんな女子の姿はどこの土地でも同じのようだ。
「いいえ? 少なくともヒッキエンティアでは聞いたことはないわよ。じゃないと、モナが黙っているはずないもの。つい最近のことかしら」
「ああ、今年の寮監督はランフォードに決まったんですか。ナーナティカだと思っていました」
「モナにもそう言われたわ。でもね」
ナーナが首をゆっくりと横に振った。
「前年で、医務室送りが多すぎるからって言われちゃって」
それはそうだと、テトスは納得した。
昨年だけで、ナーナが医務室のベッドに縛りつけられた回数は両手指を超える。
もしや、自覚がないのか。そう思って口を開こうとテトスがする前に、ナーナから睨まれた。
仕方なしに肩をすくめるだけに留める。
それをさらにじろりと見てから、気を取り直したようにナーナは言った。
「まあ、結果的にはよかったかも。今年はムーグも寮監督になったでしょ。強く出られるモナなら適任だわ」
「いい抑止力にはなってるみたいだな。あと、ヴァーダルも喜んでる」
「ああ、モナも喜んでたわね。なんだかんだで二人は仲が良いもの。素敵だわ」
進級早々に、ヴァーダルが「モナがね」とうきうき言ってきたくらいだ。おそらくナーナのところでも同様の光景が見られたのだろう。テトスが思い返しながら言えば、ナーナはうっとりと言った。
「では、この噂は寮監督の間でも話題にはなっていない?」
ヨランが確認する。
テトスはうなずいて返した。そっちはどうだとナーナに視線を向けると、少しだけ考える素振りをしてから疑問を口にした。
「そうねえ。ヨラン、あなた新入生の誰からその話を聞いたの」
「すみません、名前までは。でも、数人から同じ話がでたので気になってしまって」
「一日で同じ話題が数人から? しかも新入生? 入学式は今日だったじゃない」
「入学前でも、早くに学園入りする生徒は結構いるんです。だから、休み中に先に検診を行うこともあって。それの手伝いで行ったときなので……5日くらい前からでしょうか」
「あら、そういうこと。5日前ね……どおりで。医務室の君ってヨランだったのね」
なんてことないように言ったナーナに、ヨランは面食らった様子をみせた。
「なんですか、その呼び名」
「長期休み中なのに医務室まわりが賑やかだったの、それか。俺も聞いた。格好いいのがいるって言われてたろ」
「ヨランは格好いいというより、可愛いと思うのだけど」
テトスが言うと、ナーナが口を挟む。ヨランはあからさまに顔をしかめた。赤い目が細まっていかにも不機嫌だとわかる。
「そういえばナーナティカ。休み期間中、先生に呼び出しをされていましたよね。来ませんでしたが」
「えっ」
「僕はあなたが来ると思って、手伝いを立候補して、ちゃんと準備をして、待っていたんです」
ゆっくり言い含めるかのような、柔らかく静かな声だ。
ヨランに言われて、ナーナは打って変わって視線をうろつかせた。
(あーあ、学ばないやつめ)
テトスは目が合ったナーナの視線を見なかったふりをした。
ヨランが、可愛いのを気にしていると知らないはずがないだろうに。まして、恋人のナーナに言われたら余計にムキになるだけなのに。
勉強ができても、そういうところが鈍い。
ヨランは意外としつこくて根に持つところがある。あと真面目で責任感もとても強い。
「あとで一緒に、行きましょうね」
形だけは美しい笑みだ。そんなヨランに見つめられて、ナーナはしおしおとうなずいた。
このままヨランがこんこんと話を詰めだすのは目に見えていたので、テトスは遮るために口を開いた。
「それで、ヨランが俺たちに聞いてきたのは気になったからってだけか」
「あ……ええと。気になったはそうなんですけど、まあ、それだけでなくて」
は、と目を瞬かせて、ヨランは歯切れ悪く肯定した。
「実は、その噂を姉も聞いていて」
「ジエマさんが?」
瞬間、テトスは姿勢をただした。
何か言いたげに見てきたヨランとナーナに、何かと見返して先を促す。
テトスにとっては、ジエマの話題のほうが大事だ。
麗しの高嶺の花。淑女の中の淑女。嫋やかで、清らかな美しい人。
何を隠そう、テトスはジエマに一目惚れをしている。
このことは、双子のナーナもジエマの弟であるヨランも周知のことだった。付け加えるなら、ヨランと知り合ったのもジエマのことがきっかけの一つであった。
「未来を見るということは、予知と同じだからと気にしたようで」
レラレ家には、代々予知能力を持つ者が生まれる。
長年、純人主義がはびこる国の方針から隠れながら過ごした人魚の一族。その血が発露した結果だという。
ジエマ・レラレには予知能力がある。本人の意思関係なしにおきる異能のため、ジエマの周りは常に一族の息がかかった者がつけられていた。
「それで」
ヨランが言葉を区切ったと同時に、こん、と控えめなノック音がした。
三人揃って部屋のドアを見つめる。
こん、こん。
またもドアが叩かれた。
ヨランは気が進まないような態度で立ち上がり、ドアのほうへと歩き出す。そして、ゆっくりとドアノブを回して開いた。
そこには、ジエマが肩掛けカバンを胸に持ち、佇んでいた。